母の友のレビュー一覧
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時々気が向いた時に読むことにしたの。
「私のキレイは私が決める」って…それな!!まさしくそれ!
それでいいやん!
幾つになっても好きな物着るでいいやん!
TPOに合ってればいいやん!
でも私もこの方と同じくお腹だけは出せないなぁ。
冷えちゃうもん。笑
そして私先日書店で「福音館の児童書目録2024」なるものを入手しまして!(歓喜)
福音館で今出版している絵本児童書がずらーっ!と簡単なあらすじつきで見られるというなんとも素晴らしい本!
超分厚くてずっしりとした本なのに無料!
福音館書店さま、ありがとうございます♡
これからもついていきます(*´∇`*) -
Posted by ブクログ
声、大事。雑談、大事。ただただなんでもないお喋りができる相手って、すごく大事。
ひとり目の出産まもないときに、対談のラジオ番組を知りたかった。生まれたての赤ちゃんにたったひとりで授乳しているとき、ラジオの声が側にいてくれたらどんなに安心しただろう。
コロナ禍で在宅勤務しているとき、誰にも邪魔されずに作業に集中できてめっちゃいい!と思った。それもたしかに時にはとてもいいんだけど、一日中誰とも話をしないのは、私にはとても気詰まりだった。夫の会社はオンラインミーティングをこまめに設定して、ガンガン雑談もオンラインでやっている様子だった。さみしい…誰も私に連絡してこない…。連絡がくるとしても電話は電話で突然かかってきてしかも案件が緊急なものばかりでストレスだし、メールやチャットでもいいんだけど、やっぱり私は生で話をするのが好きな性分らしい。
絵本の読み聞かせは、自然な声で読むのが一番いい。
この一言には救われた。役によって声色変えなくてもいいんだね。普通でいいのか。
自分で文字を読めるようになっても、5歳の娘は寝る前に「読んでー」と言って持ってくる。彼女いわく、自分で読みたい本と、私に読んでもらいたい本は違うらしい。3歳の息子も、姉を真似して文字を読めないながらもひとりで読むのは好きだけど、やっぱり私に読んでもらいたい本はあるらしい。
選ばれし本と、それを読める選ばれし者。考えてみたら、光栄な話なのかもしれない。疲れていたり、風邪気味だったりで声を出すのもつらい日が続いているけど、選ばれたときにはなるべくリクエストに応えよう、と思えた。
仕事柄、会議では話しているのを聞いているほうが多いのだけど、このところ話す出番がまぁまぁ与えられるようになってきた。上司の滑舌が悪すぎるのだ。オンラインでの会議や研修で、一方的に資料を読むだけの形式である。これならたしかに誰でもできる。エライ人でないと説明できない、なんてことは全然ない。むしろ、資料を作った担当者がしゃべるのが一番いい。
自分の声や説明がよかったのかどうか、フィードバックを受ける機会はない。ないのだけど、元々知り合いだった人と社内でバッタリ会うと、「とてもよかった」と声をかけていただけたりして、ちょっと自信になる。
毎日の絵本読み聞かせの成果ですかね。「ぽんちんぱん」とか「もももすももも」とか3歳児は大好きですし。5歳児はやたら長いの持って来ますし…。
12月末でお世話になった先輩が退社する、と社内イントラで知った。離れた事業部の人なので会うことはできない。相手も忙しいだろうしメールで挨拶しようかな、と思っていたけど、これを読んでやっぱり電話で話したいな、と思っている。
周回遅れで1年前の号を読んだ。
二人目の育休中に始めた、皿洗いをしながらNHKのラジオアプリで英語番組を聴くのもルーティンになってきた。長田杏奈のルーティンに関するエッセイもとても響いた。
思いがけず今の自分にわりとぴったりな特集で、とても満足。 -
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ようやく借りることができました。まずは気になったコーナーから。
川内倫子さんの写真「十月の光」
