渡邉雅子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
いわゆる論理学とか記号表現される形式論理 (真に厳密な論理) の話でなく、論理「的思考」なのがポイント。形式論理以外にレトリック(日常会話での説得)、科学、哲学と三分野あるが、それぞれの分野にあった思考法があり、どれも論理的には完全ではない(間違いもあるし、全ての人が正しいと思うものもない)。レトリックは、蓋然的推論であり例証が完全でない論理。科学は、アブダクション→演繹→帰納の流れで完成度を上げる。哲学は、物事の本質を問うものである前提/常識から疑う/議論するもの。この序章までの話で自分にはワクワクである。
分野もさることながら、本書では論理「的」と思うのは多分に文化/常識/教育 (何を重視するか) に依るところが大きいと。形式合理性/実質合理性、主観/客観の2軸4象限の領域に分類。象限毎に重視する領域として経済、政治、法技術、社会が対応。更に作文を例に具体的に国と対応づけて深掘り分析する流れが説得力高い(米=経済=効率重視=エッセイ=結論を先で補強、日=社会=共感/道徳重視=感想文/意見文=個人の体験/変化の共有、他略)。日本に対する分析として、歴史的に利他性や空気を読む感覚は国語教育/作文教育によって養われてきた。一方で、決断力、主体性の欠如に繋がる。とは言え、(アメリカと違って)慎重な判断ができるメリットはある、は正に世界情勢。
ビジネス上ではアメリカのエッセイ風が主流だが (この信奉が強過ぎる)、何をどのような構造でどういう順で書くかは領域によって違う。向き不向きや目的が違うだけで優劣がある訳ではない、は目から鱗。領域/前提を合わせて(使い分けて)議論するのが大事であるが著者の提言。でないと文化的に衝突して噛みあわない。もちろん本書も構造的論理的でとても読みやすい。正→反→合の流れで弁証法的? -
Posted by ブクログ
とても面白い本だった。文章もすっきりとしていて読みやすく、あっという間に読み終えた。論理的とは、読み手が期待する情報が期待する順序に並んでいることで、議論する社会での合意事項なのだ、というのは新鮮だった。議論の仕方は思考法とも密接に結びついているので、国際的なコミュニケーションでは心得ておくべきことだろう。
社会によって重視している規範が異なり、論理展開(思考表現)には合理性(形式的および実質的合理性)と主観・客観性を二つの軸として四つの類型があるという。それが作文の教育に反映されている。確かに、アメリカと日本を比べるとそうだ。興味深いのはフランスのディセルタシオンで弁証法を取り入れているところ。相当な教養が求められそうだ。アメリカのエッセイやディセルタシオンには型がありそうだが、日本の作文にはなさそうだ。このあたりに、論理展開の型が違うだけではない日本人の議論下手の一因がありそうに思った。序章の西洋思考のパターンも簡潔にまとまっていて、頭の再整理になった。 -
Posted by ブクログ
論理的思考といえばアメリカ式エッセイのように結論をまず言って論拠を重ねていく、まさに世界共通で普遍の論理だと思っていた。しかし本書により、何をもって論理的とするかは、文化や時代によって多元的であると実感することができた。ここでは、アメリカ・フランス・イラン・日本の歴史的な背景や教育制度を比較することで理解を簡単にさせてくれる。逆に、中国やドイツ、ロシア・・その他様々な国はどのカテゴリーに近いのか気になった。これらの違いは言語によるものではなく、本人の文化がどういった価値観に重点を置いてるか、その社会的な背景の目的の違いによるものであり、多様性を理解することで複合的な論理的思考を選択できるという主張。
