岡本綺堂のレビュー一覧
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短編集だった1巻とは異なり、2巻は長編『玉藻の前』1作が収録。殺生石のいわれは何となく知ってはいたけど、岡本綺堂の原作は全く知らなかったので、一つカシコクなりました★(^_^;) 読んでくうちに、相変わらず美しく妖艶な世界観にウットリ浸ってしまいます。と同時に、えもいわれぬ怖さを感じさせてくれちゃうのも、サスガ波津彬子だなあ、というべきか。あとがきで『平安時代を描くのは初めて』と言ってましたが、全然そうは思えなかった。混沌とした平安時代の雰囲気にも、このひとの絵は、よく似合うな。
今度はどんな幻想的な物語を描いてくれるのか…読むごとに期待がいや増します。3巻が出てくれるのが楽しみです。 -
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岡本綺堂『旅情夢譚』光文社文庫。
岡本綺堂の小説は大昔に『半七捕物帳』を読んだくらいしかない。
本作は13編収録の短編集である。さもない事件から、怖さを感じる事件まで、宿地を舞台にした様々な事件が描かれる。昭和よりも前の大正時代の作品。
『山椒の魚』。実際に起きる事件というのは偶然も重なり、実に呆気ない真相であったりもする。まだ中央線が開通していない時分の木曽路の旅籠で起きた二人の女学生の毒殺事件。タイトルの『山椒の魚』は事件とは一切関わりが無い。
『剣魚』。事実は小説よりも奇なり。女心はさらに奇なり。房総の海水浴旅館に泊まった男性が芸妓と二人で海にボートで漕ぎ出し、芸妓だけがボートの中で遺体となって発見される。
『医師の家』。田舎で起きる事件というのは様々な人間模様、或いは人間の業が浮き彫りになることが多い。それは報道などで伝えられる硬質な事実ではなく、噂話という生々しい情報によるものだからではないだろうか。福島のとある静かな田舎町で巡査が語る奇妙な事件。
『ぬけ毛』。死ぬ理由にも色々あるが、二十歳そこそこで死ぬ必要など無い。上州の温泉宿で身体を休めようとする主人公。主人公が逗留していた部屋を代わって欲しいと申し出る二十歳そこそこの二人組の女性。
『椰子の実』。真実は藪の中にあり、全ては推測に過ぎない。シンガポールの日本料理屋で起きた奇妙な事件。若く美しい芸妓が椰子林で頭に椰子の実が落ち、亡くなる。その後、その椰子林で男性と猿の射殺死体が発見される。
『狸の皮』。人を化かすという狸。人は見掛けによらない。信越地方の宿屋で知り合った若い女性が180円で買ったという狸の皮のひざ掛けを紛失したと騒ぎ出す。
『娘義太夫』。ミステリー色の強い短編。娘義太夫に毒を飲ませたのは誰か。
『狸尼』。犬嫌いの若い尼僧が地蔵の近くで亡くなっているのが発見される。
『蛔蟲』。何とも気持ちの悪い結末だ。宿に泊まった芸妓と男。男は翌朝、遺体となって発見される。
『河鹿』。怪談のような短編。河鹿の声が聞こえる宿で起きた怪異。
『父の怪談』。父から聞いた怪談話。大小の蛙が家の中に現れたり、家の中で石が落ちてきたり、狐に化かされた話など、よく耳にした怪談話が紹介される。
『山の秘密』。まさかの山窩話に驚いた。
『五色蟹』。宿屋の風呂で二人の女学生が怪死するという事件が描かれるが、真相は明かされない。
本体価格800円
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岡本綺堂は初めて読んだ。1925(大正14)年から連載され、後に追補されて1932(昭和7)年に単行本として刊行されたもの。百物語形式で、12名の語り手が順に怪談・奇談を語っていく。
この中公文庫版、「雰囲気を伝えるべく」あえて歴史的仮名遣いを採用しているので「さういふわけで」のような表記になっている。旧漢字は使っていないので、岩波文庫の復刻ものよりもずっと読みやすく、問題なかった。若い人はちょっと「引く」かもしれないが。
