日高敏隆のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
初めて日高先生の著書を読みました。
「面白い」より「興味深い」という言葉がぴったりな本でした。
10のエッセイと御退官時の講演を読み、考えることができます。
意味が深すぎたのか一度では私の理解が追いつかず、何度も読み返す文がありました。それでも噛み締めるうちにじんわり染み渡ってくる、そんな内容です。
イマジネーションとイリュージョン、自然の中での人間についてなど
多くのことを考えさせられました。
色々な問題が生じている現代だからこそ、日高先生の考え方やものの見方を
あらゆる価値観の中の1つとして1人でも多くの人が共有できていると
もう少し世の中に柔軟さが生まれるのかなと思います。
私もいつか日高先生にお会いしたいと思いましたが叶わないのだなと読みながらふと悲しくなりました。
本書の中で紹介された
「ソロモンの指環」
「尾行類」
「裸のサル」
「機械の中の幽霊」
「生物から見た世界」
(もし抜け落ちている本がある時は教えていただけると嬉しいです)
も、とても面白そうだったので少しずつ読んでいきたいです。 -
購入済み
蝶は飛び、ヒトは歩く
子どもの頃、ぼくはいわゆる昆虫少年で、昆虫採集に明け暮れていた。小学校の高学年になる頃には、蝶ばかり、それもアゲハ科の蝶ばかり追いかけていた。ちょうどその頃、この本が出版され、ぼくの本棚にやって来て図鑑の隣に収まった。
残念なことに当時のぼくは、この本の面白さを十分に読みとって味わうことはできなかった。ただ蝶の美しさに魅せられていただけだったし、蝶がぼくの目の前を飛んでいたから追いかけていたのに過ぎなかった。
しかし、なぜ蝶はそこを飛んでいたのか。飛びながら何をしていたのか、なぜそのような飛び方をしていたのか……?
この本は、明らかにされた情報を知識として紹介する図鑑や解説書のような本とは趣を異にする。なぜと問い、仮説を立て、調査して、条件や交絡を検討する。科学的な探究の物語である。その過程では、うまくいかなかったことにも、結果が得られなかったことにも、意味があり価値があることを教えてくれる。
約50年ぶりにこの本を読んでみた。今はもう昆虫採集に出かけようとは思わないが、散歩をしているときにふと蝶を見つけて、蝶はなぜ飛ぶのかと眺めている自分がいる。翻って、自分はなぜ歩くのか考えてみる。生きものには、意識や意図をこえた営みというものがあることに思いを馳せながら。 -
Posted by ブクログ
物事の見方、考え方の習慣を一新してくれる可能性のある本です。気になったところを転記します。◆「宙(そら)に浮くすすめ」人間は理屈に従ってものを考えるので、理屈が通ると実証されなくても信じてしまう。実は人間の信じているものの大部分はそういうことではないだろうか。いつもぼくが思っていたのは、科学的に物を見るということも、そういうたぐいのことで、そう信じているからそう思うだけなのではないかということだ。何が科学的かということとは別に、まず人間は論理が通れば正しいと考えるほどバカであるという、そのことを知っていることが大事だと思う。そこをカバーするには、自分の中に複数の視点を持つこと、一つのことを違った目で見られることではないかと思う。自分の精神のよって立つところに、いっさい、これは絶対というところはないと思うと不安になるが、その不安の中で、もがきながら耐えることが、これから生きていくことになるのではないかと僕は思う。◆「コスタリカを旅して」人間は環境を破壊するものだ。そうはっきり認識しておくようが、よっぽど自然を守ることにつながる。守っているといいながら破壊している人間がたくさんいるのだから。◆「いろんな生き方があっていい」。人間には自然を破壊することはできてもコントロールすることはできない。ある時代から人間は、科学の力で自然を制御できると思い始め、いまもそう信じているが、それは根本的な間違いだ。自然には人間がわかっている以上のたくさんの変数があり、自然をいじってダメにすることはできるけれども操ることはできない。◆「行ってごらん、会ってごらん」◆「イリュージョンなしに世界は見えない」。ユクスキュルのダニの環世界を書いた本。人間は人間の環世界、すなわち人間が作り出した概念的世界に生きている。人間には、その概念的世界、つまりイリュージョンという色眼鏡を通してしか、ものが見えない。◆「じかに、じっと、見続ける」。僕は養生というものをしようと思ったことがない。
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Posted by ブクログ
