シッダールタムカジーのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「がん」と、その治療に挑む医師・科学者と患者たちの間の長い物語。外科手術、化学療法、放射線療法、予防医療、など、「がん」から身体を守るための戦いの歴史が綴られる。医学的な探求だけでなく、黒胆汁がその原因とみなされていた古き時代の話から、政府やスポンサーから研究のためのサポートを引き出すためのロビイングの話も物語の中での重要なパーツとして描かれている。副題は"A Biography of Cancer"。まさしく、がんの「伝記」として成立している。著者はこの本のことを「真の意味での「伝記」であり、この不死の病の思考のなかに入り込んでその性質を理解し、その挙動を解明しようとする試みである」としているが、まったく正しい。
単なるがんの解説書と本書とを分ける大きな特徴のひとつに、ほぼすべてのエピソードを個人名とくくりつけた上で記述されているところがある。このことは、特に著者の視点では、おそらく非常に重要だ。まだ存命の人も多いこともあり、本書を書くためには慎重かつ多くのリサーチが必要であっただろう。この本のためにそれが必要であったとしても、敬意を払うべき多大な努力が注がれている。上下巻の大部であるが、読む価値はある。何よりも自分も含めておそらく我々の三分の一か半分はその身に宿すことになる怪物の「伝記」なのだから、その正体について知ることが重要でないわけはない。
さて、本書のタイトルは、「病の皇帝(The Emperor of All Maladies)」である。もっとも、がんが皇帝のポジションを獲得したのは最近のことだ。疫病など他のすべての病が克服されて初めてがんが病として前景化してきた。「文明化はがんの原因ではなく、ヒトの寿命を延ばすことで、がんを覆っていたベールを取り去ったのだ」。いまや、がんの「克服」は人類がもっとも切望しているもののひとつだ。そして、今はまさにその皇帝が退位する前夜なのかもしれない。
下巻の中ほどで、がんの発生メカニズムが次の6つの本質的な細胞生理学的変化の現れに求められることが明らかにされる。
1. 増殖シグナルの自己増殖
2. 増殖抑制シグナルへの不応答
3. プログラム細胞死(アトポーシス)の回避
4. 無制限な複製力
5. 持続的な血管新生
6. 組織への浸潤と転移
これらが遺伝子の累積的変異によって重畳して発生する。「がんを患う」ということは、体内で起きている長くてゆっくりとした「発がんのマーチ」なのだ。「遺伝学的に言って、われわれの細胞はがんの奈落の縁に立っているわけではない。奈落に向かって、徐々に、段階的に引っ張られているのだ」。遺伝学的にがんになりやすい人や、なりにくい人がいる理由も、遺伝子変異を起こす発がん性物質にさらされるとがんが発生する確率が高くなる理由もこれにより説明される。
「がんの言語は文法的であり、整然としており、そして ― 書くのがためらわれるのだが ― かなり美しい」
ここにいたって、科学によるがん発生のメカニズムはある程度解明された。また、具体的に発がんに関わる遺伝子もいずれ特定されることだろう。だが、その成果はいまだ効果的な治療につながっていないし、古い治療の効果を説明することもできていないでいる。これからもまだ多くの人が戦いを挑み、そして最後にはいその「伝記」の終わりのページを書くことになるのだろうか。
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上巻の最後に著者へのインタビューが掲載されている。本書の著者は実際に現場で患者を持つ腫瘍医でもある。患者の存在がこの本を書く動機になったとも言っている。
