高島俊男のレビュー一覧

  • 漢字と日本人

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    韓国語のカムサハミダという言葉を聞いてひょっとして感謝から来てるのかと思いついて以来、漢字を使う国、中国、朝鮮、日本の言葉の関係性が気になって調べた結果辿り着いた本

    すごく面白く痛快で、且つ目から鱗

    でもこの感動を共有できる、同志がいなさそうなのが、とても残念

    ひとりでほくそ笑むしかない。

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    2026年06月03日
  • 「最後の」お言葉ですが…

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    「お言葉ですが…」は、1995年から2006年まで「週刊文春」に連載された人気エッセイ。連載回数はなんと538回! ところが、連載は2006年6月をもって打ち切られた。理由は不明。
    そういうこともあってか、①~⑩巻は文藝春秋から刊行されたが、最後の1年分の⑪巻は別の版元・連合出版から刊行。この⑪巻は久しく文庫本になっていなかったが、2023年、改題されてちくま文庫に入った。全巻の通巻索引(60ページ)付き。全巻を制覇したい人にはvery useful。
    本⑪巻には、ロベルトが再登場する。高島は、大学院生の頃、アルゼンチンからの留学生ロベルトに「論語」の個人レッスンをした。そして30年後に再会。その話が⑩巻にある。本⑪巻には、留学したての頃の彼のエピソードが紹介されている。銭湯で隣にいた全身入墨のニイさんに「これは花キャベツですか?」と聞いたとか。金田一春彦先生が授業で、日本人は食べ物に生々しい名前をつけることはなく、「鶯餅といった優美な名をつける」と言ったら、手をあげて「西ヶ原のパン屋にはヘソ饅頭があります」と言ったとか。ロベルト・オエストは高島より2つ年上。2023年に日本で亡くなった。88歳。

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    2025年05月09日
  • 漢字と日本人

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    漢字がどのように取り入れられ、その後どのような役割を果たし変化したのかが説明されている。
    日本語や英語との関係も話されており非常に面白い。

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    2019年03月09日
  • 漢字と日本語

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    本書を読むにあたってある程度の中国語の知識または好奇心が必要となっているから、そうでない方には読みづらい本かもしれない(そういう人はまず本書を手に取らないか)。ある程度どのような読者を想定して書かれたものかは想像できる。白話文が読めなくても、漢文の知識がある程度あれば(高校生の時に習ったはず)読み進めることができると思います。本書の著者は言葉そのものへの好奇心が強く、言葉を道具としてのみ使う人たち(それが悪いとは思わないけど)とはまた違うタイプの人だなぁと(寧ろ自分に近いかも)。言葉それ自体を掴んだと思った瞬間、手のひらから溢れてしまう、そういう言葉の多義性、言葉を「もの」ではなく「生物」と捉える彼の姿勢は学ぶに値するものだと思う。言語の興味深い事実を紹介するときも決してそれをひけらかすこともなく僕たちに教えてくれる。またその彼自身が言語などを学ぶ姿勢が本書を読んでいる際垣間見えた。彼の言語に対するリスペクトはもちろん、彼が本書で紹介している内容も良い。いろいろと学ぶことがあった。幾つか紹介しましょうか。
    とりあえず高島さんがほかの書物から引用した一節をここに載せておきます。「ことばの意味を記述する上で一番難しいのは、誰もがよく使い、そのためにあらためて意味など考えたこともないような、やさしい、基本的な語です。「ある」「いる」「もの」「こと」あるいは「取る」など、こうしたことばは他のことばの解説中には必ず出てくるものですが、これらを見出しとして、その意味を分かりやすく書くことが可能でしょうか。どうぞ、「ある」ということばを「ある」を使わずにやさしく書くという作業を想像してみてください。」(本文p62 「やさしいことばはむずかしい」より引用)
    はい、もっともなことをおっしゃられていますね(上からものを言ってしまった)。この一節を読んでいる際、以前読んだ「ムカデの話」を思い出した(「ムカデの話」と題された脚ものかどうかは分からない、すいません)。以下の文章は僕が以前読んだ「ムカデの話」の大まかな流れを紹介するので、それを頼りに原典にあたってみてください。
    ある男がムカデに問うた、「君はどのようにして百もある脚(実際にあるかは分からん)で歩いているんだい?」と。ムカデはその問いを前にして歩けなくなったらしい。ムカデは今まで自分がどのようにして歩いていたのかを意識せず、意識しないことで初めて歩けるようになる、らしい。これは我々にも当てはまる話だと思う。もし、我々が我々の使うことばの意味をいちいち定義しなければならない、そういう状況に面したとき我々は我々が今まで当たり前のようにしてきたことのほとんどができなくなるんじゃないかな。僕はそう思います。僕たちが有している便利なものの多くはその構造に疑問を感じたり、その意味を問わないことで初めてその効果が発揮されるんじゃないかな。でも僕個人の考えとしては、自分の使いがちな論理がどういうふうなものなのか自分に問い(答えが得られるとは限らない)たくなる。それでも自分がどうして歩けるか、なんて大真面目に考えたことはない。多分そういう類のことをいちいち考えていったら前述のムカデのようになるんじゃないのかな。
    今までに読んできた文章がこう脳内の引き出しから抽出される、本書はそういう今まで僕が接してきた文章との関連性の高い本でした。また今まで中国語を勉強してきたおかげで、本文で引用されていたものを中国語に馴染みのない人とはまた違った「深さ」で本書を楽しめたんじゃないかな。これから中国語を興味がある方、また漢字が大好きな方(僕は後者ですね)などにおすすめかと。書店などで見かけたら、ぜひ手にとってみて下さい。では。