よどみなく流れてゆくような文体が良く出来ている。適度に描写し、物語を進めてゆくので、引き込まれて読まされる。なかなか見事な芸ではないかと思う。
話の中身は、ホラー(恐怖)とまでは行かない怪談が多く、中には単に奇談というだけでダークさの面では大人しい結末もいくつかあった。しかし、総じて面白いものだったと思う。解説によると岡本綺堂は中国の古い怪談集などにも通暁しており、本作の話もそこから題材を取って再構成したものも多いようだ。こうした趣味の傾向が、本作のカラーを彩っていると思われる。 -
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岡本綺堂の文庫初収録作品、全7編。
時代小説文庫なので、すべて時代劇かと思っていたが、
そうではなかった。
『青蛙堂鬼談』の愛読者ゆえ、
ゾッとする怪異譚を期待していたけれども、
意外に薄味、アッサリしていた。
■うす雪(1918年)
雑誌編集長・須郷匡三の妹・貞子は女学校の教諭で、
自宅に数人の生徒を寄宿させていたが、そのうちの一人、
栗田男爵令嬢・雪子が姿を消したという。
捜索に力を貸そうとした匡三は意外な事実に行き当たった――。
携帯端末どころか固定電話すら普及率の低かった時代、
探偵ごっこも大変だったのだ(笑)。
■最後の舞台(1920年)
語り手「私」は六、七年前に一度会ったことのある女性と
偶然再会。
かつて女優志望の彼女に見込みはなさそうだから
諦めた方がいいとアドバイスした「私」だったが、
彼女はその後、ほどほどに活躍しているらしかった。
ところが……。
■姉妹(1921年)
タイトルの読みは「きょうだい」。
某男爵家に仕えていた女性「わたくし」の回想。
男爵令嬢姉妹の姉・常子について。
■眼科病院の話(1920年)
梶沢医師が近所の眼科医院で起きた一件に巻き込まれる話。
院長・津幡の女性関係と、
それに付け込んで悪事を目論んだ者たちについて。
■勇士伝(1924年)
天正十年四月、豊臣秀吉に攻め込まれた備中高松城。
城主・清水長左衛門宗治に仕える矢坂次郎兵衛光近は
河童と狸の助力で様々な手柄を立てたが……。
■明智左馬助(1923年)
近江国の若侍・入江小七郎十七歳が狐に取り憑かれ、
禰宜がお祓いをしようと申し出たが、
後から訪ねてきた父・長兵衛の知人・三宅弥平次が疑義を……。
■狐武者(1924年)
元弘三年、
肥後の菊池から大宰府へ向かった入道寂阿の配下、
十八歳の若侍・真木小次郎重治の記憶。
彼は父が母と結婚する前に契った狐の化身に
見守られ続けていた。 -
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表題作は、岡本綺堂、大正6年発表の長編伝奇小説。中公文庫版はこれに加え、付録として短編「狐武者」を収録。
玉藻前(たまものまえ)伝説というものがある。
玉藻は鳥羽上皇の寵姫であったとされる。妖艶な美しさに加え、和歌などの才にも長け、女官から徐々に出世していく。だがそれにつれて上皇は病に伏せるようになり、医師らも治すことはできなかった。原因を突き止めたのが陰陽師の安倍泰親(安倍清明の数代後の子孫)である。上皇の不調は玉藻の前の仕業であり、さらにはその正体は、金の毛、九つの尾を持つ妖怪狐であると見抜く。泰親の祈祷により、狐は姿を現して那須へと逃げる。討伐隊が差し向けられ、狐はついにうち滅ぼされる。だがその恨みは深く、毒を放つ石、殺生石に姿を変え、なおも人々を苦しめた。百余年の後に高僧の一喝が石を砕くまで、狐の祟りは続いたという。なお、この妖狐は古く、天竺や唐でも妖術を使っていたという伝説もある。
