渡辺一史のレビュー一覧
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「こんな夜更けにバナナかよ」の著者の作品。「こんな〜」は数年前に興味深く読んだ。
この本は、「こんな〜」の主人公であった鹿野さんとの関わりを通じて、障害者福祉に関心を深めた著者が書いた作品。
「努力して障害を克服すべきなのは、障害者本人というよりは、まずは社会である、といあ視点でものごとを考えてみることが大切です。」
「それは、障害者に『価値があるか・ないか』ということてはなく、『価値がない』と思う人の方に、『価値を見出す能力がない』だけじゃないかって私は思うんです」
「人は「誰かの(何かの)役に立つ」ということを通して自分の存在価値を見いだす生き物なんじゃないか、という気がします。で -
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映画を観てからこの本を読んだ。
映画やアニメを観ると、その原作を読みたくなるタイプだ。
正直、今の私に刺さるものが多かった。
映画以上に学びがあった。
医療機器や福祉サービスなど、知らなかったことが多かった。
親を遠ざけたくなる気持ちなど、共感できることも多かった。
私は、彼ほどストレートに発言したり、感情を出したりはできない。
それでも、見習うべきところが多いと思った。
私は今現在、入院中である。
呼吸器こそ必要ないが、寝たきりになってしまったし、吸引器も欠かせない。
「家に帰りたい!」と言い続け、やっと明日、家に帰れる。
「いつでも救急車で戻ってきたらいい」などと言われたが、できる限り -
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ネタバレこれまで、「障害者」と触れ合う機会がなかった私にとって、いい意味で固定観念が覆される本であったと感じた。
鹿野さんのボランティア(鹿ボラ)として働く人々にもその人たちなりの悩みがあり、いわゆる健常者と障害者が密接に関わるシカノ邸は様々な葛藤や価値観のすれ違いが生じながらも精神的にも身体的にも他のどこよりも"前進"ができる場所であったと確信できた。人によって"普通"の基準は異なるが、障害者と健常者の間のそれは著しく異なる。鹿ボラの1人である斎藤さんはその"普通"境界を均すことが障害者を理解するということであるとした。長年ボランティアとし -
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雨宮処凛の相模原事件の裁判傍聴記に、著者について言及があった。10年以上も『こんな夜更けにバナナかよ』を読もうと思いながら積読。そうこうしているうちに映画化されてしまい、あらら映画になっちゃった、でも映像じゃなくて自分で読みたいから映画は見ない、と決めていたので、鹿野さんとボランティアの話は大枠では知っていたけど『~バナナかよ』は読めてなかった。そんな負い目(?)もあり、読んでみようと思った。
一応私も専門職だから、障害について、3章4章に書かれていることは皆ひと通り、歴史や変遷、考え方も含めて学んできたし、それなりに理解しているつもりだった。わかっていたはずのことだけれども、いざ本書で取り -
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ネタバレ壮絶な生き様だと思った
そういう人生を選んで生まれてきて、他人の心を美しくするために生まれてきたような人
私にはそんな感じがするけど、美化してはいけないと、シカボラのメンバーさんが言っていたのでそうなのかなぁ
著者のあとがきにも、堂々めぐりと書かれていたけど、けっこう堂々めぐりだなーとは思いながら読んだ
実際答えがなくて、重度身体障害者福祉の考え方や社会としてのあり方、人としてどう生きるか、人としての主体性をどこに保つか、など考えはじめたら、無数の答えがあると思う
だからノンフィクションとはいえいろいろ堂々めぐりだった
知らないことだらけど、普通に知ることからはじめればいいのだと思 -
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今日、インターネット上に渦巻く次のような「問い」にあなたならどう答えますか?
「障害者って、生きてる価値はあるんでしょうか?」
「なんで税金を重くしてまで、障害者や老人を助けなくてはいけないのですか?」
「自然界は弱肉強食なのに、なぜ人間社会では弱者を救おうとするのですか?」
気鋭のノンフィクションライター渡辺一史が、豊富な取材経験をもとにキレイゴトではない「答え」を真摯に探究! あらためて障害や福祉の意味を問い直す。
障害者について考えることは、健常者について考えることであり、同時に、自分自身について考えることでもある。2016年に相模原市で起きた障害者殺傷事件などを通して、人と社会 -
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筋ジストロフィーを患う鹿野靖明さんと、彼が亡くなるまで関わった多くの介助ボランティアの人たちとの物語である。
筋ジストロフィーは、全身の筋肉が衰えていく進行性の疾患であり、有効な治療法は見つかっていない。筋肉が衰えていくと、歩けなくなり、手が使えなくなり、呼吸に必要な筋肉が衰えて自力での呼吸が出来なくなる。鹿野さんは、自力呼吸が出来なくなり、人工呼吸器を装着している。使える筋肉は、両手の指が少し動く程度なので、日常生活で自力で出来ることはほぼない。唯一、自分で出来るのはしゃべることだけであり、しゃべることによって、自分のして欲しいことを、介助者に伝えることは出来る。
そういった状況のなかで、 -
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夢中で読んでしまった。心情的には星7くらいは付けたい。
恐らくこの本の一番のポイントは’バランス’だと思う。
著者・渡辺一史 氏がこの親本を執筆された当時はまだ30代前半から半ば、福祉や医療分野にはさしたる興味や知識があった訳ではなく、「日々を切実に、ギリギリのところで生きている人に会ってみたい」(p13)という動機から取材が始まったとある。
こういった背景だったからこそ、客観的立場かつ’ごく一般的な感覚で’シカノさんやボランティアと接する事が出来たのではないだろうか。
とりわけ難病や障害、福祉を題材にとった文章や取材だと、どうしたって当事者側に寄り添った内容になるのは当然で、ただし、そ -
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長い本。何回か休憩をはさみながら、一気に読んだ。
筆者が何度も何度も考え抜いて書いたんだろうなと思わせる、とても正直な文章。無下に飾りたてることもなく、フラットな筆者と主人公の鹿野さんの関係性がそこにあらわれているよう。
様々なエピソードに共感しながら、時にはつらい気持ちになったり、くすくす笑ったりしながら読んだ。
「障害」や「病気」があることで、「本当はいつもそこにあるけれど見えていないもの」が見えてくることがあるのかもしれないと思った。
人間どうしがかかわることは、健常者や障害者といった枠組みに関係のない、普遍的な営みであることを考えさせられた。