永井路子のレビュー一覧
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論考というほど難しくはないけど、ちょっとホネのある歴史エッセイ集。
人物別に書かれています。「頼朝とその周辺の人びと」では、源頼朝、北条政子、比企尼と阿波局、頼家と実朝、北条義時。「逞しき東国武者」の部では、三浦一族、伊豆の軍団、武蔵七党。そして「西国の権謀家たち」として、後白河法皇、源通親、後鳥羽院と藤原定家。
まず『つわものの賦』を読み、鎌倉時代の流れと永井路子さんの歴史観を知り、次に細川重男氏の『頼朝の武士団』を読んで、頼朝軍団の雰囲気とその攻防の緊張感を味わってからこの本を読んだ結果、この時代の理解が深まっていたおかげで、ラクに楽しく読めました。
ただ本書は、雑誌などに発表されたエッセイをまとめたものであり、先に書いたように人物別に書かれているので、永井さんご自身も「あとがき」に〈繋がりが深すぎて重複する部分がどうしても出てくる〉と書かれているとおり、ちょくちょくエピソードがかぶります。その部分では、ちょっとアクビが出てしまいました。
でも、読んでよかった。武蔵七党、源通親、後鳥羽院と藤原定家、の3本がかなりおもしろかったから。この人たちのことを知れる機会ってなかなかないのでは。武蔵七党はまさしく〈雑草のような名もなきつわものたち〉で、潔い分ちょっとせつなさが残るし、源通親なんてこんなにあの手この手で〈厚顔に世を押し渡った〉人がいたとは知らなかったし、藤原定家は歌人として有名だけど、後鳥羽院とのこんな確執があったとは知らなかったし。
その他の感想としては、北条政子、やっぱり好きだわと思ったのと、頼家、かわいそうだなと思ったのと、北条義時の「何もしない男」というのにちょっと笑ってしまった(いや、すごい人なんですけどね)。
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大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を観るにあたり、知識を補おうととっさに浮かんだ本作。政子自身の妻や母親の視点で書かれているが、鎌倉時代の大きな流れを理解するには適切な選択だった。
『吾妻鏡』などの資料をもとに永井さんは政子像を描いている。そもそも女性は歴史資料に残っていないことが多く、「政子」と云う名も、三代将軍実朝の時代になり朝廷から官位を授かった際に、父の名から一字もらってつけられている。頼朝の時代に果たして”政子”とは呼ばれていたのだろうか。平家との争いだけでなく、乳母一族との権力争いも凄まじい。はからずも将軍の妻、そして将軍の母になってしまった政子が、子を愛したい、子に愛されたいと願いながらも立場上許されず、夫の頼朝や大姫ら4人の子供と孫にまで先立たれてしまった悲しみに胸が痛んだ。
小説に登場する人物たちに、ドラマで活躍する役者の顔を重ね合わせて一気に読み終えることができた。 -
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ネタバレ歴史をさわがせた女たち
飛鳥奈良平安という私の好きな時代の歴史小説を普通の本屋で見つけるのは難しく、古本屋さんの方が魅かれるものが売ってたりします。
なので古本屋さんを見かけるとついつい店内に入ってしまうのですが、そこで必ずと言っていいほど見かけるのが本書。
なぜこの本だけこんなに世の中に出回っているの?しかも古本市場だけに。
とはいえ、初心者用っぽく感じたし、古い本だから読まずにいたけど、これだけいつも見かけると気になるのでとうとう購入してしまいました。。
歴史小説家永井路子さんの歴史エッセイです。
どの章もさらりと読めて楽しめましたが、その中で静御前と神功皇后の章が印象に残りました。
静御前といえば義経の恋人として有名で、鶴岡八幡宮の舞事件から貞女の悲恋物語ふうに受け止めているむきが多いけど、それは違うんだそうです。
