あらすじ
友だちは何よりも大切。でも、なぜこんなに友だちとの関係で傷つき、悩むのだろう。人と人との距離感覚をみがいて、上手に“つながり”を築けるようになるための本。「みんな仲良く」という理念、「私を丸ごと受け入れてくれる人がきっといる」という幻想の中に真の親しさは得られない。人間関係を根本から見直す、実用的社会学の本。
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社会学者である著者(故人)が、10年以上前に書いた本。
お笑い芸人の又吉直樹さんがTVで取り上げ話題に。
日本は、他の国と比較して、「友人重視志向」の傾向が突出して高いのだそうです。
自分自身を高めたい、成功したいなどの意識よりも、親友を得たい、色々な人と付き合い人間関係を豊かにしたいという意識が高いそう。
その一方で、友達が多いのに寂しい、恋人や家族との関係が上手くいかないと悩む人も多い。
様々な悩みや疑問のヒントが書かれています。
同じでなければならないのではなく、違いを受け入れること。
親しくなければならないのではなく、適度な距離で関わること。
完全な自由ではなく、適正なルールを共有すること。
当たり前だと思っていた思い込みを捨てることで、新しい心地よい人間関係を見つけられるかも。
元々は学生向けを想定して書かれていますが、大人にもオススメの本。
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Posted by ブクログ
仕事で使えそうかも!と思い購入して数年後、ようやく読みました。
書かれたのは17年前ですが環境は今と変わらず。
特に今のこどもたちは、ネットの発達のおかげか早熟で賢いです。
もしかしたらもっと複雑になっているかも…
早くに大人になってしまうからこそ、響く言葉もあるのかも。
たとえば、「コミュニケーション阻害語」
目の粗い言葉でざらりと不安感のある言葉より、少しずつ目を細かくしていき「生のあじわいの深度を深める」言葉を自分のものにしていく。
自分の気持ちに的確な言葉を充て、輪郭を与えるためにもものすごく必要。本を読むことでも身につきますからね…!
教職に就くみなさんにもぜひ読んでいただきたい作品でした。
Posted by ブクログ
全ての人間関係の悩みのヒントになる本であると感じた。
脅威にも歓びにもなりうる「他者」と並存していくことで人と人との距離感を見つめ直し、同質性だけに頼るのではなく異質性に向き合い「信頼できる他者」を見つけることが「生のあじわい」につながるのだと考える。
そのためには自分たちの情緒や論理の深度を深める「言葉」を用いて、自分と他者、自分と社会との関係を見つめ直していくことが必要である。
Posted by ブクログ
改めて人との関係、自分を見つめ直すきっかけになりましした。今までの私は他者という認識が薄かった気がします。認識を深めることで、上手な距離感を保てるようにしていきたいです。また、異質性には「並存性」を合言葉に付き合っていきたいと思いました。
Posted by ブクログ
「自分と他人は違う」という当たり前のことを、私たちはどこかで忘れてしまっているのではないか。分かり合えないこと。それが人間関係の前提だと語ります。だからこそタイトルが「友だち幻想」なのでしょう。
100%分かり合うことはできない。むしろ、わかり合えない前提に立ったときに初めて、相手を気遣い、関係を丁寧に築く姿勢が生まれるのだと思います。では、なぜそこまでして人間関係を作るのか。その理由は「幸せのため」なのだと思う。孤独を避けるため、互いに支え合うために、人は苦労をしても関係を結ぼうとするのだと感じた。
また「人から覚えてもらおうとしない」、これでいい。相手の心を操作しようとするのではなく、自分ができることを自然に差し出す。その積み重ねこそが、人間関係を少しずつ温かいものにしていくのだと思います。