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    2018年06月15日
  • 漢字と日本人

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    ネタバレ

    前半では、文字の裏付けに依存している日本語という言語的特性が他の言語と比べていかに特殊であるのかという点を、その特性が形成されていった経緯と共に解説しており、後半では、国語改革の不適切性という切り口から、明治以降の日本に蔓延った極端な西洋化志向の問題点を説いている。

    我々日本人が無意識のうちに非常に高度な言語処理を行っている点を意識させられ非常に驚かされた。「日本語にとって漢字は、相性は悪いもののもはやそれなしには生きられないものであり、漢字を捨て去ることなどできない」との筆者の主張も非常に説得力があった。語りかけるような文体のおかげで内容もよく理解でき、非常に面白い本であった。

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    2018年02月04日
  • 漢字と日本人

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    日本語と漢語と英語の比較から入って、国語国字問題など。読売新聞の題字が横書きの理由。語り口が軽妙で読みやすく面白かった。

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    2015年09月08日
  • 漢字と日本人

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    日本語が漢字を導入することでどのような影響を受けたか教えてくれる。日本人が音声を文字に直して言葉を理解するという特殊性が理解できた。他言語の習得が苦手になる原因とも思った。

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    2014年11月30日
  • 漢字と日本人

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    中国から漢字がどのように取り入れられてきたのか
    詳しくよくわかった。
    国語を教える人には必読かも。
    著者さんの思いがゴリゴリに書いてあって
    ちょっと笑いそうになるけど、
    難しい話題の中でもそういう部分があったからこそ
    読み切れた…かも?!

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    2026年08月24日
  • 漢字と日本人

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    もともと日本列島で話されていた言語に、漢字という他国の文字が入ってきたことでどのような変化がおきたのか、現在に至るまでの変遷と問題点について述べた本。最近読んだ新書の中ではぶっちぎりに面白かった。

    印象に残った記述は、漢字が入ってこなければもっと日本語は日本語として成熟していたはず、頼山陽の書いた漢字だらけの文章は文化植民地根性丸出しの酷いもの、明治期には日本語を捨ててフランス語を国語としようという運動があった、現代の日本語は漢字の裏付けがないと、聞いているだけでは意味がわからないものが多い、「旧字体」などと言うが、あれこそが本来の字であり、そもそも漢字を段階的に消滅させるためのステップのために作られた略字が今や正式な文字となってしまっている、などなど。