この連載を見るようになって実感できたことの一つに、晴れていなくても光は存在しているんだという、よくよく考えてみれば当たり前なことなんだけれども、そのお陰で見ることができた、曇り空の中に浮かぶ気球の、規則性と偶然性の狭間で生み出されたような配置には、今月号のテーマとも合致しそうな美を感じられた。
サントーシマ香さんの「ヨガでみつめる私の時間」
屋外でする「ヤシの木/ゆれるヤシの木のポーズ」が開放的で気持ち良さそうに思われる中、私が印象に残ったのは彼女の文章の中の『誰も傷つけずに、ただ生きているだけで、百点満点』であり、どんな状況でもこう思えれば良いのだけれどもと、嫌味ではなく率直にそう思ってしまうのが悲しい。
長田杏奈さんの「私のきれいは私が決める」
熱中症で多くの人が搬送された、今年の猛暑に於いて、「ノースリーブおばさん」がいかに見苦しく迷惑か熱弁する人が出てきたことを知り、中でも驚いたのは、その『見苦しい』という言葉であり、人それぞれに美的価値観が異なるのは分かるけれども、だからといって個人の自由を縛る権利があなたにはあるのですか? と聞きたくなる一方で、如何に目に見えるものでしか他人を認識していないのかがよく分かって、もっと内面を見なさいよと思う以前に、見苦しいという言葉がどれだけ人の心を傷つけるのかを、もっとよく考えた方がいいと思う。
高井祐子さんの「心のセルフケア」
セルフケアに関する疑問点として、『自分で自分に声をかけるなんて寂しすぎる』という言葉が、まさにぴったりだと思われた中、それでは他の人にかけてほしいのかと思っても、それがどれだけ辛かったか頑張ってきたのかということを一番よく知っているのは、自分だということに、初めてセルフケアの意義を理解することができたような気がした。
「読んであげるお話のページ」は、ほそかわてんてんさんの「みんなボタン」で、同じボタンでも、それぞれに個性や役割が違うけれど、それでもみんなこうして生きているよといった素晴らしさを、素朴な絵にクスッとさせられながらも考えさせてくれる。
特集「『美しい』ってなんだろう」
「『美』とは何なのか?」 加藤有希子
美についての一般的な定義や、哲学者カントの言葉『美は普遍性も持つけれどもすごく個人的なものだ』も興味深い中、最も心に残ったのは『私たちは答えがない世界』に生きていて、『なぜ生まれ、なぜ死ぬのかとか、重要なことほど何も分からない世界に暮らしている』からこそ、『誰かと美しいものを共有し繋がることで孤独を解消してくれる』ことには、とても肯けるものがあり、美しいものが孤独解消に繋がること、それは私という個が、謎深き他の人に認められたことによる幸せでもあるのだろうな。
「美術館で芸術作品を楽しむには」 林綾野
いくら親がこれを見せたいからといって、子どもを美術館に連れて行っても、そもそもずっと立ちっぱなしで、しかも静かにしていないといけない、この辛さは子どもの頃を思い返せばきっと分かるのではと思われる中、「ではどうしたらいいの?」という問いに対して、それは自分で見つけていくものというのも何となく想像がつく中でハッとさせられたのは、よく芸術作品を画面で通して見るのと実物を見るのとでは全然違う、その理由がいまいち言葉にしづらいなと思っていた時、『実物は描いた、作った作家本人がその目で見ていたもの』という文章に「これだ!」と感じた、それは作家がどのような思いで向き合っていたのかを、時を超えて想像し体験できるのだという、それってなんて素晴らしいことなんだろうと、素直に感動いたしました。
そして「母の友」の悲しいお知らせとして、ブク友さんから教えていただいた、2025年3月号で休刊するという、もうこれがショックで、ここでしか読めない、これから学ぶべきことや母や子どもへの優しい眼差し、そして様々な面白い絵本や絵本作家のパーソナルな部分を知ることができた希少な雑誌であっただけに、誠に残念でなりませんが、せめてこれから発刊されるものを、今までと変わらずに読み続けて、その素晴らしさを少しでも伝えることができればと思っております。
それでも来月11月号は、毎年恒例の絵本好きには嬉しい、特別企画『こどもに聞かせる一日一話』が帰ってきて、今年もまたやります、「30話全て、ひと言レビュー」!!