そのインタビューの中で、本書の要点のひとつは、「今までの努力は何一つ無駄ではなかった」と念を押すこと、だと著者は語る。この「何一つ無駄ではなかった」は下巻の章題にも採用されている。「本書には歴史に対する敬意が込められています」と語る。そして、インタビューの最後を「書きつづけることができたのは、この話を語らなくてはならないという、ある意味、切羽詰まった思いがあったからだと思います」で締める。著者の思いがにじみ出ている本である。
最後に。専門用語も頻出する難しい内容だが、非常に読みやすい丁寧な翻訳になっている。ありがたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレそして下巻はがんの予防、そしてついに来ましたがんのメカニズム解明。
細胞分裂の開始と終了を司る遺伝子が変異するのが原因、てことで分裂のアクセル踏みっぱなし、かつブレーキが壊れた状態になってまうらしい。そりゃワサワサ増えるわな。。。で、その遺伝子を標的にした、副作用の少ない分子標的薬がついに出回り始めました、という現状でこの大作は締めくくられとります。
最後まで読んでふと思ったのが、実は"がん"って病気とは違うんとちゃうか、と。もちろん発がん物質のような外部要因もあるけど、普通の細胞分裂でもDNAのコピーミスが発生して、そこからがん、ってのも確率的にありうる話やからなあ。
あらかじめ生命の設計図に記載されてる、自分の別バージョンみたいなもんとも言えるなあ、とそんなことを考えさせられました。もちろんできれば発症したくはないけど(-_-)
がんを知るにはホント最適な本やと思うので、あまねく人にぜひオススメ! -
Posted by ブクログ
実は4000年の昔からあったけど、ほとんどの病気を克服して寿命が延びだしたとたん、やな感じに存在感を増してきた、がんと人間のお話ですよ。
で、上巻はがん治療と、社会運動について。原因とメカニズムがなかなか解明できないので、ほんの30年ほど前までは力押しの治療がメインで、効果の割には患者さんの負担が大きかったそう。将来悪くなりそうなところ含めガッツリ摘出してまうか、命の限界まで抗がん剤を投与して、正常な細胞もろともがん細胞を焼き尽くすか。これはキツかったやろうな(-_-;;;
著者は現役バリバリの腫瘍医さんやけど、書いた理由が2つあるらしく、
①患者さんから受けた「がんとは何か」という質問に対する答え
②これまでの医師、患者さんの闘いの歴史に敬意を表するため
凄まじくスリリングでページをめくる手がアンストッパブルやけど、ここまで重たい本もなかなかないわ。。。というわけで下巻にレッツゴー! -
Posted by ブクログ
がんはどうやってできるのか?最初のヒントは1775年のロンドン。クライミング・ボーイと言う煙突掃除夫に陰嚢がんが多発した。チムチムチェリーはすてきな歌だが実態は病気の温床だった。1761年素人科学者のジョン・ヒルは噛みタバコが口腔がんなどを引き起こすと発表した。タバコの消費は増え続け1855年頃クリミア戦争を契機に爆発的に拡がった。イギリス、フランス、ロシアの兵士が紙巻きタバコの習慣を持ち帰り、アメリカにも伝播した。1870年に一人当たり年間1本未満だったアメリカのタバコ消費量は30年後にはアメリカ全体で35億本のタバコと60億本の葉巻を消費した。しかしタバコと発がん性の関係が調査されたのは1948年ごろアメリカとイギリスの別のチームが同じ結論に達した。しかし喫煙と肺がんの相関関係がわかったとしても将来のリスクはわからない。1951年10月31日ロンドンのドールとヒルはついに追跡調査をすべき集団を見つけた。4万人を超える医者からのアンケートを回収し喫煙者と非喫煙者の仮想の集団を観察したのだ。集団内の死亡報告が上がるたびに集計し29ヶ月後789人の死亡が確認されその内36人の肺がん患者は全て喫煙者だった。