『友だち幻想』は、人との距離感に悩むときに、自分を見直すヒントを与えてくれた一冊でした。
Posted by ブクログ
友だち幻想 菅野仁(かんのひとし)
・人が幸福を感じる2パターン
自己実現
→テストで良い成果、技術向上
他者との交流
→他者とのコミュニケーション
・学校で教えてくれないこと
私たちは異質の仲間とともに並存していかなければならないこと
→友達100人できるかなは幻想
→みんな仲良くは難しい
君たちには無限の可能性がある
→いくら頑張っても限界がある
Posted by ブクログ
人との距離感って大事だと思う。近づきすぎても窮屈だし、遠いと寂しい。認めてもらいたいという承認欲求も大事にしたいが、一緒にいて楽しいという交流を増やしたいと思った。
どれくらい努力すれば本当の楽しみが得られるか示してあげるのも大人の役割だとあって、本当にその通りだと思った。
心に迫る重い話が多かったが、興味深いテーマであり、これからの人生に役立つ本だと思った。
Posted by ブクログ
人で関わり方を、改めて考えさせられる本です。
他社承認されたい、同時に他者が脅威に感じる。
そのような思いは、学校が以前は小さな村の情報の源泉のようになっていたからかもしれない。
その場にいない人の悪口を言うスケープゴート悪口。
これは、共通の敵?を作って信頼を確かめ合う行為らしい。
人への妬み、ルサンチマンの感情を認識して抑えること。
気に入らない人とも、並存する、並存性を身につけるのが大事。
挫折を経験しない人はいない、現実を理解して、その挫折の苦味を噛み締める。
理想と現実を理解し、苦味を楽しめるのが大人。
言葉を正しく使う、ウザい、ムカつく、のような感情を雑に発露する言葉だと、認識が深まらない。
言葉がないと、認識を正しくできない。
楽と楽しいの違い。
しんどいけどリターンを含んでいるのが、楽しいということ。
早起きして人が混んでいる公園の桜を見た著者。
Posted by ブクログ
中学生の娘に参考になればと買って、娘に読ませる前に読んだ。
自分と全く同じ考えの人はいない、いるとすればそれはもはや自分か自分の分身。
精神的に大人になったように見えても中高生には親の精神的サポートは必要。
挨拶はむしろ敬遠のためにもするべし。
具体的な付き合い方については書かれていなかった。
Posted by ブクログ
本書から、世の中の「当たり前」が
もしかしたら「当たり前ではない?」と
一歩引いて考える大切さを学んだ。
著者は「学校でみんな仲良く」は昔のこと、
現代ではむしろ同調圧力に苦しむ人も
いるという。
また、学校では教えてくれない事として、
気の合わない人とも並存しなければならない事、
君にはこうゆう限界があるという事
(無限の可能性があるというメッセージが強すぎる)
を挙げている。
子供に夢を持たせるのも大事だが、
将来挫けそうになった時に逆境を
乗り越える力も必要。
家庭内で教えられることは
教えていかなければいけないなと強く思った☺︎
【印象に残った箇所】
殺し、盗みは人としてよくないこと
だからいけないのではなく、
人に殺されない、人から盗まれないことを
保障するために必要な社会のルール。
Posted by ブクログ
「一年生になったなら
一年生になったなら
友だち100人できるかな」
例の歌に
そんなことないだろ
それは違うだろ
と 思っていたならば
ぜひ ご一読のほどを
Posted by ブクログ
私は交流そのものの歓びに幸せの99%を見出してるかもと思った。
みんな仲良くが机上の空論なのには同意。最低限のルールを守ってうまく折り合いをつけて生きることと(ルール関係)、無限の可能性が必ずしもあるわけではないこと、他人はどこまで言っても他人であるこ(話してもわからないこともあること)は、子どもに教えてもいいかもしれない。
やばい、うざい、超、あたりのコミュニケーション阻害語は使いやすすぎるから困る。気をつけねばね〜
ルサンチマンをやり過ごして生きていくぜ!
