宮崎駿のレビュー一覧
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児童文学は「やり直しがきく話」なんです。(p.70)
〔内容〕五〇冊チョイスした前半と、エッセイ的な後半/岩波少年文庫を読んでいってみようと思ってたので(すでに百冊くらいは読んでると思うけど)ちょうどいいブックガイドかなと。
〔感想〕《たとえばすごいハードカバーの重い本でね、世界のことが全部書いてあるという、そういう本ができないものだろうか、ということを夢見ていますね。》p.140。『マイペディア』とかの一冊本の百科事典とかが比較的近い気もします。あるいは例句がたくさん入っている歳時記系とか。どちらもランダムアクセスできるし。/「終わりの始まり」には共感。 -
Posted by ブクログ
渋谷陽一による宮崎駿へのインタビュー集『風の帰る場所―ナウシカから千尋までの軌跡』を読みました。
宮崎駿の作品は、6年くらい前に読んだ養老孟司との対談『虫眼とアニ眼』以来なので久し振りですね。
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「どんな状態になっても世界を肯定したいっていう気持ちが自分の中にあるから、映画を作ろうっていうふうになるんじゃないかと思うんです」(本書より)――『千と千尋の神隠し』でついに第75回アカデミー賞を受賞し、名実ともに世界のトップ・アニメーション映画監督となった宮崎駿。
決して大人に向けてではなく、ある10歳の子どもたちを観客として想定して作られた作品であり、しかも湯屋を舞台に何から何まで非常に日本的なるもので作られた作品であるにもかかわらず、『千と千尋』が年齢も国境も超えたグローバルな普遍性を獲得することができたのは何故なのでしょうか。
本書は12年の歳月をかけて行われたインタヴューのすべてをノーカットで収録した、宮崎駿の決定版インタヴュー集です。
華やかなサクセスストーリーを歩んでいると誤解されがちですが、宮崎駿のアニメーター人生は決して平坦な道のりではありませんでした。
実は苦渋の決断だった『ナウシカ』のアニメ化、『となりのトトロ』の興行的な失敗、表現者としてぶつかった壁……のどかな世間のイメージとはかけ離れた、一人の表現者・宮崎駿、そして人間・宮崎駿の真実。
本書ではそのすべてが、宮崎自身の肉声によって語られています。
様々な苦悩と困難を乗り越えて、宮崎駿はなぜ世界を肯定できたのか。
12年間かけてじっくり積み重ねられた、あまりに重く、そしてあまりに眩しい言葉の数々。
本当の宮崎駿を知ってください。
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1990年(平成2年)から2001年(平成13年)の12年間……渋谷陽一による宮崎駿へのロングインタビューを収録した作品です。
■はじめに
■風が吹き始めた場所―1990年11月
・映画
・拠り所
・現代
・風
・娯楽
・ブランド
・黄金律
・自己嫌悪
・日本人
・動態
・左翼思想
・本音と建前
・手塚治虫
・ディズニー
■豚が人間に戻るまで―1992年7月『紅の豚』インタビュー
・豚の由縁
・崖っぷち
・東西の崩壊
・嘘
・豚でしかない人間
・「仕方のないもの」
・根拠
・出発点
・創作意欲
・終わっていない映画
・メガヒット
・本質
・突き抜けたニヒリズム
・ジャパニメーション
・時代劇
・奇跡
・種を蒔く人
■タタラ場で生きることを決意したとき―1997年7月『もののけ姫』インタビュー
・引退
・職工頭
・業の深さ
・日の当たらない日本史
・コダマ
・『もののけ姫』の世界観の裏側
・新しい歴史観
・不条理な生
・暴力性
・自信の喪失
・愛憎
・ジブリというタタラ場
・庵野秀明
・押井守
・高畑勲
・無意識
■ナウシカと千尋をつなぐもの―2001年7月『千と千尋の神隠し』インタビュー
