あらすじ
2000年代初頭、人間の全遺伝情報=ヒトゲノムがついに解読された。その後まもなく、山中伸弥らがiPS細胞(人工多能性幹細胞)の作製に成功。そして今、ジェニファー・ダウドナらが開発した新技術「CRISPR-Cas9」により、人類は「ゲノム編集」の時代を迎えている。自らの設計図を望み通りに書き換えられるようになったとき、人間の条件はどう変わるのか? 科学と倫理のせめぎ合いを圧倒的なストーリーテリングで描く傑作。
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『遺伝子 親愛なる人類史』感想文
本書『遺伝子 親愛なる人類史』は、遺伝子をテーマに、人類の過去・現在・未来を縦断的に見通す壮大な一冊でした。前半で語られるダーウィンやメンデルの話は、これまでどこかで聞いたことのある内容で、新鮮味には欠けましたが、遺伝子研究の原点を再確認するという意味では意義深いものでした。
その後に展開される優生学の話は、重く、心がざわつくような内容でした。人間が「よりよい子ども」を望むという欲求の先に、歴史的には数多くの悲劇があったことを改めて思い知らされます。特に、現代においてもその欲求は形を変えて存在し続けており、技術の進歩によってそれが実現可能になりつつあるという現実に、複雑な思いを抱きました。
最も興味をひかれたのは、現代のゲノム研究や新優生学に関する章でした。CRISPRなどの技術の登場によって、私たちは本当に人間を「設計」できる時代に差し掛かっているのだと実感します。しかし同時に、遺伝子だけで人間のすべてを説明することはできず、エピジェネティックな変化や環境、偶然といった要素が重なり合って、私たちの表現型が形作られているという指摘には深く納得しました。
本書は、現代から未来にかけての遺伝子をめぐる問題を、非常にわかりやすく、かつ客観的に解説してくれています。遺伝子レベルで何か「原因」が特定されると、それを排除したくなるという人間の本能的な欲求、そしてそれに応えようとする科学者や企業の動き。これらの衝動の危うさを、改めて強く認識させられました。
また、「生まれか育ちか」という古くからの問いに対しても、遺伝子がどのような重みを持つのかという点が、丁寧に描かれていました。たとえば、自分の子どもが遺伝子疾患を持つとわかったとき、何が本当の幸せなのか。遺伝子の段階で中絶することが「正しい」と思えてしまうのは、親のエゴなのか、それとも愛なのか——この本を通して、さまざまな視点から深く考えさせられました。
科学的な知識に裏打ちされながらも、倫理と人間の本質に迫る一冊。読後には、未来を生きる私たちが何を大切にしていくべきかを問われているような気持ちになります。非常に刺激的で、思索に富んだ読書体験でした。
Posted by ブクログ
本書を一読することで、遺伝学の歴史は人類の叡智による燦然たる科学の歩みであるとともに、人類史上とてつもなく大きな惨禍を伴ったものであることを理解することができる。そして、この科学の歩みは、既に私たちの仕様書の解読を終え、近い未来にアップデートさえしようとするところまで手が届いてることも理解することができる。そこには、遺伝学という科学的な問題だけでなく、深遠な哲学的かつ倫理学的な問いが突きつけられている。もし、自分の仕様書が解読できるなら、私はそれを望むのだろうか。子供がいたとして、子供の仕様書を解読するだろうか。解読したとしてその結果を子供に伝えるだろうか・・・。本書は、単なる遺伝学の歴史の概説書ではない。遺伝性による精神疾患の家族を持つ、著者自身の家族史でもあり、具体的な物語性を伴って一般読書者にも訴えかける。プロローグの時点で既に感動している自分がいる。名著と思う。
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下巻は、少しだけ時代を遡って、遺伝子多型に関する話から。この分野において、crispr/cas9がいかに衝撃的だったか。改めてSFが直ぐそこに近づいていることを感じた。
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遺伝子、ゲノムの解読が終わり、Crisper CAS-9でゲノム自体の編集ができるようになったとしてもまだまだ未解明なことがたくさんあるんだなと。
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「私たちは何者か」――その問いにゲノムが静かに応える。シッダールタ・ムカジー『遺伝子 親密なる人類史〈下〉』は生命の設計図をめぐる旅の後半を描く。遺伝子の異常が病を招くことが明らかになる一方で診断や治療に革命が起きた。癌、難病、心の病にさえゲノムの声が届くようになった今、私たちは神の領域に触れつつある。だがその先に待つのは恩恵か傲慢か。科学の力をどう生かすかは私たちの選択に委ねられている。
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下巻では、1970年以降から現在までの科学研究や遺伝子に関する医療その他の技術の進展が描かれる。
第四部は、人類遺伝学が語られる。
