鈴木智彦のレビュー一覧
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知らなかった事実があり、それはやはり東電が隠蔽しているもののひとつであった。
こういった地元に根付く事業だからこそ絡んでくる伝統的な村の体質。まさに昔よく言われていた村八分のようなしがらみ。
今もう原発はできてしまっていて、誰が悪いかとかいう話ではない。
ただわかりきっているのは、もう原発は終わりにしようということ。
例えば、原発を再稼働しないと決めた自治体には政府もしくは県がなんらかの優遇をする。そうをしてでも止めるべきだと想う。
マスコミは「線量」の話しかしてないけど、実際にそれよりも問題なのは「汚染」。この言葉が深く心に刻まれる。
日が経つにつれ、どんどんこの汚染のレベルも緩和され、きっと将来的に汚染された車などが全国各地に広がって、それがまた将来的に被ばくを広げる。
ありえないくらいの汚染をされているのに20キロ圏外を走る車。それはもう汚染を散布しているのと同じであろう。
原発をみなの力で無くそう。地震や台風など自然災害が多い日本にはもはやあってはならない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ福島第一原発の事故後作業員としてマスコミ関係者として潜入に成功。被曝しながらの命がけのルポである。
最も衝撃的だったのは最後の最後第二原発の汚染の程度を書いた部分である。第2原発はぎりぎりセーフだったと聞いているが、本当にぎりぎりだったことがわかる。
本書のタイトルはヤクザとついており、著者も長年ヤクザ関係のルポをしてきただけあり、今回もヤクザルートでの潜入となったのだが、実は本書はヤクザヤクザしていない。むしろ原発原発である。
原発というものがいかに嫌われ者でかついかにお金を生み、そして他の巨額の公共工事と同じ性格をおびているかがわかる。
税金がドンッと投入されるところに政治家もヤクザも地元財界も参集するそれだけのことである。
そして原発は経済的弱者をつくり、経済的弱者により支えられ、メーカーもお国のためにやっているという矜持だけが支えとなり、誰のためにもならない原発がつくられていたのであった。 -
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筆者は「殺し屋1」も舞台のモデルとなった歌舞伎町のヤクザマンションに事務所を構え、加納貢氏を居候させ、関西の手本引きの賭場に潜入、果ては九州の抗争事件を追いかける…。体を張って書かれた貴重な記録です。
筆者はフリーライターとして独立する前に業界誌として名高い「実話時代」にて修行を重ね、姉妹誌(もしくは兄弟誌?)にあたる「実話時代BULL」の編集長をやっていらしたという「筋金入り」の方で、フリーとなってからは自ら彼らの懐に飛び込むために「殺し屋1」という漫画の舞台になった通称「ヤクザマンション」のモデルになったといわれるマンションに仕事部屋を借り、日常的に彼らの生態や行動原理、そして暴力の現場を見ることになります。
やはり、僕にとってのハイライトは2つ。ひとつは、上の階のベランダから「その筋」の方が降ってきて現場検証のために筆者の仕事部屋が使われたという箇所。「非日常が日常」の歌舞伎町でも最先端の危ない箇所に身を置いたからこそ、こういう現場に出くわし、また彼らの懐に飛び込んだからこそ徹底した組織人である彼らが筆者に胸襟を開いたのだな、という部分がいくつもあって、それがやはり、テレビや新聞などのマスコミではなかなかうかがい知ることのできない「余人を持って変えがたい」ものであると感じ入ってしまいました。
2番目は、「ジュクの帝王」の異名をとった加納貢氏の晩年を筆者が世話していた、という箇所で、一時は肩で風を切って歩いていた加納氏が最後のほうになるにつれて、孫ほど歳の離れた筆者に「醜い」と断言され、歌舞伎町の片隅でひっそりと亡くなっていく…。そこにはなんともいえない後味の悪さとともに
「かっこいい理想を口走り、それを最後まで貫くなら、孤独な死が待っている。加納の死はその事実を私に教えてくれる」
という一文は、ある種の真理を突いているのかもしれません…。
歌舞伎町の事務所を引き払った筆者は「本場」と呼ばれる関西。しかももっともディープといわれる大阪は西成に拠点を構え、手本引きの賭場という私たちには想像だにしない世界に飛び込んだり、九州で起こった抗争事件を追いかけるという自身の活動を通して、俗に「暴力団」といわれる人たちがいったいどういうものであるかということを伝えてくれております。
筆者は最後のほうで、「自分がここまで暴力団を追い続けてきたのは単なる好奇心だったと分かったからだ」という述懐を、なんと彼らの事務所の中で書いていて、その執念にひっくり返りそうになったのと、彼や、溝口敦氏のような存在がいるからこそ、私たちが決して窺い知る事のない世界が見ることができるわけで、その点においては非常に感謝もし、また自分にはできないんだな、ということを思い知った次第でございました。 -
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この著者の他の本が読みたくなった。
著者は鈴木智彦さんというライター。
暴力団関係の記事のライターとしていろいろな経験?体験?をしてきたらしい強面の人(表紙の絵からの想像)
その人がある日「ダンシング・クイーン」を弾きたいと思い、ピアノ教師を探すところから始まる。
そして「レイコ先生」と運命の出会いを果たして・・
スイスイ読める。
なぜ、スイスイ読めるかというと、文章がまっすぐで、著者の感動、戸惑い、驚き、喜び、焦りなどの感情がまっすぐ読者である私に伝わるからだろう。
ピアノの世界のことを時々、ヤクザの世界と例えるのもおもしろい。
そして、発表会の練習ができなくなる理由が「ヤクザの抗争激化」というのもおもしろい。
でも、でもだ!