Posted by ブクログ
人と人とのつながり方について考える本。
学生時代に出会いたかったと思いつつも、職場にも生かせると思ったり。
ついつい、親しさと敵対の2項対立で考えがだなと反省。
以下メモ
・現在は誰とも付き合わず一人で生きることができるからこそ、人とつながることがより複雑で難しい。
・人とのつながり方
①つながりによって、利得や利益を得たい。目的がつながりの外にある。
②つながることそのものが目的=交流
・人間の幸せのひとつ大きな柱が、親しい人・心から安心できる人と交流したい、ということ。だから一人は寂しいと感じる。
・幸福の本質
①自己充実(自己実現)
②他者との「交流」/他者からの承認
・「他者」とは、自分を傷つける存在でもあり、認めてくれる存在でもある。
・同質性(みんな一緒)⇔並存性
・ルール関係 お互いに守るルールを前提に成り立つ
・フィーリング共有関係 感情優先
この状況で、どちらの関係が優先すべきか見極める。
・親しさと敵対の2項対立ではなく「態度保留」というスタンス
・自分と合う(同じ)人を見つけるのではなく、信頼できる他者を見つける。
どんなに親しくなっても「他者」であること。
Posted by ブクログ
凄く嬉しい事がある。私が初めてこの本を手に取ったのは中学生のときだった。その時は少し難しくて、序盤で読むのを辞めてしまった。大学生になった今、もう一度読み返すと面白かった。読める、読める!となった。
読書は、自分の成長の指標にもなりうるのだと改めて感じる。この前まではこの言葉使えてなかったのに、と。自分の発した言葉に対して驚く。
自分で自分の成長は見えづらいが、確実に私は私を成長させることが出来ているし、まだまだ可能性を秘めている。
本書にあったような人間関係の作り方、維持の仕方を守って、人として社会へと飛躍していけるようになりたい。
Posted by ブクログ
友達100人できるかな(フィーリング共有関係)では「みんな仲良くしなくては」と苦しくなる。
お互いに守るべき範囲を決めて関係を成立させる(ルール関係)だと仲が良くても良くなくても、とりあえずお互いが平和に共存できる。
この2つは重なるようだけれど原理的には区別して考えなくてはならない。ルール関係とフィーリング共有関係を区別して使い分けできるようになることが、「大人になる」こと。
⭐︎傷つけ合わず共存することが大事。
ルサンチマン(恨み・反感・嫉妬)に陥るのが人間の常だが、負の感情からどう脱却するか「ニーチェ」
やり過ごす
⭐︎適切な距離は人によって違う。学校空間の中で濃密な関係を求めすぎない。濃密な関係からあえて距離を置く。
スケープゴート
そもそも旧約聖書の中に出てくる贖罪用の山羊のこと。人間の罪を山羊に背負わせて荒地に放す。生贄。
「秩序性」
最低限のルールをお互い守る中で結果として出てくるもの。秩序正しさそのものを目的にすると人々はより多くの自由を我慢しなくてはならなくなり、息苦しさが増す。
誰かをいじめると、自分がいじめられるリスクが生まれる。
「盗むな・殺すな」余程のことがない限り無闇に危害を加えず、私的なテリトリーや財産は尊重しあいましょう。お互いのためにね。自分が安心して生活することに直結。
敵対か?親しさか?の二択ではなく態度保留という真ん中を選ぶ。あは!すぐ敵対選んじゃってるね。私。
話し合いとは
ルールというのはどうやったら最小限のルールを取り出せるかを話しなければダメ。今まで積み重なってきたもののうち、これは大事だが、これはもう要らないのでは?と腑分けするのが話し合い。ルールのミニマム性を追求する。それ以外はできるだけ融通を持たせること。
人によってルールに対する感覚がかなり違う。
なのであまりにルールを増やしすぎると組織のモチベーションが下がってボロボロ脱落者が出る。ルールを決める人は柔軟なバランス感覚が必要。
学校で先生がしないといけないことは子供達に自分の熱い思いや教育方針を注入することよりも、教室が一つの社会として最低限のルール性を保持できているようにすること。
基本的に先生は子供の内面までは弄ろうとする必要ないと思う。先生の仕事は生徒の全てに触れなくていいし、触れてはならない部分もある。普通の社会人になるための基礎力を育てる場。その人が潜在的に持つ能力が損なわれないように、社会生活営むための最低限のルールを教えたり、やるべきことを支えるのが先生の仕事。
