キャサリン・M・ヴァレンテのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
100ページ過ぎまでエンダーマンの世界、システム、思想の専門用語に慣れるのに、SFか?と思うほど苦労した。
が、ある地点でガラリとひっくり返るので目を見張った。
2人きりだけど満足していたエンダーマンのフィンとモー。
皆と違う目を持つから、サブユニット(親)に受け入れられないから「自分は人間だ」と思いたいカン。
誰にも話を聞いてもらえないから地位にしがみつくクライ。
人間の子供たち。
全てが嫌いだと言うグランポ。
そして最終章で明かされる出来事。
いやあ、びっくりした。シェルカーにあんな秘密を隠すなんて!
このシリーズは全部読んだけど、この本はその中でも頭一つ出た面白さだと思う。 -
Posted by ブクログ
1作目でこの独特なリズムというか感じをつかめたので、前より身を入れて読めた。
それでも分かりにくい言い回しは健在。思うに、分かってもらうことを前提とはしていないんじゃないか。なんというか・・・極端な言い方だけど、文章の「雰囲気」でも読める気がしてきた。
主人公の少女セプテンバーは前作から1年経ったということで、ふたたびの妖精国に対してもちゃんと経験を生かして冒険を始めているところが好印象。
でもやっぱりセプテンバー!だいじなところで勢いにまかせてバーンといってしまう、そんなところも愛すべき女の子。
また、その性格を前面に出すことで、さとりきったふうの大人がいかに自分の望みや欲や意思を押し殺して、きゅうくつに生きているか・・・を突きつけられた気がした。 -
Posted by ブクログ
長男の愛読書だったので、私も読んでみた。
(ふだんあまり小説を読まない彼が熱心に読んでいた様子が印象的だった)
ゲームをあまり知らない身からすれば、前半は慣れるまでがなかなか大変だった。
人間の世界でいえば、〇〇ってこと?といちいち置き換えながら読んだ。
ゲームを理解していれば、ここはスムーズなのだろう。
後半で当然話がガラリと変わり、ここはどこ、私はだれ、世界はどこから来たの?って、これはあの90年代にベストセラーになった、ソフィーの世界を思い出しました。作者は私と同世代なので、影響はあったかもしれない。
ラストは世界の謎と主人公たちの秘密が明らかになる。
タイムリープもので、問題は消えないが、決して悲劇的な終わりでもない。
不思議な感覚に陥る。
伏線をチェックしながら2周目に行く読者もいるだろう。
-
Posted by ブクログ
ネタバレジャケ買い。帯に21世紀の不思議の国のアリスとあって、期待。
あまり合わなかった。いろいろ好みなモチーフ(ワイブラリーのエーエルや石鹸のゴーレム、布でできた森など)はでてくるのだけれど、どのシーンもいまいち情景を心に描けなくて入り込めなかった。
あと、付喪神は個人的には頂けない…。世界観が崩壊してしまう。日本人でなければ、違和感ないのかも。
(日本人のつくるRPGだってギリシャ神話も北欧神話も日本の妖怪もごっちゃ煮なのであまり言えない)
ただ、後半の侯爵のくだりはとても面白くて、一気に読めた。いつも思うけどファンタジーは毒がある部分が面白い。続編でているので、読むものがなかったら読むかもしれない。 -
Posted by ブクログ
・キャサリン・M・ヴァレンテ「宝石の筏で妖精国を旅した少女」(ハヤカワ文庫FT)は 所謂妖精譚と言ふより異界訪問譚と言ふべきであらう。より具体的に言へば、アリスやオズの系統に属する物語といふことである。そこは妖精の国かもしれない けれどフェアリーはゐない。そこにゐるのは魔法使ひや一風変はつた住人達である。そこを訪れた少女の不思議な体験が物語として語られる。「不思議の国のア リス」にしろ、「オズの魔法使い」にしろ、そして本作にしろ、そこを訪れた人間がそのタイトルになつてゐる。いづれもその不思議さ、ナンセンスの具合がお もしろい。