1900年代前半に、ほぼ野生状態の動物と共に過ごしたすごい動物行動学を成立した人の自伝的なやつ。
実際にその人が体験したエピソードがてんこ盛りでとてもおもしろい。ガンの鳴き声を把握して会話できてるのがもはやおとぎ話かのよう。
そこらの沼から水をひとすくいしてアクアリウムを作るという話を読んで自分もやりたくなったが、今はそんな池や沼なさそうなんだよなぁ…
肉食動物は、うなり合うだけで実際に殺し合ったり、弱い相手を殺すまで戦うということはなく、勝敗が決まった段階でもう争いは止まるものだが、ハトなど、相手を傷つける力を持たず、逃げ出す力を持つ動物を檻の中など「逃げられない環境」に置くと、弱いほうがいじめ殺されるという、平和の使者ならぬことになる。
というエピソードがとてもおもしろかった。 -
Posted by ブクログ
副題にある通り、動物行動学入門としての名著中の名著。
学者らしく教養深く、かつ、自然動物への愛にあふれた文章に満ちている。
科学的な姿勢と、ユーモアあふれる詩情豊かな表現が両立する事を教えてくれる。
科学者のエッセイや文章というと、高度に知的である人の書くものでとっつき難いかもと思ってしまう。でも、この本はとても読みやすい。愛情深く自然と生き物に寄り添い、その自然のままの姿を愛するローレンツの文章は、特に泣かせにかかっているわけでもないのに、自然と涙が浮かんできた。ハイイロガンのマルティナの話は、とくに。
ソロモン王の指環が無くても、動物を理解する事は出来るのだ。 -
Posted by ブクログ
利己的な遺伝子、ホトトギスはどうやってホーホケキョ と鳴くのか。他のホトトギスから話して育てた鳥に、カラスの鳴き声を聞かせても興味を示さないが、ホトトギスの声には耳を傾け、学習する。環境か、遺伝か、というが学ぶべき内容が遺伝で決まっているのだ。
その他、textureや倫理の話が印象的。
視覚から触覚を感じる、texture. それを彼は冬から春の山に見出す。なんとも言えない、ふっくらとした春の色。
青砂浜辺の美しさは、偶然により創り出されたもの。自然の倫理、人間の倫理、建築の倫理様々のものがあるが、どれかを通すのではなく、そのやりとりの中、共生の中で新しい美しさが生まれるのではないだろうか。 -
Posted by ブクログ
『はだかになり野生に帰って、野生のガンたちの群れの社会に溶け込み、ドナウの堤であるきまわったり泳いだりするのが、私の研究の本質的な部分を占めていた。なんと幸福な科学だろう』(P170)
著者のコンラート・ローレンツは、オーストリアの動物行動学者。
動物とともに生活し、刷り込みなどの研究を行い、ノーベル生理学・医学賞を受賞する。近代動物行動学を学問としての基礎を築いた。
題名である「ソロモンの指輪」は、旧約聖書のソロモン王が「魔法の指輪をもち、獣、魚、鳥たちと語った」と(※これは誤訳で、正しくは「大変な博識で、獣、魚、鳥たちについて語った」なのだが)いう記述からとっている。
読んでいる印象でのコンラート・ローレンツは、動物になると周りの目を気にしないし、挿絵も文章もユーモラスな印象。しかし写真のコンラート・ローレンツはまさにゲルマン紳士という外見なので、この紳士博士が鳥に警戒されないために毛むくじゃらの悪魔の着ぐるみで鳥小屋に入ったり、カモの母親代わりとして奇声を挙げながら屈み込み歩きをしていたり、という姿とのギャップにちょっと頭がついていけない(笑)
研究内容もさながら文章能力が非常に素晴らしく、読みながら唸ったり声を上げて笑ったり感動したり…と非常に楽しめた。
挿絵も面白く、カラスが餌を持ってきて食べさせてくれようとするんだけど、草と虫を唾液でグチャグチャにさせたものを口や耳に突っ込まれて「ゾワワワ〜〜」となっている姿などは思い浮かんで笑ってしまう。
最終章で、動物による攻撃から、「人間は今後相手を完膚無きまでに叩きのめす方向になるのか、力の差を認識試合紳士的な降参と許容が行われるのか、どちらだろう?」と問いかけている。
以下自己索引用に各章メモ
『動物たちへの憤懣』
幼い頃から動物に対して尋常ならざる愛情を持っていたコンラートが送るローレンツ家の日常生活。家中で動物たちが放し飼いになっているため、絨毯が糞だらけになったり、自分たちの子供を檻に入れて動物たちの爪から守ったりのでした。
『被害を与えぬものーアクアリウム』
動物を描いたいけれど、↑のように家中を汚されたくない、人間に被害を与えない飼育として、アクアリウムの紹介。きちんとした環境を整えれば、川の生態系と同じ物が作れる!
