【感想・ネタバレ】こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたちのレビュー

あらすじ

大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞ダブル受賞作! ボランティアの現場、そこは「戦場」だった――。筋ジストロフィーと闘病する鹿野靖明さんと、彼を支える学生や主婦らボランティアの日常を描いた本作には、介護・福祉をめぐる今日的問題と、現代の若者の悩みが凝縮されている。単行本版が刊行されてから10年、今も介護の現場で読み継がれる伝説の作品が増補・加筆され堂々の復活!

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Posted by ブクログ

映画を観てからこの本を読んだ。
映画やアニメを観ると、その原作を読みたくなるタイプだ。

正直、今の私に刺さるものが多かった。
映画以上に学びがあった。
医療機器や福祉サービスなど、知らなかったことが多かった。
親を遠ざけたくなる気持ちなど、共感できることも多かった。
私は、彼ほどストレートに発言したり、感情を出したりはできない。
それでも、見習うべきところが多いと思った。

私は今現在、入院中である。
呼吸器こそ必要ないが、寝たきりになってしまったし、吸引器も欠かせない。
「家に帰りたい!」と言い続け、やっと明日、家に帰れる。
「いつでも救急車で戻ってきたらいい」などと言われたが、できる限り在宅生活をしていきたい。
訪問看護と訪問医、ヘルパーさんたちにお世話になる。
訪看さんたちとは、1年以上の付き合いだが、訪問医やヘルパーさんとは初めましてだ。
私に関わる人たちはボランティアではないけど、これからみんなで、いかにして在宅生活をしていくか、試行錯誤が始まる。

鹿野さんのように、自ら行動を起こしてきた人たちのおかげで、今の福祉や制度になってきたことを知り、本当に感謝している。
まだまだ制度が足りず、苦労することも多いけど、10年前、20年前に比べれば、かなり良くなっているんだろうことがわかった。

「主張すれば与えられる。主張しなければ与えられない」
本当にそうだなと思うことが多々ある。
ダメ元で、主張してみる。

私も自立できるように、自分の人生をどうしたいか考え、行動していきたい。

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2025年06月29日

Posted by ブクログ

非常に面白かった。障害者とボランティアと言う「綺麗な話」になりがちな構図だが、もっとずっと生々しく、生き生きとした世界がそこにはあった。
人と人が欲求をぶつけ合う、と言うすごくプリミティブなやりとりが、鹿野さんの視点からもボランティアの視点からもあって、その中でどうにかこうにか生活を作っていく、と言うその全体像が、面白い。

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2024年09月01日

Posted by ブクログ

衝撃的な本でした。実体験にもとづいたありのままの内容に、読んでいるこっちが冷や冷やするようなこともありました。現場で体験した人にしか分からない世界がそこにはあって、すごく勉強になりました。
ただ、映画のポスターを見かけたことがあったので、ご本人の写真が載っているにも関わらず、大泉洋さんのイメージになってしまい困りました。

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2023年08月23日

Posted by ブクログ

ネタバレ

これまで、「障害者」と触れ合う機会がなかった私にとって、いい意味で固定観念が覆される本であったと感じた。
鹿野さんのボランティア(鹿ボラ)として働く人々にもその人たちなりの悩みがあり、いわゆる健常者と障害者が密接に関わるシカノ邸は様々な葛藤や価値観のすれ違いが生じながらも精神的にも身体的にも他のどこよりも"前進"ができる場所であったと確信できた。人によって"普通"の基準は異なるが、障害者と健常者の間のそれは著しく異なる。鹿ボラの1人である斎藤さんはその"普通"境界を均すことが障害者を理解するということであるとした。長年ボランティアとして鹿野さんを支えてきた者でもそれを理解するだけでも長い年月を要してきたのに、ベテランと新米の入れ替わりが激しいこの地でのすれ違いを阻止する術はない。

ボランティアとして取り上げてきた幾人の人々の中でも考え方が異なる。国枝さんと斎藤さんがその両極端に位置するならば、その間にそれぞれのボランティアの考え方があるというのには強く同感した。

