千葉俊二のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
大正・昭和期の日本の児童文学選集。「赤い鳥」に掲載された芥川竜之介「蜘蛛の糸」(1918)から新美南吉「牛をつないだ椿の木」(1943)までの21編を収める。「赤い鳥」には、お伽噺から脱し、鈴木三重吉の審美眼によって選ばれた数々の童話が掲載された。とても流行したようで、この選集にも8編が収録されている。とはいえ、宮沢賢治を選ばないのは今から見るとちょっと偏ってると思うし、トムやハックを野卑なものとして排斥するなんて、三重吉と私は絶対気が合わないな…。
芥川竜之介「蜘蛛の糸」(1918)「赤い鳥」掲載時の鈴木三重吉が手を入れたバージョンを収録。青空文庫が元の版なのかな、読み比べてみたが、改行や語尾(でした、です)などに手を入れているようだ。久しぶりに読んだが気持ちいいくらい切れ味がある。
菊池寛「三人兄弟」(1919)。こちらも「赤い鳥」。菊池寛っぽい。3兄弟の中では二郎次がいちばん気の毒か。
小島政二郎「笛」(1919)。「赤い鳥」。
有島武郎「一房の葡萄」(1920)。「赤い鳥」。この話がいちばん好き。主人公の僕の気持ちがすごく良くわかる。いじめられるところとか身につまされるし、翌日、学校に行きたくない気持ちもすごくわかって胸が痛い。良い先生で本当に良かったし、僕自身もがんばって乗り越えて本当に良かった。
江口渙「木の葉の小判」(1920)。「赤い鳥」。
秋田雨雀「三人の百姓」(1920)。すごく良い。褒美なんかより育てた子供の愛おしいこと。
室生犀星「寂しき魚」(1920)。「赤い鳥」。井伏鱒二「山椒魚」の世界観。
島崎藤村「幸福」(1921)。寓話。
佐藤春夫「蝗の大旅行」(1921)。
宇野浩二「でたらめ経」(1925)。
豊島与志雄「手品師」(1923)。「赤い鳥」。異国の香りがする面白くて怖い話。
浜田広介「ある島のきつね」(1924)。
宮沢賢治「水仙月の四日」(1924)。寒さの表現の美しくも厳しいこと。3番目に好き。幕切れも鮮やか。
宮沢賢治「オッベルと象」(1926)。タイトルは知っていたが初めて読んだ。こんな話だったのかと衝撃。これは大正プロレタリアートの匂い。
千葉省三「鷹の巣とり」(1928)。現代にも通じそうなやんちゃな男の子たちの冒険物語。甘えの三ちゃんがいいね。
内田百閒「影法師」(1929)。
坪田譲治「魔法」(1935)。「赤い鳥」。お兄ちゃんと弟のスケッチ。良くわかる。
水上滝太郎「大人の眼と子供の眼」(1923→1936)。
壺井栄「がきのめし」(1941)。これは4番目に好き。少女たちの体験がリアリティを持って描かれる。
椋鳩十「月の輪グマ」(1942)。熊は恐ろしいので、絶対に母熊を怒らせてはいけない。少し危うい。椋鳩十が動物たちに対するスタンスをもう少し他の本で読む必要がある。
新美南吉「牛をつないだ椿の木」(1943)。2番目に好き。新美南吉は瞳がとても綺麗なひとだったのではないだろうか。主人公の海蔵さんを嫌いになれる人がいるとはとても思えない。もちろん、道徳の香りもするけれども、でも本当に心が洗われ、自分自身を反省する。 -
Posted by ブクログ
明治、大正期の日本の児童文学選集。文語体に漢字も難しく、自分の子ども時代は絶対に読もうとしなかったと思うが、巌谷小波の「こがね丸」などは当時の子どもたちに熱心に読まれていたらしい。全体の印象として、明治期は書物を青少年の教育の近代化に使おうと、教訓的な話を積極的に取り入れた感があり、「赤い鳥」が出てくる頃は、自分の芸術の表現として「童話」という型を使ったのかなという印象を受ける。自分はすでに子どもではないので、大人の視点からの感想になってしまうので、児童がどう思ったかは児童たちに聞かないとわからないが、西洋の物語のローカライズなど工夫を凝らしており味わい深い。
福沢諭吉が紹介したイソップ物語は教訓的。