彼女の職業である白拍子は、ドライで積極的で、芸を武器にチャンスがあれば有名人の愛人にでもなってしまう、というのが当時の姿で、そんな中、義経が失脚したあとも行動を共にするのは異例なんですって。しかも、最終的に捉われた後の尋問でも義経の行方はこたえなかったという、筋金入りの男らしさ。
そういう強い彼女が頼朝の前で恋歌をうたったのは、なにも義経が恋しくてついつい前後を忘れて歌ったのではなく、権力者の言いなりにはならないわよ、とイキのいいタンカを切ったものなんですって。そういう目で彼女を見たことがなかったから、とても新鮮でした。
また、神功皇后の章については、戦争前後で政府が、神功皇后について改ざんがあったことを著者が怒っていたことが印象的でした。
たしかに、ウソの教育はいけませんよね。。 -
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ネタバレ持統天皇の孫、氷高皇女のお話。
スポットライトを当てる人物は永井路子らしく、いいところをついてるなぁ、と思います。
生まれ、天皇となり譲位し、聖武天皇の補佐をするまでの一生。
氷高皇女は静謐な美しく芯のある女性としてかかれています。
個人的にはぱっとするところがあまりない気がするのですが、傍観者としての役割を果たしているのだと思えばその静かさもすんなりと受け入れられます。
私はサイドの人物、特に藤原不比等と聖武帝がとても好きになりました。
不比等は陰険であまり好ましくないような書かれ方をしているのですが、晩年に至るにつれて人間味のある人なんだなぁ、と思うと人の儚い悲しみを感じます。
聖武帝も、人の弱さの中に潜む狂気的な強さが好きでした。
政治的に、あるいは寿命によって敗北していく人々の強さが描かれた小説だと思います。 -
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長らく『平家物語』を食わず嫌いしてきた。
相変わらず『平家』そのものは読めていないが、こういう入門書?を手に取ろうと思っただけでも、進歩かもしれない(笑)。
大河ドラマのおかげもあって、盛盛いっぱいの平家の公達も、ようやく何人かは「固体識別」ができるようになった。
しかし、それでも、全ての人物を頭に入れるのは難しい。
女性の人物を視点にしていることで、多少なりともとっつきやすいだろうか・・・。
一族の滅亡に直面した人々の苦しみは、本書からも垣間見ることができた。
筆者は、特に二位の尼(平時子)に思いいれが深いようだ。
そして、建礼門院には、少し厳しい。
その基準は、死に対する覚悟の深さのようだ。
散り際が美しくあれ、というのは、伝統的な美意識だろうが、どうも私にはそれが受け入れられない。
正直、「生き恥をさらし」ても、生きて、生きて、生き抜く方が価値が高いのではないか、と最近は思う。
世間からの非難や好奇心にさらされ、自責の念にさいなまれながらも、生き残って、生命を保ち続けることは、決して楽ではないだろうからだ。
そういうわけで、本書をきっかけに、自分の価値観を認識してしまった。
まあ、それはそれでよかったのだと思う。
取り上げられている女性は次の通り。
祇王、祇女、仏御前(いずれも清盛に寵愛された白拍子たち)
葵女御(建礼門院の侍女で高倉帝に愛された少女)
小督局(やはり建礼門院の侍女で高倉の愛人)
千手前(鎌倉に送られた平重衡を世話した女性)
横笛(建礼門院の雑司女で齋藤時頼=滝口入道の恋人)
祇園女御
二代后(近衛帝の后で、後に二乗帝の懇望で入内した藤原多子)
小宰相(平教盛の息子、通盛の妻)
維盛の妻
巴
大納言典侍(佐)(平重衡の妻)
建礼門院
二位の尼、時子。 -
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私にとって、平家物語はあはれの文学である。
それは、源氏物語のあはれとは少し違う。