障害者を神聖な者として扱ったり捉えたりする人は少なくない。現に私もそう捉えてきた人の1人である。遠藤さんにはその考え方がなく常に鹿野さんを1人の人として付き合ってきた。例えば、鹿野さんが口にするわがままを全て受け止めずに拒否をする時は拒否をする。こうした遠藤さんらの態度は鹿野さんにとっても嬉しいものなのではないか。これまで健常者が享受してきた一般的な教育を受けてこなかった障害者にとって、どこでどのように自分の気持ちを制するのか、どこでこのように接すると人間関係が上手くいくという私たちにとってのいわゆる"普通"は通じない。それをどこまで教えるのかというラインは非常に難しいものであるが、壁を感じさせないようにする試みは必ずしなければならないものではないか。



思いのままに綴ったが文章がまとまらないので、推敲はまた別の機会にしようと思う。

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2023年03月15日

Posted by ブクログ

ネタバレ

壮絶な生き様だと思った

そういう人生を選んで生まれてきて、他人の心を美しくするために生まれてきたような人

私にはそんな感じがするけど、美化してはいけないと、シカボラのメンバーさんが言っていたのでそうなのかなぁ

著者のあとがきにも、堂々めぐりと書かれていたけど、けっこう堂々めぐりだなーとは思いながら読んだ

実際答えがなくて、重度身体障害者福祉の考え方や社会としてのあり方、人としてどう生きるか、人としての主体性をどこに保つか、など考えはじめたら、無数の答えがあると思う

だからノンフィクションとはいえいろいろ堂々めぐりだった

知らないことだらけど、普通に知ることからはじめればいいのだと思う

知らせないから、海外のようになれない日本がいるのではないかとも思う

本人も、家族も、知らせて助けを求めて、そして助け合っていけたらいいなと思う
きれいごとみたいだけど

鹿野さんの生き様通り、そんなに日本人は悪い人たちではないと感じるから

最後まさか旅立つと思っていなかったからだいぶ泣いてしまった
ボコボコにされただろうと思うけど会ってみたかった

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2023年03月01日

Posted by ブクログ

ブクオフのクーポンがあったので、あー、映画になったやつだなー、と思って購入してみた。

ノンフィクションの賞とか取ってるけど、意外と前に書かれた本だった。

私は、まだ若き恩師をALSで亡くしていて…それもあって読んでみようと思ったんだけど、筋ジスとの違いもよくわかってなかったな。

人生、ホント人それぞれだなー。
障がい者も、ボランティアも、ただの健常者も。

鹿野さんの生き様は、なかなか真似できるものではないけど、神様はこういう人を喜ばれるのだろうなとは思った。

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2022年12月24日

Posted by ブクログ

「ありがち」と言われる、お涙頂戴的な本では全くない。鹿野さんの生き方も、そして、シカノ邸を書いた渡辺さんの仕事も、後世に残り、たくさんの人の心に残る。決して、失礼ながら、お二人とも器用な方ではないのだろうと思うが、そのエネルギーの計り知れなさ。確実に再読するだろう。

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2022年10月08日

Posted by ブクログ

筋ジストロフィーを患う鹿野靖明さんと、彼が亡くなるまで関わった多くの介助ボランティアの人たちとの物語である。

筋ジストロフィーは、全身の筋肉が衰えていく進行性の疾患であり、有効な治療法は見つかっていない。筋肉が衰えていくと、歩けなくなり、手が使えなくなり、呼吸に必要な筋肉が衰えて自力での呼吸が出来なくなる。鹿野さんは、自力呼吸が出来なくなり、人工呼吸器を装着している。使える筋肉は、両手の指が少し動く程度なので、日常生活で自力で出来ることはほぼない。唯一、自分で出来るのはしゃべることだけであり、しゃべることによって、自分のして欲しいことを、介助者に伝えることは出来る。
そういった状況のなかで、鹿野さんは、施設や病院ではなく、一人暮らしを選択する。勿論、自分の力では生きていくことは出来ず、24時間の介助を必要とする。その介助者の多くがボランティアなのである。24時間を3交代制で組むと、1日に必要な介助者は3人。実際には負担の大きい夜勤は2人体制を組むので、必要数は最低でも4人となる。1週間で28人。学生のボランティアが多いので、試験期間中や学校の休みの期間中は、人の手配が大変大きな課題となる。人の数だけではなく、習熟度も勿論問題となる。ある程度の知識とスキルがないと、鹿野さんの介助者にはなれない。入れ替わりの多いボランティア1人1人に、そういった知識とスキルを身につけてもらうための教育が必要であり、それは当たり前ではあるが、簡単な話ではない。

