勅使川原真衣のレビュー一覧
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「よりよい社会」といいながら実際は排他的だったり、選別的だったり、能力主義やら自己責任やら、よく言われる正論に対するもやもやや「それって?」と立ち止まりたくなること。
組織開発専門家の著者が、そんないろいろに立ち止まり、それってどうなの?と向き合っている20の問い。
なんとなく社会の風潮に合わせて頑張らなきゃ、できないと自己責任って言われちゃう、学び続けて自分をアップデートし続けなきゃ、と追われるように日々過ごしていたけれど、立ち止まって、疑問を投げかけていいんだと思えました。
もやもやをこうして明確に言葉にしたり、ときほぐして考えられるってすごいな。
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Posted by ブクログ
p. 57 自己肯定感に問題がある、とうたったところで、自己肯定感を遮二無二いじっても、十中八九徒労に終わる。なぜなら、自分を好きになれない構造が必ずそこにはあるはずだからである。(中略)事実は一つではないし、正義も一つではない。複雑な背景、その人その人なりの合理性が絡み合っている。まずはそのことを紐解くのが、筋ってものではないか。つまり、自己肯定感なるものを上げたいのならば、なぜ自分を好きになれなくなってしまったのか。きっかけは?日々強化されるのはどんな場面で?
そう考えたとき、学校で「自分がもっと頑張れる事は何か?」と宣言させられるようなことが、そのくじかれた自分を信じる気持ちを復活させるものには…なり得ないことに気づくだろう。
p. 173 正当性の香りを醸すものこそ、私は疑うようにしている。
p. 175 包摂に向かわない選別は、果たして誰得なのか?
p. 199 あの人の/自分の、どこがダメか?を見ることが、巷で必要とされる「批判的思考」ではあるまい。それは空しいほどの単なる非難であり、その先に待ち受けるのは排除と拒絶である。
包摂を前提に、批判的思考を真にするならば、次の問いこそが有効と考える。
・聖人君子を求めすぎていないか
・揺らぎある人間に、恒常的に一貫性を求めすぎていないか -
Posted by ブクログ
“美しく生きよう! と思うのは、素敵なことだ。しかしそれが目指せることは、社会構造的にすでに特権的であるかもしれない。だから本当の意味で「よりよい社会」 を目指すのならば、とってつけたように、「自己肯定感」を上げようとか、「文化」を変えましょうとか、「美しく」ありましょうとか、そんな話に拘泥していては、芯を食うことはない。”(p.61)
“汎用を脱すると「問題」のある個人、逸脱し
た個人として、排除というリスクにさらされる。学校は、みんながやることに「乗らない」選択肢がほぼない、汎用的人間養成所なのだ。これは、さもないと排除、をちらつかせている時点で、ありがたき教訓のような体をしながら、ほぼ呪いである。”(p.81)
“赦しだか、寛容性だか、広い心がないからこの社会が生きづらいのではなくて、誰かが許容した人しか生きてはいけないかの窮屈さがしんどいのではないか。
ここにいていい人、ダメな人
ここで発言していい人、ダメな人
が選定、選別されていることそのものが、根本的な問題なのだ。”(p.194) -
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著者のツッコミに、つどつどギクッとして、自分って、巷の流行り文句に相当流されてるなぁと思い知らされた。
能力主義ってあいまいで、取扱いに注意しないと、自分の思考自体が人を傷つける方向に持っていかれるなぁと思う。
能力なんて、水面に反射する光みたいなもので、
特定の状況で光っただけなのに、
それを光ったら「あいつはできるやつ」、
光らなかったら「あいつはだめだ」と、
その人全体を決めつけてしまうのはほんとによくない。
その人が光る状況に身を置けるように工夫したり、ていねいに対話してボタンの掛け違いを少しずつでも修復していくっていう作業が地味だけど大切なんだと再認識でした。
できるできないはともかく、いないと困るひとはたくさんいる、そういうひとに「いつもありがとう」を伝えることから頑張っていきたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ現代の頭がいいとは、単に知識がありテストの点数が取れることだけではなく、主体的に考えられるとか、協働的であるとか、考えを実行にうつせるとか、コミュニケーションを適切に取れるとか、そういった様々な場面での理想像が複合した形であり、評価者の立場によって意味が変化する肥大化した概念だと筆者は述べていた。
頭がいいとは何だろうと私もよく考える。
正直、頭がいいという概念が曖昧で複雑なものと筆者は定義付けているので、本書を読んでスッキリ解決するわけではない。
本書は、頭がいいとは何かという問いに対して複雑性を持つものと定義付けた上で、複雑性をもつ頭の良さを求められる時代に、どのようにすれば私たちが生きやすくなるかを考えていた。
頭がいい、悪いに固執せずに、それぞれの個性が尊重されるような社会になっていってほしいという筆者の意見には共感したけれど、そこを掘り下げて書いてほしかったのではないんだよなというか、新たな発見は特にないなといか、、、、。
なんだかもやついたまま読み終えてしまった。
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Posted by ブクログ
率直な感想は、面白い視点だが綺麗事過ぎる、だ。
できる、できない、ではなく適材適所を認める組織を作ることが重要、ということかと思う。
しかしこの世は資本主義、企業は利益を出さないと潰れてしまう。なので会社として利益を出すための方針を決めて、それに従業員は従って動き、実際に利益を得ることで給料が支払われる。
例えば、事務作業が得意な人に、利益を産まない本棚の整理やPCフォルダの整理をすることを認めてしまえば、それは他者としてはいいのであろうか。自分だけタフな交渉ごとや社内稟議や部署調整をさせられて一方では事務。それも認め合おうよ、そんな組織がいいよね、ということであるが、大抵の人間は働くのが好きではなくできれば楽をしたいものだ。一定の圧力がないとみんなダラけてしまうと思うが。例に出てきたベンチャーは意識の高い、働きたい人ばかりなのでいいだろうが、大きな組織ではうまく行かない気しかしない。筆者も述べているが、社会主義国家の思想ではないだろうか。資本主義国家の話ではないような。
こんなことを思ってしまう自分は優劣主義に汚染されているのだろうか。
と思いつつ終章まで行くと、曖昧さを許容する状態でいることが重要であることが示される。
ここで、なるほどそういう主張か、とある程度納得感が産まれる。が、やはり『働く』とは『選ぶ』ではなく『組み合わせ』である、といった主張には終始もやもやイライラしつつ読み進めた印象。
しかし、特に組織の長、部下を持つ身としては学ぶべき視点が多くあるのではないだろうか。