あらすじ
自分の人生に意味はあるのか,自分に存在価値はあるのか….誰にでも訪れる「むなしさ」.便利さや快適さを追求する現代では,その感覚は無駄とされてしまう.しかし,ため息をつきながらも,それを味わうことができれば,心はもっと豊かになるかもしれない.「心の空洞」の正体を探り,それとともにどう生きるかを考える.
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パラ読みと熟読を繰り返している最中ですが、この本は私の人生の中でもマイベストに入るんじゃないかと思うくらい刺さっています。
「むなしさ」を感じるのは、「いきがい」や「人生の使命」がないからかも知れない。それらをまだ見つけられていない自分は、半人前で恥ずかしい存在なのではないか。
……という考えに囚われてしまうことが多かったのですが、本書を読んで、必ずしも心の穴である「むなしさ」を、何か「生き甲斐」や「使命」で埋める必要はなく、「むなしさ」があることは恥でもなんでもなく当たり前ですらあるとわかり、心が軽くなる思いがしました。
というか、「むなしさ」を「生き甲斐や使命で埋める」どころか、YouTubeやSNSを見ることで際限なく埋めてしまっていたのですが、本書ではスマホによって「間」の埋めることの問題点にも言及されていたので、それらを自覚させてもらえる機会にもなりました。
他の方も書かれていますが、著者の音楽仲間が自死したことなどにも触れられており、ヒット作を生み出さなくてはならないというプレッシャーについても述べられています。
これは、仮に私たちが「いきがい」や「使命」を見つけたとして、その領域で結果を出せずに絶望する「むなしさ」はもちろん、大ヒットを出したことがある人でも、さらに次が生み出せないという「むなしさ」も待っているわけで、結局は成功者もくすぶっている人も「むなしさ」から逃れるのは難しいということなのかも知れないと思わされました。
ところどころフロイトなどの専門的な難しい記述も出てきますが、基本的にはかなり読みやすいです。
あとがきによると、「むなしさを感じたなら、情報収集による穴埋めを控えて、これを味わい、できれば自分で考えてみたらと提案」しているため、理論やテーマの先行研究には細かく言及していないとのこと。その代わり、専門用語の項目について学べる専門書や自著の紹介なども載っているので、心理学的な専門知識を得たい人はそちらも参考にするといいかも知れません。
【熟読後の疑問点】
人生の中のベスト本の一つになるかも、という感想に変わりはないのですが、繰り返し出てくる「母と胎児の一体だった頃がユートピアである」という記述には、妊娠経験(特につわりの酷かった経験)がある自分にとっては、引っかかる点でした。著者のきたやま氏の意見というよりは精神分析学全体の問題かも知れません。
母と胎児は一体などではなく、母体側から言わせてもらうと、胎児は半分他者の遺伝子を持つ「異物」であるのは明確です。だからこそつわりがあるのだと思っていました。私自身が身をもってそれを経験したので、「自分の母もこんな苦労をして私を産んだのだな」という「他者としての母の奉仕に感謝」するようになります。そこからの「胎児だった頃に戻りたい」という願望は、記憶喪失にでもならない限り起こらない気がします。そして、これは経験をしなくても妊婦の体験談が精神分析学に反映されていれば容易に取り込める視点じゃないかなぁと思ったりします。母親を神聖視する割に、当事者にまったくヒアリングしてない感じはなんとかならないものなのか。。
というわけで、「失われたユートピア」というよりは、「そもそもユートピアはなかった」ってことなんじゃないかな。それはそれで「むなしさ」の発生に繋がるのだろうから、本書の内容や結論が何か変わるわけではなさそうです。
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作者、言わずとしれた、フォーク・クルセダーズのメンバー、「俺は死んじまった」「戦争を知らない子どもたち」「あの素晴らしい愛をもう一度」などの作詞家,精神科医、九大大学院教授、白鴎大学学長。
フォークルメンバーの加藤和彦が自死したとき近くに北山修という存在があったのにどうしてと思った。
むなしさの多方面からの分析とともにむなしさはもっているのが正常で、それをもって考え味わうのを幸せと思いなさいと言ってるようです。
加藤和彦の死に対する、北山修の対応、接し方、答えが書かれている。
むなしさを感じ鬱ぽくなる自分への元気つけの本です。
北山修は人生のくれなずむころにさしかかっていると書いてますが、僕の中学高校のころの憧れでした。もっといい歌、いい本を発信してほしいです。