・静かな山場
・千尋と海
・急遽の変更劇
・油屋=ジブリ
・顔の見える観客
・銀河鉄道の夜
・大事なもの
・予感
・鉄砲オタク
・物語
■風の谷から油屋まで―2001年11月
・失業者
・漫画家
・持ち込み
・制約
・職場
・橋
・「ライフワーク」
・映画版『ナウシカ』のエンディング
・世界観の造形
・『ナウシカ』の成功
・少年モノとしての『ラピュタ』
・脇役
・戦前・戦後
・キスシーン
・女性観
・『トトロ』への積年の想い
・日本
・日常
・草原
・台風
・『トトロ』の失敗
・ヒモつき
・思春期
・佳境に入ったコミック版『ナウシカ』
・社員
・経営者
・冷戦の終結とバブルの崩壊
・後悔
・真っ向勝負
・シンプルでストロングなストーリー
・「タタラ場」という現実
・祝福
・メロドラマ
・答え
宮崎駿監督が『風の谷のナウシカ』から『千と千尋の神隠し』までの作品について、渋谷陽一のインタビューに答えて、自らの言葉で歴史観や人生観にまで踏み込みながら真正面から語ったのが、本書です……資料的な価値という意味で完全保存版であることは言うまでもありませんが、本書を読むと、今回の引退劇に至る伏線のみならず、実は今後の宮崎監督の行動を占うヒントまでもが隠されていることに気づかされます、、、
12年間を費やして行なわれた5本のインタヴューを完全ノーカット収録……『風の谷のナウシカ』、『となりのトトロ』、『千と千尋の神隠し』は、どのように生まれたのか? 宮崎駿監督が自らの作品の背景や狙いはもちろん、文明論から歴史観に至るまで、徹底的に語り尽くした完全保存版インタビュー集。
渋谷陽一による宮崎駿へのロングインタビューを収録した作品……当時の宮崎駿作品は、アニメだけでなく『風の谷のナウシカ』の原作マンガを含め、ほとんど観ている(読んでいる)ので、それらの作品を思い浮かべながら読みました、、、
渋谷陽一が宮崎駿の素顔を巧く引き出している印象……その発想の源泉や背景について深く探求しているので、宮崎駿作品に対する理解が深まり、宮崎駿の思想や哲学に触れることができましたね。
宮崎駿の思考プロセスや作品に対する洞察を知りたい方にとって興味深い一冊だったし、宮崎駿ファンやアニメーション映画の愛好者にとって貴重な一冊となっていると感じました……特に印象に残ったのは、宮崎駿の
「チャップリンの映画が好きなのは、間口が広いんだけど、入っていくうちにいつの間にか階段を昇っちゃうんですよね。なんかこう妙に清められた気持ちになったりね 笑」
「ディズニーの作品で一番嫌いなのは、僕は入口と出口が同じだと思うんですよね」
「世界っていうのは光と陰で成り立っている」
という言葉だなー とても共感できました。 -
Posted by ブクログ
インタビュアーの渋谷陽一さん、冒頭に喧嘩腰で、、、って書いてあったけど、これだけのインタビュー引き出せるのすごいなあと思った。
子供に映画を作りたい、子供に何かしたい、っていうのが宮崎駿さんの作品作りの源泉になっていて、でもそれが決して押し付けるようなものではなくて、自身が面白いと思うことを軸に構成されてると理解。
何かすごいものを作る人って、あらかじめいろんなことを想定して作るよりも、心の赴くままに進めていったらこうなりました、っていうパターンが多いのかな〜と思った。あらかじめ色々考えすぎると型にはまりがちだしね。少し自己反省です!! -
Posted by ブクログ
ネタバレ実際にフランスに行ってみると、日本とのあまりの違いに反発することもありますが、その一方で素晴らしいところもたくさんあります。自分と全く違うものを学ぶということは、比較が可能になるということです。自分の国しか知らないと比較が難しい。例えば、北朝鮮です。今、我々が外側から見て、「民衆はさぞや不幸だろうな」などと思いますが、結構幸せかもしれない。一つしか知らない人間は、かなり幸せなはずです。自分と他を比較するようになると、人間は不幸になります。
