渡辺一史のレビュー一覧
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人の気持ちというのは人の数あるわけですが
相手の気持ちをわかっているようで、実はわからないことばかりなのです。
そして、相手を知れば知るほど、自分のこともよく分かっていく。
いつしか自分や人を認めて自分自身が生きやすくなる。
“障害があっても、障害がなくても、悩みはある。その悩みが世の中から見て、小さくても大きくても、その当人にとっては大問題だ。”
*悩みというのはだれだって持ってんだな、やっぱりそれを他人が他人の物差しでその辛さを測ることは不可能だしなんの意味もないなと
“なんでも完璧に自分一人でやろうと思うのはもうやめた。できないことばかりだ。”
*自分の中の堅い癖、人に頼りたくないと -
Posted by ブクログ
ネタバレ人に迷惑をかけずに生きるのが理想か。
何年か前に映画化もされた話題のノンフィクション。ページは多いが引き込まれて一気に読み切った。鹿野靖明という在宅介護を望んだ筋ジストロフィーの男性とそこに集うボランティアたちの生活を取材して書かれている。著者もいつしかボランティアの1人として痰の吸引など鹿野の世話をしていくうちに、障がい者と社会について、人と人との関わり合いについて、生きることについて、を考え込んでしまうといった内容だ。
ボランティアは何かを求めてやってくる。ボランティアに限らず人はやはりどうしても「してあげる」という上から目線からは逃れられないように思う。鹿野の「ワガママ」に対してボラ -
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最初にこの本を読み始めたときは、わがままな鹿野の介護ボランティアをなぜするのだろうと思った。鹿野は「さらけ出さないと他人の中で生きていけない」と言っていたが、あまりにもボランティアの人の上に立とうとしていたので疑問が大きくなった。そこで、ボランティアの人に目を抜けると、自身がなく「父親が尊敬できないと自身のない子に育つ」という人や楽しそうだからや何かしたいという思いからやっている人まで様々だった。それを作者は、
「ボランティアをする若者は2000年以前は市民運動熱を持った人、2000年は自分探しの人である」と述べていた。
現在、ボランティアをしているのはどのような層なのかと疑問に思った。
こ -
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2007年09月17日 19:14
どうしてもこういった本は、お涙頂戴になりがちな傾向にあるが本書は全くもってそうではない。
まず、作者が鹿野氏自身ではなく、フリーライター渡辺氏だということに一目置きたい。
作者自身、鹿野氏のボランティアに入り、他のボランティアに徹底的に取材し、ボランティア達が思っていることを書き綴ったところが良い。
また、鹿野氏のわがままとも言わざるを得ない性格がにじみ出ているところも、この本の良いところなのかもしれない。
ただ、いきなり鹿野氏の過去の話になって、小山内氏や「いちご会」が出てきたところなどは困惑する人もいるだろうし、全体的に少し長すぎる。
特にこの -
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筋ジストロフィーの鹿野さんがボランティアと共に自立生活を営む姿を描いたノンフィクション。
話の面白い人(著者)が過去に会った面白い人(鹿野さん)を語る時点で面白さは約束されていて、濃厚で、笑えるところもあって、面白かった。
介護という、物理的にも精神的にも人と密接に関わらないといけない現場で、支える側はある種生きる意味を求めて、支えられる側は少しでも自由に普通らしく生きたい、そういう綺麗事じゃないぶつかり合いが人を変える、みたいな。
いや、そういう雰囲気の話じゃないんだけどうまく言えないな…とりあえず、読んで良かったし、とても人に勧めたくなる本。(私も母親に勧められて読んだ) -
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質・量ともに、ずっしりとした一冊だった。
筋ジストロフィー症で42歳で世を去った鹿野靖明さんと、彼の自宅での介護を支えたボランティアをめぐるドキュメンタリー。
次第に症状が重くなっていく彼が、親元ではなく独立して暮らしたいと願う。
制度も十分ではなく、ボランティアに頼って生活する決断をする。
ボランティアなので、いついなくなっても文句は言えない。
プロではない相手に、命を預けることになる。
薄氷の上を歩くような生活、壮絶な挑戦だ。
自分ならー、と思う。
まず、治療法のない神経難病にかかった時点で絶望するだろう。
介護を受ける立場には、将来必ずなる。
おむつ交換をしてもらうとき、申し訳ない -
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介助させていただく、とは、バイアスがかかる言葉だなぁ。
認知症と診断されたから、その人にとっては普通の行動でも、
介助者にしてみたら、奇異に思えると、必ず「あの人は認知症だから」と言う。
認知症の人は、個性を出すことも許されないのか?
障害者でも、自分らしく生活したい。
だけど、すべてにおいて人の介助が必要な鹿野さんが、自分の要望を言うと、障害者で人手がかかるからダメ。
障害があるから、高齢者だから、性欲があることは汚らわしい?
普通の人間がただ自分でやれないことが多いだけで、
障害がその人を拘束する道具ではない。
今の介護は、経営を無理して組み込むからいけない。
チームで仕事していても、仕 -
Posted by ブクログ
金曜ロードショーでやっていた映画が途中から観ただけでもすごく面白かったので、原作があると知って読んでみた。
これは障害者やその取り巻く環境や人を、ただの美談に仕立て上げたものではない。一人の鹿野靖明という人物が、剥き出しで現実と取っ組み合いながら、ボランティアと自分を曝け出しあいながら、必死になって生きてきた記録。著者自身がボランティアの一員となって数年間過ごし、鹿野さんと生身でぶつかっている。
障害者福祉について、またボランティアをすることについて、日頃自分がいかに何も考えていかということに思い知らされた。映画化されなければ自分がこの本を手に取ることもこの分野に興味を持つことも無かったわけ -
Posted by ブクログ
ネタバレ鹿野さんのやり方は間違っていると思った。
ボランティアへの横暴な言動やセクハラ、母親への暴言…彼なりに意味があってそう接しているとのことだけど、非常識。世話になっている人には思いやりの気持ちを持って接するべき。
私がボランティアだとしたら1週間で辞めているレベル(;・∀・)
しかし、そんな彼と接するうちに気付きを得るボランティアの人々を見ていると、そうとは言い切れないかもしれない。
自分の障害を逆手にとって演技して、ギクシャクしてしまった男女を呼び出し引き合わせるのはずるい!!
この話は実話だけど、映画化するにあたり脚色されているとのことで、第一印象が悪かった人が良い印象になっていくように -
Posted by ブクログ
2003年に渡辺一史さんにより刊行された「こんな夜更けにバナナかよ」というノンフィクション作品の映画化に向けて、脚本家の橋本裕志さんが脚色し、前川奈緒さんが小説化した合作。
筋ジストロフィー患者が主人公のノンフィクションが原作ということもあり、心して読むものかと思いきや、主人公である鹿野さんと、周りでお世話をするボランティアたちとの掛け合いは、障害者だからとか、病気だからとか、ボランティアとはとか、そういう概念を飛び越えて、人間とは、人生とはという奥底にある本質を楽しく愉快に考えさせられるとともに、ハッとさせられた。
一人では寝返りすらうてない、筋ジストロフィーという病気を抱えながら、病院