高島俊男のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
この人の本は、ちょいちょい毒舌が混ざるので面白いです(笑)
漢字と日本語の関係性について、細かい例を挙げながら論じてます。筆者の主張としては以下の通り。
・漢字を文字として採用したが、同時期にアルファベットが入って来ていれば、間違いなくアルファベットを採用したはず。なぜなら漢字は日本語の意味を記すには好いかもしれないが、日本語の音を表現するには不適当だからである。
・漢字が入ってきたことで、抽象的なものや概念的なものを表す日本語(和語)が発展する機会は失われた(「山」や「川」は和語だが、これを包括する「自然」は漢語の概念)
・江戸以前の和製漢語は、文字から意味は分からないが、音から意味を取ることができた(大切、面倒、野暮、無茶など)
・明治以後の和製漢語は、漢字から意味を取ることにだけ集中した結果、同音異義語が爆発的に増え、漢字を見なければ意味が分からなくなってしまった(静止、製紙、製糸、制止、など)
・文字の無い言語も多々あることを考えると、言語の本質は音声である。しかるに漢字を参照しない限り意味を確定できない日本語は、その意味で非常に特殊であり、顛倒した言語である
・戦後の当用漢字表の導入などといった漢字廃止の動き、および略記の採用により、本来は関連する意味を持っていた漢字との縁が切れてしまった(「假」は「仮」になり、「暇」「霞」との縁が切れた。「賈」は「売」になり、「買」「販」「購」などとの縁が切れた。「專」は「専」となった一方で、同じ形であった「傳」「轉」は「伝」「転」という形に、「團」は「団」という形になり縁が切れた)
特に後半の、略記を採用してしまったことで漢字同士の縁が切れた、というあたりは面白かったです。なぜ、同じような意味のグループなのに漢字が違うのか、と思うことがあったんですが、非常に分かりやすく理解できました。
時折、言語学者らしい過剰ともいえる例証があったりしますが、総じて日本語と漢字の関係性について知りたいと思うならば、非常に有益な本だと思います。 -
Posted by ブクログ
週刊文春での連載終了以降、あまり読めなくなってつまらないなあと思っていたら、そうか、「本」で連載されてたのか。知らなかった。漢字を中心とした日本語の蘊蓄。もう大好きなんだよね。
しかしまあ言葉っていうのは本当に難しい。ゆめゆめ知ったかぶりして書くまいと思う。なにしろ頼りの辞書の記述にも当てにならないものがあると、高島先生はしばしば指摘してるんだもの。常日頃愛用している「広辞苑」はもちろん、最終兵器「日本国語大辞典」でさえ、間違った孫引きをしている箇所があると言われた日には、いったい何を信じればいいの~と途方に暮れてしまう。しをんちゃんの「舟を編む」でも書かれていたが、辞書というのは全く気の遠くなるような営々とした努力の末に生まれ、それでも決して完全にはならないものなのだなあ。
今回も「そうだったのか!」と目から鱗がボロボロ落ちたり、自分の無知にボッと赤面したり大忙しだ。
・「処方せん」(処方しないのか?)「う回」(うが回る?)「あっ旋」(見つけた!)とか、もう挙げればきりのないヘンな交ぜ書き。あの産経新聞がいち早くこれをやめていたとは!驚きだ。
・村木厚子さんの手記のタイトル「私は屈さない」。ん?屈さない?「屈しない」の間違いじゃん、と思うところだが、これがそう単純じゃないらしい。「漢字一字の音読み+す」の活用がこんなに不安定だったとは。
・震災の日以降誰でも知っている言葉になった「建屋」。これは私もちょっとひっかかって調べたことがある。広辞苑では現在の版にしか載ってない。すごく驚いたのは、およそすべての日本語が載ってると思っていた「日本国語大辞典」に載ってなかったことだ。新しい言葉なんだね。とても自然な日本語だから、みんな前から知ってたような気になったという先生の説明に納得。
・漢文で登場する「吏」。役人=公務員だと思ってきたが違っていた。吏には給料がないから自分の才覚で(つまり賄賂とか)収入を得ていた。だから、中国では現代になっても職務によって金が入るのは当然という気風があるらしい。ふーん。
・日本語の熟語のほとんどは中国から入ってきたか、主として明治期に日本で作られた。それは知っていたが、その日本製の熟語が中国に逆輸入されて、今ではお互いそういう経緯も忘れている(元々中国語だと思っている)言葉があるんだって。「調査」っていうのもその一つ。へぇー。
・福沢諭吉の「学問のすゝめ」には敬語が一切ない。このことと、漢文訓読体との関わりを考察した研究者の論文が紹介されている。漢文訓読が単なる「漢籍を読む工夫」にとどまらないことにあらためて目を開かせられる。
・今回一番の衝撃。「ひむがしの野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」この有名な人麻呂の歌が、人麻呂の残した漢字十四字の列を賀茂真淵が「そう読むことにしよう」としたものだったとは! 江戸時代に真淵がこう読むまで実に千年、「ひむがし(ヒンガシ)」は雅語とは見なされず和歌には用いられなかった。なぜか。日本語にはそもそもンという発音がなく、外来語音であったから。うーん、そうだったのか。撥音便・促音便については本当に以前から謎だったのだ。「八ッ場ダム」をなぜ「やんばダム」と言うのかもやっとわかった。 -
Posted by ブクログ
