稲泉連のレビュー一覧
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第1、2章はH23年和歌山での土砂災害のルポタージュが中心。「まえがき」こそ命からがら助かった住民の方の話だったが、そのあとの本編は住民目線の話はあまりなく、むしろ行政側(首長、防衛省、国交省)や建設業者による対応こそ、中心的に描かれている。行政の対応等に光をあてられていること自体は有意義。
惜しむらくは、そのように目線ごと(プレーヤーごと)にわけて描かれていればそれぞれの活躍ぶりがよく伝わっただろうということ。
様々な話を一緒くたにして書いたり、途中に学識者(静岡大・牛山教授)の話をまぜこぜにして書いたりしているため、情報が頭に入ってこない。
その点、『ドキュメント 御嶽山大噴火』や『前へ!—無名戦士たちの記録』のように、主人公やテーマをわけて書いてほしかった。
ただそんなことがどうでもよいくらいに、締めくくりにあたるはずの第3章はひどかった。「やっつけ」である。せっかくここまで和歌山での土砂災害を取材して記述してきたのに、急に、
土砂災害ではなく大河川の災害の話になり、
山間部ではなく首都圏の話になり、
極めつけは、もはやドキュメントでもなんでもなく、ジャーナリズム?になる(というか、既存の内閣府防災の報告書の紹介と、高橋裕先生の少しのコメント、そして消防団員の手記の長い引用、等・・・)。
最終的には筆者の個人的な感想が締めになっており、学生の出来の悪いレポートを読むよう。
あぁ残念。このテーマはきちんと誰かに書いてほしかった、と悔しい思いさえ抱きたくなる。 -
Posted by ブクログ
本に関わる人たちによる、被災地で書店が、本がどのような役割を担っていたかや、書店経営再開や被災地で書店を始めた人たちにスポットをあてたドキュメンタリー。
正直、美談のような話が多く感じられてバイアスかかってるように思われましたが、私も本が好きなのでそこは目を瞑りながら(汗)…
被災地で本が求められたエピソードについては、人間はどのような境遇にあっても、あるいは被災地のような極限的な状況だからこそ(本のような)心の安らぎを感じられる存在を求めるのかなぁ、と思いました。また「本」という存在が我々にどのように関わっているのか、今後どのように関わっていくのかについて考えさせられました。
個人的には「ほんの村いいたて」のエピソードを別の本(3.11 あの日を忘れない)で少しかじっていたので、そこに登場する書店員さんの名前を見た時「リアルスターシステムや!」と妙なワクワク感を覚えたのが印象に残りました。
「事実は小説より奇なり」じゃないけど、現実世界でがんばっている人はフィクションのヒーロー/ヒロインと同じくらいの存在感・影響力があるんだろうと思うと、少し感動しました。 -
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3.11後、必要とされた、本。
出版業界が厳しい昨今、紙の本の存在感に鼓舞させられる内容だった。
そうして、書店員さんたちが「自分たちは必要とされている」と感じたことも、嬉しかった。
便利であるということが、必ずしも必要であるということでは、ないのだと思う。
「だから、少しでもいいから本を持ってくればよかった、と思ったんです。だって、周りを見渡すとね、皆さんプライバシーがない上に、人によってはじっとしていなければならないんです。テレビも体育館全体で一台しかないし、やっているのは震災のニュースばかりでしょう。本だったら、個人個人が自分の好きなたった一人の世界に入り込むことができる。週刊誌でも絵本でもいい、ここでは本が必要とされているんだ、と」
感情と、経営と、時間の推移。
それらがいつも、同じニーズをもたらす訳ではない難しさも分かる。
中でも、後書きにおけるジュンク堂仙台店の店長さんからのメッセージはちょっとしたショックだった。
本の中では、あれほど奮闘し、また励まされながら経営を続けたエピソードが載っていたのに。
昨年の夏に閉店したという結末。どのような事情があったにせよ、残念である。
それでも、本に携わる喜びを語る彼女に、また書店員として生きて欲しいと、個人的に願っている。
本そのものも人が作り出すのだけど、どんな本を選び、棚を作るのかにも、人の思いや手が加わっていることだから。 -
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学校に馴染めず、高校中退した人々を取材し、内面を描く。
アトピーの話や、「勉強は楽しくなかったが、友達も少く休み時間に話をすることもないので、むしろ休み時間の方が手持ちぶさた」等、私の高校時代もそうだったよなあと思いながら読む。
引きこもりの項は興味深く読む。まあ想像していた通りがだ、色々な心の葛藤を読むと、私の回りの彼等もそういう気持ちで過ごしていたのかなぁと思う。
色々な価値観を知れることは楽しいが、一様に根底には「ゆとり」なのか、甘え、若いがゆえの軽率さが見てとれる。豊な日本で働かなくても何とかなる現状への甘え。
彼等の現状がどこに続くのか?と憤る。やりたくないことはやらず、嫌だと思うことは、色々負の面ばかり見て、言い訳する。どんな形であれ一人で生きていく事の重要さを思う。 -
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2011年9月に発生した奈良県十津川村、和歌山県那智勝浦町の豪雨災害の詳細なレポート、そして、その事例を踏まえ今の東京の水害に対する脆弱さを指摘している。
被災地に共通していえることは、ここ何十年かは大丈夫だったという近視眼的な、根拠の無い安心感。
土地の古老といっても、記憶があるのはせいぜい70年から80年ぐらいのもの。しかし、たとえば那智谷の地形は、専門家からみれば典型的な谷底平野であり、長い年月をかけて川が谷底を暴れ、谷を削ることに寄って平野が形成されてきた地域であるらしい。
そこが危険な場所だという認識に、欠けていたのではないかという指摘。
そして、やはり被害が発生した地域では、本気での防災体制が確立されていなかったという指摘。
形式的には、防災体制図は完備され、法律的基準は満たされていると国に報告はなされている。しかし、実際に避難を始めるタイミング、そしてそれを伝える手段、さらに実行する能力について、本当に備えがあったといえるのだろうか?
