星野概念のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ひさしぶりに心に響く本に出会えた。鬱で家事をする元気がなくなり、特に料理は一切手につかなくなって、なぜ料理だけこんなにもしんどいのだろう?と考えていた。全てここに答えが載っていた。自分のために料理をするのが勿体無い、考えることや済ます工程が多過ぎて複雑、自分のための料理に価値を感じない、なんなら自分に価値を感じない(ゆるりとしたセルフネグレクト)、料理をしても特に対価がない、食に興味がないなど。自炊というものに関して、根底から覆す本だと思った。途中でやめても良い、一汁一菜で十分、なんなら味噌汁を作るだけでも上出来、少し用意して食べて元気が出てきたら続きを作るなど…山口さんありがとう…とても元気が出ました。
p.59 自分のためだけに料理をするのがもったいなく感じる。料理をしたことがある人なら、誰しも1度は感じたことがある感情ではないでしょうか。料理が大好きな私でさえ、忙しかったり、他に気になることがあったりすると私一人のためだけに作るのが面倒になります。そういうときは外に食べに行くことが多いです。食事は毎日のことなので、毎度自分が満足できる完壁な食事をするのはかなり無理がありますよね。ただ、食事が後回しになってしまうことが長く続くと「そろそろいったん止まって、休んだほうがいい合図」だと考えるようにしています。
というのも、子どもの頃は親が食事を用意してくれたり、元気がなさそうにしていたら話を聞いてくれたりなど、ケアされる立場にいることが多いですよね。学校や塾でエネルギーを使ったぶん、家で食事をとり、誰かに話を聞いてもらうことでまたエネルギーが回復していく。けれど大人になると親元を離れ、自分で生計を立てていくことになります。それは、今まで親が担っていた子どもの世話係が、子ども自身に引き継がれる。大人になることは、自分が自分の世話係になることなのではないかな、と私は思っています。
お腹が空いたら何か栄養のあるものを食べさせて、夜になったらお風呂に入れてすっきりさせて気持ちよく寝かせる。おいしいご飯を食べに行くことも、花を飾ることも、自分の世話の一つです。大人になってしまうと日常的にケアしてくれる世話係はいなくなってしまうので、自分の世話をサボると心の調子が崩れやすくなるのではないでしょうか。
何をサボると心の調子に影響するかは人によって違いますが、私の場合は適当な食事を続けているとだんだんふてくされてくる感じがします。身近な人につんけんした態度をとってしまったり、家事も雑になったりと、ふてくされている自分に気づくと余計適当な自分が嫌になって負のスパイラルに突入しそうになるのです。こうなったら一度立ち止まって、自分の心に食べたいものを聞いて、作ってあげることにしています。この時返ってくるのは、「おむすびと豚汁」など素朴な料理が多いです。自分が心から食べたいものを食べさせてあげると、内側からみるみると元気が湧いて、心が整っていくような感覚になります。
「まえがき」でも書きましたが、自分の人生の主役は自分です。何かを考えるにもどこか行きたいところへ出かけるにも、身体が健康でなければままなりません。身体にスペアは用意されていませんから、身体は何よりも大事にしたほうがいいのです。そしてその身体を作るのが日々の食事です。外食や好物を楽しみつつも、ほどほどに健康的な食生活を営んでいくことは、人生の中でかなり大事なことだと思います。健康的な身体づくりは「絶対に損しない投資」のようなもので、こんなに還元率のいい投資はなかなかないでしょう。
p.65 徐々に自分好みにチューニングしていけばいいのです。
どうやってチューニングするかというと、たとえば黒胡椒は挽いてあるものではなくペッパーミルに入ったホールのものを直前に挽いたほうが香りが立って自分好みかもしれせん。肉じゃがはレシピ通りの時間だと少し硬いことがわかれば、もう五分煮て柔らかくすることができます。あるいは前日に作っておいて、翌日に食べると味が染み込んでほろほろになります。
自分による自分のための料理は、誰かに遠慮する必要がありません。好きなだけ胡椒を入れていいですし、肉二倍の肉じゃがだって作れます。唐揚げにレモンをかけるかどうか問題も遠慮せずに決められます。誰に何の文句も言われず、好きに飲み食いできるのは本当に愉快で、料理できてよかったなと感じる瞬間です。