呉文聡(生涯を統計事業に捧げた官僚)「八ツ山羊」(1887)はグリムの「狼と7匹の子山羊」ですね。弘文社刊行の多色刷り仕掛け絵本というすごく豪華な本で、縦書きの地の文が限りなく日本ぽいが、挿絵に書かれた建物や衣装は外国風で、仕掛けもほどこしてある。子ヤギたちがたいへん可愛らしい。
「不思議の新衣装」。「女学雑誌」の「子供のはなし」欄に掲載されたアンデルセン「裸の王様」。母親が子供に読み聞かせるとのことだが、冒頭と末尾は語り口調なものの、途中は文語調で難しくなかったのだろうか。
若松賤子「忘れ形見」(1890)。英国の女性の詩人A.A.プロクター(1825-1864)の詩”The Sailor Boy”の翻案。14歳の少年の一人称で綴られる自分の来歴の物語。彼は大人になったとき、あれが母親だったと理解するのだろうか。そのときどのように感じるのだろうか。
巌谷小波「こがね丸」(1891)。かの有名な本作。読むまでまったく知らなかったが、犬の敵討ちだった!いわゆる動物を擬人化した世界だが、飼い主もちらっと出てくるし、動物そのままの状態と擬人化の状態がこなれていないというかちょっと違和感があり、そこが斬新で面白い。精神的にはどの動物も報恩忠義あるい悪逆非道のニンゲンである。歌舞伎なんかで人気のありそうな物語を動物が演じていて、ときどき動物としての仕種本性が現れてしまう感じ…といったらいいのだろうか。主人公の黄金丸が親を失って牝牛の牡丹とその夫である雄牛の文角に育てられる。牛の群れの中で育った黄金丸は強くなるんですね、ここ面白い。両親の死の真相を知った黄金丸は野犬となって仇討ちに旅立つ、道中出会った猟犬の鷲郎がいい相棒でね、気っぷもいいし、一度戦った後に盟友になるっていうのが少年漫画みたい。これ本当に児童向けなのかなと思ったのが鼠の阿駒、猫に懸想され襲われかかるところを黄金丸に救われ、かいがいしく黄金丸の世話を焼く。敵の狐聴水を罠にかけるためには鉱物の鼠の天ぷらを…という黄金丸と鷲郎の話を聞いて自害してその身を捧げる…うーんすごい。設定がなかなかに面白い、妙ちくりんな傑作でした。
巌谷小波「三角と四角」(1894)。形の知育本、なのかな、四角を羨んだ三角が角を切り落としたら八角になってしまったという…シュールだけど今の知育本にも通じるかもしれない。
幸田露伴「印度の古話」(1893)。2編のうち後半の年寄りを大切にしようという話は、途中の謎解き難問が面白く、良く出来ている。
石井研堂「少年魯敏遜」(1900)。大島に行こうと単身船を出した少年が暴風雨に遭い、海上を漂流、艱難辛苦の末、孤島に上陸し一人で暮らし、半年後にようやく房総の故郷に戻ってくる話。漂流中の飢えと渇き、鱶の群れの描写がなかなかすさまじく、また孤島についてからも苦労と工夫の連続で、子供はちょっと怯えてしまうのではないか、すくなくとも冒険の旅に出ようとは思わないんじゃないかと思うくらいリアリティがある…。
押川春浪「万国幽霊怪話」(1902)。「橙の花束」は現世に心を残した女の幽霊が成仏する話。設定が美しく夢のようでロマンチックである。ほかいくつか掌編あり。
国木田独歩「画の悲み」(1902)。美しく切ない少年の友情の物語。絵の才能ではどうしても志村に勝てない主人公の心の動きがとても丁寧に描写されている。二人共もすごく絵が好きで、そのために一生懸命に取り組んで、だから最初は反発するが、あるとき二人の間に友情が芽生えると、そのあとはずっとずっと仲良くなる。大人になって道が分かれ、久しぶりに志村の消息を知ったときの悲しみが胸に刺さる。
竹久夢二「春坊」(1906)。なんでもかんでも泣いてばかり泣き虫の春坊の描写が上手い。
小川未明「赤い船」(1910)。こちらはあまりピンとこなかったが「野薔薇」(1920)最後、若者が老人に会いに来るところのなんともいえない寂寥感。
吉屋信子「鈴蘭」(1916)。幽霊物語かと思ったがとても美しくロマンチックな少女物語。
鈴木三重吉「ぽっぽのお手帳」(1918)。鳩?の視点から描くすずちゃんの生まれる前と生まれた後の家庭のスケッチ。「デイモンとピシアス」(1920)。太宰治「走れメロス」と同じお話。シンプルな筆致で描かれる。