1964年には臨床試験参加者数112万3千人と言うルーサー・テリーの報告書が提出され連邦取引委員会はタバコ会社にパッケージに「喫煙は健康に害を及ぼします」と表示するように提案した。政治的な力を持つタバコ会社の抵抗にも関わらず反タバココマーシャルはタバコのテレビコマーシャルを1970年末に中止させた。1983年に弁護士マーク・エデルは肺がん患者シポロンに勧めてタバコ会社に対して訴訟を起こした。シポロンがタバコのリスクを認識していたことは認めながら、重要なのは「タバコメーカーが喫煙リスクをどれだけ認識し、そのリスクを消費者にどれだけ公開していたか」だと。裁判自体はタバコ会社の勝利となった(責任は20%)がタバコ会社はその後も攻撃にさらされつづけた。
がん研究の重要な一歩はエイムズによるサルモネラ菌の変異の研究から生まれた。サルモネラ菌を様々な化学物質で曝露し、元の菌が増殖できない培地に置いたときにどれだけ増殖するかは菌の突然変異によって決まる。菌を突然変異させる化学物質はがんの原因物質にもなりやすいと言うことが研究で裏付けられた。これが変異原性試験ーエイムズ試験で今では新しい化学物質を登録する際には必須の試験になっている。しかし、アスベストなどはエイムズ試験では変異原性を判定できない、万能ではないのだ。
1960年代にはHBV(B型肝炎ウイルス)に感染すると、肝細胞がんのリスクが高まることが発見された。ブランバーグは遺伝子調査をしている際に血中タンパク質に注目し、HBVの感染を見分ける方法に気づいた。ウイルスが直接ガンの原因になることは証明できなかったもののブランバーグは発ガンウイルスの検査法とHBVのワクチンを開発することで伝染を止める方法を開発した。
1979年胃炎の原因を調べたマーシャルは未知の細菌をなかなか見いだせずにいたが、ある時放置したままの培養基からピロリ菌を発見した。細菌が胃炎の原因になることを証明するためには感染させる実験をしなければいけないが、ブタは感染しなかった。1984年7月マーシャルは行き詰まり、助成金の申請も難しくなり究極の実験を行う。絶食して培養されたピロリ菌を飲み込んだのだ。数日後に具合が悪くなり内視鏡検査をした結果、急性胃炎を起こしており胃壁は細菌の層に覆われその下に潰瘍ができていた。若年層に対しては除菌は胃がんの発生率を大きく下げたが、慢性胃炎の高齢者にはあまり効果がなかった。
1920年代に徹底的な細胞観察で子宮頸がんの異常細胞を発見したパパレンコウは発表時点では笑われた。子宮頸がんを診断するなら細胞塗抹なんて面倒なことをせずに、なぜ子宮頸部の生検をしないのか?パパレンコウのド録画実ったのは1952年、NCIの史上最大規模の臨床試験で15万人の女性がパップテストを受け、555人に浸潤性のがんがみつかり、そしてより大きな意味を持つ発見、557人のほぼ無症状の前浸潤がんが見つかった。そして前浸潤がんと診断された女性の平均年齢は浸潤がんと診断された女性より平均年齢が20才若かった。これにより子宮頸がんは治る病に変わった。そして、早期発見の可能性も拡がっていく。
1981年それまでは化学療法によって大多数の白血球を破壊されたがん患者によく見られたニューモシスチス肺炎がアメリカ中の若い男性患者に見つかる。後にAIDSと名付けられたこの病気は当初ゲイ関連免疫不全「GRID」と呼ばれた。この病気が変えたのは認証薬のあり方だった。エイズ活動家はFDAの承認プロセスを攻撃した。「二重盲検法をつくった者たちは、末期の病のことなど念頭に置いていなかった。何も失うもののないエイズの犠牲者達は、喜んでモルモットになりたがるだろう。」シュプレヒコールは「薬を体へ、薬を体へ」。がん患者も声を上げる。エイズが未承認薬を使うのならばなぜがんには使えないのか。転移性乳がん患者は効果が確認されていないにも拘らず大量化学療法と骨髄の自家移植へと殺到した。未承認の治療法への治療費支払いを拒否した保険会社は敗訴し、保険会社のその姿勢のために治療が遅れたと8900万ドルを賠償請求をされた。この時にはまだ臨床試験は続けられていたが、患者は臨床試験ではなく高額の治療を選んだ。しかし、この治療法を推進する強力なデーターであった南アフリカの治験データーは全てねつ造されたもので、1999年から5年間かけて実施された臨床試験では乳がんのリンパ節転移に対して超大量化学療法と自家骨髄移植は否定された。(その後ある種のリンパ腫を自家骨髄移植が完治させることが判明している)