さらに、一人料理は食べ方も自由です。たとえばお腹が空きすぎた時、私は回転寿司で寿司三皿と汁物を頼んで軽くお腹を満たしてから、家に帰ってサラダを作って食べるのをよくやります。そうすると、切羽詰まって料理しなくていいですし、寿司だけで済ませるより栄養バランスも整います。
あるいは、お腹がぺこぺこで帰宅した時、まずは前菜のような感じですぐに食べられる冷奴やサラダを作って食べます。お腹が少し落ち着いた状態でメインの料理を作ります。メインの料理にご飯が合えば一緒に食べますし、ご飯が合いそうになければ、メインを食べ終わった後にお腹と相談しながらとを何にするか考えて作ります。空腹状態で一気に作って食べようとすると途中でエンストしてしまうため、「作って食べる」を何セットかに分けてみるのです。こうすることで、レストランのコースのように仕立てられてゆったりと食事をすることができます。都度お腹の様子と相談しながら適量を作ることで、食べ過ぎ防止にもつながりますし良いこと尽くしです。
「正しい食事とはこうあるべき」という固定観念からいったん離れてみて、自由に食べられるとしたらどんな食事が理想的だろう?と妄想してみてください。食事は毎日のことなので、毎回の食事の満足度がほんのちょっとでも高くなると結果的に大きな満足感につながっていきます。
p.107 お腹がすいた時、何でもいいので栄養補給しなきゃってなるのってポジティブでは無いじゃないですか。冷蔵庫にあの食材が残っているから使い切らなきゃっていうのも事実としてはあるんですけど、最悪さよならするって言う選択肢が取れるわけですし、自分がその時食べたいものを優先したほうがメンタルには良いと思うんですよね。フードロスとかの観点で言うと良くないですけど。今1番食べたいものを食べられたら、その後やっつけなきゃいけないものにも立ち向かえると思いませんか?自分自身の中に作りたいかもって思う気持ちが湧いた時に、その気持ちを掴むみたいな感じが大事だと思います。自分の頭の中っていろいろなことが巡ってるじゃないですか。お腹が空いてきたよとか、お昼ご飯どうしようとか。何も食べないのはやばいなぁみたいな。なので、自分の中の声をもっとちゃんと聞いてあげるのは大事かなって思います。聞き方も大事だなって思ってて。何が食べたいのって言う質問にする答えが返ってくるとは、精神的にも肉体的にも調子が良い時だと思うんですよ。ちょっと疲れてるとか、モヤモヤするとか、すっとしないみたいな時に、そういう質問をしても多分答えられないですよね。そういう時は何食べたくない?って聞いてあげるといいと思うんです。そうするとこってりは嫌とか、さっぱりは今じゃないとか出てくると思うので、そこから消去法で選択肢を絞っていくっていうのもありだと思います。後私の場合、料理してて、これじゃないなと思ったら、途中でやめるっていうのをよくやりますね。
p.134 たとえば、毎朝五時に起きていたのに、今日は身体が重くて起きたら八時だった、というようなことがあると、また自分を責めてしまうのではないか。それが続くと、自分は意け者だと落ち込んでしまったり。目標を定めることで苦しくなっていく可能性がある。
でもそれって癖のようなものだと思うんです。ラジオ・パーソナリティのジェーン・スーさんがこう言っていました。「ダラダラするIl自然体でいると呼ぼうよ」と。人間ってもともとそんなにキチッとした生き物ではないはずだ、というんです。
お休みの日に家でダラダラしてしまい、気づいたら四時間昼寝していた、みたいなとき、「一日無駄にしちゃった」と思う人が多いけれど、それは自然体なんだと。自堕落じゃなくて、自然体と呼んで、と。だから横山さんが理想を掲げることはすごいことだし、そこに近づけるのなら素晴らしいけれど、できなかったとしてもそれはそれとして追求しないという姿勢も大事だと思います。
横山最近では、私もできない自分をちゃんと認めようと思い始めています。私の生まれた一九八〇年代半ばは、「数字がすべてだ、結果を出せ」という風潮がかなり強く残っていた時代で。勝ち組・負け組の価値観が強く、大企業に就職した人が勝ちだし、入ってからも結果を出せるようどんどん動かなくちゃいけないと思い込んでいる。結果が出ないのは、自分の努力が足りないからだ、と。
三〇歳を過きてようやく、努力だけじゃなく、向き不向きもきっとあるはずだと思えるようになりました。今やっている広報の仕事には同世代の女性もたくさんいるのですが、彼女たちの話を聞くと、若い頃から呼吸をするように当たり前に仕事がバリバリできていて、結果も出している。聞けば聞くほど私には無理だ、とてもできないと感じて、そういうのを追求しないようにしようと思うようになりました。
