きたやまおさむのレビュー一覧
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パラ読みと熟読を繰り返している最中ですが、この本は私の人生の中でもマイベストに入るんじゃないかと思うくらい刺さっています。
「むなしさ」を感じるのは、「いきがい」や「人生の使命」がないからかも知れない。それらをまだ見つけられていない自分は、半人前で恥ずかしい存在なのではないか。
……という考えに囚われてしまうことが多かったのですが、本書を読んで、必ずしも心の穴である「むなしさ」を、何か「生き甲斐」や「使命」で埋める必要はなく、「むなしさ」があることは恥でもなんでもなく当たり前ですらあるとわかり、心が軽くなる思いがしました。
というか、「むなしさ」を「生き甲斐や使命で埋める」どころか、You -
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作者、言わずとしれた、フォーク・クルセダーズのメンバー、「俺は死んじまった」「戦争を知らない子どもたち」「あの素晴らしい愛をもう一度」などの作詞家,精神科医、九大大学院教授、白鴎大学学長。
フォークルメンバーの加藤和彦が自死したとき近くに北山修という存在があったのにどうしてと思った。
むなしさの多方面からの分析とともにむなしさはもっているのが正常で、それをもって考え味わうのを幸せと思いなさいと言ってるようです。
加藤和彦の死に対する、北山修の対応、接し方、答えが書かれている。
むなしさを感じ鬱ぽくなる自分への元気つけの本です。
北山修は人生のくれなずむころにさしかかっていると書いて -
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文章は、テーマが「むなしさ」のせいか、どこか雲をつかむような
起承転結があるのかないのかよくわからないものだった。
しかしキーワード、押さえておくべき言葉は多かった。
間 と 魔
母と子
ち 血 乳 膣 父
むなしい みなし 身なし
イザナギ 醜い
心の沼
泥む なずむ
ゆ ゆったり よゆう 湯
そして、、
フォーククルセダーズ
帰ってきたヨッパライ
イムジン河
悲しくてやりきれない
加藤和彦
自死
北山修
あの素晴らしい愛をもう一度
風
なんて情報量が多いんだろ。
言葉は大事だ。
心に沼を持つことも大事だ。
誰にも訪れるむなしさ。
喪失感。間。
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Posted by ブクログ
ネタバレ書店の書評コーナーにて。
「むなしさ」は「す(澄)まない」。
心の隙間、穴に「むなしさ」が入り込んだ時、私たちは急いで埋めようとする。現代は「間」に耐えられない仕組みになっている。容易に「間」が「魔」になる時代。
むなしさは、すまないものだとあきらめて、心の底に住まわせる。むなしさを、時間をかけて醸成し、味わう。
結論を急がない。「間」に耐えてこそ生まれる創造物もある。
心の穴を、埋めないまま「間」として、時間をかけて向き合ってみることを意識したいと思えた一冊。
こんなに真面目な心理学の新書なのに、著者はなんと、おらはしんじまっただぁ〜♪で有名なフォーク・クルセダーズのきたやまおさむさん。 -
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先日この著書を知りました。
この著書の筆者の北山修氏が故・加藤和彦や故・はしだのりひこ氏と結成していました「ザ・フォーク・クルセダーズ」の「帰って来たヨッパライ」と言う歌、半世紀前に所謂「アングラ・レコード」として大ヒットしましたね。加藤和彦氏の「テープの回転速度を速めた「ヨッパライ」役のボーカル」が大きな話題になりましたし、北山修氏もこの歌で「天国でヨッパライを叱る神様」や「僧侶」の役を演じていましたね。それから間もなく、後に「ジローズ」を結成して「戦争を知らない子供たち」を大ヒットさせました杉田二郎氏や森下次郎氏も彼らのメンバーに加わってグループ名を「はしだのりひことシューベルツ」に改めて「風」を大ヒットさせましたね
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Posted by ブクログ
ネタバレ著者については、今の若い人は知らない人が多いと思うが、70年代のフォークブームの先駆けとしての「ザ・フォーク・クルセダーズ(以下フォークル)」のメンバーであり、作詞家、精神科医・精神分析家、そして九州大学の名誉教授であり、現在は白鴎大学の学長でもある。
著者は、フォーマル(精神科医・大学関係の仕事)では「北山修」、プライベート(作詞家、ミュージシャン、ラジオのDJ等)の場合は「きたやまおさむ」と、使い分けている。
「はじめに」で、《北山修によるきたやまおさむの「心」の分析》と書いているように、幼少期から現在に至る自身の精神分析を行いながらの自叙伝となっている。
《戦争が終わって僕らが生ま -
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あの素晴らしい愛をもう一度と歌っていた著者が書いた本。
かつて転校した先の小学校でハブられた経験を持っているし、職業人生においても、仕事だからハブられるまで行かなくても、なんだか同じような居心地の悪さを感じる職場が多いし、40代から50代に至るまでにそれなりに耐性はついたようなんで、ここまできたが、本当に経済的にさえ支障がなければ明日にでも今の事務所は辞めてしまいたいと考えているが、やめるに辞められないみたいなジレンマがもうすぐ10年になる。
翻ってこの本を読んでみて、著者が提唱する心の楽屋のようなものはそれなりにそうと知らずに持っていたんだなと認識できたのは良かったのかもしれない。
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題名が気になりたまたま手に取ってみたが、本文を読むうちに「あの素晴らしい愛をもう一度」作詞の北山修氏の著書とは知らず驚いた。
「むなしさ」について、精神科医として、また作詞家としてからの見聞で書かれており、大変興味深い。
特に、古事記から引用して“不浄のもの”に対する日本人の美意識について考察したり、日本語の語源の解説が面白かった。
前述の歌は自死した加藤和彦氏との愛の物語だと言う言葉に、著者からの言い知れない虚しさを感じた。
「間」を嫌い、行き過ぎた効率を求める現代ではあるが、虚しさを味わいながら生きていくほかないと言う「すまなさ」を抱えながら生きていてもいいと思え、気が楽になった。 -
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むなしさ――虚しい、空しい。この言葉には人が生きる上で避けられない喪失や欠落の感覚が宿る。青春の記憶の北山修の詩が呼び覚ます虚しさはどこか懐かしさや余韻を伴う。思えば喪失感を覚えたことは多いが「虚しい」と感じたことは不思議と少なかった。精神分析においてこの言葉は人間形成における重要な概念のなるのがわかる。虚しさが生む空間――それは余白や沈黙を通じて心の奥深くに問いかける。「間」という語や「沼」という語が示唆するように私たちはその奥行きを測ることができない。個人的に人生を振り返るときすべてが左足に尽きるように思う。不完全な足取りであっても一歩ずつ進むことに人生の意義があるのではないだろうか。生き
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