日高敏隆のレビュー一覧
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ネタバレ一言、すばらしい名著である。故日高敏隆氏の名著の復刻盤。きれいなチョウの写真つきである。文章では幼いころからの疑問を淡々と”調べた”と記載しているだけだが、この調査にどれだけの長期間を要したのであろうか。チョウがこれほどまでに奥深い生物だとは知らなかったし、こんな疑問すら持たなかった自分が恥ずかしい。
”チョウはなぜ飛ぶか”との回答は実にあっさりしており、むしろその他の疑問の解決の方が多い。
でも、疑問に対してとことん究明していく姿は見習わねばならないと痛感し、自嘲しました。
”ソロモンの指環”同様、ひろくみんなに読んでもらいたいです。 -
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リチャード・ドーキンスの《利己的遺伝子》の影響をかなり感じる一冊。全ては遺伝子が望んで起きていること。そして、その通りになることで全てが上手く回るのだ。
しかし、そんなアダム・スミス的、リベラリズム的な自由放任主義が最適解なのか…
『人間は本当に動物なのか?』
本の前提は人間も動物の一種であることのはず。だが、読み進んで行くうちに「そんな単純な話じゃない」と気がつく。気がついてしまった。
この場で、すぐに評価してしまうのは気が引ける。気になる以下の2冊の本を読んでからのまた考えよう.…
・リチャード・ドーキンス『利己的遺伝子』
・ジャック・デリダ『動物を追う、ゆえに私は動物である』
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一風変わった性格の子どもだったので、環世界というものの見方で一人遊びをしていた記憶があります。
虫に対しても動物に対しても人に対しても、私主体にならないようにできる限り虫、動物、他人目線になるように集中して大真面目に取り組んだ覚えがあります笑
その頃にユクスキュルの本に出会っていれば、もっともっと楽しめただろうなと惜しい気持ちです。
どの章も面白いが、特に好きな章は「なじみの道」。
その章までに読んだことを踏まえると、盲導犬の素晴らしさがよくわかります。
小さな生き物から大きな生き物まで、さまざまな生き物の環世界を感じることができて最後までずっと興味深く読めました。子どもには少し難しい表現もあ -
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友達と筋トレしてサウナ行って二郎食ってカフェでも行くかって時に本持ってなくて、本屋行って見つけた。ユクスキュルの「環世界論」が何冊かで引用されてて、大事そうだからいつか抑えよーって思ってたら目黒の有隣堂に置いてあって購入。『暇と退屈の倫理学』は覚えてるんだけど、他何で引用されてたっけかな。
人間は客観的世界という「環境」を常に想定していて、その中に全ての生物が詰め込まれていると考えている。しかし実際は、生物はその主体そのものに固有の「環世界」という主観的現実を生きていて、客観的対象は主体への刺激(厳密ではない)としてしか存在していない。(→主体が受け取れる刺激を発さないものは、環世界内に存在 -
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人と生物(動植物のことだが本書では主に動物)の関わりについての一考察。人と生物を比べる、あるいは生物の活動を解釈する際に、どうしても人の基準で見てしまう。すなわち、目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅いで、舌で味う、など。しかし、よく知られているように犬の嗅覚は人の何万倍も鋭いのだから、感じ方や解釈の仕方が異なるはず。昆虫が複眼で見ている世界は色も見え方も違う。猫は目が見えなくなっても、髭さえあれば大抵のところは移動できる。イソギンチャクは触覚で動くものと動かないものを見分け、天敵のヒトデが近づくと防衛姿勢をとる。人間の世界も同様で、価値観を共有するもの同士、などという考え方は、甘いのかもしれない。
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インターネットで「男女の世界の見え方の違い」というような画像を見たことがある。主には性的な視線の違いを面白おかしく誇張した内容だが、それ程おかしくもない、こんなものかなーという感じだった。人間は、目に入る世界に意味づけをして知覚する。∵を顔として見たり、飾り付けたケーキを美味しそうに感じたり、逆に牛や鶏そのものには食欲をそそられなかったり。生得的に意味付けされたものが、母親、危険な発色、異性などのシグナルだろうか。これが、人間と動物、昆虫で違う。実存世界や観念世界とも違う、環世界という、タイトルの生物から見た世界のことだ。
この環世界の見え方から、下等な生物は、単に知覚して反射的に運動する「 -