日高敏隆のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
リチャード・ドーキンスの《利己的遺伝子》の影響をかなり感じる一冊。全ては遺伝子が望んで起きていること。そして、その通りになることで全てが上手く回るのだ。
しかし、そんなアダム・スミス的、リベラリズム的な自由放任主義が最適解なのか…
『人間は本当に動物なのか?』
本の前提は人間も動物の一種であることのはず。だが、読み進んで行くうちに「そんな単純な話じゃない」と気がつく。気がついてしまった。
この場で、すぐに評価してしまうのは気が引ける。気になる以下の2冊の本を読んでからのまた考えよう.…
・リチャード・ドーキンス『利己的遺伝子』
・ジャック・デリダ『動物を追う、ゆえに私は動物である』
-
Posted by ブクログ
ちょっと変わった性格の子どもだったので、環世界というものの見方で一人遊びをしていた記憶があります。
虫に対しても動物に対しても人に対しても、私主体にならないようにできる限り虫、動物、他人目線になるように集中して大真面目に取り組んだ覚えがあります笑
その頃にユクスキュルの本に出会っていれば、もっともっと楽しめただろうなと惜しい気持ちです。
どの章も面白いが、特に好きな章は「なじみの道」。
その章までに読んだことを踏まえると、盲導犬の素晴らしさがよくわかります。
小さな生き物から大きな生き物まで、さまざまな生き物の環世界を感じることができて最後までずっと興味深く読めました。
子どもにも読めるような絵本タイプもあったらいいな。 -
Posted by ブクログ
日本の動物行動学の先駆者のお一人である故:日髙先生のエッセイ的な本。(2008年) 文章が知的でユーモアがあり面白いです。
3章から成り、表題作(人間とはどういう...)は、第1章だけですが、読み終えると、やはりタイトルをもう一度考え直してしまうから凄いです。
ドーキンスの「利己的遺伝子」説や、科学(学問)とは「ものの見方が変わる」もの、「共生」とはせめぎ合い…etc.動物から自然、教育や宗教、幽霊、頭の良さなんかにも少しずつ触れています。
言語がますます新しい概念をつくり、先生のいうイリュージョンや「美学」を生み出し、戦争をする、アンチ•エイジングに狂奔するー「人間」という動物は、果たして賢いのかー サラリと考えるきっかけをくれる本でした。
おまけ 以下、第1章より
“頭についてはこれでよいとしよう”(p.20「直立二足歩行」より)
“ぼくはそれをコム・デ・ギャルソン戦略と呼んでいる”(p.44)
“「コスト・ベネフィット」計算のことだ”(p.45「少子化の論理」より)
“遺伝子は残さなくてもよいから、ミームは残したい、と思う人もいる。(p.50)
“学習と遺伝は対立するものではなく、学習は遺伝的プログラムの一環であるということになる。なにを、いつ、どういう形で学習するかということも、遺伝的に決まっているらしい。しかし、それは種によってちがっている”(p.68) -
Posted by ブクログ
非常にユーモアのある、動物に関する本だ。本書は、動物行動学をつくりあげてノーベル賞を受賞したコンラート・ローレンツ氏によって書かれた。
もっとも有名でおもしろい例は、鳥類の刷りこみだろう。通常、人間を含むほとんどの哺乳類では、性的な愛の対象は遺伝に刻まれており、しかるべき時になれば適切な対象に気づく。しかし、鳥ではまったく違っている。ヒナのときから1羽だけで育てられ、同じ種類の仲間をまったくみたことのない鳥は、自分がどの種類に属しているかをまったく知らない。すなわち、彼らの社会的衝動も性的な愛情も、彼らのごく幼い、刷りこみ可能な時期をともに過ごした動物に向けられてしまう。ニワトリとともに育てたメスのガチョウは、オスのニワトリに夢中で、オスのガチョウの求愛など見向きもしない。ある動物園で巨大なゾウガメの部屋で育てたれたクジャクは、ゾウガメにばかり求愛し、メスクジャクの魅力には盲目になってしまった。著者の家庭で飼っていたカラスは、世話をしていたメイドに恋をした。