論理といえばアリストテレス(紀元前4世紀)、その影響は西洋で絶大で、今でもフランスではその伝統を受け継ぐような教育をしているとのこと。4分野の思考法は演繹的推論の論理学、蓋然的推論で説得を試みるレトリック、結果から原因を推測(アブダクション)する科学、弁証法で形而上的真理を探求する哲学に分類される。古代ギリシアのレトリックといえば、データや経験的事実を理性的に活用するか(ロゴス)、道徳心や共感など感情に訴えるか(パトス)、謙虚さや思慮深さを示して自分が信頼に足ると示して倫理的に説得するか(エトス)。まさに古代ローマの皇帝や元首、元老院や将軍の長い見事な演説に見られる通りの方法だ。また形式合理性、実質合理性のY軸と主観・客観のX軸マトリックスに当てはめた経済、政治、法技術、社会、それぞれの論理が分かりやすく分類されている。
アメリカの入試は13歳からはじまるといわれ、学業・芸術・スポーツ・社会貢献など実績を積み上げて大学の志望動機を説得のエッセイの根拠として築き上げていくスタイル。他者との差別化を論証する教育制度で、目的に向けて無駄がなく要領がよいものが勝ち上がっていく。これは高等教育の大衆化が背景にあり、論文を素早く採点できるまさに工業的な量産(経済重視、コスパ重視、タイムイズマネー)の背景がある。そして競争を勝ち抜いたエリート層は自分には能力があり、得られた地位や膨大な報酬が自分の能力の対価として妥当だと勘違いし、メリトクラシーの副作用としての分断が今アメリカで起きている。ヨーロッパ型のエリート教育から大衆教育への転換、もしかするとアメリカだけの話ではないのかもしれない。熟考が軽んじられ、経済優先で倫理が軽んじられるあたり、まさにアメリカの社会や企業を表していて目から鱗の因果関係に感じられた。
対してフランスは弁証法が重んじられるディセルタシオンの書き方に重きを置く。歴史的な背景はやはりフランス革命にある。法のもとの平等、政治主体としての国民を育成することが目的で、法律を評価し訂正する能力を付与することを求めるもので、近代の学校でよく見られるような国家を支える労働者や兵士を育成する目的とは一線を画する。そしてその探求に終わりはなく、ディセルタシオンの最後は今後の課題を提示する終わり方が理想とのこと。アメリカ方式からすると余計な弁証法の方式は無駄が多く、採点する側のコストが高くつく実害もある。そして引用元として未だに啓蒙時代のルソーなどが出てくるのもある意味衝撃的だった。
イランのエンシャーについては法技術の論理として紹介されているが、イデオロギー最優先(宗教原理主義)文化圏を理解する上で重要だ。結論は神の言葉ですでに提示されている。コーランはもともと暗誦されることが前提だったため、作文の教育は最近始まったそうだ。これだけ自然や宇宙が調和しているのは神の存在を証明している、万有引力も相対性理論も進化論もそれを後押ししているということになるらしい。暗誦にとくに秀でた一部の特権者が法学者としてコーランを解釈する地位を得る。
そして日本の教育で紹介されるのは感想文だが、これは個人の経験から何を感じ、何を学んだかを内省させ、クラスメート(共同体)で共有して利他に基づく社会領域の道徳形成を担っているという。そこでは決して教師が正答を押し付けるのではなく、相手の立場にたって考える能力の高さを美徳としている。日本人の民度が特別高いとは思わないが、道徳が重んじられる社会的風潮があるのは確かだ。ちなみに起承転結で書くようにと小学校でも習うが、これは古代中国の漢文から来ているとのこと。日本人の曖昧さや決断力の欠如は批判的に見られることが多いが、予測不可能な新時代では大きな間違いを起こさず柔軟に対処できる点と、ゲーム理論にあるように裏切って短期的に最大利益を狙うよりも協力・協調する戦略が優利となる点を肯定的に捉えられている。確かにアメリカの目的と手段を直線的な論理で結ぶ思考法は、世界を単純化しすぎて、政策も失敗の繰り返しだ(まさに現在進行系) -
Posted by ブクログ
名著ってこういう本のことを言うんだ、と思いました。
「はじめに」からとても興味深くて引き込まれ、少し分からないかも?と思った文のすぐ後には具体的で理解しやすい説明が入っており、こんなにも難しい題材なのにすんなりと理解できました。