その介助の現場は一筋縄ではいかない。鹿野さんはして欲しいことを言葉で伝えるしか出来ないが、気が利く介助者かそうでないかにより、介助の質が大きく異なってくる。自分で何も出来ないからこそ、これは非常に大きなストレスとなる。また、ボランティアの介助者なしには、基本的に1日も生きられないが、介助に必要なボランティアを集めることは容易ではなく、これもストレスとなる。鹿野さんは、遠慮しない人である。ボランティアの介助のうまい下手について、歯に衣を着せずにボランティアに言う。鹿野さんもストレスを感じながら言っている訳であるが、言われたボランティアの方も、非常にストレスを感じる。せっかく善意でやって「あげているのに」と思うが、ボランティアをやっているうちに、それなしでは鹿野さんが生きられないこと、だから鹿野さんが、ある意味命がけでボランティアと接していることを理解する。理解はするが、納得は出来ない。更には生身の人間同士なので、相性の良し悪し等もある。

本書は色々な読み方の出来る本である。例えば。
鹿野さんというキャラの立った人物の物語として読める。鹿野さんの病気で、鹿野さんの症状で一人暮らしをするのは、ある意味では常識外れなことであるが、それを要求し続けることによって実現した鹿野さんの物語。
逆に、ボランティア、あるいは、介助者たちの鹿野さん介助を通しての気づきや成長の物語としても読める。
また、鹿野さんとボランティアを中心とした介助者の人間関係を描いた物語としても読める。
更には、日本の福祉制度に対しての問題提起の物語としても読むことが可能だ。

筆者の渡辺一史は、上記の全てを書いているが、何かに偏った書き方はしていない。本書はあとがきまで含めると546ページに及ぶ大部の本である。何か特定の視点に寄らず、色々な視点で、色々な物語を書いている。だから、分厚い、ボリュームの大きい物語となったのだと思う。
最近読んだノンフィクションでは、一番好きになった本だ。

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2022年04月19日

Posted by ブクログ

ちょっと前の本だけど息子の本棚にあったので読んでみた

生きることを諦めないで周囲に迷惑かけまくって「こんな夜更けにバナナかよ」と呆れられながらも多くのボランティアに愛された鹿野さん

生きるチカラをもらうって大袈裟でもなんでもなく本当にあることなんだなと

ジョギング始めたのも、難病だった母親の介護を通じてもらったキッカケでした

紅白のまふまふが妙に沁みたのもそんなせいかもしれません

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2022年01月22日

Posted by ブクログ

脳梗塞で入院してる時、教育実習で私の世話を診てくれた男子学生に贈った本
旧友に再会したかの様にすぐさま抜き取った
一生懸命さに感動し、初心忘れず真っ当に励んで貰いたい気持ちで贈った本

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2021年10月23日

Posted by ブクログ

夢中で読んでしまった。心情的には星7くらいは付けたい。


恐らくこの本の一番のポイントは’バランス’だと思う。
著者・渡辺一史 氏がこの親本を執筆された当時はまだ30代前半から半ば、福祉や医療分野にはさしたる興味や知識があった訳ではなく、「日々を切実に、ギリギリのところで生きている人に会ってみたい」(p13)という動機から取材が始まったとある。
こういった背景だったからこそ、客観的立場かつ’ごく一般的な感覚で’シカノさんやボランティアと接する事が出来たのではないだろうか。

とりわけ難病や障害、福祉を題材にとった文章や取材だと、どうしたって当事者側に寄り添った内容になるのは当然で、ただし、それが入り込み過ぎると過剰な「美談」や障害者や福祉従事者・ボランティアを「神聖視」したものになってしまい、それはそれで偏見に繋がっているという点は改めて納得。(p141、p149、p376)