がんの原因は何か?1970年代にはがん遺伝子が見つかった。srcと名付けられた遺伝子からつくられるタンパクがいくつもの細胞を活性化させ分裂加速状態へと陥らせる。では、がんは内在的な病気なのか。これまでの発がん物質との関係はどうなるのか?遺伝子の研究が進むと細胞分裂を進めるアクセル遺伝子(原がん遺伝子)と止めるブレーキ遺伝子(がん抑制遺伝子)があることがわかってくる。網膜芽細胞腫(Rb)遺伝子のケースでは正常なRb遺伝子は対になっていてブレーキとして働き、二つの遺伝子が両方変異して不活性化するとブレーキが壊れ分裂が止まらなくなりがん化する。発がん性物質は様々な理由で遺伝子を変異させ、結果としてアクセルを踏むかブレーキを壊す。また、細胞分裂を繰り返すと遺伝子のコピーミスが起こり変異した遺伝子ががんを発生させる。
がん細胞はタンパク質をスイッチにして次々と他の遺伝子を活性化することがわかってきており、その際がん遺伝子が特異的につくるタンパクと結合する物質が考えだされた、それが分子標的薬だ。組み替えDNAの技術によってジェネンテック社は薬としてタンパクを作れるようになっていた。乳がん組織のHer-2と言うタンパクに結合する特別なタンパクー抗体がわずか3年で合成された。92年に臨床試験が始まり、98年にFDAに認可されたハーセプチンだ。
1993年、6年前に乳がん手術と化学療法を受けていたマーティ・ネルソンは乳がんを再発しいろいろな文献を調べハーセプチンにたどり着く。しかし、健康維持機構はハーセプチンは未承認だからHer-2陽性かどうかを調べるのは無意味だと言い、ジェネンテックはHer-2陽性とわからなければ使用許可を出せないと言う。1994年10月手を尽くしてようやくハーセプチンの理想的な候補者だとわかったが遅すぎた。9日後ハーセプチンの使用承認を待ちながらネルソンは亡くなった。この事件がきっかけでジェネンテックは臨床試験は患者に対して行うのではなく、患者と一緒に行わなければならないと気づかされた。副作用に対するリスクを重視すれば未承認の薬をばらまくわけにはいかないが、一方で副作用がどうとかを待てない患者がいる。患者と製薬メーカーと行政がどう折り合いを付けるかは病気の種類や深刻さによっても変わるのだろう。
ヒトゲノムは解読されたががん遺伝子の解読はまだ始まったばかりで散発的にがん遺伝子と抑制遺伝子が見つかってきている状態だ。同じがんでも人により効く薬も違う。がんとの戦いはまだまだこれからだが、少なくとも進むべき方向はわかってきたようだ。 -
Posted by ブクログ
紀元前2625年頃活躍した古代エジプトの偉大な医師イムホテプの教えた書と言われるパピルスの写本には48の症例がのっている。その一つが乳がんで「治療法はない」この後がんは古代医学史から姿を消した。次に現れたのは紀元前440年頃、ヘロドトスの「歴史」にペルシアの王妃アトッサの同じく乳がんの記述が出てくる。アトッサはギリシャ人の奴隷医師に摘出手術をさせどうやら成功したらしい。故郷に帰ることを願う医師の訴えを聞きアトッサはギリシャを攻めるよう夫に進言し、ギリシャ・ペルシア戦争が勃発した。