四領域の思考法を読み、なんとなく一般に言われている論理的思考(ロジカル・シンキング)が苦手だと思っていた私は、もう圧倒的に社会の論理が根付いている、完全に日本の教育に染まった人間だと分かりました。汗
本筋とは少しズレるのですが、学生の時、国語の心情問題に対して、周りに「なんでこんな問題出るんだ」「これできて何になるんだ」と言っていた人がいた事を思い出しました。たしかに勉強して解けるようになる問題じゃないな、とは思っていましたが、私は何の疑問もなく解けるタイプで「これができても意味無いのかな」と密かに思っていました。本書を読んで、知らないうちにいろいろな力を動員していたことを知り、初めて解けることを褒められた気がして、少し嬉しく思いました。
この本を読んで、「自分が拠って立つ」領域が見えたので、これから議論や何か意見をする時には、「目的は何か」をはっきりと捉え、その場に必要な思考法という手段を選びとることができるようになりたいと思いました。
と、普段通り書いたらしっかり感想文スタイルになっています。笑 -
Posted by ブクログ
面白かった!
文化によって、思考の型が異なり、書く型が異なり、「論理的」と言われるものが異なり、「価値のあると言われる能力」も異なる。
アメリカ、フランス、イラン、日本の教育方法、特に作文・小論文の型と歴史教育に焦点をあてて、そこから求められる「論理的」について考えていく。
そもそも、作文や小論文が国によって違うなんて思ってもいなかった。どこの国も「感想文」を書かされているものだと思ってた。。
この本ではアメリカ→フランス→イラン→日本の順に紹介されていく。他の国の話を読んだ後での日本の話は本当に驚きだった。
自分が当たり前と思って受けていた教育を、他の国と比較しながら客観的に解説されると、なんだか誰かの掌の上で踊らされていたような、そんな気分になった。
特に、国語の授業でよくあった、それぞれの意見をだす→クラスのみんなとの話し合いで、とはいえ先生の誘導のもと→1つのそれっぽい答えにまとめる。は、確かに「周りの空気にあわせる」練習だったんだなって思った。
とはいえ大学の論文や、社会人になってからは急に「自己主張」を求められるようになるから、え、難し!ってなってたんだなと思ったり。
①経済原理(アメリカ)
効率的に最大限の収益をあげることを目的とする
効率的な行為を合理的とする
決まった結論がある
小論文では始めに結論を述べる
→1970年代、大量の小論文の採点をするために作られた型
個人が主張を持ち、明確に伝えられることが評価される
②政治原理(フランス)
フランス革命後、共和制になった歴史から「公共の利益」を考えられる市民の育成を目指した
小論文の型はディセルタシオン 正ー反ー合 の弁証法
「自分で考える」とは、「自分がこう思うと」は違う。自分と反対の意見も理解したうえで、より良い解決策を提示すること
決まった結論はない
③法技術原理(イラン)
決まった結論がある。それは真理、イスラム法
目的も手段も所与の物のとして、客観的に提示される
小論文の方はエンシャー
結論部分ではあえて直接的な言い方を避けて、すでに決まっている道徳的なメッセージを読み手に伝える
小論文の目的は、学習者に思考を整理させる、理論整然と話したり書いたりできるようになること
④社会原理(日本)
目標の達成より、価値に向かう正しい態度や意欲が重視される
感想文:体験を通じた自己の変容
他の人の立場から自分の考えを見直すこと、他の立場に立つことを重視する。個人の感じたことを話し合いによって社会的に期待される感想にすり合わせていく教育を通じて、共感を獲得する
歴史では、「なぜ起こったのか」ではなく、「どのように起こったのか」と手段や背景を重視する教え方がとられる
※4つの原理を学ぶことで、各原理を時と場所、相手によって適切に使いこなせるようになると良い