担任になったとしても、たかだか1年か2年のことで一生関われるわけでは無いのだから、先生は自分が帯びてしまう影響力の大きさと自分の影響力の責任の限界を同時に見据えるクールな意識を持つことが求められている。
【大人であることの重要な要素】
「人間関係の引き受け方の成熟度」親しい人たちとの関係や公的組織などである役割を与えられた中でそれなりにきちんとした態度をとり、他者との折り合いをつけながら繋がりを作っていけること。
人生の中の挫折を、自分の中で上手に処理して、その苦味をいつの間にか人生の旨味変えることができる大人になろう。苦味を味わうことを通して味わう旨味を経験できるようになることこそ、大人になること。
信頼はできるかもしれないけれど、他者なのだから、決して自分のこと丸ごと全て受け入れてくれるわけではないと言うことをしっかり理解しておくこと。
自分のことを100%丸ごと受け入れてくれる人を、この世のどこかに行って、いつかきっと出あるはずだと言う考えをはっきり言って幻想。
過剰な期待を持つのはやめて、人はどんなに親しくなっても、他者なんだと言うことを意識した上での信頼感のようなものを作っていかなくてはならない。
Posted by ブクログ
中高生に良い本ではないか。自分も高校時代に出会った本。反抗期だった当時はまったく読む気にならなかったが…。
日本だからこそ、このような本の価値観が大切になる人も多いのではないか。
Posted by ブクログ
サブタイトルは「人と人の〈つながり〉を考える」で、まさにこれと合致した内容になっている。昨日の夜から読み始めて、今日には読み終えてしまったので、文量も少ないうえに非常に読みやすい本だ。本書は2008年に出版された著書で、当時のいじめ問題を見かねて対人関係の基本を描いたようだ。本書で強調されているのは「並存性」というものであり、協調し親しく接することと敵対し排除することの中間を目指すように提言してある。対人関係に重きを置く人や、悩みを抱える人は、一度読んでみると参考になるのではないかと思った。発言がすべて的確だし、内向にも外向にも非常に役に立つスタンスを学べる。しかし難しいのは、真に攻撃的な人が読まなければ本来のいじめを抑止するという効果を発揮しないということだ。ただでさえいじめで加害者になる人物というのはサディスティックな傾向があり、加害そのものに快感を覚える場合、内省程度ではいじめを抑止することはできないというのが俺の見解だ。しかし本書で描かれている対人関係スキルは、たしかに有用であって、いじめを抑止する性質もある。本書の途中にある「ルール関係」と「フィーリング共有関係」の理論によれば、最低限度のルールを浸透させることで、いじめを起こさせない空気づくりができるかもしれない。山本七平の「空気の研究」はあまりにも有名だが、集団による基本的ルールの遵守は大きな影響力を持ち、それを徹底さえできれば、いじめを抑止できるのかもしれない。しかし出版から早15年の歳月が経ち、日本社会はどのように変化したのだろうか。2021年度の文部科学省の調査によれば、いじめは認知されただけでも61万件となり、過去最多を更新した。今年には小中学生の自殺者が過去最多を更新し、不登校数も同様である。本書で書かれた指摘と提言は至極真っ当だったが、社会の流れはもはや緩和を許さないのかもしれない。この悪状況を打破するには、台湾有事か南海トラフ巨大地震くらいしかないのではないか。俺は最近、そのように思う。
Posted by ブクログ
先に読んだ空気は読んでも従わないと言語は違うものの通じるところが多々あり、面白いものだなぁと感じる。
先に世間と訳された思想はダイレクトにムラ社会と訳され、日本人の根底にあるとされる精神性。なるほどと納得だが、果たして海外にはムラ意識は全く無いのか?という疑問は鴻上氏の著作でも感じたところ。
朧げには感じていたものの言葉で表出させてもらうと脳内で知識の解像度が上がってよい。表現者たちに感謝。
タイトルにある友だち幻想はそのまま夫婦幻想とも親子幻想とも使えるような汎用性の良さだと思う。
他人と他者の解釈も面白かったな。名著と話題に上がるだけの事はある。
Posted by ブクログ
学生向けだが、大人も改めて人間関係を振り返ることができる本だと思う。大人でも、この本で言われている大人の人間関係を築けている人は(自分も含めて)少数な気がする。