小泉八雲「ちんちん小袴」。日本の話がアメリカで紹介された例とのこと。無精な姫君が寝ていると、ちいさな侍たちに脅されるが、この正体は片付けずに畳に隠していた爪楊枝たちだった、というのがすごく面白い! -
Posted by ブクログ
特に印象に残ったものを幾つか。
「礼儀小言」〜鷗外らしい、典拠を示しながら自らの意見を少しずつ展開させていくやり方。
・今はあらゆる古き形式のまさに破棄せられんとする時代である。…人は何故に昔形式に寓してあった意義を保存せんことを謀らぬのであろうか。何故にその弥縫に労する力を移して、古き意義を盛るに堪えたる新たなる形式を求むる上に用いぬのであろうか。(42頁)
「原田直次郎」〜ドイツで鷗外と知己であった洋画家。「うたかたの記」の主人公巨勢のモデルとのこと。世に入れられなかった友への鷗外の心情がかなり前面に出た追悼文。
「鷗外漁史とは誰ぞ」〜かなり斜に構えた感のする。
「歴史そのままと歴史離れ」〜鷗外の歴史小説と言えばあまりに有名な文章。引用文でしか知らなかったので、全文がこんなに短いのかと少し驚いた。しかもほとんどは「山椒大夫」の楽屋裏。
・わたくしは史料を調べて見て、その中に窺われる「自然」を尊重する念を発した。そしてそれを猥に変更するのが厭になった。…わたくしは歴史の「自然」を変更することを嫌って、知らず識らず歴史に縛られた。わたくしはこの縛の下に喘ぎ苦しんだ。そしてこれを脱しようと思った。(146頁)
-
Posted by ブクログ
「江戸川乱歩」の短篇集『江戸川乱歩短篇集』を読みました。
先日、NHKの番組で『二十の顔を持つ男~没後50年・知られざる江戸川乱歩~』を観て、久しぶりに「江戸川乱歩」作品を読みたくなったんですよね。
二十の顔を持つ男~没後50年・知られざる江戸川乱歩~
-----story-------------
大正末期、大震災直後の東京にひとりの異才が登場、卓抜な着想、緻密な構成、巧みな語り口で読者をひきこむ優れた短篇を次々と発表していった。
日本文学に探偵小説の分野を開拓し普及させた「江戸川乱歩」(1894‐1965)の、デビュー作『二銭銅貨』をはじめ『心理試験』 『押絵と旅する男』など代表作12篇を収録。
-----------------------
「江戸川乱歩」作品は2008年に読んだ『江戸川乱歩傑作選』以来なので7年振り、、、
本書には以下の12篇が収録されています。
■二銭銅貨
■D坂の殺人事件
■心理試験
■白昼夢
■屋根裏の散歩者
■人間椅子
■火星の運河
■お勢登場
■鏡地獄
■木馬は廻る
■押絵と旅する男
■目羅博士の不思議な犯罪
■解説 乱歩登場 千葉俊二
『二銭銅貨』、『D坂の殺人事件』、『心理試験』、『屋根裏の散歩者』、『人間椅子』、『鏡地獄』の6篇は『江戸川乱歩傑作選』にも収録されていましたが、、、
さすがに7年前に読んだ作品… 断片的にしか記憶に残っていなかったので、十分愉しめました。
『二銭銅貨』は、二銭銅貨の中に隠されていた「南無阿弥陀仏」の暗号を解くまでの展開も愉しめますが、、、
泥棒紳士が隠した大金が手に入ると期待させておいて、おもちゃの紙幣しか手に入らない… という、最後のどんでん返しが愉しめましたね。
『D坂の殺人事件』は、名探偵「明智小五郎」の初登場作品、、、
密室っぽい殺人の謎解きと「明智小五郎」が犯人と疑われる展開が面白かった… 殺された古本屋の細君の身体に残された傷跡が推理のヒントになっています。
真相は、ちょっと倒錯的な内容で「江戸川乱歩」っぽさを感じさせられますね。
『心理試験』は、心理試験により殺人犯を特定しようとする判事と容疑者の駆け引きが愉しめる作品、、、
心理試験の裏の裏を行こうとした真犯人… 「明智小五郎」は、更にその裏をかいて真相を暴きます。
殺害実行時についた屏風の傷が命取りになりましたね。
『白昼夢』は、見物人を前に自分は妻を愛していたが、妻が浮気者だったために、殺して死骸を5つに切り刻んだと証言する男の物語、、、
見物人は狂言だと思い笑いながら聞いているが、男の経営する薬屋には女の屍が… ゾクっとするエンディングでした。