この二つの指摘は、決して本書で取り上げられた地域にのみ適用される特殊な事例ではない。むしろ、日本全国、私や貴方が現に住んで、働く、その土地でも指摘されるべき弱点なのではないだろうか。
そして、本書の第三章は、具体的事例をあげて、現在の東京の脆弱性を指摘している。たとえば、荒川右岸鉄道橋、たとえば中央区付近の地下鉄等々。
あまりに人が集まりすぎているから、有効的な対策がとられていない、さらにみんないるからという根拠の無い安心感が、さらに危険性を増幅させる。
私も昨年、本年と豪雨被災地の支援に現地に赴いたが、いずれの地も、雨が降っていなければ なんでこの場所が?という一見穏やかそうな場所。地球温暖化が理由なのかどうかはわからないけど、いままで大丈夫だった場所が、同じ理由のままこれからも大丈夫なんてことを信じるべきではない。
まず、自分の意識を点検し、改めるべきところは改める。そして、家族にそれを広げ、地域に広げ。さらに自治体、国まで真剣に国民の安全を考えるようにすること。それが、自分を含めひとりひとりの命を守ることに直結していると強く感じた。 -
Posted by ブクログ
「選択肢が増えても成功の確率が低い時代、選択肢が少なくても成功の可能性が高かった時代」
「仕事漂流」とはこれだと言う仕事が見つからないということで、決して仕事にあぶれているということではない。ここに登場する人たちは、1990年後半から2000年前半の就職氷河期に就職できた勝ち組と言われる人々。 人としても魅力的で頭だっていい勝ち組であっても自分の生き方や選択に悩んでいる。(生活への不安は語られないし書かれていない)悩んでいるとはいえ、そこはやっぱ優秀で勝ち組になったのも納得。そしてそういう人はやはり大企業に入る。
30歳までの時期は大企業で働き、柔らかい頭に一流を詰め込み、それから中小企業やベンチャーに流れて、全体が見えるような仕事をする。おそらくこれが理想的なキャリアパスで、長い停滞に入る前は一般的な人材の流れだったと思う。均一で高品質な社会人の製造工場という面があるから、政府も便宜を図っていた。しかし、大企業が足並みを揃えて新卒採用を控えたころから、このキャリアパスが崩れてしまい、だから「世の中には魅力的で優秀な中小企業がいっぱいあります」から「そっちに入ってください」というキャンペーンにつながったと思っている。
中小企業は社会にカチッと噛み合う歯車を作るという役目を押し付けられたけれど、教育に投資するような資金的余裕ををもたない中小企業じゃ社会人のタマゴを育てることはできないと思う。OJTとは何とも都合のいい言葉。
この大企業→中小企業という人材の流れと、リクナビのような一括応募のモデルはとても合っていたと思う。新卒サイトの収益モデルでは、どうしても大企業を優遇するインセンティブがはたらいしてしまうけれど、それで良かったのだ。中小企業は大企業で教育された人をう譲り受けるだけでよかったんだから。もしかすると、中小企業のホンネは今もそうで、リクナビとかにクレームをつけてるのは、使い捨てにできる若い労働力を欲しがっているベンチャー企業なのかもしれない。
これから、大企業が社会人を生産してそれを中小企業に流すというキャリアモデルが崩れたらホントどうなるんでしょうか。