すごくいいと思います。私が尊敬する仕事仲間が「世の中は壮大な役割分担」と言っていました。横山さんにも私にも、それぞれ得意なこと、不得意なことがある。それらがパズルのピースのようにぴったりハマれば、世の中はすごくうまく回るはずだ、ということです。その仕事仲間は返層も遅いし、できないことも多い人なのですが、圧倒的な人間的魅力があって愛されている。できないけど、自分の強みをちゃんとわかっていて、それを実行できる。そういうタイプの人もいれば、もっと地味で縁の下の力持ちとして重要な人もいる。
みんなそれぞれに良さがあるのであって、全員が平均点の金太郎飴みたいな社会はつまらないですよね。
横山さんが自分をいじめてしまうのは、「私は平均点にも届いていない」という気持ちになったときなのではないでしょうか。できないことについては「これは私の苦手分野だ」と諦めていいんですよ。同僚にも「これ、私苦手だから手伝ってほしい」と助けを求めるとか。
すべてができる人なんてめったにいない。できないことがあってもそれでいいという感じで生きていけると、もう少し楽なんじゃないかな。
p.192 ソースコードが辞めるってかっこいいなと思っていたんですが、多分、レシピもそうなんだと思います。外側に出ているものの裏側に、そのレシピを作った人が体感してきたロジックが並んでいるんだろうな。レシピを見ないで作る人の料理の裏側にはそういうロジックが流れている。私はそこに今憧れているんだろうなと思います。今はまだよくわからないことも多いので、とにかく切って、貼って、ウェブサイトを作っている状態に近い感じだと思うんですけど、少しずつ自分で作り上げてやっていくことができるんじゃないかと言うことが、料理だけではなくて、仕事や人生にも活かしていけるんだろうなって感じています。
p.209 袋麺を食べるときは必ず野菜を乗せなきゃいけない、と無意識のうちにルール化されていたようです。その無意識のルールを客
観的に眺める作業をしたことで、野菜がなくても食べられるようになった。藤井さんの場合は、普段の生活でしっかり野菜はとれているのだから、たまには炭水化物だけの食事があっても、健康貯金が若干目減りするだけのことです。全然いいんじゃないですか、とお伝えしたんですよね。
このレッスンを始めて感じたのは、そもそも「自分のために料理ができない」と悩む人は、実はすこく「考えている人」なんだな、ということです。コンビニ飯や冷凍食品ばかり食べていて心も身体も平気な人、それが普通で特に問題ない人は、たくさんいる。その一方で、パートナーに作るのは苦にならないのに、自分だけだと作るのが億劫になることに悩む藤井さんのような方もいる。
星野僕も自分のために何かを作ることに対して腰が重いのですが、それはちゃんとしたものを作るべきだと思っているからかもしれません。実際には適当でもいいはずなのに。
山口パンを焼くとか、アルミの皿に入って売っている鍋焼きうどんをコンロにかけて卵を落とすのだって、自炊ですよ。
人間は日々、食べていかなきゃいけません。食事作りは、非常に外部化しやすい家事です。
外食もあれば惣菜を買ってくることもできるという選択肢の広さや頼りやすさがある。だからこそ人それぞれに「これ以上は外に頼りすぎだ」というラインがあって、その線を超えると自分が嫌になってしまうのだと思います。
p.210 自分はそんなにご飯が好きじゃないのかもとおっしゃっていました。食べることへの情熱が強くないせいもあるのかもしれません。必要性があればしっかりやるけど、と。でも、自炊の事はずっと課題として考えてきたともおっしゃっていた…。
お二人の話を聞きながら思い出したのが、仕事だとできるということです。私は普段片付けや整理整頓が好きでは無いのですが、会社の総務部に勤務していた時は、社内の片付けをきちんとしていたし、経理の仕事もできていた。人のために料理を作るのは、自分にとっては仕事なんだろうと感じています。
会社での労働には賃金、家族のための家事には感謝や愛情と言う対価があるけれど、自分のためとなると対価がないと感じてしまうのかな。
対価がないのに加えて、責任がないということですね。私が食事の支度をしなければ妻が困ると言う状況に対して、1人の時は困るのは自分だけですから。あまり自分を大切にできないということなのかもしれませんね。質のために作るのは好きなのだと思います。以前は自宅でホームパーティーを開いて、それこそこれよりや形式で作ったりもしていました。
藤井さん、ご自身は、何かしらの対価を設定して、自分でも作れるようになりたいと思いますか?
