藤田達生のレビュー一覧
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前半の幕府創成期の話が興味深い
近年の研究で秀頼の支配は慶長年間も大きく
1)豊臣蔵入地(直轄領)小豆島ほか継続支配
2)官位は慶長13年には左大臣
3)家康も慶長8年まで秀頼に拝謁
家康の支配固め(秀忠への継承)
慶弔16年:家康が諸大名に誓詞を提出させた
1)岡本大八事件:本田正純にダメージ
2)長安の死後反撃して大久保忠隣失脚
3)キリシタン禁令(大坂の陣のきっかけ)
4)忠輝事件(義父は政宗)将軍家確立
藤堂高虎は支配がまだ流動的な時代、豊臣方と
徳川方をつなぐことができる唯一の大名であり
家康との信頼関係が心地よく、戦国の香り残る
時代に涼風を感じさせる -
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我々は通常、室町幕府→戦国時代→信長の登場→秀吉・家康という分権から集権化を歴史の必然の流れとして見がちだが、実はまったくそんなことがなく、信長の天下統一構想という極めて”非常識な闘争”がなければ、その後の集権化などはまったくあり得なかった、ということを実にマニアックに紐解く、歴史学者が書いた新書。おもろい。
この信長の非常識路線に対して、当時の常識人(足利義昭、本願寺、武田信玄、毛利輝元等)がどう考え対抗したか、特には義昭が中国地方に打ち立てて"鞆幕府"に注目して解説している点が興味深い。
また、豊臣秀吉の天下統一のかなり細かい過程と、検地、刀狩、城の棄却、鉢植え大名 -
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≪目次≫
序章 天下統一を問い直す
第1部 織田信長の天下
第1章 室町幕府の復興
第2章 二重政権-鞆幕府と安土幕府
第3章 黎明期の革命
第2部 豊臣秀吉の仕置
第4章 天下分け目の戦い-小牧・長久手の戦い
第5章 西国平定戦と集権国家
第6章 東国・奥羽平定戦と天下統一
終章 天下統一がもたらしたもの
<内容>
当初はやや批判的な目で読んでいたが、やがて謎解きのように歴史事実が組み合わさっていき、納得の結論に。
信長とその後継者、秀吉の集権化と実力主義が「革命」という。旧来の大名たちの右往左往。信長はその渦中で明智光秀に討たれたが、秀吉は国内は成し遂げた -
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実は海賊について数年前まではまったく興味を持っていませんでした。勿論、水軍にも瀬戸内の歴史にも。浅海という海賊がいることを知るまでは。自分が浅海という姓を持ち、父方が山口出身であることから俄然興味を持ち出したのです。
一昨年は山口県の平郡から伊予の浅海まで足を伸ばしました。
まだ表面的な僕の知識では理解が及ばないことの多い一冊でしたが戦国時代生き延びる為の諸氏の動き、秀吉の廃止令の意図、これからまた海賊等の歴史を追っていく為の貴重な指針となりました。書棚に大切に取っておきます。特に補足資料に浅海という名前を見つけてホッとしたり、生き残りの過程に身をつまされる思いがしました。ここにある浅海勘助と -
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司馬遼太郎氏は長年「街道をゆく」を記したが、街道が整備された江戸時代以前は海運が物流の中心だった。「半島は陸のどん詰まりだが海の玄関口」ということで「半島をゆく」と題して各地の半島を訪れている。
本書に収録されているのは、知多半島、薩摩半島、能登半島、沼隈半島、伊豆半島、志摩半島。
本能寺の変の背景にもふれている。2014年6月に「石谷家文書」の中に斎藤利三宛の長宗我部元親の書状が発見される。長年親密な関係だった長宗我部氏が、目前に迫った信長の攻撃で危機的状況に追い込まれた。長宗我部氏を支持する光秀と、阿波を支配していた三好氏と通じる秀吉の派閥抗争があった。光秀は自らの派閥解体の危機に瀕した