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文章は、テーマが「むなしさ」のせいか、どこか雲をつかむような
起承転結があるのかないのかよくわからないものだった。
しかしキーワード、押さえておくべき言葉は多かった。
間 と 魔
母と子
ち 血 乳 膣 父
むなしい みなし 身なし
イザナギ 醜い
心の沼
泥む なずむ
ゆ ゆったり よゆう 湯
そして、、
フォーククルセダーズ
帰ってきたヨッパライ
イムジン河
悲しくてやりきれない
加藤和彦
自死
北山修
あの素晴らしい愛をもう一度
風
なんて情報量が多いんだろ。
言葉は大事だ。
心に沼を持つことも大事だ。
誰にも訪れるむなしさ。
喪失感。間。
きたやまおさむは精神科医でありながら、
加藤和彦の自死願望には目を向けなかったという。
彼との間にそれを挟むことはできなかったという。
そりゃそうかも、あんな素敵な歌を作るコンビ、
そこに 死 はないのだ。
そういうものを理解しながら生きていこう。
序 章 「むなしさ」という感覚
第1章 「喪失」を喪失した時代に
第2章 「むなしさ」はどこから――心の発達からみる
第3章 「間」は簡単には埋まらない――幻滅という体験
第4章 「むなしさ」はすまない――白黒思考と「心の沼」
第5章 「むなしさ」を味わう
おわりに−悲しみは言葉にならない
あとがき
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人間は表があれば裏もある。善なところもあれば悪なところもある。満ちているときもあればむなしいときもある。
むなしさをかんじたとき、それを悪いことだと思い、そのむなしさをうめようとして何かをする必要はなく、むなしいんだな~と感じてしばらくそのままでいることが大切だと思いました。
我、むなしく思う、ゆえに我あり。ということかなと読んで思いました。
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書店の書評コーナーにて。
「むなしさ」は「す(澄)まない」。
心の隙間、穴に「むなしさ」が入り込んだ時、私たちは急いで埋めようとする。現代は「間」に耐えられない仕組みになっている。容易に「間」が「魔」になる時代。
むなしさは、すまないものだとあきらめて、心の底に住まわせる。むなしさを、時間をかけて醸成し、味わう。
結論を急がない。「間」に耐えてこそ生まれる創造物もある。
心の穴を、埋めないまま「間」として、時間をかけて向き合ってみることを意識したいと思えた一冊。
こんなに真面目な心理学の新書なのに、著者はなんと、おらはしんじまっただぁ〜♪で有名なフォーク・クルセダーズのきたやまおさむさん。
さすがは精神科の医師、言葉を大切に使われている印象。ワードセンスに惹かれた。
喪失は移行対象をみつけ、時間をかけて移行していくことでうまくこなすことができる
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【目次】
序章「むなしさ」という感覚
第1章「喪失」を喪失した時代に
第2章「むなしさ」はどこからー心の発達からみる
第3章「間」は簡単には埋まらないー幻滅という体験
第4章「むなしさ」はすまないー白黒思考と「心の沼」
第5章「むなしさ」を味わう
おわりにー悲しみは言葉にならない
あとがき
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題名が気になりたまたま手に取ってみたが、本文を読むうちに「あの素晴らしい愛をもう一度」作詞の北山修氏の著書とは知らず驚いた。
「むなしさ」について、精神科医として、また作詞家としてからの見聞で書かれており、大変興味深い。
特に、古事記から引用して“不浄のもの”に対する日本人の美意識について考察したり、日本語の語源の解説が面白かった。
前述の歌は自死した加藤和彦氏との愛の物語だと言う言葉に、著者からの言い知れない虚しさを感じた。
「間」を嫌い、行き過ぎた効率を求める現代ではあるが、虚しさを味わいながら生きていくほかないと言う「すまなさ」を抱えながら生きていてもいいと思え、気が楽になった。
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むなしさ――虚しい、空しい。この言葉には人が生きる上で避けられない喪失や欠落の感覚が宿る。青春の記憶の北山修の詩が呼び覚ます虚しさはどこか懐かしさや余韻を伴う。思えば喪失感を覚えたことは多いが「虚しい」と感じたことは不思議と少なかった。精神分析においてこの言葉は人間形成における重要な概念のなるのがわかる。虚しさが生む空間――それは余白や沈黙を通じて心の奥深くに問いかける。「間」という語や「沼」という語が示唆するように私たちはその奥行きを測ることができない。個人的に人生を振り返るときすべてが左足に尽きるように思う。不完全な足取りであっても一歩ずつ進むことに人生の意義があるのではないだろうか。生きるに意義などないのか、ケセラセラで私はいなくなる。
