谷崎潤一郎のレビュー一覧
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谷崎の書く男の人って本当気持ち悪いなあ……でも褒めてる。平安期の登場人物が女性を思ったり、母親を慕ったり、ただ綺麗なだけの物語になるはずの要素が、本当に執着やエゴやらで気持ち悪くて、見事すぎる。しかも「少将の母親」である女性は、いろいろな男性の人生を意図せず狂わせていくことになるけど、その反応がごくごく抑えられた表現でしか書いてない。さすがだなあ、と思います。
情景描写ではやっぱり、女性の美しさ、着ているものの描写、綺麗な景色が綺麗すぎてネガティブな印象を伴う描写、あたりが本当に物凄いなあ、とどの作品を読んでも思います。桜の描写がすごく好き。 -
Posted by ブクログ
私が読んだ谷崎作品では、少し異風。
ご本人がよく登場する。
谷崎さんは日記に興味がおありと見える。
人の真実の声が描かれるからだろうか?
谷崎さんは、見栄や何かをとっぱらった人の気持ちに興味をお持ちでなはないかと思う。だからこそ、なかなか書くことに抵抗のあるジャンルについても書ける豪胆さを持っているかとも。
鍵も老人日記も日記が語るし、これも実在の人物の実際に存在しない日記を実存すると虚構を構えて、学術的に進めるていをとっている。
でも、物語としても入り込めないわけでもなく、やはり上手。
滋幹がお母さんに会いに行く場面が好き。お母さんが無言で、滋幹を膝に乗せ、頬ずりしてくれるところとか。
小倉遊亀の新聞連載時の挿絵が、脱力感があってかわいい。また、谷崎さんは源氏物語も訳出されており、平安朝がお好きらしいです。恋愛が自由だからかな?この中ではある意味自由ではないけど。。。 -
Posted by ブクログ
6編収録の短編集。
「M」のイメージとなると「女王様が男に対し鞭を振るったり、足蹴にしたり、ロウソクのロウを垂らしたり暴言を吐いたり」というのがまず思い浮かびます。
作中にもそういう描写があるのかな、と思っていたのですが、そこまで露骨な表現はなかったです。ほっとしたような残念なような……。
前半の作中の男性たちは性的興奮のためにマゾヒズムを追いかけているという感じではなく、もっと純粋に、そうされる方が楽しいからされているんだという風な、子供が楽しいおもちゃを見つけて遊ぶような感じで無邪気にマゾを楽しんでいる印象を受けました。そして、後半の作品からはそうした無邪気さ以上の楽しさを知ってしまったゆえの人間の欲望というものが表れてきたような作品だったように思います。
そう考えると最初に収録されている『少年』のように子供がマゾの楽しみを覚える話もまったく不自然な話ではないのだな、と思えます。また『幇間』は本当に主人公が嬉しそうで読んでいるこちら側が苦笑してしまいそうでした。彼の笑い顔が自然と頭の中に浮かんできました。
谷崎潤一郎は読み始める前から「マゾヒズム小説」のイメージがとにかく強かったのですが読んでみると文章表現も幻想的で美しいものが多く、特に『少年』のラスト近くの場面や幻想色の強い『魔術師』などでは特にその強さを感じました。
五編目の『一と房の髪』では女性の魔力の強さを実感……。ここで女性に翻弄される男たちは、二重国籍で日本人でも西洋人でもないと語っているのですが、そういう満たされなさを抱えていたからこそ、同じ境遇の女性にここまではまってしまったのかな、と思いました。そして女性側が男性たちのそうした弱さを知ってふるまっていたかと思うと、ますます「女って怖いな」と思ってしまいます(苦笑)
最終話の『日本に於けるクリップン事件』では谷崎のマゾヒズムの定義的な文章が印象的です。この文章を頭に置きつつ他の短編たちを思い返してみると、登場人物たちのまた違った側面を考えることができると思います。 -
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菅原道真を左遷した左大臣藤原時平、
藤原基経の兄である藤原国経、
在原業平と並ぶ色男として知られる平貞文などが登場する。
老大納言国経は、若く美貌の妻である北の方
(筑前守在原棟梁(在原業平の長男)の娘)を、
若くて時の権力をひと手に握っている甥の時平に、
驚くべき手法で奪われる(差し出してしまう)。
しかし国経は北の方への思いは全く断ち切れぬままこの世を去る。
また、その北の方と幾度か浅からぬ仲となっていた、
平貞文も、彼女が時平のものになったことで、
思いを燻らせている。
後半は、国経と北の方との間に生まれた藤原滋幹の、
母への思いが描かれる。
藤原時平は、今昔物語の記述から、
「富貴と権勢と美貌と若さとに恵まれた驕慢な貴公子」、
また大鏡の記述から「可笑しいことがあると直ぐ笑いだして
笑いが止まらない癖があった」と、
平貞文は「女に好かれる男の常として、なまけ者ではあるけれども、
洒脱で、のんきで、人あたりがよくて、めったに物にこだわらない彼」
と表現されている。
私は時平が国経の北の方を奪う流れや、
平貞文の恋模様などが描かれる前半部分が、
文章に引き込まれて次々とページを捲ってしまうほど面白かった。
特に国経の北の方を奪うシーンは臨場感があった。
時平の傲岸さが際立っていて憎く思う。 -
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夕食の席で柿を齧りながら「谷崎はどうも苦手です。私は芥川が好きなんです。」と言ったら、先輩のYさんが自室から引っ張りだしてきて貸してくだすった。『少将滋幹の母』か、あんまり聞いたことないな。題名から考えるに、王朝物という共通項を見込んでの選択だろうか。と首を傾げつつしゃくしゃくと柿を咀嚼し飲み込む。「あたしは谷崎でこれが一番好き。貸したげる。」とYさんが笑った。
自分の四畳半に帰って、読んだ。
どろどろとした性的な描写に嫌悪感があって敬遠していた谷崎だが、この作品はそれほどでもなく、落ち着いて読むことができた。さすが先輩の推薦だけのことはある。おかげで、これまで気づかなかった谷崎作品の良さが少しずつ見えてきた。
絵巻物のような小説だ。
実際、谷崎の文章は綴じ本よりも巻物が似つかわしいように思う。読点や句点で区切られてはいるのだけれど、文と文とが切れ目なく続いていくさまが確かに感じられる。息継ぎがどこにあるのか判然しないほど幽かなのだ。
また、絵画性の強さも印象的だ。ひとつひとつの場面が絵のような鮮やかさで眼前に現れる。
『それは北の方の着ている衣装の一部だったのであるが、そんな工合に隙間からわずかに洩れている有様は、万華鏡のようにきらきらした眼まぐるしい色彩を持った波がうねり出したようでもあり、非常に暈のある罌粟か牡丹の花が揺らぎ出たようでもあった。』
この北の方の描写など、衣を実際に目にするよりも何倍も何十倍も鮮烈なイメージを描き出している。私の好き嫌いはさておいて、もうほんと、さすが「大谷崎」だなぁ。
優れた小説であることは間違いない。
しかし、根底のところにはやはり埋められない溝を感じる。
谷崎や荷風を何作か読んで思うのは、耽美主義の人が言う「美」と、私個人の思う「美」がそれぞれ違うものを指しているのではないかということ。絢爛であったり優艶であったりも良いのだけれど、自分はもっと神経の先端に触れるようなぎりぎりの感覚を美と呼んで求める傾向にある。
これはもう好みの問題であるので、今更どうということもないが。
何はともあれ、良い読書体験だった。多謝。