渡辺一史のレビュー一覧
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最初にこの本を読み始めたときは、わがままな鹿野の介護ボランティアをなぜするのだろうと思った。鹿野は「さらけ出さないと他人の中で生きていけない」と言っていたが、あまりにもボランティアの人の上に立とうとしていたので疑問が大きくなった。そこで、ボランティアの人に目を抜けると、自身がなく「父親が尊敬できないと自身のない子に育つ」という人や楽しそうだからや何かしたいという思いからやっている人まで様々だった。それを作者は、
「ボランティアをする若者は2000年以前は市民運動熱を持った人、2000年は自分探しの人である」と述べていた。
現在、ボランティアをしているのはどのような層なのかと疑問に思った。
こ -
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ネタバレ「こんな夜更けにバナナかよ」の著者による一冊。相模原の事件を冒頭に、障害者たちがどう生きているか、またどう自立生活を文字通り『勝ち取って』いったか、さらにはその制度に甘んじてしまういまの障害者/介助者世代への危機感も書かれている。わたしは自分がASD・うつ病のふたつの障害を持っており、(運良く)自活していることもあって、読みながら「この人は何をいいたいんだ?」とまだるっこしく思うこともあったが(本書に描かれる人たちはほとんどが身体の障害者、というのもあったかもしれない)、振り返ると、人と人との付き合いというものについて、丁寧に論を運んでいた感じがあった。
ニーズがないと「居ない」と思われる。そ -
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2007年09月17日 19:14
どうしてもこういった本は、お涙頂戴になりがちな傾向にあるが本書は全くもってそうではない。
まず、作者が鹿野氏自身ではなく、フリーライター渡辺氏だということに一目置きたい。
作者自身、鹿野氏のボランティアに入り、他のボランティアに徹底的に取材し、ボランティア達が思っていることを書き綴ったところが良い。
また、鹿野氏のわがままとも言わざるを得ない性格がにじみ出ているところも、この本の良いところなのかもしれない。
ただ、いきなり鹿野氏の過去の話になって、小山内氏や「いちご会」が出てきたところなどは困惑する人もいるだろうし、全体的に少し長すぎる。
特にこの -
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筆者の渡辺一史さんは、「こんな夜更けにバナナかよ」の作者である。「こんな夜更けにバナナかよ」は、筋ジストロフィーを患う鹿野靖明さんと、彼が亡くなるまで、彼の介護者として関わった多くのボランティアの物語だ。私は、つい先月に読み、大いに心を動かされた本だ。
「こんな夜更けにバナナかよ」は2003年の発行。本書「なぜ人と人は支え合うのか」は、2018年の発行であり、"バナナ"から15年間が経過している。本書を書いた理由を、渡辺さんは、「それから15年の歳月が流れ、あらためて当時の体験を、もっと広い視野でとらえ返してみたいと思って取り組んだのが本書です。」という説明をしている。
第 -
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筋ジストロフィーの鹿野さんがボランティアと共に自立生活を営む姿を描いたノンフィクション。
話の面白い人(著者)が過去に会った面白い人(鹿野さん)を語る時点で面白さは約束されていて、濃厚で、笑えるところもあって、面白かった。
介護という、物理的にも精神的にも人と密接に関わらないといけない現場で、支える側はある種生きる意味を求めて、支えられる側は少しでも自由に普通らしく生きたい、そういう綺麗事じゃないぶつかり合いが人を変える、みたいな。
いや、そういう雰囲気の話じゃないんだけどうまく言えないな…とりあえず、読んで良かったし、とても人に勧めたくなる本。(私も母親に勧められて読んだ) -
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質・量ともに、ずっしりとした一冊だった。
筋ジストロフィー症で42歳で世を去った鹿野靖明さんと、彼の自宅での介護を支えたボランティアをめぐるドキュメンタリー。
次第に症状が重くなっていく彼が、親元ではなく独立して暮らしたいと願う。
制度も十分ではなく、ボランティアに頼って生活する決断をする。
ボランティアなので、いついなくなっても文句は言えない。
プロではない相手に、命を預けることになる。
薄氷の上を歩くような生活、壮絶な挑戦だ。
自分ならー、と思う。
まず、治療法のない神経難病にかかった時点で絶望するだろう。
介護を受ける立場には、将来必ずなる。
おむつ交換をしてもらうとき、申し訳ない -
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介助させていただく、とは、バイアスがかかる言葉だなぁ。
認知症と診断されたから、その人にとっては普通の行動でも、
介助者にしてみたら、奇異に思えると、必ず「あの人は認知症だから」と言う。
認知症の人は、個性を出すことも許されないのか?
障害者でも、自分らしく生活したい。
だけど、すべてにおいて人の介助が必要な鹿野さんが、自分の要望を言うと、障害者で人手がかかるからダメ。
障害があるから、高齢者だから、性欲があることは汚らわしい?
普通の人間がただ自分でやれないことが多いだけで、
障害がその人を拘束する道具ではない。
今の介護は、経営を無理して組み込むからいけない。
チームで仕事していても、仕 -
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金曜ロードショーでやっていた映画が途中から観ただけでもすごく面白かったので、原作があると知って読んでみた。
これは障害者やその取り巻く環境や人を、ただの美談に仕立て上げたものではない。一人の鹿野靖明という人物が、剥き出しで現実と取っ組み合いながら、ボランティアと自分を曝け出しあいながら、必死になって生きてきた記録。著者自身がボランティアの一員となって数年間過ごし、鹿野さんと生身でぶつかっている。
障害者福祉について、またボランティアをすることについて、日頃自分がいかに何も考えていかということに思い知らされた。映画化されなければ自分がこの本を手に取ることもこの分野に興味を持つことも無かったわけ -
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筋ジストロフィーを患った重度の身体障害者と彼を支えるボランティアの生活を描いた『こんな夜更けにバナナかよ』で2003年にノンフィクション作家としてデビューした著者の3作目(20年弱に渡る活動の中で著者が3作しかないというのも凄いが、それは著者の過去2作がどれだけ凄い作品であるかということの証明でもある)。
大泉洋の主演による2018年の映画化を受けて、改めて障害者について考えたいという著者の思いをベースに、2016年に発生した相模原での障害者施設の大量殺人事件で犯人が問うた「障害者の存在価値とは何か?(価値など存在しないのではないか?)」という命題が考え抜かれている。
本書の最終章ではこの -
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なぜ人と人は支え合うのかという大命題を解いていく。といっても答えは載っていない。ちくまプリマー新書だけに示唆的にいくつか障害者との事例を出したり、制度のことや「しょうがい」に当てる漢字についても取り上げている。ちょうど執筆時期(といっても5年かかっているらしいけど)と重なっていたこともあってか、津久井やまゆり園事件についても特に殺害を図った植松聖についても触れている。
私もかつて障害者の家で泊まり込み介助らしきことをやっていたから、渡辺さんと『こんな夜更けにバナナかよ』の鹿野さんとのつき合いの様子などは、当時のことを思い出し、うなずけたり懐かしく思うことが多かった。
「しょうがい」に当てる漢字