    日本語は聞いているだけでは意味がわからないのに、なぜ電話でのコミュニケーションが取れるのかというと、日本人は無意識的に適する漢字を思い浮かべながら話を聞くという芸当ができるからだ。確かにそうだよなぁと思うし、外国の方が日本語を学ぶ難しさはここにあるような気がする。

    作者の語口調みたいな文体も読みやすくて、スイスイ読めた。

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    2026年02月27日
  • 漢字と日本人

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     もともと日本には言葉はあったが文字がなかった、そこに漢字を導入したのでどうしても無理があるものだ、ということを説明している。では漢字は廃止してかな文字だけにすればいいのか、というとすでに日本語の中には漢字の意味が多く取り込まれてしまっているので、いまさらそれは不可能だという説明もある。たしかに言われてみれば、無意識に使っているこの日本語の難しさと奇妙な感じは、それなりの歴史と理由があるのだということが分かってくる。そのことをわかりやすく説明してくれている。

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    2025年09月21日
  • 漢字と日本人

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    常用漢字などの歴史を知ることができた。過去の日本人がどのような考えで、漢字とひらがなをどうしていきたかったのか。文字から過去を知ることができた。文字と国の思想は一致する、というけどたしかにひらがなは柔らかく、日本の精神が宿っている。学校の先生はできるかぎり漢字を使いなさいと教えたが、それは本来の漢字の使いかたではないと知った。日本語の音が少ないからこそ、意味を漢字にして伝えやすくする。漢字とひらがなの共存をしていかなければならない。

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    2025年03月01日
  • 漢字と日本人

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    漢字が日本に取り入れられた歴史がおもしろい。

    漢字の音は、3~6世紀の中国南北朝の時代につきあいのあった漢人の南朝から呉音が朝鮮や対馬を経由して入ってきた。平安時代の初めに、遣唐使が学んだ長安の漢語が正音として取り入れられた(漢音)。鎌倉・室町時代には、主に僧侶によって南宋、元、明の頃の漢語が伝えられた(唐音)。

    呉音は、如来や供養、精進などの仏教関係、外科、小児科などの医学関係に残っている。呉音以前の音も、相(さが)、馬、梅、銭、竹などに残っている。

    漢語がngで終わる音を日本語で表現するために、奈良・平安時代には「ウ」「イ」とし、鎌倉・室町時代には「ン」とした。鈴(レイ、リン)、燈(トウ、ドン)、請(セイ、シン)など。奈良より前は、相(さが)のように後に母音を付けた。

    漢語がt,kで終わる一、律、結、日、節、力、直などの音には、「イ」「ウ」を付けた。pで終わる急、蝶などは、最初は「ウ」をつけて「プ」と発音したが、日本語がパ→ファ→ハと変化したことに伴って、「フ」→「ウ」→「ウー」が付くようになった。また、雑、立、執、合、甲、納などのように、日本でpがtに変化したものがある。なお、現代の漢語では、語尾のp,t,kはすべて脱落している。

    仮名は本の行間に書き込みをすることから生まれた。カタカナは、漢字の部分をとって略すことで、ひらがなは漢字全体の姿を略すことで作られた。

    明治以降、西洋の用語を訳すために、音を無視して文字の持つ意味だけを利用した和製漢語がつくられたために、耳で聞いただけでは意味が確定しない同音異義語が大量に生まれた。一方、日本の文字を音標化して漢字を全廃しようとする動きが生まれ、その過程として戦後の昭和21年に使用する漢字を制限する枠組みとして当用漢字が制定された。

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    2024年02月05日
  • 漢字雑談

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    好きな信頼している書き手だったのですが、2年前に亡くなっていたんですね。合掌。
    一本芯の通った硬骨漢で昭和の頑固オヤジのイメージがありました。

    本書でも繰り返し主張してますが、戦後定められた常用漢字は全くナンセンスだと思います。時の権力者が文字についてその使い方を強制するのは、やはりよろしくないと思う。国民性、個々の人間性の否定にもつながりかねない問題です。特にメディアはこの問題については、言葉を使うプロとしてもう少し真剣に取り組んでもいいのではないでしょうか。