一説には、玉藻のモデルは、摂関家の後ろ盾がないにもかかわらず権勢を誇り、のちの保元の乱・平治の乱の陰でも暗躍したとされる、美福門院(藤原得子)とも言われる。
綺堂の本作は、この伝説をベースとしながら、玉藻の前の幼き日の淡い恋も交えている。また、玉藻が取り入るのは、上皇ではなく、時の関白、藤原忠通である点も元の伝説とは少々異なる。
山科で、病の父を抱えて貧しい生活を送る娘、藻(みくず)。父は元々、北面の武士であったが、勅勘をこうむり、役を解かれていた。貧しい中でも、藻は姿美しく、心根も優しい少女に育っていた。
烏帽子折の家に生まれた少年、千枝松は、藻より1つ年上だった。2人はいつも仲良く遊び、ほかの子供らにからかわれるほどだった。
藻は父の病が癒えるよう、観音詣りをしていたが、あるときその途上で行方知れずとなる。千枝松が必死に探すと、古い塚の下に、1つの髑髏を枕に眠る藻の姿があった。ともに探してくれた老人は「野良狐の悪戯」でかどわかされたと言った。その夜、千枝松は不思議な夢を見る。天竺と唐で、妖しの美女が残虐非道な行いにふけるのだが、その顔は藻にそっくりなのだった。
やがて藻は都に出て、歌の会で出された「独寝の別れ」の題で、秀でた歌を詠んだことをきっかけに、関白に取り立てられるようになっていく。
一方の千枝松は、陰陽師の安倍泰親と出会い、その弟子になる。
時を経て、2人は再会するのだが、さて、幼い恋の顛末やいかに。
旧仮名遣いや見慣れぬ漢語も混じるが、全般に振り仮名も丁寧で、さほど引っかからずすらすらと読める。
妖怪譚であるが、じめつき過ぎぬ、品のよい怖さである。
九尾の狐が取り憑いた藻だが、綺堂は明らかに狐の姿としては描かない。妖狐伝説によっては、狐が成り代わる相手の血を吸い尽くしてその体内に入るといった生々しい描写のものもあるのだが、綺堂はさらりと髑髏と眠っている姿でそれを暗示する。体が光る、水草を頭にかぶるなど、狐と関連付けられる事柄はあれど、玉藻がはっきり狐の姿に変化するわけではない。だが阿闍梨が誑かされて狂ってしまったり、女童や宿直の侍が食い殺されたりといったことが起こるあたり、やはり只者ではないのである。
長じて千枝太郎と呼ばれるようになった千枝松と、藻の玉藻は再会する。
片や、妖しを調伏する陰陽師の弟子。片や、国を傾ける妖狐。
そんな中でも千枝松に会いたがる玉藻だが、それは陰陽師の術をかいくぐるための手練手管でしかなかったのか、それともそこにはいくばくか、筒井筒の純粋な恋への懐かしさがあったのか。
であるならば、玉藻の現身の中には、狐の霊とせめぎ合う、元の藻の魂もいくらかは残っていたのか。それとも藻は生まれつき狐つきであり、狐の心で千枝松と純真な恋を育んでいたのか。
千枝松の心は、師匠と昔の恋人の間で揺れ動く。あれは妖しのものだと言われればそうかなと思い、玉藻に昔のよしみでゆっくり会いたいと言われればふらりとする。おいおい、あんたも大概はっきりせぇよ、と途中はイライラもするのだが、書かれた大正初期が、師と愛しい人の間で引き裂かれた『婦系図』(泉鏡花)の時代からはさして遠くなかったことを思えば、無理もないのかもしれない。
終盤で、殺生石の地を訪れる千枝太郎の姿はしみじみと悲しい。
併録の「狐武者」は狐と関わりがある侍の話。こちらの狐は祟らず、陰に日に侍を助けてくれる。
綺堂は狐に関心が深かったようである。
文中の挿絵は、初版刊行時の井川洗厓のもの。表紙絵と口絵は山本タカトの描き下ろし。
末尾の解題も読みごたえがあり、おもしろい。
*ふと思ったのですが、そういえばそもそも、安倍晴明の母が狐という伝説もありましたよね。葛葉、信田の狐。えーと、そうすると、この話は、葛葉の子孫が金毛九尾の狐に勝った、という話なのでしょうか(^^;)。結局、勝ったのはどっちみち狐なのかよ!?的な(いや、多分違うw)
*この手の話は狐が似合いますね。同じ化けるのでも狸だとなかなか妖艶なイメージにはなりません。