動物の世界には私たちの知らない、おもしろい話がまだまだたくさんあることを教えてくれる良書だ。知的な中高生にぜひ勧めたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ自分の考えに自信が無い。自分なりに調べてこうだと意見を持ったとしても、でもこういう見方もある、という思考がいつも頭の中にある。自分の中の意見や思考と、人の意見や思考を照らし合わせることで、より自分の思考を深めたいと思う。言葉になっていないことを言葉にしたいと思う。その一環として、読書をする。私は今、そうして暮らしている。
日髙氏は、以下のように述べている。
「イデオロギーや思想、システムといった大きいところから話をしがちだが、ひとつひとつの具体例の積み重ねでしか環境問題は動かないものだ」(p17)
「イリュージョンを通してしか世界が見えないのであれば、そのイリュージョンというのはいったい何かということを、もっとまじめに考えなくてはいけないと思う。」(p113)
「神であれ、科学であれ、ひとつのことにしがみついて精神の基盤とすることは、これまでの人類が抱えてきた弱さ、幼さであり、これからはそういう人間精神の基盤をも相対化しないといけないのではないか」(p202)
私はまさにその弱さ、幼さを抱えているなと思った。ひとつのことにしがみついているというよりも、そのしがみつける「何か」を探しているという状態だと思う。
「ひとつ」にしがみつくことは恐ろしいという気持ちがあって、ただ、自分自身の思考にも迷いや不安があるから、「何か」を探しているという感覚。
ある問題について、「正解」があるわけではない問題だと思っていながらも、でも、自分なりの「ポジション」を取らなければ、この社会の恩恵にあやかって生きている以上、「ポジションを取る事」や「考えること」から逃げるのは、楽だけれど大切なことから目を背けているようで、違うなと思っていて。ただ、あまりに向き合うのがきついときはそれを考えることから距離を置く時期もあって。結局、ズルズル考えるばかりで何も行動できていないじゃないかという思いと、できることからやっているじゃないか、できることをやるしかないんだ、という思いと。ごちゃごちゃ。
日髙氏は、自分がどうしたいのかを、きちんと受け止めて、(ご本人曰くいいかげんに)生きていたということか。
2022/12/1 -
Posted by ブクログ
著者と翻訳者、ふたりの動物学者による動物への愛に溢れたユーモラスな二重奏。
動物行動学の第一人者で、動物の"刷り込み"の研究で知られるコンラート・ローレンツの1949年刊行の名作です。
動物との微笑ましい交流と、動物の行動に見られる不思議さが描かれます。堅苦しさのない軽やかな文体で、エッセイのように楽しめます。翻訳の日高敏隆先生もまた温和な動物行動学者で平易な文体の方なので、この読みやすさは著者と翻訳者による、ユーモラスな人柄の二重奏によるものかもしれません。
鳥や魚、犬たちに囲まれて暮らす動物行動学者である著者は、動物にメスを入れたり薬を飲ませたりという実験をせず、その行動をつぶさに観察しますが、その暮らしは驚きとトラブルと感動にあふれています。
刷り込みによって生まれたてのハイイロガンのヒナの母親になってしまい、ヒナが独り立ちするまで片時も離れられなくなってしまったり、幼き我が子に動物による危険がないように、"我が子のほうを"檻に入れたり、町中でオウムを呼ぶためにオウムの鳴き声を出して周りに白眼視されたり等、、、楽しみながら動物の不思議さを知ることができます。
動物たちは、人間が思っている以上にこちらをつぶさに観察していると作中で書かれています。著者のように動物と会話できなくても、表情や挙動からこちらの気持ちや次の行動を読んでいるのです。これには私も確かに思い当たることがあります。私の実家の犬は「散歩にいこう」と口にせずとも、リードが置いてある棚の方向へ歩き始めた時点で散歩に行ける喜びで飛び上がります。さらに驚くことに、いつもの散歩ではない特別なお出かけ(キャンプ等)の時は、家族はいつもどおりソファから立ち上がっただけにも関わらず、彼は普段の何倍もハイテンションに鳴き声をあげ、半狂乱になって喜びを放出させます。