そういった全てを包括していて、かつポップな印象も感じられる本書のタイトルは実に秀逸な題付けだと思う(実際に国吉氏が発言したかは怪しいらしいが…)。


惜しむらくは、もうシカノさんがいないという事。
が、「俺は死なない」という言葉通り、本作に触れた人の中にはきっと強烈に存在が刻まれる事だろう。
実写映画未視聴だが大泉洋 氏は配役ピッタリだと思う。

小山内美智子氏の著作も読んでみたい。



4刷
2021.8.27

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2021年08月28日

Posted by ブクログ

長い本。何回か休憩をはさみながら、一気に読んだ。
筆者が何度も何度も考え抜いて書いたんだろうなと思わせる、とても正直な文章。無下に飾りたてることもなく、フラットな筆者と主人公の鹿野さんの関係性がそこにあらわれているよう。

様々なエピソードに共感しながら、時にはつらい気持ちになったり、くすくす笑ったりしながら読んだ。

「障害」や「病気」があることで、「本当はいつもそこにあるけれど見えていないもの」が見えてくることがあるのかもしれないと思った。
人間どうしがかかわることは、健常者や障害者といった枠組みに関係のない、普遍的な営みであることを考えさせられた。


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2021年05月31日

Posted by ブクログ

障がい者の在宅医療を切り開いた筋ジス患者とボランティアの物語

障がい者がフツウに他者と暮らす意味を突きつけつつ、僕らのフツウって何だと考えさせる

それは「フツウのことができなくなったときの尊厳死」に対する強烈なアンチテーゼだ

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2021年02月16日

Posted by ブクログ

ネタバレ

障がい者福祉の知識がないので本を読みたいと言ったら、その仕事の人に勧めてもらいました。
美談にされておらず、具体的な描写から関わる人たちの心情も想像もでき、入門に良い本。

「わがまま」と見える態度について、覚えておきたいところ。
障がい者自身にとっては、周囲の望む方向と自分の欲求のズレをいかに明確に意識するかが、自我に目覚めるために決定的に重要。
健常者が「よかれ」と思ってした好意、安易な優しさを突き破るような自己主張として伝えられることが多い。介助者にしてみれば、常に好意が打ち砕かれるような、激しさと意外性を伴う体験なのだ。

とは、誰にでも、健常者同士にも当てはめられるね。

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2020年12月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

人に迷惑をかけずに生きるのが理想か。

何年か前に映画化もされた話題のノンフィクション。ページは多いが引き込まれて一気に読み切った。鹿野靖明という在宅介護を望んだ筋ジストロフィーの男性とそこに集うボランティアたちの生活を取材して書かれている。著者もいつしかボランティアの1人として痰の吸引など鹿野の世話をしていくうちに、障がい者と社会について、人と人との関わり合いについて、生きることについて、を考え込んでしまうといった内容だ。

ボランティアは何かを求めてやってくる。ボランティアに限らず人はやはりどうしても「してあげる」という上から目線からは逃れられないように思う。鹿野の「ワガママ」に対してボランティアが反論したり離れていったりした描写があったが、こちらの善意を受け取ってもらえないとき、それが大きなお世話であったり受け取る側の意図に反していたりしても、裏切られた気持ちを抱くのは想像にたやすい。「してあげる」ことでいい気持ちになりたいのだから。反対に何か欠けているのを感じていて「させてもらっている」人なら、どんな欲求にも応えたいと思ってのめり込んでしまうだろう。そのような依存から結局離れることを選んだ人がいたことも書いてあった。

健常者と障がい者で、介助する側と介助される側が、対等になれないのはなぜなのか。別に障がい者だけではなくて、女性とかLGBTQとか外国人とか高齢者とかも同じだと思うのだが、なぜ要求を「ワガママ」とされてしまったり、手厚すぎる保護(という名の囲い込み)をされてしまったりするのか。それは属性に過剰に意味を見出して、勝手に解釈するからだ。鹿野の為人はやはり障害あってのものだと思う。人格形成に筋ジストロフィーやそのために経験したことが影響していないわけはない。しかし「障がい者は」という文脈にするものではない。本文中でボランティアの1人が述べていたが、見たままの現実で付き合っていく、過剰に裏側を重視しない、という態度は何においても必要だと思った。「障がい者は」と括らずにそのままの相手と向き合うことが、たとえばちょっと乱暴なまでの態度だったり、タバコやAVなどの要求に応えたり、時に言い争ったり、そういうボランティアたちと鹿野の関係に繋がっているのだろう。