Posted by ブクログ
100%分かり合える人はいない。
大人になったら気が合わない人とも関わらないといけない。
でも一定のルールを守った上で価値観の合わない人には踏み込まないことも大事。先生だからと言って生徒の人格に影響を与える必要はない。生徒の記憶に残る必要もない。
Posted by ブクログ
今、生きてうえで人との繋がり、交流は避けられないと思っている。だからこそ、悩みが尽きないと思い、読んでみた。
私自身、大学に入ってから人間関係が楽になったなと思ったのだが、それは”「同調圧力」からの解放"が理由だったのだと気づけた。
教員側もみんな仲良くを実現させようと努力しているからだと思う。
大人になるってどうなれば大人なのだろうか、年齢を重ねるだけで大人になれていないという気持ちがあった。
ここでは、一般的に言われる経済的自立と精神的自立のほかに人間関係の引き受け方の成熟度をあげていた。
親しさか敵意かという2択ではなく、態度保留という距離を置くのも選択肢として入れるの大切だなと。
樺沢先生も同じようなことを言っていたな。
人は自分を丸ごと100%受け入れてくれる人を求めがちな気がする。私も含めて。特に恋愛関係においては。
でも、あくまで他者でしかないからそんな人はいないってことに改めて気付かされた。
どうしても100%自分の価値観が共有できることを求めがちだけど、自分と違う価値観も楽しめるようになりたいと思った。
関係性の作り方のポイントとして、異質性の先にある種の親しさを味わっていくトレーニングが大切と書いてあって、私が意識したいと思っていたことが言語化されてて感動した。難しいけどね。
コミュニケーション阻害語って使いがちだなぁと感じた。ムカつくとか、ウザいとか…
細かいニュアンスの表現を阻害してしまいがちな言葉は使うのを慎もうと思う。あとは、ヤバいもそうかな。
ちょっと苦しい思いをして、本当の楽しさを実感することも大切って言っていた。
Posted by ブクログ
今更感もあったが、有名な本なので見ておこうと思い読んだ。すでに書かれてから16年経っているので、令和の現役中学生を見ている身としては、やや一昔前の若者分析という気もする。ただ、いつの時代も人間関係にまつわる問題はあるわけで、学校における子どもたちの人間関係の悩みを考えるうえで、現代でも十分に参考になる視点が数多くあって、やっぱりすごく勉強になった。
有名な本なので、大体の内容や評判は知っているつもりでいたが、実際に読んでみてこの本の自分のテーマ認識が間違っていたことに気づいた。これが、個人的に一番の収穫だったように思う。
タイトルが「友だち幻想」なので、多くの大人が持ち、その影響を受けて子どもたちも持つようになった「友だち」像の話がメインなのだと勝手に思っていた。けれども、実際に読んでみると、著者は、この本のねらいを「現代社会に求められている「親しさ」とはどのようなものであるか」を捉えるための「見取り図」を作ることだと言っている。そのため、本の内容の大部分は、人間同士の関係が何を基盤に作られているのか、「親しさ」のあり方の分類である。
人は「自己充実」と「他者との交流」を契機にして幸福を感じる。他者には、「脅威の源泉」と「生のあじわいの源泉」という二重の性質がある。人間の共同性は、ムラ社会的な「同質的共同性」から、近代的な「抽象的共同性」へと変わっていった。
こういった対立的な概念を使いながら、今の子どもたち、若者たちが置かれている状況が、どういった特徴を持っていて、なぜ彼らを幸せにしたり、ときに苦しくしたりするのかを分析していく。そのうえで、大分終盤になって、今の若者たちが(大人もまた)持っている他者イメージを「友だち幻想」と名付けて、もっと適度な距離感を持った「並存」を理想としたらどうかと提案する。
最初にも言ったように、この本の中で言われているような意味での「友だち幻想」を、令和の子ども、若者たちは持っていないような実感がある。当然、ないことはないと思うが。むしろ、学校の先生とかの言う「みんな仲良く」といったような幻想に対して、割と冷めた態度をとれるのではないかとすら思う。とはいえ、今では、どのクラスにもいて当たり前くらいになってきた不登校の子たちや、どこか冷めた感じの人間関係をみるにつけても、形を変えて、人間関係に関する悩みは尽きてはいない。
