河野裕子のレビュー一覧
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ネタバレここ数年で最も心に残った本でした。
もし本書が短歌集であったならば、恥ずかしながら表題の代表作しか知らないような私は本書に出会えなかったと思います。
このような形式で二人の道のりと素晴らしい短歌の数々を残してくださったことにありがたい気持ちでいっぱいです。
短歌はもちろんのこと、他にも胸に響く一節がたくさんありした。
以下にその一部を引用します。
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・蒸留水と井戸水が一緒に暮らして来たのね。私たち。
・それまで自意識が裸になって歩いていたけれど、永田和宏という存在が私に薄膜を張ってくれて、生きやすくなりました。
・人のこころも体の痛みも、自分自身の、それさえ分かっていないという -
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その地を冠して詠まれた古歌およびその場所の、歌枕というらしい。京都・滋賀の近・現代短歌の歌枕を、京都在住の永田和宏・河野裕子の歌人夫婦が訪ね歩くという内容。それぞれが25カ所を紹介し、合計50カ所が収められていると同時に、最後にご夫婦の対談が掲載されている。京都新聞に、2008年7月から2010年7月にかけて連載されたものを書籍化したものである。ご夫婦お二人にとっては、実は、とても大変で重要な時期に連載がなされている。
河野裕子さんは、2000年に乳がんの手術をされている。その後8年間再発が認められず、ご夫婦ともに安心しはじめた2008年に本連載が京都新聞で始まり、連載が始まってすぐに、再発の -
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「たとえば君」という書名は、河野裕子の歌からとられている。歌の全体は下記の通りだ。
たとえば君 ガサッと落ち葉すくふように私をさらって行つてはくれないか
河野裕子と永田和宏は夫婦であり、2人ともが歌人である。2人は、学生時代に知り合い、付き合い始めたのであうが、河野にはその時に既に恋人がおり、その恋人と、新たに付き合うようになった永田の間で気持ちが揺らいでいた。そういった背景が、上記の歌にはある。
2人の出会いは1967年である。結婚は、1972年。以降、河野が乳がんの再発で亡くなる2010年まで添い遂げる。出会いから43年目のことである。
河野に乳がんが見つかり手術をしたのが2000年 -
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齋藤孝先生の「読書の全技術」でおすすめされていたので読みました。
短歌とは、五七五七七の、百人一首の...といった程度の学校で習っただけの知識しかありませんでした。
まず、字数は五七五七七に縛られなくてよいこと、花や景色を歌ったものばかりではないことが新鮮でした。現代の日常生活のことが、時に生々しく歌われています。旦那さんの名前をまるごと詠んだ歌もあったり。
夫婦となり、子供がいて仕事があり、そんな中でもお互いへの思いや不満や悩みを歌を通して開示しあう。もしも夫婦で小説家であったなら、ここまで直ではない。短歌だから、率直な気持ちを表現できるのだろう。
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が -
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ネタバレ本を読んで、歌を読んで、こんなに涙を流したのは初めてだと思う。同じ病で亡くなった妻を想いながら読みました。
永田和宏
ポケットに手を引き入れて歩みいつ嫌なのだ君が先に死ぬなど
昔から手のつけようのないわがままは君がいちばん寂しかったとき
薯蕷(とろろ)蕎麦啜りつつ言うことならねどもあなたと遭っておもしろかった
助手席にいるのはいつも気味だった黄金丘陵(コート・ドール)の陽炎を行く
最後まで決してきみをはなれない早くおねむり 薬の効くうちに
心配でしようがないと心配の素がわからぬ電話がかかる
一日が過ぎれば一日減つてゆく君との時間 もうすぐ夏至だ
あなたにもわれにも時間は等分に残つてゐると疑は -
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がんで亡くなった歌人、河野裕子と、夫で同じく歌人の永田和宏がお互いのことを詠んだ相聞歌が収められている。
タイトルは河野さんの代表歌のひとつから。短歌には全く詳しくない私にも聞き覚えがあったので、教科書にでも載っていたのかも。
河野さんの歌は潔いものが多い。むしろ夫の永田さんの方が女々しい(←失礼)歌を詠んでいる気がする。
本には河野さんのエッセイも収められていて、二人の人生を追うように、出会いから結婚、出産、発病、そして河野さんの死に至るまでが記されている。言葉の数としては、エッセイ部分の方がずっと多い。でも、伝わってくるものは、歌の方がずっと多い。
夫婦ともに歌 -
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歌人である河野裕子氏と永田和宏の出会いから、結婚・子育て・闘病、そして別れまでを、お互いの短歌とそれぞれが発表してきた文章を交えて、綴っていく。
河野氏は主婦として母親としての役割を果たしながら、歌人としても大いに成功を収めてきた。永田氏は京大の教授としても活躍されている。
2人とも歌人としてばかり時間を使えないのは同じであるのに、その歌はずいぶん様相が異なる。永田氏は仕事や歌の世界の区切りがはっきりしてるのに、河野氏はその境界が混じりあっていて、互いに有機的につながっているように感じる。これは、性別によるものなのか、彼女の個性なのか、とても興味深い。
さらに、河野氏の文章(新聞や本などに -
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相聞歌、というひとつの歌のカテゴリーがある。もともとは互いの安否を気遣う私的なやりとりを指し、それが『万葉集』では男女の恋歌を意味するものになり…と、起源を語れば色々あるのだろうが、なんというか、お互いに、相手を想い、相手に伝える、その双方間のやりとりそのものが「相聞」という言葉には含まれているのだと思う。そして、そういう意味では、この本はまさに「相聞」だ。
京都大学内の歌会で初めて出会ってから、惹かれ合い、人生を共にしてきた2人の歌人、河野裕子と永田和宏。その2人の、出会った当時から、河野が60代という若さで乳癌で亡くなるまでの40年の間の「相聞歌」が、時間の流れや時代の背景と共に、力強い