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障害者について考えることは、健常者について考えることであり、同時に、自分自身について考えることでもある。2016年に相模原市で起きた障害者殺傷事件などを通して、人と社会、人と人のあり方を根底から見つめ直す。
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Posted by ブクログ
“障がい者”・“高齢者”・・・本人はもちろん、 関わる人にもとっても尊厳を持ち暮らしていきうる社会。 気付きと希望を持たらす、心に響く書でした。 息子の本棚に、そっと差し込んでおきます。
「こんな夜更けにバナナかよ」の著者の作品。「こんな〜」は数年前に興味深く読んだ。 この本は、「こんな〜」の主人公であった鹿野さんとの関わりを通じて、障害者福祉に関心を深めた著者が書いた作品。 「努力して障害を克服すべきなのは、障害者本人というよりは、まずは社会である、といあ視点でものごとを考えて...続きを読むみることが大切です。」 「それは、障害者に『価値があるか・ないか』ということてはなく、『価値がない』と思う人の方に、『価値を見出す能力がない』だけじゃないかって私は思うんです」 「人は「誰かの(何かの)役に立つ」ということを通して自分の存在価値を見いだす生き物なんじゃないか、という気がします。でも、役に立てる対象(困ってる人)がいなければ、「誰かの役に立つということ自体ができないので、困っている人の存在というのも、社会には欠かせません。となると、「困ってるよ」ということ自体が、「誰かの役に立っている」ということになりますよね。つまり、世の中には「困っている対象者」と「手を貸してあげられる人」の両方が必要なんです。(略) 一生困ったことがない人なんていないんだし、一生困ってる人を助けるだけの人だっていない。それが「平等」ということ。」 抜き書きだが、本当にそうだと思う。 価値を示す方ではなく、見出す方に責任があると私も思う。
「自立とは、誰の助けも必要としないということではない。どこに行きたいか、何をしたいかを自分で決めること」 何ができないかより「何ができるか」が大事だと、勇気をもらいました。
雨宮処凛の相模原事件の裁判傍聴記に、著者について言及があった。10年以上も『こんな夜更けにバナナかよ』を読もうと思いながら積読。そうこうしているうちに映画化されてしまい、あらら映画になっちゃった、でも映像じゃなくて自分で読みたいから映画は見ない、と決めていたので、鹿野さんとボランティアの話は大枠では...続きを読む知っていたけど『~バナナかよ』は読めてなかった。そんな負い目(?)もあり、読んでみようと思った。 一応私も専門職だから、障害について、3章4章に書かれていることは皆ひと通り、歴史や変遷、考え方も含めて学んできたし、それなりに理解しているつもりだった。わかっていたはずのことだけれども、いざ本書で取り上げられている当事者の声に触れると、その本質が深く心に刺さってくる。初心にかえる、ではないけれど、改めて人が社会で生きることについて考えさせられた。 社会や経済は、必要とする人がいて提供する人がいるから成り立っている。どんな人もどちらの立場にもなっているんだということを、現代人は忘れてしまっている。 「人は誰かを支えることによって、逆に支えられている」というのは、その経済的な面を超えて、人の存在意義にも通じている。ヘルパーセラピー効果もつまりはこういうことだし、私自身、誰かを支援するって、究極は自分のためにやっている。支援者として働くことで、金銭的な面以外で、私が受け取っている金銭以上のものが確実にあることを、常々感じている。 本書でも言われている「人間っていいものだな」という感慨を得る機会がたくさんあり、そして、人との関わりが自分に与えてくれる豊かさは、他のなにものにも変えがたい。 海老原宏美さんの、「障害者に『価値があるか・ないか』ということではなく、『価値がない』と思う人のほうに、『価値を見いだす能力がない』だけじゃないか」という言葉は、真理を突いているよね。かの被告に聞かせてやりたいわ。 さて、今度こそ『〜バナナかよ』を積読から解放しますか。
今日、インターネット上に渦巻く次のような「問い」にあなたならどう答えますか? 「障害者って、生きてる価値はあるんでしょうか?」 「なんで税金を重くしてまで、障害者や老人を助けなくてはいけないのですか?」 「自然界は弱肉強食なのに、なぜ人間社会では弱者を救おうとするのですか?」 気鋭のノンフィク...続きを読むションライター渡辺一史が、豊富な取材経験をもとにキレイゴトではない「答え」を真摯に探究! あらためて障害や福祉の意味を問い直す。 障害者について考えることは、健常者について考えることであり、同時に、自分自身について考えることでもある。2016年に相模原市で起きた障害者殺傷事件などを通して、人と社会、人と人のあり方を根底から見つめ直す。 福祉というのは、年をとったり病気になる可能性を秘めた将来の自分自身や家族のための保険であり、不安のない安定した社会を作るための社会投資で、能力差を補い合う支え合いという社会の柱になるもの。 相模原障害者殺傷事件の植松聖被告は、「重度障害者は意思の疎通が出来ない」と断言しているが、筋萎縮側索硬化症の橋本みきおさんは「唇の形から文字を読み取りコミュニケーションする」口文字、植物状態から生還した天畠大輔さんは「あかさたな話法」、障害者は障害を逆手に取って自分に摘したコミュニケーション法で意思疎通している。 