『屋根裏の散歩者』は、犯罪に心惹かれる男「郷田三良」は、下宿の屋根裏を這い回って、隠された他人の生活を覗き見するうちに気に入らない下宿人の殺人を思い立ち、自殺にみせかけて殺人を犯す、、、
倒錯者による完全犯罪を狙った事件ですが… 自殺したと思われた下宿人が翌日の朝、目覚まし時計をセットしてことから「明智小五郎」は他殺ではないかとの疑いをもち、「郷田三良」の無意識な行動の変化から真相に気付きます。
相変わらず見事な推理でしたね。
『人間椅子』は、小説家「佳子」のもとに届いた謎の手紙にまつわる物語、、、
自身のことを世にも醜い容貌を持つ椅子職人と紹介する手紙の送り主は、自分の作った椅子の中に自分が入り込める空間を作ることを思い付き、それを実行に移したところ、自分の入り込んだ椅子の上に他人が座ることに倒錯的な喜びを感じていることが告白されていた… そして、その椅子は「佳子」の愛用している椅子だった。
いやぁ… このオチには巧く騙されましたね。
『火星の運河』は、幻想的な世界(音もなく暗い森、油のようにトロリとした液体で満たされた沼)を彷徨う男を描いた物語、、、
うーん… ちょっと理解できませんでしたね。
最後に著者から「片々たる拙文、何とも申訳ありません。一言読者の寛恕を乞う次第です。」とのお詫び文付きでした。
『お勢登場』は、悪女「おせい」が偶然を利用して夫「恪太郎」を殺める物語、、、
「恪太郎」は、子どもたちとかくれんぼをしていて、自らが隠れた押入れの中の長持に閉じ込められ窒息死寸前… そこに不倫相手との密会から戻ってきた「おせい」は、助けを求め大声をあげる「恪太郎」に気付き、一度は長持を開けたものの、咄嗟に悪事を思い付き、再度、長持を閉じてしまう。
いやぁ… 怖いなぁ、、、
一瞬助かったと思った後に、再度、閉じ込められて窒息死した「恪太郎」の無念さは想像できないですね。
そして、犯罪は暴かれないままエンディングを迎えます… 最後に(附記)として、
「他日明智小五郎対北村お勢の、世にも奇妙なる争闘譚をお目にかけることが出来るかもしれない」
と続篇を期待させるひと言が記述されていました。
続篇は存在するのかなぁ… 気になります。
『鏡地獄』は、物の姿の映る物(ガラスやレンズ、鏡 等)に異常な執着を見せる男の物語、、、
両親が亡くなり、莫大な遺産を相続した彼は、自分の趣味の研究に財産をつぎ込み、望遠鏡で他人の家を覗いたり、顕微鏡で微生物を観察したり、上下左右すべて鏡でできた鏡の部屋を建設して中に閉じ籠り、小間使いの娘を連れ込んで遊んだりという生活を続ける… うーん、何度読んでも好きになれない作品ですね。
登場人物に感情移入できないからだろうなぁ。
『木馬は廻る』は、メリーゴーランドのある木馬館で働く50歳を越えたラッパ吹きの「格二郎」と、「格二郎」が淡い恋心を抱いているメリーゴーランドの女車掌(切符切り)の18歳の少女「お冬」の物語、、、
メリーゴーランドに乗っていた若者が「お冬」のポケットに封筒を入れたのを目撃した「格二郎」は、恋文だと思い、「お冬」が気付かないうちに、その封筒を「お冬」のポケットから奪います… なんと、その中には現金が。
ここまでの展開は、今後、どうなるんだろう… と期待させるのですが、、、
その現金を使って、「格二郎」が仲間に奢ってやるところでエンディング… 中途半端感だけが残る作品でした。
『押絵と旅する男』は、ある男が、たまたま汽車で乗り合わせた西洋の魔術師のような風采の男から、彼の持つ押絵細工にまつわる不思議な逸話を聞くという物語、、、
押絵の少女に憧れる兄が、自ら押絵となってしまう… という、世にも奇妙な物語系の展開でしたね。
ぞくっ… とさせられる作品でした。
『目羅博士の不思議な犯罪』は、探偵小説の筋を考えるために、浅草や上野あたりを散策していた私(「乱歩」のようです…)の前に、髪を長く延ばした、青白い顔の青年が現れ、月夜に住人が首吊自殺してしまう、あるビルの部屋の話を聞くという物語、、、
その原因は… 裏側に隣接する全く同じ形のビルから、「目羅博士」という医学博士が行っていたある行動だった。
幻想的な殺人ですが… うーん、そんなに都合良く行くもんですかね、、、
ブラックなファンタジーという感じかな。