    「お言葉ですが」のシリーズはほぼ持っているはずなので、また読んでみたい。積読本の山のなかから見つかればだが・・

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    2023年12月16日
  • 漢字と日本人

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    本来日本語を表記するのに漢字はまったくあっていないというのが高島先生のご意見で、本書もそれが前提で書かれている。日本語と漢語(シナ語)は言語として共通点がほとんどなく、もし日本列島が無文字の時代に漢字とアルファベットが周辺国で使われていたら、日本では間違いなくアルファベットが入ってきたはずなのである。

    さらには、日本語を表記するのに漢字を採用したことで日本語が日本語として成熟する事ができなかったとする。無文字時代の日本語では抽象的な概念を表現するコトバはほとんど無かった。本来はコトバが熟成していく中で、日本語で抽象的概念をあらわすコトバが出来てきたはずが、漢字で表現することを先に覚えてしまい、日本語での語彙がでてくる事がなかったのである。かくして、漢字なしで日本語を表現できるすべがなくなったのである。日常的なできことの表現なら日本語だけで可能だが、抽象的な概念を使っての議論は漢字抜きでは成立しなくなったのである。

    「みる」という日本語にあてられる漢字、見・観・視・看・診・覧・海松・水松、ATOKで変換してもこれぐらいがでてくる。高島先生に言わせるとこんな使い分けは無意味で「みる」と書くべしとのこと。この場合では観るをつかうとか、視るが正しいというような蘊蓄を垂れるのはナンセンスというのである。日本人は「みる」ときいたときに文脈から無意識のうちに該当する漢字を思い浮かべながら意味を理解しているというのであう。言語学では言語の実態は音声であり、文字はその影にすぎないとするが、日本語では文字が言語の実態になっており、漢字に結びつけて理解しないと意味が確定しない状態になっているとする。
    「みる」は「みる」を書いて、一々漢字をあれはめる必要はないというのが先生の主張である。例えば英語で「take」はつかわれる文脈でいろんな意味を持つが、英語で「take」を書くときに意味に応じたかき分けがあるわけでは無く「take」はtakeとしか書かれない。

    最後の数章は日本での漢字廃止運動について書かれている。先生も、和語を書く際には、一部のものはのぞいて仮名で書くのがよく、和語を漢字で書くのはよろしくないとする。しかしながら『「山」「水」「人」「家」のごとく、字もやさしく、またその意によってあてているものは、ながく習慣にもなっていることだからやむを得ない。特に「手」「目」「戸」「田」「根」「木」など一音のものはかながきするとまぎれやすいのでしかたがない。』とし、音読熟語についても漢字を使わざるをえず、この場合は「ほ乳類」「は虫類」といった書き換えはせず「哺乳類」「爬虫類」と書くべしとする。常用漢字はあくまでも漢字使用の目安で一般の社会生活で使われる日本語が対象だが、新聞社等マスコミがこれ幸いと使う漢字を制限しているという。一々活字を拾ってきて製版していた時代に使う漢字を制限するのは出版業界としてメリットがあったろうが、電子製版の時代にそのような手間かからなくなったのにである。

    で、感想。高島先生の御説ごもっとも、であります。が、漢字が日本語をさらにゆたかにしてきたという事はありそうに思う。もともとの経緯はともかくとして漢文が日本文化にはたした役割とか見・観・視・看・診・覧といった使い分けが表記としての日本語をより豊にしているということもありそうである。いま「漢文の素養」加藤徹著をよんでいるが、漢字の果たした役割について高島先生とは違う観点からの考え方を知ることができそうである。