しかし、さらに比較を進めることによって、逆に、自分とは何かが分かってくる。あるいは、自分たちと比較することによって、他者が分かってくる。だから、フランス文学やヨーロッパ文学を学ぶのは、他者を体験することでもあります。
人間をピュリスムでもって、潔癖主義的な形で追い詰めていくことの危険性というものがある。モンテーニュと同時代のジャン・カルヴァンを描くことで、その潔癖主義に日本的なファシズムとの類似性を認めているのでしょう。禁欲という形で追い詰めていくと、自分で勝手に禁欲するならいいけれども、最終的には自分が禁欲できるということを盾に、人にも禁欲を強いていくことになる。こうして共産主義ともファシズムともよく似た、人口抑圧社会が出来上がってしまう。
カルヴァンみたいな超禁欲人間がいるとすると、そういう人たちを偉いと言う人たちが必ず周りにいる。そうすると、禁欲的な規範に合わない人間を切り捨てていく。ところが、誰もが同じ禁欲的な規範に従って生きることは無理なので、そのひずみが、ゆがんだ形で現れてくる。
これは別に、モンテーニュの時代に限ったことではなく、現在のイスラム原理主義などにも当てはまります。キリスト教とイスラム教は違いますが、結局は似たようなことになる。
これまでのファシズム批判は、自分は反ファシズムの側に立って、相手を一方的にやっつけるというものでしたが、ファシズムの権利は、人を引き付ける、ある種の禁欲主義の魅力があるのです。同じように共産主義にも禁欲の魅力がある。若い人は特にそういうのに惹かれる。堀田さん自身も共産主義のかなり近くまでいったこともあるし、そういうのに惹かれた面もあったかもしれない。同時に、危険性も非常によく分かっている。それと似た状況は、戦後の日本で何度も出てきました。それは別に、時代を問わず、過去にもあったものです。堀田さんが『海鳴りの底から』で描いた島原の一揆のように、禁欲を一つの核に据えた原理主義的な宗教運動があった。それを英雄的に描くということではなくて、全体として描くとなるとどうなるかというのが堀田さんの大きな課題だったと思います。
たいていの宗教は地域主教から出発しています。地域的な、かなり土俗的な主教から出発するけれども、その宗教が大きくなってくると、途中からある種の普遍宗教に変わらざるを得なくなる。キリスト教がその典型です。
もともとキリスト教は、エルサレムのユダヤ人コミュニティの閉鎖的で小さな地域宗教でした。それが、ギリシャ人の社会に広がりローマに行く。ローマからさらにヨーロッパ各地にどんどん広がっていく。そうすると、さまざまな人たちをその宗教に取り込まなければいけない。それまではユダヤ人コミュニティの小さな地域宗教だったものが、普遍宗教に変わらざるを得ない。「カトリック」とはそもそも「普遍的」という意味の言葉です。
普遍宗教に変わらざるを得ないということは、民族とか肌の色とか、言語とか、そういうものに関係なく、普遍的な価値観を持つということです。そうなると、さまざまな人間を一元的にまとめる必要が出てくる。そのためには、ある種の禁欲というものを核に据えないと、たくさんの人を引き付けることはできない。これは共産主義もファシズムも全部同じです。普遍性を持つには、禁欲性への歩み寄りをしていかないと駄目なんです。
しかし、そうなってくると、普遍的な物差しに合わせて、その物差しに合わない人は切り捨てていいんだということになってきます。だから、普遍性を持つことが逆に党派性を呼び込んでしまう。普遍主義的党派性とでも言ったらいいかもしれない。普遍主義的党派性とは形容矛盾のようですが、これは地域的な党派性とはまた違うものです。