自分の意思に関わらず、明らかに傾きつつある時代の、大きな渦に巻き込まれていった多くの人達の、時に栄華を、そして遂には偏に風の前の塵に同じ、、、を。
けれど、やはり男側から見る平家物語は軍記物としての色合いの方が強い。
その男たちの陰に隠れた、多くを語らない女達にスポットを当て、筆者独自の視点から見た平家物語がここにはある。
とりわけ私は時子(清盛の妻)が好きだ。
肝の据わった、覚悟ある人物は男であれ女であれ、傍から見ても気持ちが良い。
壇ノ浦の場面の、神器と安徳帝を抱いて入水する彼女の姿には息を呑む。
そこには平家の全てを知り、全てを背負い、その誇りを貫く気迫が、死を目の前にして生き生きと描かれている。
それは、筆者の時子への思いが一層強く現れている場面であり、原文の平家物語と同じく本作品の見どころの一つだと思う。
そして、これはただ軍記物としての脇役の女性の物語を記しただけではない。
平家物語が伝えようとしていること、平家物語の作者の立場、読み物と語り物としての平家物語の違いなど、小説家ならではの想像力を膨らませ、読み応えある作品に仕上げているあたり、さすがだなと思う。 -
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ネタバレお市の方は,織田信秀の十二男七女の中の一人,信長の異腹の妹である。自由で型破りなことが好きな信秀は,この風変わりな娘を特に愛した。当時,信秀の家格はさして高くない。そのころ尾張に勢力があった織田と言う家の家来である。もともと尾張の守護として入国してきたのは斯波氏で,織田はその被官に過ぎない。が,室町時代の末になると,斯波氏はすっかり衰え,織田がむしろ主人顔をしはじめた。その織田もその頃は分裂し,片や岩倉に城を構え本家を名乗れば,一方は清洲に拠って守護代となり,その城下に守護館を作って斯波氏を手元に引き付けておき,大義名分はこちらにあると宣伝する,といった状態である。信秀はこの清洲織田家の三奉行の一人であり,一方,岩倉織田とも血縁関係があった。その時代はともかく伸び伸びした時代だった。特に,女には今から想像するよりはるかに大きな自由が与えられていた。ルイスフロイスという宣教師は見聞記を本国へ送り続けた。日本の女の思いのほかの自由さに驚いたらしく,『ヨーロッパでは夫が前,妻が後ろになって歩くが,日本では妻が前,夫が後ろを歩く』とか,『夫婦は別々の財産をもっているし,女も性の自由をもっている。婚前の娘の処女性もあまり問題にならないし,離婚をしたからといって,女の値打ちが下がるわけではない』と。この時代にこんな自由があったのかと,奇異の感にも打たれるが,これはむしろ,現代日本人が,徳川時代になってからはめられた儒教道徳の枠の中からみるからであって,それ以前は女はもっと自由だった。長くなったが,そんな時代の大名家の波乱の中で生きる女性の物語である。
信秀は末森城を本拠とし,信長の母と弟の信行と一緒に住み,それまでの居城である那古野城を信長に譲った。ところが,信秀の死後,信長は末森城に入ることが出来なかった。母や信行の取り巻き連中が,信行を織田家の跡継ぎに奉り上げようとしていたからだ。戦国時代,最も警戒すべき相手は肉親であるというのは織田家においてもご多分に漏れず起こっていた。信長は後に天下人となるから,二十歳ごろの信長もそのイメージに合わせて想像しがちだが,若き日の信長の状況は惨憺たるものだっただろう。その頃の今川家は法度の整ったいわば先進国であるが,信長の家は叔父や弟を相手に食うか食われるかの争いを続けている野蛮人の国というような有様であった。唯一,信長の家を支えているのは彼自身の力ではなく,濃姫という妻が,斉藤道三と織田家をつなぎ,それでもっているようなものだった。信長や織田家のことを思えばこそと,信長を諫止し自殺した平手政秀や,信長を見限り出ていった林通勝などを信長は,どいつもこいつも阿呆ばかりだと叫びたかったであろう。