妊娠中絶の合法化と遺伝子解析技術の発展により、人間に対する新しい種類の遺伝的「介入」、つまり新しい形の「優生学」が登場する。ただ、疾病遺伝子を見つけるためには、まずは遺伝子のゲノム上の位置を突き止めなければならないが、1970年代当時にはその技術は欠けていた。様々な苦労を経て、ハンチントン病を引き起こす遺伝子、嚢胞性線維症の原因遺伝子が特定されるなどして、1990年代前半には、遺伝子の地図が作られ、遺伝子が単離され、解読され、合成され、クローニングされ、組み換えられ、細菌に導入され、ウイルスのゲノムに入れられ、薬をつくるのに使われるようになっていた(88頁)。
しかし、これらの「単一遺伝疾患」であればともかく、人間の病気のほとんどはヒトゲノムに広く散財する複数の遺伝子の相互作用を理解するのでなければならない。例えば、ガンであり統合失調症のように。そこでヒトゲノムの解読計画が開始され、これまた競争や反目がありつつも、2000年に全ヒトゲノムの”最初の”解読”の完了が発表された。
第五部からは、遺伝学の新しい展開について述べられる。それまで人類遺伝学は、自らを病理学、「人間に苦しみを引き起こすさまざまな疾患」に関連付けてきたが、遺伝学は新しい道具や方法で武装し、病理の岸から正常の岸に渡り、歴史、言語、記憶、文化、性的傾向、アイデンティティ、人種などを理解するための、新しい科学になることを目指すこととなった(160頁)。それにより遺伝学の分野は、複雑な科学的・道徳的な謎への対峙を強いられることになった、と著者は言う。
具体的なテーマとして、人種、知能、性的アイデンティティに関する生まれか、育ちか問題などが取り上げられ、論争の経緯や内容が詳しく解説されている。
その一つとして、エピジェネティクスが紹介されているのだが、ここは良く分からなかった。エピジェネティクスとは、本書に付された用語解説によると、DNAの塩基配列の変化によらない表現型の変化を研究する学問領域のことだそうで、DNAの化学的な変化(メチル化)や、DNA結合タンパク質(ヒストン)の修飾による染色体の構造変化によってもたらされるもので、そうした変化の中には子孫に受け継がれるものもあるとのこと。獲得形質の遺伝のことをついつい想像してしまったが、そういうものではない(らしい)。
最後の第六部では、遺伝子治療、遺伝子診断の現在、そしてその将来について論じられる。着床前診断と妊娠中絶。そして生殖細胞系列の遺伝子編集。新しい優生学の時代、正にポストヒューマンの時代の幕開けである。
ここまで進んでしまっているのかというのが正直な感想。科学の世界の問題と済ませられない、倫理や道徳、また人間観によっていろいろな意見があり得る問題だし、仮にある程度のコンセンサスができても、単純に規制すれば済むとも思われない。技術的に可能であれば、もっと優れたもの(=人間)を、という欲望が必ず出てくるだろうと思われる。他人任せにできる問題ではない、ともかく、考え続けるしかないのだろう。
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上巻はダーウィン、メンデルから遺伝子組み換えや遺伝子クローニングまで、これまでの歴史を振り返っていたが、下巻は遺伝子診断、遺伝子治療の未来について展望を語る。
人間の特性のほとんどが、複数の遺伝子と環境の複雑な相互作用の結果であり、すべての遺伝性「疾患」はゲノムと環境のミスマッチによる。病気の解決のために遺伝子を変えるより、環境を変える方が簡単な場合が多い、という著者の主張に納得。
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ヒトゲノム計画の完了を経て、遺伝子診断や遺伝子治療など現在に至る現況。科学的な解説のみならず社会科学的な観点からも大きな紙幅を割いて論じている。文庫版解説では社会的大問題となっている新型コロナウィルスとPCR検査、ワクチンといったタイムリーな話題の解説もあります。
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遺伝子上では、人類が遺伝子と出会うまでの過程が面白かった。本著「下」では、遺伝子と病気を主なテーマとして書かれており、「上」に比べて個人的には読み劣りしてしまった。
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上・下、読みました。遺伝子の歴史の本です。
過去、遺伝子とはこう考えられていて、だんだん色々分かってきて、現在はここまでできる。将来はこうなっていくだろう。まで、記されています。
個人的には「ある遺伝子があると、ストレスに弱いが、同時に支援を受けた時に花開く。」のような、知識を求めていたので、冗長に感じました。ただ、それでも内容は面白いですし、読んで損はないでしょう。
遺伝子について学べば学ぶほど、現在の社会で言われている「優秀」というのは、狭義な意味なのだと痛感しています。教育者の一人として、自閉症や多動症と言われる発達障害は、個性の一部として認められる社会になって欲しいなぁと。それらを異常と見なし、無理やり常識に当て嵌めたり、薬を服用させたりするというのは大人のエゴだと。私は考えています。