作品全体はユーモラスなエピソードに彩られつつも、最後の章「モラルと武器」で著者は読者にシリアスなメッセージを投げかけます。動物の争いについて触れているのです。オオカミ同士やイヌ同士など同種での争いの場合、旗色が悪くなってきた弱者は強者にあえて弱点をさらすような服従の態度をとります。その服従のポーズを取られた強者は、それがルールであるかのごとくピタリと攻撃をやめ、追い打ちをかけることができなくなってしまうので、敗者を殺すことなく戦いは終結を迎えるのです。まるでレフェリーが割って入ったボクシングのようです。しかしこれがクジャクと七面鳥といった異種の争いでは、服従のポーズが異なるために敗者が服従しても攻撃が終わらず、攻撃を受ければ受けるほど服従の姿勢を固めてしまい、果ては悲劇を迎えるという最悪な悪循環も紹介されています。
人間においても礼儀作法の中に、弱点をさらす服従の名残があります(お辞儀や脱帽など)。敗者・弱者が強者を抑制することは以前読んだ類人猿の本でも出てきました。地位の低いチンパンジーが、群れのボスにエサ場を譲ってほしいと近づくと、ボスは渋々場所を明け渡すといった習慣です。高度な知能と社会性を持った動物は、弱者に優しくあることが備わっているのでしょう。無防備に弱点をさらして「さあ殺せ」となると、殺しづらいのは人間も同じかもしれません。私は天安門事件の有名なシーン、戦車の群れと、その眼前に身一つで立ちはだかった一人の男性のにらみ合いが思い浮かびました。
この章の最後、"自分の体とは無関係に発達した武器をもつ動物が、たった一ついる。(中略)この動物は人間である"(p278)から始まる文章が、70年の時を超え、ロシア対ウクライナの戦争まっただ中である現在、いかにシリアスに胸に突き刺さることか。
あとこれもこの本を楽しむ上で大事な要素のひとつですが、著者(とアニー・アイゼンメンガー)の手による挿絵がかわいいんです!クラシックな名作絵本のような、過剰にデフォルメされていないのにかわいく、手書きの線の味わいがある数々のイラストたちも、読者を楽しませる立派な立役者です。
あとがきで初版刊行時の間違いや出版後の後悔などについて書いてあって、そういうとこも学者センセイ然としてなくて人間くさくていいです。「コンラートのおじさん、やっちゃった」って感じがします 笑。また現在では犬の祖先はオオカミと言われていますが、この本のなかで著者はオオカミ祖先とジャッカル祖先の二派に分かれる、と説いています。70年近く昔のものなので仕方のないことでしょうね。 -
Posted by ブクログ
読書会、面白いです。
読書会に参加したことが無い、という方が大半だと思うので、すぐ共感してもらえるとは思わないのですが、少なくとも私にとっては10年近く続けている習慣になっています。
テーマの本を1冊決める。参加者みんなでそれを読む。決めた日にカフェに集まる、そして意見を言い合う。
これだけ。発表者がいるわけではなく、資料を用意する必要もありません。(ノートを取ってくる時はありますけれど)本を読むという行為が、「5月8日にいっしょに意見をシェアする」と約束するだけで、いかに充実した行為になるか。お近くで催しがあれば、ぜひ参加してほしい企画です。
そんな読書会で、昨日とても良い本に出会いました。コンラート・ローレンツ著、ソロモンの指環です。
タイトルだけみると、一見ファンタジー小説か?と見紛ってします。しかし、れっきとした動物行動学の本。ローレンツ氏はこの研究でノーベル賞生理学・医学賞を受賞しています。
卵から生まれたばかりの雛は母鳥に限らず、どんな生き物でも母親と認識する。有名なプリンティング(刷り込み)という生態を発見した方、といえばご存知かもしれません。
この本を読んでいく中で面白い一節がありました。かれが犬、猫、カラスまで幅広い動物を観察し、本を著すと、ある批判を受けた、というのです。
曰く、「動物を擬人化しすぎている。嫉妬、怒り、喜び、楽しみ?彼の書き方は科学者にあるまじきものだ」というものです。それに対するローレンツ氏の反論は次の通りでした。