がんの歴史の特徴は古代にはほとんどがんが見つかっていないことだ。しかし、がんが文明病だとは言えない。平均寿命の伸び、がんを診断できるようになったこと、そして他の病気が征圧されていった結果がんの罹患率が上がっている。1900年にはアメリカ人の死因の圧倒的1位は結核で肺炎、下痢、胃腸炎が続きがんは7位だった。1940年代には心疾患に続く2位となり同時に平均余命は26年のび、60才以上の割合は倍になっている。
ヒポクラテスが名付けたがんは目に見える場所にできる腫瘍がほとんどで悪性と良性の区別もなく、病気の原因は4体液説(赤ー血液、黒ー黒胆汁、黄ー黄胆汁、白ーリンパ液)で説明されこのバランスが狂うことが病気の原因とされた。近代まで続けられた治療法の瀉血は悪い血を抜いて病気を治すと言うものだがこの4体液説に基づいている。がんの原因は黒胆汁とされたがいくら乳がんの切除手術をしてもそんなものは見つからなかった。
1760年代、近代外科医学を発展させた解剖医ジョン・ハンターはすでに腫瘍の摘出手術を始めている。この当時ハンターは可動性のあるがんは手術で取り除くことができたが見極めは慎重にしなくてはいけない、取り除くことができない腫瘍=浸潤したがんについては手術では治療できないと言っている。その後、麻酔と消毒が発見され1850年から1950年代には腫瘍摘出手術は花開く。20世紀初頭には転移のない原発性のがんは摘出手術によりかなりの確率で完治した。そうするうちに腫瘍を取り除いてもがんが再発するケースが見つかっていく。ではもっと初期に徹底的に取り除けば完治するのでは?
1900年代にジョンズ・ホプキンス大学の外科医に抜擢されたハルステッドは乳がんに対し根治的(ラディカル)な手術法を生み出した。摘出した部位の周辺にがんの再発が見られたため原発腫瘍の取り残しが再発させたと考えたのだ。女性の外見を損ねないように手術範囲を小さく取るのは間違った優しさで、根こそぎにするのが正しいと。ハルステッドの術式は大胸筋を切り取り、鎖骨を切ってその下のリンパ節群もとった。この後他の治療法にも共通するがんに対しては徹底的な攻撃がこの時始まっている。しかし、根治的な手術の生存率を統計に取った所、リンパ節に転移がなかった患者の5年後の生存率が高かったのに対し、転移していた患者はどんなに大きく腫瘍を切り取っても効果は見られなかった。手術が有効なのは転移していない患者だけならば大きく切り取ることに意味はあるのか?
1895年レントゲンによりX線が発見され、1896年ベクレルがウランをそして1902年キュリー夫妻が数トンの泥炭地帯のピッチブレンドと言う鉱石を400tの水で洗い0.1グラムの新しい元素ラジウムを発見した。ラジウムの強力なX線は人体を透過しいわゆるレントゲン写真が取れることがわかったが、同時にマリ・キュリーの手はやけどの症状を起こした。生物学者のその後の研究でX線は細胞分裂のさかんな細胞を選択的に攻撃することが判明する。1896年X線管を造る工場で働いていた21才の医学生グラッベはがん治療に応用することを思いつき乳がん手術後に再発した患者にX線照射を始めた。再発したがんは縮んだがすでに転移しており患者は数ヶ月後に亡くなった。より強力なX線を出すラジウムを腫瘍近くに埋め込む手術が考えだされたが、放射線はやけどなどの副作用だけでなく、新たながんを発生させてしまう。
手術でもX線でも治せないがんには全身的な治療が必要で、がんだけを攻撃する毒の探索が始まった。1882年コッホとともに結核菌を染色する方法を発見したパウロ・エールリヒは動物の細胞を染色することを考えるうち細胞に直接取り付き攻撃する方法があると思いつく。化学療法の誕生だ。梅毒治療薬を見つけたエールリヒは1904年から8年にかけて膨大な化学物質から抗がん薬を探し続けたがついに見つけられずにいた。抗がん薬の前駆体をつくる染料工場、バイエルやヘキストはこのころ毒ガスの原料としてマスタードガスをつくっていた。1919年マスタードガスの攻撃を生き延びいた兵士を検査したアメリカのクラマー夫妻は骨髄の造血細胞が破壊されていることを発見した。皮肉なことに化学兵器が特定の細胞だけを攻撃したのだ。