覇者という者には二つの顔があると思う。ライバルたり得るものには非常に冷酷に,そして人心収攬のためには部下に寛容にということだ。信長がこの両面をはっきりさせてくるのは,二十歳を過ぎたこの頃だ。既に信長は主人筋にあたる広信を殺し,叔父の信光を殺している。それでいて,いったんは信長の元を去った通勝を許している。あまつさえ信長は叔父の信光を殺した後の那古野城を,その通勝に預けている。信長のこの両面のうちの寛容性の側面はとかく見過ごされがちだ。信長は部下に対しても短気で冷酷だと思いこんでいる人は多いが,それは大変な誤解だ。確かに信長は口は悪いし,部下をぽんぽん叱り付けたりはするが,最終的な処分はなかなかしない。その点ではむしろ呆れるほど辛抱強くゆるし続ける。通勝の場合がそうだし,その後も生涯を通して,多くの例を見出すことが出来る。裏切った浅井長政を攻めたときも,思い返してくれと,有利な状況にある信長から仲直りを申し出たが,握手しなかったのは長政のほうである。実は,この寛容性こそ信長の最大の魅力であり,だからこそ部下はどこまでもついてきたのだ。信長が天下を取れた理由もそこにあろう。肉親への不信と部下への寛容という,およそ両立しにくい資質を,なんの矛盾もなしに信長の中で統一させているのは覇道への情熱だ。若干二十二歳の若者の中にこの思いがあるからこそ,恨みが残るような人間を許すこともでき,そしてまた絶対許すことが出来ない者を徹底的に追いやったのだろう。
お市が手習いなど,武士の娘のたしなみに前向きになって取り組み始めたのは,そんな信長の思いを理解し始めた頃からだろう。自分も織田の娘としていずれどこかに嫁にやられる。その際,兄信長の意志をうまく嫁ぎ先に伝え,味方に引きつけて置かなければならない。それは,織田家での濃姫の振る舞いとも無縁ではなく,憧れと恐れの両面で眺めていたことだろう。
そんな信長は,少しでも自分を大きく見せようと上洛を決行するが,今川義元や上杉謙信,武田信玄を刺激した。信長にしろ謙信にしろ,京へ行って帰るまで隠密裏に事を運び,帰国したとたん,大々的にそれを宣伝する。しかし,今川は違った。そんなこそこそと盗人のように都へ行くのではなく,堂々とやってやると。自信満々に本拠を発し,怒涛のごとき進撃の第一波をかぶるのが織田信長だった。織田方の砦が今川勢に攻撃されている時,慎重派の通勝などが籠城を主張したのに対し,信長は出陣する。出発に先だって舞ったのが,幸若舞の敦盛の一節『人間五十年,下天のうちを較ぶれば,夢まぼろしのごとくなり。一度生をうけ,滅せぬ者のあるべきか・・・』だった。義元側は四万,対する信長側は三千。しかし,今川の驕りに信長の運もあいまって,信長は偶然の勝利を得た。この痛快なまでの勝利劇に,人々は信長の神秘性や覇者性を見るのだが,九死に一生を得ると言うようなものでもなく,信長も信じられないほど,ほとんど奇跡に近かったであろう。
そんなお市は近江の浅井長政に嫁ぐ。尾張から美濃を通って西に行けば都だし,北へ向かえば越前だ。その道沿いにあるのが小谷城で長政はそこの城主である。戦国大名の家に生まれた娘が嫁ぐことは,生家にとって重大な布石だ。こうした戦国大名どうしの結婚を政略結婚と呼び,いかにも個人的な感情を無視し,女に犠牲を強いた行為だと思いがちなのは,その当時の感覚に理解が到らないための誤解である。じつは江戸時代が始まるまで,日本は男絶対の社会ではなかった。男女同権とはいかないまでも,少なくとも男女は協力体制にあった。”家”は男が絶対に支配するところではなく,女のものでもあった。そして,女たちも,生まれた家のために,応分の協力をすることが生甲斐だったのである。この場合の家とはあくまで実家である。女が嫁いで行った先の家に完全に隷属するのは,江戸時代からで,それまでは生涯実家の殻をひきずって生きていく。それは女の義務でもあり,権利でもあった。だから大名家の女が他家に嫁ぐということは,美しい花束,あるいは物言わぬ貢物として捧げられるのではなく,あくまで実家代表,実家側の外交使節として送り込まれるのである。その後,その意味を忘れて,女たちを哀れな生贄としか考えなくなったのは,江戸から明治にかけての女性観が戦国の女たちの生き生きとした生命感,使命感を捉えにくくしてしまったからなのである。