『水槽の中の二人の殺人犯』
そんなアクアリウムに入れてないけない殺人者(殺魚者だけど)、ゲンゴウロウの幼虫とトンボの幼虫(ヤゴ)について。その食事の仕方の違いとか。
『魚の血』
魚の闘い方、結婚や子育てのこと。魚も互いを個体として判別しているのか?の実験では、夫婦を取り替えてみたりと興味深い結果が出ている。このあたりの記述は事情に面白くて唸りながら読んでしまう。
『永遠に変わらぬ友』
雛から育てたコクマルガラスについて。鳥が人間を番相手として求愛したり、餌を運んできたり。鳥の集団生活における鳴き声の違い。鳥社会の順位の付け方など。面白いエピソードとして、番だったカラス夫婦のオスにちょっかいを出してくるメスが出てきてしばらくは三角関係を繰り広げ、最終的には夫と愛人が駆け落ち?してしまったんだとか。
もうこの観察記と文章力には感嘆の声をあげながら読むしかない。
『ソロモンの指輪』
動物と人間とのコミュニケーショについて。犬や馬が、相手(人間でも動物でも)のちょっとした仕草や雰囲気で相手の意図を読み取ることができる様子を驚きを持って観察している。さらに言葉を”話す”鳥たちのびっくりするような学習面。怪我をしたオウムが自分が怪我をした理由を人間の言葉で説明した(おそらく助けたらてたときに人間が言った言葉を一度で覚えて発音した)という事例など。動物行動学者は鳥の言語(鳴き声)を理解しているが、カモに向かってガン語を発してしまった!などという、動物学者にはわかるらしい大笑いエピソードとか。
『ガンの子マルティナ』
生まれたときにコンラート・ローレンツを見たため、母親と認識したガンのマルティナとの交流と観察の日々。ただただコンラート・ローレンツを慕うマルティナの姿は感動的。
『なにを飼ったらいいか』
ペットには何を飼ったら良いのか?というエッセイ。同じ鳥、同じ小動物であっても種類に違ってぜんぜん違うからね!ということを書いている。
『動物たちをあわれむ』
動物園や家庭で飼育の動物のことなど。でも家から逃げた動物は、自由になりたいわけではなくて本当に家がわからないんだよ、という事例もある。
『忠誠は空想ならず』
ローレンツ夫妻はお互いの飼い犬の事で喧嘩になった。だってコンラートの飼い犬はオオカミ系のシェパードで、妻マルガリータさんの飼い犬はジャッカル系のチャウチャウで、性質がぜんぜん違うんだ。…というわけで犬のことについて色々。なお、夫婦喧嘩は、コンラートの犬の息子が、マルガリータの犬の柵を食い破って結婚したことにより一応解決し、さらなる研究に前向きなコンラート博士でした。
『動物たちを笑う』
動物を笑うときは、動物に人間を見るからだよね、というエピソード。
『モラルと武器』
非捕食者であるウサギやハトは、喧嘩になったときには相手の毛を毟り皮を剥ぎ弱った相手をさらに押さえつけ完膚なきまでに叩き潰す。捕食者であるカラスやオオカミは決定的な殺し合いになる前に力の差を認識試合紳士的な降参と許容が行われる。
さて、人間は今後どのような関係を作ってゆくのだろう?ウサギ型だろうか、オオカミ型だろうか。