多くの人に読んでもらいたいと思いました。なんだか、いたたまれなくなる日本語×漢字の話。非常にわかりやすく解説してくださっているので、文体の好みは分かれるかもしれないけれど、若年層も読みやすいと思います。
文字を持たない日本語が他国の発明品である漢字をいかに取り入れ、どのように意識してきたか。文字を持ったがために、日本語がどのような影響を受けたか。そして、明治維新後や戦後、日本の言語がどう変わろうとした結果、いまわたしたちが使っている日本語があるのか。
「常用漢字の新字体」でものを書き、考える癖の染み付いた脳にはあまりにも悲しい日本語と漢字の話。「常用漢字」や「新字体」の正体をはじめて知って、わたしはとても悔しかったです。 -
Posted by ブクログ
少し前に、娘がユスラウメのジャムを作っりました。
ユスラウメって知らなかったので、wikipediaで調べてみました。「櫻」って漢字は、サクラではなく、「ユスラウメ」のことだったらしいです。
古から、言葉、漢字を介在して伝わってきている歴史を言葉、漢字を使わなくなることによって失うのは残念だなぁと思い始めました。
著者の高島氏も同じ思いではないかなと思います。ことば、日本語に対する愛情がとても感じられました。
話の中で興味深かったのは、漢字が入ってきたことによって、日本語の成長(抽象的な概念の生成)がなくなったということです。今までに考えたこともありませんが、どのような言葉を作ったのかなぁと考えると楽しいです。
文部大臣の森有礼氏の「英語採用論」は、ユニクロとか楽天の公用語にも関係しそうですが、明治時代からあったんですね。
個人的には、英語公用語って悪くないと思います。メシを食うために必要であれば、英語を公用語にし、文化としての日本語を残せば良いと思います。シンガポール、インドは微妙だが、同じことをしているアジアの国は多く存在します。これが嫌なら、独立独歩で生きていくことができる国を作らなければならないと思います。
昔も今も外国語に苦しんでいるんだなぁと改めて感じました。
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まだ、成長途中の日本語に抽象的な概念を持つ漢語が入ってきた。
日本語が自らのなかに新しい言葉を生み出していく能力を失った。
「徳」
「義理」は、日本人が生み出した概念。
」
呉音、漢音
呉音は、漢音がくるまで数百年にわたって継続的に入ってきた
。呉音は音がやさしく耳に快い
漢語は音が堅く、ごつごつしている
「老若男女」
ロウリャクナンニョ
ロウジャクダンジョ
平安時代、呉音が排泄された
漢語に取って代われた。
学生:ガクショー -> ガクセイ
音声;オンジョー =< オンセー
p入音
蝶
テプ(tepu),テフ(tefu)、テウ(teu)、チョー(cho)
万葉集
かなはない!
日本語
・和語
やまとことば
本来の日本語
・字音語
漢語+和製漢語
日本語の約85%
・外来語
マイカー
・「混種語」
プロ野球
成敗(漢語)
成功と失敗
成敗(和製漢語)
地位のある武士が使用人を自分の手で殺すこと
文部大臣森有礼
英語採用論
ホイットニー
言語は、主の魂と直接に結びついているものだから安易に放棄してはならない
戦中の日本語議論
アジアに広めていくことができる「日本語」という観点。 -
Posted by ブクログ
日本語における漢字の位置付け、成り立ちから漢字の統廃合の動きなど、使われ方・在り方を時にエッセイ風に著者の私見も包み隠さず語られている。
「和製英語」という言葉があり時に批判の対象になったりもするが、本書で「和製漢語」という言葉が出てくる。中国から入ってきた言葉が日本人によってアレンジされたものだ。例えば「かへりごと」という日本語に漢字の「返事」をあててそれが後に「ヘンジ」と読まれるようになった、など。日本に限らずだろうが、外からきた言葉と元からある言葉が組み合わさって結果その国の言葉になる例はたくさんある。
本書で改めて気づかされたのは、「日本人は漢字を覚えるのに無駄にエネルギーを使っている」という説だ。自分もそう思っていたが、例えば英語と違って日本語は発音が少なく、聞くよりも文字(漢字)で言葉の意味を使い分けていると本書で解説されていて納得した。それぞれの話し言葉に対してその文化に合わせた文字ができており、それぞれ合理性も不合理も持ち合わせているものだと思える。 -
Posted by ブクログ
当たり前だが、日本語には、漢字はなかった。中国から文化が伝わり始めたころ、日本語の表記方法がなかったため、漢字が代用され、しばらくは漢字だけで日本語を表記した。カタカナ、ひらがなが発明された後も、知的水準の高い人々は、漢字のみで日本語を表記した(一部の例外として、本居宣長、紀貫之らがいる)。こういう状況により、いかに日本語が歪になったかを説明、解説するのが本書である。 本書の指摘する最も良い例は、「英語は、音(おん)が意味を表し、それを記述するのが文字である」、「日本語は、音のみでは意味がなく、文字が意味を表す」。つまり、日本語は漢字により、多くの概念を表してしまったため、一つの音が多くの意味を作り出してしまう。例えば、カテイ。家庭、課程、仮定、嘉禎、下底、過程。「それは、カテイの問題でしょ」なんていわれても、意味が全く分からない。 こういう議論の行く末は、決まって漢字廃止論であるが、本書は若干違う。漢字をなるべく使わないようにしましょうということ。上記の例を待つまでもなく、漢字なしでは成り立たないのが日本語であるため、なぜ、今更、なるべく使わないようにしなければならないのか、理解できないが、本の中身自体は興味深い。