由良弥生のレビュー一覧
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眠れないほど面白い 空海の生涯
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Posted by ブクログ
読書録「読めば読むほど面白い『古事記』
75の神社と神様の物語」3
著者 由良弥生
出版 三笠書房
p44より引用
“ けれどもイザナミはすでに死者の国の神々
と共食していた。共食とは、同じ竈の火で煮
炊きした同じ食物を食べ合うことで、それは
同じ仲間、すなわち死者になることを意味し、
もう地上には戻れない。”
目次より抜粋引用
“神々の誕生
その後のアマテラスとスサノオ
オオクニヌシの「国づくり」
オオクニヌシの「国譲り」
天孫降臨と同伴の神々”
古典や伝承を研究する著者による、日本最
古の歴史書について記した一冊。
神話時代の天地の始まりから人の世の治世
まで、物語に登場する神々を奉る神社を紹介
しながら記されています。
上記の引用は、死者の国からイザナミを連
れ戻そうとする場面での一節。
同じ釜の飯を食うということが、強い結びつ
きを作るという事は、神話の時代から続く考
えなのですね。一緒に食事をとる相手は、よ
くよく選んだ方が良いようです。
「古事記」の物語を読むというよりも、神々
の関係性や奉られている神社についての記述
が中心となる書かれ方がされています。
神社巡りの旅行をする為の、下調べやガイド
に良さそうな一冊ではないでしょうか。
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Posted by ブクログ
空海の生涯は、きっと、眠れないほど面白いのだと思いますが、この本が、眠れないほど面白いか、というと、そこには違和感があります。
文体に違和感が覚える部分が多いせいか、今一つ楽しめませんでした。
そして、空海といえば、最澄を忘れてはならないと思いますが、この本の中で、最澄は、結構ひどい書き方をされているように思います。
最澄については、よく知らないのですが、歴史上の偉人として名を残しているからには、それなりに立派な人だったと思うのです。
しかし、この本では、頭が固くて尊大な人物として書かれていて、かなり残念な印象を受けました。
この本には、かなり誇張があるとはしても、とりあえず、空海のすごさは理解できたので、今度は、最澄に焦点を当てた本を読んでみたいと思います。 -
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Posted by ブクログ
わ~、読みにくい!というのが第一印象。
なんでしょうね、難しい熟語の説明を(○○・・・)説明でするのは、翻訳ものですと(○○)の説明は小さな活字ですが、地の文と同じ活字っていうのが画期的ではありましょうが、しかし、一度出てきたその同じ熟語の説明を何度もなんども繰り返すのです。そんなにいらないって!(笑)
司馬遼太郎さんの『空海の風景』で空海というお坊さんのことは、司馬節ともいえる明るい調子の描き方でとても好きですし興味ありましたから、文章が読みにくい欠点もありますが、内容は分かり易く迫力もありましたので、頑張って読み通しましたけれども。
1200年前、平安時代の黎明期に遣唐使として、平底船で危険がいっぱいの日本海を渡って中国まで行きつき、密教の修行をしてきた空海、修行ばかりではなく宗教上の文物もいっぱい持って帰ってきたのです。
天才的語学力で中国語の会話読み書き、当地でサンスクリット語までマスター、並みのお人ではありませんね、というか、いつの世でもなにか興すひとは能力と、人一倍の努力というものがあります。
著者まとめに
「・・・密教というのはものごとの本質に自分から向かっていき、真理を直接、自分で見る教えだという。・・・」と説く空海とあり
有名な
「生まれ生まれ生まれ生まれて生の初めに暗く、死に死に死に死んで死のお終はりに昏し」
で結んでいる。
密教はともかく、この頃わたしは神様に「○○がかないますようお願いします」と祈るのではなく、「○○したいので、それにむかっての努力に力添えをください」と祈っております。 -
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Posted by ブクログ
「死」に対する考え方は、中世期と現代では大きく異なるのだろう。死が日常にある時代と、死を現実のものとしない、いや、その存在自体を認めない現代社会に生きる私達とは違った生死観があって当然なのであろう。中世に書かれた本では多かれ少なかれ死や性など、人間の奥深くに存在する衝動というか、欲求というものがストレートに出てくる。子供向けの寓話として捉えられているグリム童話においても、実は現代とは大きく異なる社会倫理・価値観を基にして書かれている。
ただ、キリスト教における聖餐の儀をカニバリズムに結びつけている考え方には抵抗があるし、論理的説明にも欠けている様に思うのだが…