いわゆる健常者であっても生きていくのにいろいろと抱えている時代である。背後の情報だけで人を判断してしまう人間関係から理解は進まない。たとえ生々しくても向き合うことが大切である。それには大変なエネルギーが必要だとしても。しかしそもそも生きるとはエネルギーのいることなのである。鹿野が精一杯生きていたように。

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2025年08月07日

Posted by ブクログ

映画を見たことがあったので、小説になるとどんな感じなんだろう?と気になって購入しました。ページ数も少なくてとても読みやすいです。鹿野さんは厚かましいけれどどこか憎めない、素直な人です。「愛しき実話」というのがピッタリな作品だと思います。

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2024年11月03日

Posted by ブクログ

自分が1人の人間として評価されたい。それだけ。

だれかの庇護下にあったり、憐れみの目を向けられていては、自分を出し切ることもできないんだよね。

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2024年09月17日

Posted by ブクログ

最初にこの本を読み始めたときは、わがままな鹿野の介護ボランティアをなぜするのだろうと思った。鹿野は「さらけ出さないと他人の中で生きていけない」と言っていたが、あまりにもボランティアの人の上に立とうとしていたので疑問が大きくなった。そこで、ボランティアの人に目を抜けると、自身がなく「父親が尊敬できないと自身のない子に育つ」という人や楽しそうだからや何かしたいという思いからやっている人まで様々だった。それを作者は、
「ボランティアをする若者は2000年以前は市民運動熱を持った人、2000年は自分探しの人である」と述べていた。
現在、ボランティアをしているのはどのような層なのかと疑問に思った。

この本では、西村秀雄という人が紹介されていた。戦後、戦時中に反戦主張をしていた東大総長に誘われ、東大教官になり、その時にシンポジウムを開いて障害者に接し、障害者を締め出していた事に気づき北海道の身体障害者施設で働き始めた。若者であった鹿野の意見を否定せずにどうしたいかをきいて深く相手を知ろうとした。また、障害者が無視されていたときに障害者に意見を求めるだけでなく、可能性も見出していた。その後、障碍者団体が泣きたいときに1人で泣ける部屋が欲しいという要望がでたため、西村は数々の協力を行った。北海道民政部は危険で法律上できないと言っていたが、実際に生活をしてみることで行政を動かすことに成功した。
このような活動の最前線にいた鹿野が
「主張すれば与えられる。主張しなければ与えられない。だからこそ、主張することを恐れてはいけない」という言葉に感銘を受けるのも納得であった。

本を読み進めていくうちに鹿野が自立を目指すわがままを言うのは当然だという感想を持ち始めた。ここの自立とは誰の助けも必要としないことではなく、自分が決定権を持つことである。そのために自分の生死を握るボランティアを頼るけども同時に憎む、アンビバレントな感情も持つだろうなと思った。

この本を読み切っても障碍者のわがままの範囲の明確な答えは出ていなかった。しかし、これに対処するために自分の常識でダメなことはダメと言いつつも、自身の常識を疑う2面性をもつ必要性がこの本を通して身近に理解できた。

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2024年06月07日

Posted by ブクログ

小説とは違って、ノンフィクションは読むのに時間がかかる。生き生きと書かれていて面白い分、読む間、その人の人生や事件が重くのし掛かってくる感じ。今回もそう。
鹿野氏を始め、いちごの会、鹿ボラの行動力のある登場人物たちに驚く。悩んでるけど常に動いていて、とてもギラギラ(あくまでもキラキラではなくギラギラ。)していて優しくて。
羨ましくもあり、私にはできないなぁとも思ってしまって。。読み終わったあと、どっと疲れてしまった。