困らなくなりたいと言うのはありますね。今日も午前中の仕事がなかなか終わらず、お昼12時ごろからお菓子を食べ始めてしまって。これはまずいと切り上げて、ラーメンを作ったんですが、それでちょっと落ち込みました。忙しくない日でも昼食が2時3時になってしまうことがあって。そうならない方が、自分の幸福度が高い事はわかっているので。
『週3レシピ 家ごはんはこれくらいがちょうどいい。』 -
Posted by ブクログ
心と体のバランスが悪いと自覚して心療内科にかかった経験があるので「わかりみしかない!」と心の中で叫ぶ箇所がいくつもありました。
「自分はタフだ!」と思っているような人でも、タイトル通り本当にちょっとしたきっかけでうつや適応障害になる可能性はあります。
だからこそ、精神科がどんなところでどんなことをするのか、こころの不調時に自分でやれそうなことのヒントなど、読んで知っておいて損はないと思います。
薬の処方・副作用への不安、服薬量や期間についての医療サイドの考え方、治療期間の気持ちの波との向き合い方、家族はどうすれば良いのかなどなど、とてもわかりやすく書かれています。 -
Posted by ブクログ
彼女をフェミニストにしたものはなにか。
幼い頃に田舎の封建的な暮らしで経験した家父長制の抑圧であり、
「よのなか」から女の子の身体に向けられる視線であり、
それらによる個人的な傷つき体験の数々かもしれない。
あるいは不自由極まりない、
毎月の大量出血や痛みでままならない身体そのものかもしれない。
あるいはプリキュアであり、侍女の物語であり、
マッドマックス怒りのデス・ロードやアナと雪の女王であり、
レディー・ガガや(G)I-DLEかもしれない。
そしてもちろん、私かもしれない。
『あなたのフェミはどこから?』 / 平凡社
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あなたの"フェミ”はいつ、どこから始まりましたか?
文筆家、写真家、彫刻家、翻訳家、編集者、
ライター、演出家、イラストレーター、学者、
ソーシャルワーカー、精神科医など19人が、
個人的でありながらも共通する体験でもあり、
連帯する基盤ともなるフェミニズムとの出会いを綴る。
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些細なことも含めて、生きづらさを感じることは多々ある。
その正体がちょっと分かった気がした。
全てではないけど、私が女性だからという理由で生きづらさを感じていることもあるなあと再認識できた。
自分の友達や子供がジェンダーを理由に生きづらさを感じないでほしいし、
自分も「知らず知らずのうちに」「悪気なく」「良かれと思って」誰かを傷つけたくはないなと思えた。
#あなたのフェミはどこから #フェミニズム #平凡社
#読書記録 #読書感想文 -
Posted by ブクログ
夫と2人暮らしで自分のためだけに料理を作る機会は少ないので、「自炊をしながら健やかに暮らしたい人を応援する」本書は今の自分にピッタリというわけではなかったけれど、学びもあった。
料理本というよりは、料理を通して自分の心や生き方に向き合い、ケアするという本。
まず「どの食材が何の役割なのか」を理解して作るということ。例えば料理酒は肉を柔らかくしたり、肉の臭みを飛ばしたりする役割とか、生姜は皮の近くに最も香りや辛味があるからむかなくていいとか。
これは有元葉子さんの本で昔より理解できているところはあるけど完全に染みついているわけではなく、だからたいていレシピにかじりつきで料理してしまう。今何のためにこの工程をしているのかがわかった方が、絶対美味しい方へ向かえるよな。
有元さんの『レシピを見ないで〜』シリーズも読み返したくなった。山口さんも、料理のロジックを教えてくれる本も書いてくれたらいいな。
そして料理の「プロセスに集中する」こと。
料理中、基本はラジオを聞いてしまって、「五感からの刺激や、変化していく鍋の様子」に面白さを見出せていないかも、とハッとした。
これって町を歩く時なんかも同様だよな。常にイヤホンを突っ込んでしまっていて、季節の移ろいを見逃したり聞き逃したりするのはもったいないかもと思った。あと情報をインプットするばかりで、ものを考える隙が失われてしまっているかも。