「友だち幻想」がどうこうというよりは、筆者が、そうした「幻想」を明らかにしていった手つきに学んで、今の目の前の子たちを自分なりに見直していくことが大切なように感じる一冊だった。あと、筆者は、16年経って、今の若者をどうみているのだろうか。もっと最近の著作も読みたい。そんなことを考えた。
Posted by ブクログ
友だちと付き合うことに、考えさせられる内容である。
自分の事を理解してくれる人は限りなく少ない。
友だちや恋愛として付き合い方を深く考えられるため、改めて人とは何かを認識してくれる本である。
Posted by ブクログ
自分自身と他者とのつながりについて書かれている本
友だちと題目に書かれているが、自分以外の人とのかかわりについて書かれているので、現在学校生活と関わりのない自分でも、自分事として捉えることができた。
他者(特に恋人)には期待する受け止め方をされ部悲しい気持ちとなることは多いが
恋人、家族であろうと、自分以外を他者と捉え
異質性を持った 他者などであるということを前提にした上で、期待をしないこと
そしてフィーリングが合わない相手は無理に干渉しようとしないことが大事だと感じた
Posted by ブクログ
友達という存在は時に自分の人生に多大なる影響を与えてくれる。例えば、自分の性格や職業、生き方などだ。しかし、時にそれが悪い方向に作用してしまうこともある。本書ではその対処法について述べられていた。まず、前提として他人振り回されることは自分の自由がなくなるため、あまりいいことではないと思う。そこでどうすれば良いのか。あくまで自分の話だが、私は自分の信念を持って生きていくことが大切だと思う。自分に正直の嫌なことは嫌ということが自分の自由につながっていくと思う。それができない友情は自分の人生の利益にはならないと思うから程よく関われば良いのだと思った。
Posted by ブクログ
自分を丸ごと受け入れてくれる、何もかも一緒の人間などいない。それを前提として他者と適切な距離感を保ちながら人間関係を築くことが重要と教える本。ところどころ学びはあったが、大人になればある程度は誰もが分かっていることが書かれていて、あくまで若者向けの本という感じ。
Posted by ブクログ
友だちに限らず、関係性について幻想だと諦める・期待をしないというニヒリズムではなく、完全に解り合える他者は存在しないことを前提として繋がりを考える。
Posted by ブクログ
大人になってもそうですが、とくに若いときには身を置いている社会的構造(学校など)の影響から、「空気を読め」などの「同調圧力」にさらされることが多いです。そういったことに慣れっこかつ信じ切っていて(内面化されていて)、「空気は読まねばならない」と絶対視する人たちがいる一方で、それに非常に苦しむ人も少なくないです。また、いじめが生まれる理由もこういった同調圧力によるものだったりします。平均や通常とされる範囲からちょっとでもはずれると、攻撃の対象になってしまうんですね。
本書は、それらを含めた「人づきあい」に悩む中高生に向けた「処方箋のような本」(帯にそうありました)なのでした。もちろん、教師や親などの大人が読んでもいろいろと知ることができ、自らの頭で考えさせられたのちにクリアな視点を得ることができるでしょう。
本書でいわれている「友だち幻想」とは、「自分のことを100%わかってくれる友達がいるはずだ」とか「小学生になったら友達を100人つくるんだ」とか「学校のみんなとはすべて仲良くしなければいけない」とかということです。これらは幻想なのだと、著者は丁寧かつ平易な語り口で解説してくれていました。「自分のことを100%わかってくれる友達がいるはずだ」については、恋愛関係においてより強く思いがちだとも。
たとえば、合わない人はどうしたっているものだし、そういう人たちを友だちか敵かどっちだという二分法で見るのではなく、関係性を保留するような形で並存していこうというのが著者の主張です。「自分と自分以外(他者)」で考えると、しょうがないか、という気持ちになってくるものですが、つまりは距離感が大事だということでした。
また、気の合う友達でも、すべてがわかりあえるわけではありません。そんな相手とでも適度な距離感をもつことで、むやみに恨んだり妬んだり嫌になったりといったルサンチマンから遠ざかることができる。また、ルサンチマンに陥るのは人間にとってどうしようもないことではありますが人生の無駄になるものですから、やり過ごすことが大事だとも説かれています。