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2024年01月11日

Posted by ブクログ

2007年09月17日 19:14
どうしてもこういった本は、お涙頂戴になりがちな傾向にあるが本書は全くもってそうではない。

まず、作者が鹿野氏自身ではなく、フリーライター渡辺氏だということに一目置きたい。

作者自身、鹿野氏のボランティアに入り、他のボランティアに徹底的に取材し、ボランティア達が思っていることを書き綴ったところが良い。

また、鹿野氏のわがままとも言わざるを得ない性格がにじみ出ているところも、この本の良いところなのかもしれない。

ただ、いきなり鹿野氏の過去の話になって、小山内氏や「いちご会」が出てきたところなどは困惑する人もいるだろうし、全体的に少し長すぎる。

特にこの過去の部分なんかは削っても良いところがあるような気がした。

後日、この本に感銘を受けた僕は、作者の渡辺氏にメールを出したところ、

お忙しいのにも関わらず丁寧なお返事をいただきました。

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2023年06月25日

Posted by ブクログ

たくさんの人の中で生きた鹿野さんとボランティアの記録。斉藤さんというボランティアの方の後半の発言が腑に落ちた。

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2022年11月03日

Posted by ブクログ

筋ジストロフィーの鹿野さんがボランティアと共に自立生活を営む姿を描いたノンフィクション。
話の面白い人(著者)が過去に会った面白い人(鹿野さん)を語る時点で面白さは約束されていて、濃厚で、笑えるところもあって、面白かった。
介護という、物理的にも精神的にも人と密接に関わらないといけない現場で、支える側はある種生きる意味を求めて、支えられる側は少しでも自由に普通らしく生きたい、そういう綺麗事じゃないぶつかり合いが人を変える、みたいな。
いや、そういう雰囲気の話じゃないんだけどうまく言えないな…とりあえず、読んで良かったし、とても人に勧めたくなる本。(私も母親に勧められて読んだ)

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2022年04月02日

Posted by ブクログ

質・量ともに、ずっしりとした一冊だった。

筋ジストロフィー症で42歳で世を去った鹿野靖明さんと、彼の自宅での介護を支えたボランティアをめぐるドキュメンタリー。

次第に症状が重くなっていく彼が、親元ではなく独立して暮らしたいと願う。
制度も十分ではなく、ボランティアに頼って生活する決断をする。
ランティアなので、いついなくなっても文句は言えない。
プロではない相手に、命を預けることになる。
薄氷の上を歩くような生活、壮絶な挑戦だ。

自分ならー、と思う。
まず、治療法のない神経難病にかかった時点で絶望するだろう。
介護を受ける立場には、将来必ずなる。
おむつ交換をしてもらうとき、申し訳ないと思うだろう。
卑屈になり、生きる気を失うかもしれない。
年老いて受ける介護とはまた違うかもしれないが、自分なら、と思うと、心が平静ではいられない問題だ。
そう考えると、体が弱っていくにつれて、自我が強くなっていく鹿野さんは、只者ではない。
呼吸器をつけていても、トレーニングしてしゃべれるようになるって、いったいどういうこと?
驚嘆しかない。

筆者の渡辺さんは、取材に訪れ、そのままボランティアの一人となっていく。
ボランティアと鹿野さん、そしてボランティア同士のよくもわるくも濃い関係も、生々しく描かれる。
中には違和感を感じ、離れていく人もいたとか。
その中で、繰り返し介護する側とされる側の関係性が問われていた。
また、ノーマライゼーションとは何か、ということも考えさせられる。

十年後くらいに、もう一度読んでみたい。
この本が自分がどれくらい変わったか、世の中がどのくらい変わったかを知る試金石になるだろう。
ただ、そのころには注の字が小さくて、読む気が失せているかもしれないな、とも思う。
本の作りはもう少し何とかしてほしい。

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2022年02月11日

Posted by ブクログ

介助させていただく、とは、バイアスがかかる言葉だなぁ。
認知症と診断されたから、その人にとっては普通の行動でも、
介助者にしてみたら、奇異に思えると、必ず「あの人は認知症だから」と言う。
認知症の人は、個性を出すことも許されないのか?
障害者でも、自分らしく生活したい。
だけど、すべてにおいて人の介助が必要な鹿野さんが、自分の要望を言うと、障害者で人手がかかるからダメ。
障害があるから、高齢者だから、性欲があることは汚らわしい?
普通の人間がただ自分でやれないことが多いだけで、
障害がその人を拘束する道具ではない。