目の前の現実を味わう時間を、もっと意識的に作っていきたいと思った。
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Posted by ブクログ
今の自分に響いた言葉
・料理は元気の指標で、週3作れなくなったら疲れてきているなぁとか考えるようにする
・おいしい料理は安心が9割
・自分を抑えつけすぎない
・うまく回せない感じが当たり前になると不調に気づけない
・今やりたいと思ったことをやればいい
・ダラダラではなく、自然体
気になった本
・脳化する社会
気になった言葉
・オープンダイアログ
・ドーパミンじゃなくて、セロトニンとオキシトシン
これから、自炊するときに挑戦・気に留めてみたいこと
①自分が何を食べたいか自分に聞いてみる。
②これはやりたいことを出す。練習になる。
③プロセスに集中3作った料理をやりすぎると思う位。自分を褒める。
④下手な自分を愛でる
⑤他人と比べない。
⑥いろんな物事を味わうアンテナを持って、味わう機会を設ける。増やす。 -
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「世界自炊紀行」で好きになった山口祐加さんの本です。
皆さま、自炊に苦労しているのですね……。それに結構な呪縛に捕らわれている。これでは自炊、苦痛に感じてしまうよなぁと思ってしまった一冊です。いいじゃん!納豆ご飯で!立派な自炊じゃん!ねぎを混ぜようかな、たまごを落とそうかな。塩昆布混ぜても美味しい。そんな混ぜただけの納豆をご飯にかけただけのものを「自炊!」と言い張る私からしたら、皆さまちゃんと料理できるようになってらっしゃる。
この本で「食べたいものを自分に聞く」というのも、自然と私はできているんだな。と。今日は何を食べたいかな?お魚かな。お肉かな。やっぱり納豆だな(大好物なんです)とるんるんになれる自分はなんて幸せ者なんだろう。と思いました。ただし、一緒に混ぜるものにはこだわりますが。何を混ぜるかはそれこそ今日の「自分に聞く」をしているなぁと。納豆だけにはこだわりませんが、納豆の頻度が高いということで。他にもちゃんと料理しています。念のため
あといいなぁと思ったのが、居酒屋スタイル。まず、お腹に何かサラダとか、お豆腐とか入れておいて、それからメインを作って、メインを食べたらお腹具合によってご飯を食べるか食べないかを決めるのいいなぁと。全部一気に並べなくてもいい。居酒屋形式でいい。これは目から鱗でした。昨夜早速やってみたのですが、汁物を満足するまで食べて、もうお腹いっぱい。何もいらない。となった後しばらく経つと「あ……。なんか小腹が減った。シメの何か欲しい」と冷凍していたおにぎりをチンして食べました。こんな食事の仕方、アリのあり!今後、これで行こう。と思いました。
あと「それをやる理由」が書かれているところは、本当になるほど……。と思って読みました。酒は美味しい水、醤油は香りづけ。うんうん。と頷きながら読みました。あぁ、今まで私は醤油に頼りっきりだった。今度はもう少し塩味を塩から、香りづけに醤油を使ってみようと思ったり。こういう料理の「それをやる理由」をもっともっと知りたい!!このことだけで一冊本を出してくださいませんか?!と思ってしまったほどです。なんとなくは身についていたこれらの事柄ですが、理由が分かると更に楽しい。そんなことも味わえる一冊でした。
対談にいらした精神科医などの星野概念さん、実は別件でこの方の記事をよんだばかりだったので、とても親しみやすく読めました。途中、私と同じく双極性障害の方がいらして、一日エビリファイ6ミリのみ。でも、その薬を嫌に感じているというのがあって、「あ。私、これより数段薬多いけど全然薬嫌じゃない。だから飲み続けられるんだ。という気づきもあったり。
何より最強だと思ったのは、「まぁ、私帰ったらおいしいご飯作れるし、ここは見逃しておこう」の一言です。本当にこれ。まぁ、私帰ったら美味しい納豆ご飯作れるし。って思えるの最強かな!と。 -
Posted by ブクログ