あと、著者が繰り返し述べている「生のあじわい」。生きているという現在進行形の生の中でこそ得られる種類のよろこびやうれしさなどの情動のことです。これを、他者とのつながりのなかでしか得られないからこそ、人とのつながりって大切なのだ、という論理になっていました。
それと、他者には二重性があるというところも書いておきます。「驚異の源泉」と「生の味わいの源泉」がそれです。他者は、脅かしを感じる怖い存在です。知らない人が夜道で後ろからついてくると、それが偶然だとしたって怖いものです。また、身近な人であっても、屈託なく発言された思わぬ一言でこちらが傷つくことがあります。何気ない一言なのに、グサっと刺さった、というような。これも、「脅威の源泉」としての範囲に入ることです。「生の味わいの源泉」については、さきほど述べましたが、他者といっしょにいることでわくわくしたり嬉しくなったり高揚することがそれにあたります。で、人はそういった他者の二重性に振り回されるものだと、書いてあります。ほんとうにそのとおりだな、と膝を打ちましたね。「あの人は、いいところはいっぱいあるし楽しかったりするんだけど、いらない一言に傷つけられたり、けっこうずけずけと言ってくるときがあってそれも厄介だったりする」なんていうケースってあるでしょう? 100%ぴったり相性の合う人がいないということがしっかりわかっていないと、不満が充満してくるような案件ですが、こういったところで距離感が必要だというのです。あまりに近すぎると傷つくときの度合いが深くなりますから。人によっては、「驚異の源泉」性がすごく嫌だから人とは付き合いたくない、引きこもるんだ、というタイプもいるでしょう。でもそれだと、「生の味わい」のほうも得られませんから、人生がちょっと味気なくなる。なので、再び言いますが、距離感を保つことができれば、すこし身を切られても深手を負うこともないですし、コミュニケーションスキルが発達してくれば、そういったときにうまくやわらかく言い返すことだって可能になると思います。
では、引用を。
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ルールを大切に考えるという発想は、規則を増やしたり、自由の幅を少なくする方向にどうしても考えられてしまうのですが、私が言いたいことはそういうことではありません。むしろ全く逆なのです。
ルールというものは、できるだけ多くの人にできるだけ多くの自由を保障するために必要なものなのです。
なるべく多くの人が、最大限の自由を得られる目的で設定されるのがルールです。ルールというのは、「これさえ守ればあとは自由」というように、「自由」とワンセットになっているのです。(p86)
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→人間関係には「フィーリング共有関係」と「ルール関係」とがあるという見方ができます。「フィーリング共有関係」だけだと、あいつは気にくわないなどの私情が幅を利かせてしまいます。だから、ルールが大事なのだ、と著者が解いているところでした。しかしながら、ルールが大事だというと、上記引用のような反論がでてくるので、それに対して説明を返しているのでした。
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また、人によってルールに対する感覚がかなり違うということを理解しておくこともとても大切です。ルールに関しては、そういうものを守るのに抵抗感のない人、さらにルールを守っていることそれ自体に歓びを感じるような人と、そういうものに縛られることをととても嫌がる人がいます。あまり無意味にルールを増やしていくと、集団や組織全体のモチベーションが下がってボロボロと脱落者が増えていきます。そしてもっと大事なものすらも守れなくなってしまいます。ルールを決める立場に置かれた人は、その辺の柔軟なバランス感覚が必要ですね。(p95-96)