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空しさに深く悩まされていた自分が救われるかと思い読んでみましたがよけいに泥沼にハマりました。坂崎さんと歌っている北山さんは楽しそうだけど本の内容はかなりきつかった。
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フォーク・クルセダーズのメンバーでありながら、精神科医で白鴎大学の学長でもある著者が、むなしさについて、さまざまな角度から論じている。
加藤和彦氏の自死を止められなかった後悔やむなしさから、この本が書かれたのではと推察する。
その気持ちを普遍的なものへと昇華し、むなしさを感じている全ての人に、それで良いんだよと優しく寄り添ってくれている本となっている。
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むなしさは外的にも内的にも起きることだと改めて分かりました。裏切られたいときのむなしさやせつなさが嫌だから、私は最初から期待をしてないのかもしれないなぁと思いました。はっきりした感情ではないと読んで思ったので、ゆっくりと、時にはスペースにそっと置いておきながら向き合っていきたいです。
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どうして読もうと思ったのか思い出せないですが、ほぼ毎日コツコツ読んで読み終えました。
自分が立ち止まってしまった根本が見えてきました。
そして自分を客観視することは、自分を見失わないためにも必要だということを改めて考えさせられました。
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忙しすぎる現代では「むなしさ」を感じる間もなく、「むなしさ」を悪いものとして捉えるが、「むなしさ」の効用を氏の専門である、精神分析学と、日本語臨床で解き明かす詩的な書であった。ネガティブ・ケイパビリティに通じる考察であったが、この件については全く触れられていなかった。ただ通底として流れているテーマは氏の友人である加藤和彦氏の事であり、解決できない「むなしさ」に向き合うことであった。
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人間は生まれて生きていく過程で、常に心のどこかに「むなしさ」という心の影が佇み居座る。それを自覚するかどうか、ないものとして扱うかどうかは、個人の洗濯。じっとその存在に耐え、味わう。「沼」に留まることによって、創造が生まれる。そのために白黒でない中間領域を抱える心の器を持ちたい。そのために日々精進していきたい。
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「心の空洞」との付き合い方、「間」との付き合い方、それは白黒を付けるのではなく、中途半端な状況を許容する力となる。はやりの「ネガティブケイパビリティ」といえる。
筆者にとってのむなしさには、加藤和彦の影がついて回る。
ため息をついても、幸せは逃げない。
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自分が思春期に感じた自分はなんのために生きているんだろう思ったたことや、会社生活に虚しさを感じて仕事にまったく身が入らなかったことがあったり、その時の気持ちは何だったんだろうという思いで本書を読みましたが、しっくりする内容ではありませんでした。いかにも精神科医が書いた文章で、私の理解能力不足なのかもしれません。
Posted by ブクログ
歌手、精神科医でもある著者が、むなしさについて人間の発生や生まれてからの親や他者との関わりから解説している書籍。日本語の語源なども取り入れて様々な角度から述べていた。母親との関係性については、男性からの幻想やそうあってほしいという願いが強いかなと感じた。母親であっても一人の人間、個々として捉えたいなと感じた。
Posted by ブクログ
むなしさを感じた時、私たちはそれを解決しようとしてしまうけど、そうではなくむなしさがあることを認めた上で生きていこうという話。解決しようとするから苦しくなる。むなしさはあって当たり前で共に生きていくものだと諦めると少し気持ちが楽になる。
おわりに 199p〜200pにかけてが響きました。