家族がいれば料理するけど、1人で食べる料理は適当になってしまうので、心持ちが変わるかなと思い読んでみた。語り口が優しく、読んでいて癒された。料理は、自分をケアするセラピーだなと思った。
・自炊は自分を労わり養うこと。自分を大事にすること。自尊心、自己肯定感を高める。
・大人になることは、自分が自分の世話係になること
・作る自分と食べる自分を分けて考える。食べたい料理を自分というシェフに作ってもらう。
・味付けとは基本的に塩味を付ける事。塩味が無いと美味しく感じない。醤油や味噌は香り付け。
・ダラダラする=自然体でいる、でいい。気楽に。
・自分が満たされることは、健康な人生に必須。
・楽しそうな人は見るだけでワクワクする。 -
Posted by ブクログ
フェミニズムとの付き合い方は、人によってさまざまだ。人によって千差万別のフェミニズムが存在すると言っても過言ではない。
能町さんの寄稿が読みたくて手に取った本だが、他の方の文章も読み応えがあった。
高嶋鈴さんの、男性の先輩とのエピソードは、よくあることだよねと思いつつ、その強烈な傷つきにもまた共感できて、世の中に蔓延る不条理を少しでもマシにするために、理論を学び、語る技術を身につけねばと、決意を新たにする彼女の姿に、自分もぼんやりしてちゃいけないなぁという気持ちにさせられた。
人それぞれのフェミニズムだが、出会いのきっかけとして、ベル・ブックスの『フェミニズムはみんなのもの』とジュディス・バトラーの『ジェンダー・トラブル』を挙げている人が多く、自分も読んでみなくてはと思った。
私にとって、つねにフェミニストでいることは結構しんどいことだ。少しの諦めと多くの怠惰から、楽なほうへと傾いていってしまうことも多々ある。正直なところ、高嶋さんを絶望させた先輩のように、「私はこのままでいいんだけどな…」と思うこともないわけではない。だが、そのときの自分が、権威を笠に着て弱者を抑圧する側に回っていないかということを、つねに点検しないといけない。
松本事件や中居事件を見ると、怒れる気持ちはまだまだ持ち合わせているし、世界はまだまだ「このままでいい」状態になってはいない。だからこそ、自分は「そっち側」にならないように、まだまだ踏ん張っていかないといけない。 -
Posted by ブクログ
「料理は複雑で、高度な家事スキルです。」
最初に言いきっている。
これだけで他のいわゆる普通のレシピ本ではないということがわかる。
俄然、根拠のない希望がもてた。
ハードルをあげている「料理とは」という思い込みをほどき、丁寧に考え方、方法を提示してくれる。
レシピ本に慣れた人には当たり前のことかもしれないけれど、それってレシピ本に書かれていなかったからこそ、料理がうまくできなかった。
コツだけでない、ちゃんと継続的料理できる言葉がある。
そこ知りたかったところ。
相談者と山口さんとのやり取りに癒される。
ケアされる。
「おいしさの9割は安心感からできている」
これも言われてみて気付かされる。
食材、調理衛生は健康、命に直結している。
料理して食べることてなんて凄いことをしているのだろうと思う。
食育環境て、子どもの時代では選択できない。
保護者の下での食事は、食育に好ましい好ましくなくても、それこそすり込み、思い込みが起きてしまう。
この本ではその環境の呪縛からの解放もある。 -
Posted by ブクログ
読み終わったけど、自分一人のためにご飯は作らないという考えが変わることはなかった。やっぱ面倒。最近、北里大の加藤先生が唱えている糖質疲労の記事を読んだので、栄養はもちろん食べ方にも「健康」を意識してしまって、楽しく食べるってことが二の次になってしまってる。ここでも、「健康的な体づくりは絶対に損しない投資」とあって、余計にハードル上がってしまった。家族の健康につながると思えば、なおのこと。これは自分を大事にしてないってことなのかな。うーん。
家族の平日の夕ご飯を用意してウン十年だけど、手際がよくないせいか時間がかかる。これをなんとかしたいが故に読み始めたけど、真逆の内容だった。茹でた野菜が鮮やかになってくる様とか、焼ける音とか味わってたらさらに遅くなりそ。開き直ってゆっくりご飯作ればいいのかなぁ。すっきりと解決とはいかなかったけど、哲学の本ってこんなもんだよね。まずは、スマホを置いて味わうことをしてみます。