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    2021年07月03日
  • 漢字と日本人

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    言語と文字に着目し、日本語について述べられた本。著者は、日本語が世界でおそらくただ一つの極めて特殊な言語と言う。言語とは本来、音声であり、文字はその影に過ぎないのであって、世界には文字なき言語も存在する。しかし日本語には明治以後の和製漢語の増加により同音違語が多数存在するようになり、日本人の話は、音声を手がかりに頭の中にある文字を素早く参照するプロセスを繰り返しながら進行する。それは、日本語は音韻組織が簡単であるため、漢字の異なる音が日本語では同じ音になり、したがって一つの音が指し示す文字が多いからである。「キシャのキシャ、キシャでキシャ」はどういう意味か、ということである。日本は文字として漢字を輸入したが、当時、選択肢としてアルファベットがあれば、間違いなくアルファベットを採用したとの意見も興味深かった。

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    2018年11月26日
  • 漢字と日本人

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    ネタバレ

    十一月の三日は、祝日でちょうど日曜日です。

    本書にある、日本語がいかに具合の良くない状態にあるかを示す一例だそうだ。
    よく考えてみると、まぁ確かに。

    明治維新以降の国字の扱いがまずかった。とする点はぼくもそう思う。が、彼の「漢字をアテたのは重荷」という主張は違うと思う。

    日本語母語話者には重荷になってない。
    非日本語話者が日本語を学ぶときに障壁になる?なりますよそりゃ。

    漢語を取り入れたことで、"本来迎えるはずだった独自の言語体系変化"は無いものになった。

    これも違うと思う。非母語の語彙を母語に混ぜて使う、変化できることばなんだ。
    取り入れて独自に発展させるのが特色なんだ。漢文化的思想になった、大いに結構じゃないか。


    と、不勉強から思う部分がおおく、非常に刺激的だった。まさに碩学でした。文字学?というものが確立されてるか分かりませんが、書記に関して理解したいと思う足がかりとなりました。

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    2018年09月13日
  • 漢字と日本人

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    漢字が日本に入ってきてから、この文字がいかに日本で変質いったかが分かりやすいです。
    入ってきたものを日本風に改造して、それを爛熟させてしまってから、元のかたちに戻そうと悪あがきするのは、文字に限った事ではないと思いますが、いかにも日本的だと思います。

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    2016年08月18日
  • 漢字と日本語

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     日本語と漢字は切っても切り離せない関係だ。と言っても昨日、テレビ番組で反省して謝罪したあの人のような不適切な関係ではない。


     たとえ、漢字自体は同じでも意味が違うことがある。例に上がっているのは、写真。日本語だと透明無色だが、中国語になると色がつく。しかももやもやしたわいせつな色が。ズバリ、「エロ写真」を意味する。もともと中国語には、「照相」という語があり、できた写真を「照片」と言う。そのような事情から、日本から入った「写真」の意味は特定のものを現す意味になった。


     ここでは例に上がっていないが、「愛人」も違う意味になる。日本だと秘密の香りが漂ってくるが、中国語の「愛人」は、奥さんのことを意味する。これだけ違うと相互不理解が生じる可能性がある。


     漢字と日本語も掘り下げていくと、奥が深い。感じが日本にもたらした影響は非常に大きい。 

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    2016年05月14日
  • 漢字と日本人

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    日本語の中に、中国から伝えられた漢字を取り入れた歴史的経緯と、そのために日本語が抱え込むことになった構造的問題を論じた本です。

    軽妙洒脱な文章ですが、現代における日本語をめぐる種々の混乱を小気味よく批判しており、たいへん興味深く読みました。著者の結論は、「漢字は、日本語にとってやっかいな重荷である」が、とはいえ「日本語は、これなしではやってゆけないこともたしかである」ということで、イデオロギー的な漢字廃止論にはとうてい及びもつかない、日本語についての深い洞察に裏打ちされていて、説得力があります。

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    2015年10月07日
  • 漢字雑談

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    著者の膨大な中国語の知識をベースにした日本語の解説が満載だ.「本」で読んだ記憶のあるものもかなりあった.1946年の常用漢字制定は愚策だという論評に大賛成だ.身体障"碍"者を障"害"者と書くのは止めたい.指摘のあった 広汎な、潰滅、苛酷、臆病、名誉毀損、失踪、嗅覚、肝腎、長篇.これらは「Google日本語入力」の辞書に完備していたので安心した.

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    2013年10月04日