今の介護は、経営を無理して組み込むからいけない。
チームで仕事していても、仕事量が人により差があり、だから仕事量を増やさない為、気づいていてもやらない。
これもおかしい。
考えて動くことも大切だが、気づいて手を出すことも大切。

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2021年10月10日

Posted by ブクログ

金曜ロードショーでやっていた映画が途中から観ただけでもすごく面白かったので、原作があると知って読んでみた。
これは障害者やその取り巻く環境や人を、ただの美談に仕立て上げたものではない。一人の鹿野靖明という人物が、剥き出しで現実と取っ組み合いながら、ボランティアと自分を曝け出しあいながら、必死になって生きてきた記録。著者自身がボランティアの一員となって数年間過ごし、鹿野さんと生身でぶつかっている。

障害者福祉について、またボランティアをすることについて、日頃自分がいかに何も考えていかということに思い知らされた。映画化されなければ自分がこの本を手に取ることもこの分野に興味を持つことも無かったわけで。「障害者を障害者たらしめているのはその人自身ではなく社会そのもの」という言葉には、社会の物理的な障壁や制度的な面もそうだけど、悲しいことに健常者と呼ばれる人たちの「無関心」も大いに要因になってしまっているのだと気付いた。
著者自身、この本を完成させるまでに長くかかったと言っているが、参考文献の多さにも、著者がたくさん勉強をしながら悩みながら書き上げたものということが分かる。各章の最後に註がまとめて載っていて、そこがすごく勉強になった。

途中出てきた小山内美智子さんの著書も何冊か是非読んでみたい。

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2020年12月25日

Posted by ブクログ


作者がこの本を書き上げるのにたくさん迷ったように、私も感想を書くのをとても迷う。言葉で伝えるのがいかに難しいか。
筋ジスと共に生き続けた鹿野さんという障害者と、ボランティア達という健常者、助け助けられ、求め求められ、いつの間にかそれぞれの人の人生で生きる鹿野さんの存在力。綺麗事だけでなく、社会制度や障害者運動の歴史を知り、人と人とが関わるとは何なのか考えさせられる。

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2020年11月16日

Posted by ブクログ

健常者と障がい者。介助する側とされる側
のあり方って無意識のうちに固定概念ができてしまっとったけど
これを読んで考え方がちょっと変わった気がする
がめつく生きるってなかなか今の若者にはないもの
やと思う
なんか自分の悩みって小さいなぁとか思った
健常者とか障がい者とか関係なしに
みんなそれぞれの立場とか価値観は違うんやけ
分かり合うまで何回でも話し合っていきたいなって思った

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2022年09月24日

Posted by ブクログ

最近特に、ノンフ作品の、その長さがやけに気になってしまう。もっと簡潔に纏められるのでは?という。もちろん、背景にある取材の労力には最大限の敬意を払うし、当事者からしてみれば、これでも全然物足りないというのはあると思う。けど事実として、同意反復がかなりの紙幅を占めると感じるのは気のせいか?とはいえ、エピローグの章はやっぱり感動的で、読後感はなかなかのものだった。あと、タイトルも秀逸。

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2022年02月07日

Posted by ブクログ

面白そうな題名で、大泉洋で映画化されて流行った本、障がい者とボランティアの珍道中を想像したら、わりとガッツリしたドキュメンタリー。介護する者とされる者、そこは感謝される者とする者、ではなく対等に喧嘩してわがままを言っていい。人権だの尊厳だのではなく、自分らしさ。
鹿野さんと愉快な仲間たち。(これに溶け込めない人は去っていくだけだから、そりゃみんななんとか仲良くやっていくわけだけど。)
障がい者(他人に介護してもらわないと生きられない人)の「個性」をここまで知ったのは初めてだった。あの家と、障害を含めての個性なのか、その人単体の個性なのか。限りある命だから、そういう制限があったからこそ輝く強烈な人生というものはある。

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2022年01月11日

Posted by ブクログ

鹿野さんとは違う難病持ちで、車椅子で生活している障がい者です。
いつか私も病気が進んで、もっと不自由になったときに「あれやってよ、これしたいよ、どうにかしてよ」と周りに頼れる自信がない。
厚かましいのと逞しいが入りまじる、一人の人間の人生を見せていただきました。

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2021年02月22日

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