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→ルールの話の続きになっていますが、ルールに対する感受性の違いをしっかり述べてくれていて、こういった言語化がありがたく感じられました。型にはまることをうれしいとする人は、社会性の方向に居場所があるタイプなのだと思います。でも、だからみんなそうするべきだ、とはならない。人それぞれなんだといったところはわきまえておきたいところです。僕なんかは、どちらかというと縛られることは嫌いですね、ルールはかなり守りますけれども。それと、ルールにはまることがいいことだと観念的にとらえてしまっているがため、そういったルール作りの取り組みを推進させてしまい、結果、自縄自縛の態で自分自身が苦しむ人もいますよ。
世にはびこり勢いを増す、個人の内に巣食う不安や恐怖というものがあります。2008年発行の本書を読んでいると、近年(その当時)恐怖感が増してきていると、KYなどの言葉が出てきたことから著者は感じ取っていました。現在では世間的に二分思考の傾向が感じられたりなど不安の深度はもっと増していると思うんですよね。
この本で分析されていますけれど、「ウザい」とか「ムカつく」とかの悪い言葉や荒い言葉、排除の言葉を使わないようにするとその人の思考がしっかり動くようになって心理面も落ち着くようになるそう。現在に生きる人が生きやすくなるためにも、やっぱり言葉の使い方や捉え方に鍵があるんじゃないかなあ。
言葉を使うにしても大人のほうが一日の長があるわけです。語彙にしても、レトリックにしても、話術にしても、若い人たちは比較的未熟です。そのハンデキャップゆえに、大人から言いくるめられたり、言いなりにされるなどで操られたりするのが嫌だから、あえて荒くて粗い言葉を若者は使って線を引くのかもしれない、とも思えます。
そういう「独立するためのやりかた」はないわけじゃないです。あえて拒絶し、「溝」や「分断」の方向へ舵を切るというやり方です。つながっていたんじゃ搾取されたり利用されたりする、という危惧があり、そしてここにも不安や恐怖があるということなのでしょうか。となれば、若者言葉だって大人にも大きく原因があるわけで、世の中全体で考えないといけない、となります。
Posted by ブクログ
ルサンチマンに陥いると楽になる。でも、そうせずに、建設的に他者との関わりを築く。その方法を易しく教えてくれる。他者に幻想を抱かず、適切な距離感を掴むことが大切
Posted by ブクログ
「自分をぜんぶ丸ごと受け入れてくれる」ということを、「絶対受容」という言葉で表したりしますが、絶対受容性を、人間はついつい求めがちなのです。
たとえば女の子なら、それは「王子様願望」のような形で現れますね。自分をすべて受け入れてくれて、どんなわがままでもニコニコ聞いてくれる王子様。でも王子様なんていないわけです。「だったら私は恋愛から降りる」ではなくて、王子様なんていないんだというところから、人を好きになることを始めるのが大切なのです。
男の子だったらやっぱり優しい母親のような存在でしょうか。子どもの頃のお母さんはやさしく何でも受け入れてくれて、自分のことを第一に配慮してくれる存在であることが多い。「自分がこうしたい」と思うことは、いつも先回りして準備してくれる。でも、そういうものを同世代の異性に求めても、「キモイ」の一言で片付けられてしまいそうだ。だから「二次元」の世界に逃げてしまう、ということなのでしょうか。
阻害語の代表的なものが、「ムカツク」と「うざい」という二つの言葉です。
この言葉は、このところ若者を中心にあっという間に定着してしまった感のある言葉です。「ムカツク」とか「うざい」というのはどういう言葉かというと、自分の中に少しでも不快感が生じたときに、そうした感情がすぐに言語化できる、非常に便利な言語的ツールなのです。
つまり、自分にとって少しでも異質だと感じたり、これは苦い感じだなと思ったときに、すぐさま「おれは不快だ」と表現して、異質なものと折り合おうとする意欲を即座に遮断してしまう言葉です。しかもそれは、他者に対しての攻撃の言葉としても使えます。「おれはこいつが気に入らない、嫌いだ」ということを根拠もなく感情のままに言えるということです。ふつうは「嫌いだ」と言うときには、「こう言う理由で」という根拠を添えなければなりませんが、「うざい」の一言で済んでしまうわけです。自分にとって異質なものに対して端的な拒否をすぐ表明できる、安易で便利な言語的ツールなわけですね。