例えば、地域政党なり地域主義は、それは確かに排他的ではあるけれども、普遍的な排他性は持たない。つまり人間と人間でないものとを線引きして、同じ人間なのにこの人たちは人間ではないとするようなことはあまりしないものです。よそ者は排除するけれども、よそで生きる分にはかまわない。その党派性は村や地域あるいは国の枠を超えない。
ところが、これが普遍的なものになると、非常に危険です。堀田さんは戦前のファシズム、それからの戦後の左翼運動に関わっていくうちに、その危険性に気づいたのだと思います。
『漢奸』という小説は、堀田さんの上海での体験を基に書かれたものです。堀田さんは、日本が戦争に負けるということが分かってから上海に行って、何年間か、かなり自覚的に現地にとどまっていました。当時上海は日本の占領地で、そこで日本が管理する中国語の御用新聞を出していたのです。この小説は、その時に文芸欄を担当していた中国人の詩人記者の話です。「漢奸」というのは、要するに裏切り者のことですね。民族を裏切ったものという意味です。その詩人は実に善良で、しかも日本語で訳されたシュールレアリスムを日本語で勉強して、シュールレアリスムの詩を書いていたのです。およそ政治とは関係ない中国の青年なのですが、貧乏で小さな家に家族がいっぱいいるために、棺おけを部屋の中に置いて、その中に横になって詩を書くという人だったのです。
日本が降伏して、その後上海を中国国民党の政府が占領する。同時にそれを中国共産党が包囲する。二重スパイか、三重スパイかわからない人たちがいろいろ暗躍する中で、その善良な詩人は売国奴として懲役刑の判決を下される。歴史の歯車の上に乗っかって生きているというときは、自分が善良であっても、正しいことをやっていても、あるいは好きなことを一生懸命やっていても、それでいいのだということではないのだな、ということを強く感じた作品ですね。
自分がわずかに経験した戦争と戦後の間にも、そういうことがいっぱいあるのだな、と思いました。
ですから僕が漫画を描いたり、何か書く時にも、これはどういう意味を持っているのか、自分はどこまで見渡してこれを書いているのか、自分がどんなに善良にこれをやりたいと思ってやったことでも、その裏側にはどういう意味があるのか、それから自分がどうしてやりたくなったのか、何によって自分は突き動かされているのか、突き動かされているものは本当にいいものなのか、そういうことを、ちゃんと考えてやらないと、この詩人記者と同じとんでもない運命になると思っているのです。これは非常に雑な受け止め方だと思うのですが、この二作品『広場の孤独』と『漢奸』という小説から受けた衝撃は、その後自分がアニメーションという職業をやっていく上でも、ずいぶん自分の最後のしんばり棒みたいになった体験でした。
実際には、その後の自分の判断をふり返ると、決定的な瞬間に何度も間違えた選択をしてきました。
イデオロギーというか、自分が空想した主義主張で判断して、自分の眼で見た時の違和感や心のすみに浮いた疑問を軽視したからです。堀田さんの文学は、自分で見、自分で感じたことで、思想を組み立てるものだったのに、まぁ、僕の判断は情けないものですが。 -
Posted by ブクログ
巨匠・宮崎駿さんが、岩波少年文庫からおすすめの本を50冊紹介する。あわせて、自身の読書体験や時代について語る一冊。
戦前の人の中には「本なんか読むとろくな人間にならない」と、額に汗して働くことを美徳とする人たちが多かったこと。戦争に負けて、本を読み勉強するよう推奨されるようになったこと。
バブル期に馬鹿騒ぎしているひとたちを横目に、いつかひどいことになるぞと終末物を書くのはある種のカタルシスもあるが、終末が現実として立ちあらわれている現代にそういうものを作っても面白くないこと。
人間はどうしようもないとニヒリズムを掲げる文学に対し、児童文学は「やり直しがきく話」だと繰り返し述べられていたことが印象的だった。
時代につれ、児童文学のありかたというものも随分変わるものだなと思った。
あとアニメーターらしく挿絵についての言及も多かった。