読み終えて感じたのは「江戸川乱歩」作品って、好みの作品とそうじゃない作品に大きく分かれるってことですねぇ、、、
執筆された当時、奇抜な発想や斬新な発想で作品を創造し、探偵小説の地位を築いたという意味では尊敬できる作家だし、本作品に収録された短篇も興味深い作品ばかりなのですが、リアリティを感じられない作品には、どうも入り込めないんですよね。 -
Posted by ブクログ
1923(大正12)年から1931(昭和6)年にかけての作品を収めた江戸川乱歩の短編小説集。「探偵もの」は半ばほどで、明智小五郎が登場するものも数編含まれる。
驚いたのは、明智小五郎のクセとして「髪をもしゃもしゃとかき回す」というのがあったことで、なんだ、横溝正史の金田一耕助はこれのマネジャないか。と判明したことだ。しかし描写された人物像としては金田一耕助の方が魅力的である。
乱歩のミステリも面白いと言えば面白いが、横溝正史作品ほど「追い込まれるように読んでいく」急迫感はなかった。
江戸川乱歩の小説世界は、やはり、いかにも嘘くさく観念的である。作者の思い浮かんだアイディアが流麗に展開されてゆくが、そこに日常的な生活現場にあるはずの質感が全く無い。大地に足の付いていない、ちょっと青臭いような観念的遊戯なのだ。大正モダニズムというものは、そうした傾向をもつものだったかもしれない。後の三島由紀夫の多くの小説にも、このような現実感ゼロの嘘くささがある。
観念の遊びを読むのも悪くはないが、自分の好みとしてはそれだけでは物足りなく感じる。
本短編集においては、探偵小説よりもそれ以外の分野の短編の方に面白いものがあったように思う。たとえば「白昼夢」のような掌編は、さっと場面が切り拓かれる刹那的な散文詩のようで美しかった。 -
Posted by ブクログ
鷗外と打つと電子書籍版が登場し、鴎外と打つと紙書籍版が登場することの、不思議。
登録出来たから良かったけど(笑)
解説には、
「爽やかに晴れ渡った秋風の吹く頃、久しぶりになんの飾りもない白木の弓に弦を張って、いざ的に向かおうとする、身の引きしまるような凛乎とした緊張感。その心地よい緊迫感と張りつめた武士的な意志の強さ。主情的ではあるが、よく抑制のきいたこの気品ある句調は、そのまま鷗外随筆の魅力であるといってもいいのではないだろうか」
とある。
鷗外には、随筆風の文章はそれほど多くない、とも書かれているが、どのくらいの量を書かれたのだろう。
ありのままを出すこと、描くことと、それが人前であると歪み、虚飾を意識することの均衡を考えているのかな、と何度か思わされる箇所があった。
鷗外という人の結末までを知る私からすると、こういう生き方だからこう感じたんだな、とか無責任に断定してしまう。
だけど、そうではない、という意味があの「遺書」には込められているようにも思う。
鷗外の漱石評にしても、実にあやふやだ。
よく知らない人のことは、よく知らないとしか言えない、という感じがある。
じゃあ、何故、漱石について書くことになったんだろう、と想像すると面白い。
小説家であるから、仕事の面で本質的な話は出来ないと断じられてきたというエピソードも載っていた。
そういうことを読んでも、やっぱり鷗外はこういう人だと言いにくい部分が芽生える。
だからこそ、事実を並べることで、その人を自分の中に投影するというやり方が、いちばん上手くお付き合いのできる方法なのかと思ったのでした。 -
Posted by ブクログ
巌谷小波、幸田露伴、押川春波、小川未明、鈴木三重吉、小泉八雲、他が執筆した、明治~大正時期頃の児童文学モノを集めたもの。
面白かったのは、巌谷小波『こがね丸』。馬琴調の伝奇仇討ち物なのですが、子供向けなので登場人物が全部動物になっており、話のテンポと物語の展開が、歌舞伎の舞台を見ているようで。
それと、教科書で読んだことがある小川未明の「野薔薇」。子供の頃は授業受けを意識して読んでしまうため、ハイハイ教訓モノね-、ぐらいの気持ちで読んでいましたが、この年齢になって読むと、この短さの中でこれだけのモノを描ききってるということに驚き、凄い作品だなあと改めて思いました。