渡辺一史のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
素晴らしい新書だった。いろんな人に配りたい。
障害者の話?と倦厭している人にも「人間のコミュニケーションの話だよ」と強くすすめたい。
福祉とか介護とかの話題には、なぜか偽善的な思い込みがつきまとう。しかし、なぜそう思うのか? なぜ私たちは(本音は)障害者を避けようとしてしまう、あるいは深く考えまいとしてしまうのか?
著者はそんな「普通」の感覚にひとつひとつ向き合い、障害者のリアルを紹介していく。そして、「障害」は障害者自身にあると考えるのではなく、それを受け入れる能力のない社会にこそあるのかもしれない、という考え方があることを鮮やかに教えてくれる。
「障害者は高齢社会の水先案内人」など、 -
Posted by ブクログ
ネタバレ障がい者福祉の知識がないので本を読みたいと言ったら、その仕事の人に勧めてもらいました。
美談にされておらず、具体的な描写から関わる人たちの心情も想像もでき、入門に良い本。
「わがまま」と見える態度について、覚えておきたいところ。
障がい者自身にとっては、周囲の望む方向と自分の欲求のズレをいかに明確に意識するかが、自我に目覚めるために決定的に重要。
健常者が「よかれ」と思ってした好意、安易な優しさを突き破るような自己主張として伝えられることが多い。介助者にしてみれば、常に好意が打ち砕かれるような、激しさと意外性を伴う体験なのだ。
とは、誰にでも、健常者同士にも当てはめられるね。 -
Posted by ブクログ
福祉が芽生える瞬間とは、思わず誰かを支えたいと思って行動してしまう時のことだ。
つまり福祉の定義は「誰かを支えようとした行動」と言い換えることができる。
1章には2020年3月末に死刑判決を受けたやまゆり園事件の植松死刑囚の話が出てくる。
意思疎通のできない人間は「人間」ではない。だから殺した、という植松死刑囚の主張はメディアでも連日取り上げられた。
高い生産性を発揮する人間にこそ価値があるという近代資本主義の考え方に染まっていると、この主張にすぐさま反論することは難しいと思う。自分もそうだった。
だが、この本を通じて、
・障碍者の存在理由は?
・なぜ障碍者に手を差し伸べるべきなのか?
・ -
Posted by ブクログ
あわれみの福祉感、まさに、自分の中にあった障がい者への気持ちを言い当てられた具合の悪さがあった。
確かに、かわいそう、気の毒、頑張ってる、24時間テレビ的な、きれいごとが私の中の障がい者に体する意識としてあった。
後半の海老原さんの人サーフィンして生きる姿はたくましい。
ものを頼むというのは、生きていく中でもっとも神経をすり減らす作業の一つです。という言葉が刺さる。
実際、健常であることは永遠ではない。自分や、身近なひとが障がい者になったとき、
健常でなくなっても、どれだけ同じように他者と関わって行けるか=自分と障がい者の関わり方として考えないと…。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ『なぜ人と人は支え合うのか 「障害」から考える』渡辺一史
先日公開されていた映画『こんな夜更けにバナナかよ』(未見)の原作者であり、ジャーナリストの渡辺一史さんによるビギナー向けの新書。
映画の中で描ききれていなかった障害者の自立生活へ向けた運動の歴史、声を挙げる運動あってこそ駅のバリアフリーが普及し、ベビーカーや高齢者も恩恵を被っていること。「障害者・障がい者・障碍者」の表記の議論について。言葉を選ぶことで「いい人(ちゃんと配慮している人)に見られたい」自分を見破られ、戸惑う。
相模原の施設で起きた殺傷事件から、ネットでは見るに耐えない言動が撒き散らされる中、「その人に価値があるか無し -
Posted by ブクログ
人の気持ちというのは人の数あるわけですが
相手の気持ちをわかっているようで、実はわからないことばかりなのです。
そして、相手を知れば知るほど、自分のこともよく分かっていく。
いつしか自分や人を認めて自分自身が生きやすくなる。
“障害があっても、障害がなくても、悩みはある。その悩みが世の中から見て、小さくても大きくても、その当人にとっては大問題だ。”
*悩みというのはだれだって持ってんだな、やっぱりそれを他人が他人の物差しでその辛さを測ることは不可能だしなんの意味もないなと
“なんでも完璧に自分一人でやろうと思うのはもうやめた。できないことばかりだ。”
*自分の中の堅い癖、人に頼りたくないと -
Posted by ブクログ
駅のエレベーターも最初はコスト的にムリ、次に車椅子で来たら突き落とすぞ(すごい言葉…)、と言われていたものが、今ではすっかり普通に。求めなければ与えられない。「社会に生かされているだけでもありがたい…」と遠慮していてはダメなんだと。
障害者は生きる価値がない、というのであれば、あなたにどんな生きる価値があるのかを示してください、という問いがおもしろい。
誰かを支えることで、自分が幸せになれる。一億円積まれてもやらない人はやらないが、一億円積まれなくても「あ、やりますよ」という人間はいる。人間関係というのは単純なものではない、と思いました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ人に迷惑をかけずに生きるのが理想か。
何年か前に映画化もされた話題のノンフィクション。ページは多いが引き込まれて一気に読み切った。鹿野靖明という在宅介護を望んだ筋ジストロフィーの男性とそこに集うボランティアたちの生活を取材して書かれている。著者もいつしかボランティアの1人として痰の吸引など鹿野の世話をしていくうちに、障がい者と社会について、人と人との関わり合いについて、生きることについて、を考え込んでしまうといった内容だ。
ボランティアは何かを求めてやってくる。ボランティアに限らず人はやはりどうしても「してあげる」という上から目線からは逃れられないように思う。鹿野の「ワガママ」に対してボラ -
Posted by ブクログ
「障害」、「障害者」を考えていくことで、「なぜ人と人は支え合うのか」という根源的でもある深い問いへのひとつの答えがでてきます。
本書の始点と終点はまさにその根源的な問いかけとそれに対する著者なりの答えとなっています。その二点を結び付ける線にあたる部分が本書の大半にあたり、それは思索や当事者たちの経験であり、文章の中に豊かに息づいていました。
はじめに語られるのは2016年に相模原で起こった障害者19名を殺害した事件「やまゆり園障害者殺傷事件」。犯人の植松死刑囚は、「障害者なんていなくなればいい」とその動機を語ったとか。こういった考え方は、本書に登場する哲学者・最首悟さんが「実は多数派かもし