介護とは、単純にお世話するされるという関係ではなく、介護される側が自分の意思を介助者に伝えて、介助者と話し合いながら介護内容を決めてより良い人生の過ごし方を模索し実行していくこと。また人生経験豊富な介護される側が、介助者の相談に乗ったり介助について知らないことを教えたりなど、介助される側が介助する側を支えたり教えたりする相互が影響し合う関係でもある。 障害者と健常者の間に明確な線引き出来る境界線が、あるわけじゃない。医療の発展により病気を抱えた状態で何年も生きていられる人が増えている。職場環境に馴染めずストレスを上手く解消出来ず内科の病気やうつ病などになったり、身体的に健康的でも精神的に不安定で生きずらさを引き摺ったりしてうつ病などになり学校や会社を辞めたりして人生が上手くいかないで苦しんだり、植松被告のように「健常者だから生きている価値がある。障害者にはない」というのは一面的で現実的ではなく存在価値というのは簡単に答えが出せるものではない。 その他にも、障害者の絶えない要求と運動によって前進してきた福祉制度と障害者運動の歴史を、駅にエレベーターをつける「交通アクセス運動」や脳性麻痺者の人権や生存権を訴えた「青い芝の会」などを通して描く章や何故世間はかわいそうで健気な障害者には優しく自己主張する障害者に冷たい「あわれみの福祉観」から自由になれないか考察した章など、きれいごと抜きであらためて障害者福祉の意味を問い直すノンフィクション。 「障害者のために駅につけたエレベーターが、老人や大きい荷物を持った人にも役立てているように、障害や老いや病気を個人の問題ではなく社会全体の問題として受け止めて、やがてお世話になる保険として福祉や社会保障を考えることが大事ではないか」
知的障害者のお子さんを持つ友人がいるのだが、傍から見ると大変だろうなと思うけど、彼女は全然大変そうにしていない。いつも穏やかで、そのお子さんの成長をとても楽しみにしている。お子さんは意味のある言葉をしゃべることはないけど、感情表現が豊かで、悲しい曲が流れると声を上げて泣く。楽しい曲が流れると全身を使...続きを読むって喜びを表現する。友人とお子さんを身近に感じて、この本を読むことでより深く考えさせられた。
素晴らしい新書だった。いろんな人に配りたい。 障害者の話?と倦厭している人にも「人間のコミュニケーションの話だよ」と強くすすめたい。 福祉とか介護とかの話題には、なぜか偽善的な思い込みがつきまとう。しかし、なぜそう思うのか? なぜ私たちは(本音は)障害者を避けようとしてしまう、あるいは深く考えまい...続きを読むとしてしまうのか? 著者はそんな「普通」の感覚にひとつひとつ向き合い、障害者のリアルを紹介していく。そして、「障害」は障害者自身にあると考えるのではなく、それを受け入れる能力のない社会にこそあるのかもしれない、という考え方があることを鮮やかに教えてくれる。 「障害者は高齢社会の水先案内人」など、社会が障害者と向き合い制度を改善していくことのメリットも多く書かれている。 具体的で豊富なエピソード、データに基づく客観的な意見など、とても建設的な内容となっているのも素晴らしい。そしてまさに「出会いによって人生が変わる」ことが描かれており、読み物としても大変胸が熱くなる本だった。
購入後に、こんな夜更けにバナナかよ、の著者の著書ということに気づいた。ケアがわかる本として映画を勧められて観たが、さらに理解が深まった。 障がい者のために税金を負担することの考え方など、ライター経験の長い方だからこそ書ける親近感を持てる内容と思う。 長い人生のなか、一度は読んでおきたいと思えた。...続きを読む子どもよりも、むしろ大人に読んで欲しい。
人と人が支え合うこと。それによって人は変わりうるのだということの不思議さに、人が生きていくことの本日もまた凝縮しているのだと。
福祉が芽生える瞬間とは、思わず誰かを支えたいと思って行動してしまう時のことだ。 つまり福祉の定義は「誰かを支えようとした行動」と言い換えることができる。 1章には2020年3月末に死刑判決を受けたやまゆり園事件の植松死刑囚の話が出てくる。 意思疎通のできない人間は「人間」ではない。だから殺した、と...続きを読むいう植松死刑囚の主張はメディアでも連日取り上げられた。 高い生産性を発揮する人間にこそ価値があるという近代資本主義の考え方に染まっていると、この主張にすぐさま反論することは難しいと思う。自分もそうだった。 だが、この本を通じて、 ・障碍者の存在理由は? ・なぜ障碍者に手を差し伸べるべきなのか? ・障碍者の存在が社会をよりよくした事実 ・障害を通じて考える本当の「自立」とは ・他者を支えることで感じる生きがい ・サービスを仕組化(サービス提供者と対価を支払う人の関係)することによる当事者同士の思いやりや本音でのぶつかり合いの欠落 ・多様性を認め、気が付かなかった価値を発見しようとする姿勢 などと今まで考えてこなかったことを考えさせられた。 良い本だった。
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なぜ人と人は支え合うのか ──「障害」から考える
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渡辺一史
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