そんなお市が織田側の外交使節だと改めて感じたのは,信長が長政の裏切りにあい,その裏切りを伝えるためにお市がとった行動から垣間見ることが出来る。お市が信長に袋の端をギリギリと縄で縛った小豆の袋を送ったのである。今のあなたは,この袋の中の小豆と同様,袋のねずみですと教えたのだ。
窮地を脱した信長は,後も長政と小競り合い,騙し合い,裏切り交錯をしつつ,一五七三年についに信長は長政を倒す。戦いの前には,お市は信長の元に送り返される。政略結婚は,単なる人質とは違い,お互いの家同士に上下の差はない。お互いの間に戦争が始まると,実家側の人間として戻されるのが原則である。これは,現代の外交官が,戦争が始まると殺されることなく交換船に乗って引き上げてくるのとよく似ている。戦国大名というと,妻の生殺与奪の権を握った暴君のように考えがちだが,彼らの間には案外,騎士道的なルールが守られていたし,むしろ,それを守ることが男の誇りとさえしていた。ただそれは,女と娘のことだけであった。当時,女の子は母親のもの,男の子は父親のものというしきたりがあったから,長政敗北の当時,六歳のお茶々,四歳のお初,二歳のおごうはお市と共に城外へ出て,男の万福丸は長政の元にいることとなった。お市は万福丸を一緒に脱出させようとしたが,戦国時代のしきたりは,そんなに甘いものではなかったのである。万福丸は,城に残ったものの,母とは違う方向の城外へ脱出させられる。しかしながら,それを羽柴藤吉郎秀吉が捕らえ,無残な形で処刑する事となる。後に,臣下の柴田勝家には嫁に行っても,秀吉に迎えられる事を拒み,勝家とともに自害の道を選んだのは,このことが一番尾を引いてるような気がする。
長政を倒した信長にも,突然の死は訪れる。一五八二年だった。信長の死後,その子供たちのふがいなさと,兄信長の築いた王国が脆くも崩れて行く事にいてもたってもいられなかった。それが形となって現れたのが,柴田勝家との結婚である。忠義面して,織田家の乗っ取りをたくらむ秀吉に対抗するためだけに,まさに,柴田家の嫁に討って出たということだったと思う。信孝にも信雄にも秀吉に対抗する力はなく,お市の選択肢は,柴田しかなかったというのが実情だ。しかし,勝家は古き時代の侍であり,謀略を駆使するタイプの秀吉には勝てなかった。お市にしてみれば,この度も戦国時代のしきたりにのっとり,城を出る事もできただろうに,娘たちだけを出し,自分は勝家と一緒に,というより,信長と心も体も一緒になった思いで死んでいったのではないかと思う。
全2巻。 -
Posted by ブクログ
祇王・祇女、仏御前、横笛、千手前、二后、健礼門院、二位尼……
『平家物語』に登場してくる、名脇役から主役級までの女性たちについて、小説家・永井路子が解説してくれています。
作中の女性たちの実在不在がどうなのか、また彼女たちの言動が虚実どちらなのかは問題にせず、「なぜその役割を担わされて作品に登場してきたのか」を検証していることがおもしろい。と思うのです。
横笛や千手前の物語は河村恵利さんのプリンセスコミックス「歴史ロマン」シリーズでも楽しみました。
『平家物語』のリズム感が好きで、機会があれば音読したりさせたりするのですが、物語の展開上、女性の描かれ方はあまり好きではなかったのです。地に足つけて、己の力で生きていけるような時代でなかったせいもあるのか、流されるまま、翻弄されるままに不幸を背負っている気がしまして。
人物たちに対しての印象がそれほど大きく変わったわけではないのですが、なぜ彼女たちが今の形で語り継がれるようになったのかが見えてきたのは、良かったと思います。