p. 57 自己肯定感に問題がある、とうたったところで、自己肯定感を遮二無二いじっても、十中八九徒労に終わる。なぜなら、自分を好きになれない構造が必ずそこにはあるはずだからである。(中略)事実は一つではないし、正義も一つではない。複雑な背景、その人その人なりの合理性が絡み合っている。まずはそのことを紐解くのが、筋ってものではないか。つまり、自己肯定感なるものを上げたいのならば、なぜ自分を好きになれなくなってしまったのか。きっかけは?日々強化されるのはどんな場面で?
そう考えたとき、学校で「自分がもっと頑張れる事は何か?」と宣言させられるようなことが、そのくじかれた自分を信じる気持ちを復活させるものには…なり得ないことに気づくだろう。
p. 173 正当性の香りを醸すものこそ、私は疑うようにしている。
p. 175 包摂に向かわない選別は、果たして誰得なのか?
p. 199 あの人の/自分の、どこがダメか?を見ることが、巷で必要とされる「批判的思考」ではあるまい。それは空しいほどの単なる非難であり、その先に待ち受けるのは排除と拒絶である。
包摂を前提に、批判的思考を真にするならば、次の問いこそが有効と考える。
・聖人君子を求めすぎていないか
・揺らぎある人間に、恒常的に一貫性を求めすぎていないか