音楽が好き!ピアノが好き!ピアノが弾きたい!!という気持ちはもの凄くものすごく純粋なのだ。
そして特に「レイコ先生」が素敵。
で、もってレイコ先生を敬愛している著者の姿も素敵。
「好きなことがやりたい」「うまくなりたい」「憧れ」「美しいものへの感動」そんなものには年齢も性別も関係なくそれって「人間の魂」そのものだな。
と、思った一冊。
こんなに熱く語ったが、気軽に読めるのでみんなに読んでほしい。 -
Posted by ブクログ
村井理子さんのXで見かける鈴木さん。
あれまだ本読んでない!と読み始めたらすごく良かった。
タイトルからして、ギャップものということはわかるのだけど、ダンシングクイーンを弾きたいという同じ気持ちになって、一気に読み終え、最後動画見て号泣。
時折ヤクザ対応しぐさに笑い、レイコ先生の指導や言葉に胸を打たれ、ルポライターらしくピアノ歴史のリサーチや練習内容もかなり時間をかけていることが伝わってくる。
庶民にとって習い事やらせてもらえなかった話はよくあるけれど、それなら大人になった今、思い立ったらやればいいじゃない!ということなのよね。
You can dance!! -
Posted by ブクログ
誰も住んでいない実家に何年も調律もされないまま置かれているピアノを思い出した。
今もピアノを日常的に弾いている友人が複数いる。その人たちは大学で専門的に勉強した人たちだから、そもそも自分と比較はできないが、自分はどこでピアノと離れてしまったのか。
この本を読んで、再びピアノを弾きたくなった。でも著者ほどの情熱はないから、思ってるだけになるだろう。
自分とピアノの関係を考えたことがなかったので、なんか寂しい気持ちになった。
歳をとって、ずっとやりたかったことを始めるということはとても素晴らしい。一歩踏み出す勇気というかきっかけがある人は幸せだと思う。勇気はもちろんその人自身から出たものだし、継続も全員ができるものでもない。
あれ?この本を読んで元気が確かに出たのだけど、なんか暗くなってしまってる… -
Posted by ブクログ
著者の名前は知っていたが、本は初めて読んだ。
徹底的に取材をしようとすると次々にすることが出てきて、なかなか本を書き上げることができないという話が初めの方にあって、この本に関してはピアニストとか調律師とか、音楽教室とか、ピアノメーカーとかに取材をしないでください!と編集者に釘を刺されているので、短めに収まってはいるが、それでも参考文献は30冊(全てピアノ、音楽関係の本)。これが取材OKだった日にはもっと読んだに違いない。このような本を書いても一冊も読まずに書くライターもたくさんいるわけで、著者の書く上での姿勢を感じて、「この人は信用できる」と思った。
音楽のことなのに比喩がヤクザになっているので、思わず笑ってしまうところがたくさんある。
日本の音楽教育が、音楽を楽しむことのハードルを無駄に上げていることなども、本当にそうだなと思った。
しかし何より共感したのは、ヤクザから殺すぞと脅されるようなことがしょっちゅうある人でも、発表会は緊張するってところ。ヤクザから脅されることに比べればピアノの発表会なんて命の危険は全くないのだから、余裕なのかと思ったが、そんなことはないのね。安心した。自分が緊張してもいいんだ、とこれを読んだ人はみんな思っただろう。
発表会では緊張のあまり数小説ぶっ飛ばしてしまい、「いつも練習の時は弾けるんです!」っていうのもあるある。
楽器演奏にあこがれながらも、今更無理だろうとあきらめてきた多くの大人たちに勇気を与える、素晴らしい本だった。
著者の容貌を知ると、生徒としてすぐに受け入れたレイコ先生の肝っ玉の太さにも感心した。
「人間の魂がどこにあって、どんな形をしているのかはわからない。が、レイコ先生のピアノを聴いていると、魂が歓喜に震え、俺の身体と不可分に存在していることがわかる。もし人間が肉体を捨て記憶のすべてを外部メモリーにコピーしても、音楽に感動する魂までは複製できない。ならば人間は機械に負けない。芸術を理解できないAIなど恐れるに足りない。」(p39)
願わくば、鈴木さんがピアノを続けていますように。(実は続けるのが一番難しいんだな…。)