私は動物を擬人化しているのではない、逆だ。人間が動物の模倣をしているのであり、もっと正しくいうのであれば、人間も動物の一種に過ぎないということだ(本文の一節を意訳)
人間も動物の一種に過ぎない。このくだりを読んだ時はとても腑に落ちたものです。
なぜ、人間は嫉妬深いのか、怒りに身を任せるのか、そして楽しむのか。この質問は正しくありません。
人間は、ではなく、動物(この研究の中では鳥類、哺乳類が中心ですけれど)はこういった行動を、本能や経験から行う、ということ。人間に限った話しではないということです。
これを事実とした時に、残念に思うこともできるそうですが、私は少し安堵します。
そうか、浮気は不義だと言われているけれど、コクマルガラスの夫婦の間にも同じようなことがあるのか。
また、ヒエラルキーといった上下関係や、それに伴う嫉妬は、人の悪徳だと言われているけれど、ハイイロガンのグループでも垣間見れるのか。
これは面白い観察記録でした。
全く別のカテゴリーの本ですが、第二次世界大戦後に「堕落論」を書いた坂口安吾という作家がいます。
彼は特攻隊に向かう男たち、貞淑な妻達に違和感を覚え、文章に残しています。それは人間の本性ではない、戦中に作られた為政者にとって都合のいい価値観だと。
コクマルガラスの浮気グセと、戦中戦後の日本人の価値観の推移を比べると、ドイツ人研究者の自然洞察が、日本人作家の人間洞察につながったような気がしてなりません。
ソロモンの指環は、動物研究の名を借りた人間研究のテキストとして楽しめる。昨日の読書会での発見です。 -
Posted by ブクログ
動物に関する深い愛情と畏敬の心、そして探究心が紡ぐ動物論文。髄分古い著作だが、今見ても新しさを感じる。
今から動物を飼おうとする人、今も飼っている人はもちろん読むべき本だと考えるが、動物に興味のない人でもとても楽しく読めます。
この本を読みながら無性に動物を飼いたくなって来たところタイミングよく「8章何を飼ったらいいか」の章に至り嬉しくなりました。著者かおすすめのアクアリウムかゴールデンハムスターを検討してみたい。各章とも興味深く、何れも作者が動物と過ごす中での実験と経験に基づいており、楽しげではあるが相当に動物への愛情がなければこの苦労は背負えないな、とも感じる。印象深いのはコクマルガラスを飼う中でのエピソードで、確かにカラスとはいえ賢い動物に懐いてくれるのは至上の喜びだと共感しました。
作者も描いたというイラストもわかりやすく楽しく読める一躍を担っています。 -
Posted by ブクログ
モンシロチョウは紫外線の夢を見るか?
動物行動学者・日高敏隆先生による、動物行動学と自身の経験から得た「世界の見つめ方」を説いた本です。とても読みやすいエッセイ形式であり、最後には講演が収録されています。
著者の日高先生は動物行動学者ですが、著作にふれるたびに科学者的ではなくてエッセイスト的だなあとつくづく感じます。学術的でなく文芸的な表現です。
学会みたいな肩肘張った場所から離れた、軽やかで柔らかな日高さんの姿勢に憧れます。日高さんは科学的な理屈の世界に埋没せず、子どもの頃のシンプルな「なぜ?」を大事にし、そのせいで権威的で格式を重んじるような場所では異端だったことでしょう。しかし、だからこそ万人が気軽に読めるようなエッセイで自分の考えを人に届けることができるのだと思います。
人類学系の本によく登場するトピックに「宗教と科学」があります。今のように科学が進歩する前は、人間に分からないことは全部「神のお考え」であって、変に理屈をこねずに済ませていたのです。しかし科学の進歩と引き換えに宗教の力が弱くなった今、頼るべき道徳的規範となる神を失くした多くの人たちは、心の支えがないために悩みが多くなってしまいました。しかし悩み多けれど、神と科学、どちらにもしがみつかずに自らの知性を力にして生きていくことが今後の人間のテーマだと日高先生は語ります。胸にささる言葉です。
ほかの方の動物や虫の本を読んでも思うのですが、動物学は動物を通して「人間とはどんな生き物か、人間社会とはどんなものか」を探りたいという欲求が根本にあるのだなとつくづく感じます。