・ドロシーは竜巻に家ごと巻き上げられてオズの支配する国に送り込まれた。単なる偶然でなくとも、ドロシーの意志は一切考慮されない。アリスは川辺で退屈してゐた時に、不思議なウサギを追いかけてウサギの穴に飛び込んだ。それが発作的な行動であつて、積極的、意図的な行動でなくとも、穴に飛び込むにあたつてはアリスの意志の反映がある。「宝石の筏」の少女セプテンバーは〈緑の風〉に「わしと一緒に旅に出ないかね? 〈そよ風のヒョウ〉の背に乗って、妖精国のすぐそばの海まで行くんじゃ。」(10頁)といふ誘ひに、迷ふことなく「行くわ!」(11頁)と答へる。日々同じ生活に飽き飽きしてゐたからである。セ プテンバーは強い意志を持つてヒョウの背に乗つた。〈緑の風〉は「妖精国のたいせつな掟」(12頁)や妖精国の様々なことを教へた。つまり、ドロシーやアリスは訳も分からずに異界に入つたのに対して、セプテンバーにはガイドがゐるのである。ただし、〈緑の風〉は「妖精国には入れない。」(10頁)ので、そ の入口までである。それでも知つて入るのと知らずに入るのとでは大きな違ひがある。こんな似てゐるやうで似てゐない3人の共通点は、異界に入つた時点では 目的がないといふことである。どこで何をするのか、これがないのである。ところが、ドロシーは直ちに、セプテンバーは徐々に、そしてアリスは……家に帰り たいと思ひ出す。この目的を達成するために出くはし現れる様々な登場人物と出来事、これがこれらの物語の醍醐味なのであらう。おもしろくもまた楽しいその ナンセンスはいづれが菖蒲か杜若である。それでも個人的に思ふのは、セプテンバーには、後発だけあつて、アリスやドロシーの面影があり、それゆゑにそれを超えようとする作者がそこにゐるといふことである。この面影は明らかである。子供の頃の作者には「アリスやドロシーがお気に入りのヒロインだったと」 (「訳者あとがき」398頁)か。一読すればこれはよく分かる。彼女達を超えてセプテンバーを差別化せねばならなかつた所以であらう。そこでこの言葉、 「また春になるころには、わたしはここに戻ってくるわ。」(388頁)つまり、ここは一度異界から去るがまた戻るといふことである。これはアリスにもドロ シーにもない意志表示である。二人は再び異界に戻れない。ところがセプテンバーは事情が違ふ。春になると妖精国に戻るのである。「帰りたくないヒロイン」 (「訳者あとがき」398頁)ださうである。さう、セプテンバーは確かに帰りたくないらしい。しかし、時が来れば帰らざるを得ず、逆に春には来ざるを得ないのが本当のところ、決然とした返事とはうらはらに、セプテンバーはさういふ少女だつたのである。何だつまらないとも言へるが、これは続編があるといふことだと割り切れば、かういふ趣向もまたおもしろいではないか。一度きりでなく何度も異界と往来できる。あるいはこれは読者の望みかもしれないと思ふ。「帰 りたくないヒロイン」に期待しよう。 -
Posted by ブクログ
ハヤカワといえばファンタジーというイメージはほぼないのですが、
表紙の絵についつられて購入。
帯には現代版アリスってかかれていましたが、
さてどういうものかと楽しみです。
途中から話の展開が少し速くなって
テンポよく進んでいき、
主人公の心の成長ぶりが描かれています。
友情やいたわりの心の大切さを
直接ではないけれども教えてくれるお話でした。
私の場合、翻訳ものはかなりの確率で
意味がわかりにくいと思う部分があります。
それを承知の上で読んでみました。
他に読んだものと同じように、やはり何を言っているのか
わからないところがありましたが
途中でやめたーということにならず、
フシギと最後まで読めました。