ひこ・田中のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
タイトルの「なぜ」に対する答えとしてはつまり、大人と子供の境界線があいまいになったから、ということなのだろうか。
著者の言っていることは、「なぜ成長しなければならないのかではなく、なぜ成長しなければならないと思いこんでしまったのか、必ずしもその必要はないのに」ということのようだ。時代がそういう風に変わって来たのだから、それはそれで受け入れてもいいはずだと…。
あれ?本当にそれでいいのかな??
著者が、非常に細かく丁寧に、様々なゲームやアニメ、テレビ、児童文学など、それぞれの内容とその意義、時代の流れを照らし合わせ分析しているのには驚かされたし、またそれぞれが時代の潮流に敏感に反応し、それが作品に見事に反映されているのにも大変感じ入るものがあったが、近代社会の目指すものが、必ずしも成長する子供や目標としての大人ではなく、もっとフレキシブルな社会なのだ、という結論には、あまり納得できないかな…。
そういうことなのかもしれないけれど、だからこそ成長物語が作られなくなったということなのかもしれないけれど、そんな社会でいいのだろうか、と疑問に思わずにいられない。
まあ、それこそが著者の言う「自分の知識や経験や文化的背景を通してしか物を見られない」ということなのかもしれないけど。 -
Posted by ブクログ
テレビゲーム、テレビヒーロー、アニメ(男の子編)、アニメ(女の子編)、世界名作劇場、マンガ、児童文学、そしてまとめにあたる章という構成。
まずそれらの歴史や変遷、意義に、よくこれだけ丁寧に寄り添っているな、ということに驚く。
このように時系列で並べて分析して見せられると、子どもの(或いは親の)立場で、ただ面白おかしく見たり体験したりしていただけのそれらに、こんな意味や意図があったのか、と気付かされる。
歌は世につれ…などというけれど、子どもをとりまくゲームやアニメも世につれ、世はそれらにつれて変遷してきたということである。
中でも、世界名作劇場の「若草物語」が単身赴任の増加とリンクしていることや、離婚率の上昇と家族関係の複雑化が、孤児や孤児的な物語の供給に影響していること、などは、なるほど、と思わされる。
そして「子どもたちは大人に反抗しているわけではなく、さりとて大人を尊敬しているわけでもなく、かといって軽蔑しているわけでもありません。」「相手が大人というカテゴリーに属すること、自分が子どもというカテゴリーに置かれていることは知っていますが、それは人間が辿る歳月、ひと連なりの人生としてとらえられているのではなく切断されています。」と言う。
著者はそのことについては、否定的ではないようだけれど、私はマズいんじゃないの!!と思う。大いに思う。
なぜなら、その先にある「成熟した大人、成熟しない大人、大人にならないままの大人、大人を放棄した人。そうした様々な道筋」は、一見いろいろな生き様があっていいように見えて、実は大きな正義や価値観を提示しない、善と悪の境目の薄らいだ、ぼんやりととりとめのない社会のように、私には思えるからである。
葛藤や苦難を超えて成熟した末に、いろいろな生き様を認め合った
豊かな社会というのではなく、ただ薄ぼんやりと過ごす、大人になれない(ならない?)80年があるだけなのではないか、という気がして。
なんだか少し寒々しい気がする。