化学療法の効果はどうやればわかるのか?がんの転移は目に見えない、そこで対象に選ばれたのが目に見える白血病だった。白血病の化学療法の臨床研究を進めたシドニー・ファーバーは貧血の原因としてビタミンの一種、葉酸が細胞分裂に必要なことから葉酸のふりをして細胞と反応し、しかし細胞分裂の役に立たない物質が白血病を抑えるのではないかと考えつく。1948年16例中10例が治療に反応し、5例では4ヶ月、最大で6ヶ月患者は生存した。
1950年代にはがんの化学療法は医学会ののけ者になっていたがその中のさらにのけものミン・チュウ・リは朝鮮戦争の徴兵逃れのためにアメリカに逃げてきた研究者だった。がん細胞の出すホルモンをマーカーにリはほぼ正常値にもかかわらず投薬を重ねていった。患者は見ず数値だけを追っかけた治療、つまりすでに腫瘍が消えた患者に副作用のおそれがある化学療法=毒を大量に投与した結果リは解雇され、そして患者は完治した。これ以降化学療法は単一薬から複数のカクテル療法へそして患者が耐えられる限り大量に投薬されるがんとの戦争の道をつきすすむ。根治的な手術はなくなったが根治的な化学療法がそれに取り代わっていったのだ。
がんに対する化学治療を軌道に乗せるにはどうすればいいのか。ファーバーは野球ファンの小児がん患者ジミーをラジオに登場させ、ボストン・ブレーブスの選手を病室に呼びよせ感動的な中継により研究のための基金を呼びかけた。ジミー基金はがん研究のための国家の殿堂を建てるにはとても足りなかったがファーバーは気づく。がん撲滅キャンペーンは政治キャンペーンと同じだと。ファーバーは国庫をこじあけるロビー活動が得意なメアリ・ラスカー「医学研究を助けるやさしい妖精」と出会った。
がん研究の実態を把握すべくアメリカがんコントロール協会を訪問したラスカーはちまちました協会の体質を一掃する。がんを大衆の問題にし、ロビー活動をするために活動家を引き入れ組織はアメリカがん協会(ACS)に改称された。ACSは科学組織としては極めて珍しい最高責任者が素人の巨大な圧力団体に生まれ変わった。ラスカーは議会で闘うために科学の世界の住人を必要としていた。活動家集団ラスカライツの方針を本能的に理解し、その方針を科学的威信で支えてくれ、さらに言えばがんの研究に没頭し、さらに広い国家的舞台に立ちたいと願っている人物を。ラスカーはファーバーと出会った。
ファーバーとラスカーは手を握り、終戦後拡がった長期的な基礎研究を主体とする文化に対し「がんのためのマンハッタン計画」戦時中に行われた実用的目標を念頭に置いた目的指向型研究のため激しいロビー活動を行い、1954年国立がん研究所(NCI)による抗がん剤発見のプログラムを上院に認めさせた。82700種類の合成化学物質、11万5千種の発酵品、17200の植物成分を年に100万匹のマウスに投与するファーバーの長いあてどもないがんへの総攻撃が始まったのだ。 -
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ネタバレガンがエジプト/ペルシアなど古代文明で認識(ペルシア王妃が乳がんを切除)されて、そのかにのような固さ、広がった形からcancerと名付けられてから、現代までの経緯を著者自身の臨床経験と交えて熱く語る今年一番の力作。
特に20世紀は寿命が伸び、タバコなどの発がん性物質もより一般化して来たガンの世紀となった。一方治療も手術は過激ともいえる、できるだけ切除する方法、化学療法は大量のカクテル療法を行い、正常細胞を死ぬまで追い込むあるいはがん化させるリスクを十分冒して対抗した。その背景は、遺伝子に異変を引き起こすガンの仕組みが明らかではなく、対処療法にとどまったことだ
21世紀の後半にかけて
1.増殖シグナルの自己否定、2.増殖抑制シグナルへの不応答、3.アポトーシスの回避、4.無制限な複製力、5.持続的な血管新生、6.組織への浸潤と転移
と行った特徴が明らかになった。がなかなかこれらの知見に対応する治療法が生まれず/認可されず、時間の限られた患者との間での摩擦が高まった(エイズも同様)。しかし1980年代後半から、増殖シグナルを抑制する分子標的薬ハーセプチンの研究/認可が進むなど局所疾患、急激な成長、生体の機能の利用(血管を持ってくるなど)へ対応した治療法が出て来ており、完治数がこの20年で毎年改善していることは医学の勝利への希望が高まっている。
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Posted by ブクログ
下巻では、1970年以降から現在までの科学研究や遺伝子に関する医療その他の技術の進展が描かれる。
第四部は、人類遺伝学が語られる。
妊娠中絶の合法化と遺伝子解析技術の発展により、人間に対する新しい種類の遺伝的「介入」、つまり新しい形の「優生学」が登場する。ただ、疾病遺伝子を見つけるためには、まずは遺伝子のゲノム上の位置を突き止めなければならないが、1970年代当時にはその技術は欠けていた。様々な苦労を経て、ハンチントン病を引き起こす遺伝子、嚢胞性線維症の原因遺伝子が特定されるなどして、1990年代前半には、遺伝子の地図が作られ、遺伝子が単離され、解読され、合成され、クローニングされ、組み換えられ、細菌に導入され、ウイルスのゲノムに入れられ、薬をつくるのに使われるようになっていた(88頁)。
しかし、これらの「単一遺伝疾患」であればともかく、人間の病気のほとんどはヒトゲノムに広く散財する複数の遺伝子の相互作用を理解するのでなければならない。例えば、ガンであり統合失調症のように。そこでヒトゲノムの解読計画が開始され、これまた競争や反目がありつつも、2000年に全ヒトゲノムの”最初の”解読”の完了が発表された。
第五部からは、遺伝学の新しい展開について述べられる。それまで人類遺伝学は、自らを病理学、「人間に苦しみを引き起こすさまざまな疾患」に関連付けてきたが、遺伝学は新しい道具や方法で武装し、病理の岸から正常の岸に渡り、歴史、言語、記憶、文化、性的傾向、アイデンティティ、人種などを理解するための、新しい科学になることを目指すこととなった(160頁)。それにより遺伝学の分野は、複雑な科学的・道徳的な謎への対峙を強いられることになった、と著者は言う。
具体的なテーマとして、人種、知能、性的アイデンティティに関する生まれか、育ちか問題などが取り上げられ、論争の経緯や内容が詳しく解説されている。
その一つとして、エピジェネティクスが紹介されているのだが、ここは良く分からなかった。エピジェネティクスとは、本書に付された用語解説によると、DNAの塩基配列の変化によらない表現型の変化を研究する学問領域のことだそうで、DNAの化学的な変化(メチル化)や、DNA結合タンパク質(ヒストン)の修飾による染色体の構造変化によってもたらされるもので、そうした変化の中には子孫に受け継がれるものもあるとのこと。獲得形質の遺伝のことをついつい想像してしまったが、そういうものではない(らしい)。
最後の第六部では、遺伝子治療、遺伝子診断の現在、そしてその将来について論じられる。着床前診断と妊娠中絶。そして生殖細胞系列の遺伝子編集。新しい優生学の時代、正にポストヒューマンの時代の幕開けである。
ここまで進んでしまっているのかというのが正直な感想。科学の世界の問題と済ませられない、倫理や道徳、また人間観によっていろいろな意見があり得る問題だし、仮にある程度のコンセンサスができても、単純に規制すれば済むとも思われない。技術的に可能であれば、もっと優れたもの(=人間)を、という欲望が必ず出てくるだろうと思われる。他人任せにできる問題ではない、ともかく、考え続けるしかないのだろう。