乞う御期待(とはいっても、来月まで借りられませんがね。買うお金無くて申し訳ない)。 -
Posted by ブクログ
今号の特集は「だれのためのルール?」で、読む前はあまり興味が無かったのですが、読んでみると、ルールがもたらす、それぞれの人生への大きな影響には決して喜ばざるものも多く、かといって、ルールはルールだからと納得せざるを得ないのか? そんなことを考えるきっかけになりました。
まずは法哲学者、住吉雅美さんの「ルールはなんのためにある?」の、タイトルの答えは『人が集団で生きていくため』であり、その種類は明文化されたものから、されていないものまで様々で、特に後者になると、ある文化の中に昔からある「慣習」や、人はかく生きるべしと説く「道徳」、人と人の関係でやってはいけないことを説く「倫理」と、この辺りは罰則にこそならないが、周りの人のことを思うという意味合いでは、人間性が問われているようにも感じられました。
また、イギリスで1215年に制定された、世界の憲法の元祖といわれる「マグナカルタ(大憲章)」は、『法によって権力者の暴走を防ぐ立憲主義の出発点』とも言われており、現在もイギリス憲法の一部と位置づけられているそうで、王も民も神の下にあるのだからという考え方には、なるほどと肯いてしまった。
そして、日本国憲法の変更を決められるのは、この憲法を『確定』させた我々国民で、政治家など権力者が自分の都合のいいようにねじ曲げることは許されないことも、ここに記載しておきます。
次に、「ルールについて思うこと」をテーマに書かれたエッセイでは、以前「母の友」で連載もされていた、フォト・ジャーナリストの安田菜津紀さんの「境目の向こうへ」が印象的で、以前読んだ、中島京子さんの「やさしい猫」を思い出させる、日本に暮らす日本国籍以外の人たちに設けられたルールについて、『社会に「安心」を求めるのであれば、困難な状況にある人をさらに追い詰めるのではなく、生活基盤を安定させることこそ必要なはず』には同感の思いで、入管に勤める方々って、世の中には色々な事情や条件で暮らさなければならない人達がいることを想像できないのだろうかと疑問に感じてしまい、実際に小説のような、人間の想像を遥かに超えた暮らしをしている方だって存在するのに、そこは、もう少し裁量に委ねられるものがあってもいいのでは? とは、確か「やさしい猫」でも書きましたが、今もその気持ちは変わらず、今回の安田さんのエッセイの場合、鬼ごっこをしている途中で小川の橋を渡らずに立ち止まってしまった、子どもの心に植え付けられた辛い記憶と重なったこともあり、より真摯に向き合うべき問題だと思いました。
そして、もう一つ同じテーマで印象的だったのが、「東京おでかけプロジェクト」代表の中嶋弓子さんで、そこで取り組んでいる簡単にはおでかけができない、病児の親や障がい児の親に眼差しを向けたのは、当事者の皆さんの『人の目が怖いから』という言葉に、『病気や障がいがある子とご家族がなかなか伸び伸びと暮らせないのは、それを阻む空気が社会にあるから』だと、改めて中嶋さんが思われたからであるのと共に、彼女自身、幼少時にアメリカで暮らしていたことから、帰国後の文化や空気感の違いに苦しみながらも、共感してくれる友達の存在が生きる支えになった経験を元に、今度は私が友達となって、そうした見えない空気を変えていきたい気持ちへと繋がったことに、人が人に支えられて生きていくことの大切さや素晴らしさを感じました。
最後に、長年保育の現場で子どもたちと関わってきた、「りんごの木」の代表を務める、柴田愛子さんの「子どもとルール」で、私にとって最も得るものが多く、早速ハッとさせられたことに、『ルールのことをお約束と呼ぶことがあるが、実際の園のそれは一方的なものが多い』があり、それは大人が決めたものを、子どもはただ守らなきゃいけないことになることから、『お約束と命令を混合する危うさ』があるそうです。
そこで「りんごの木」の基本は、『命を守るためのルール』だけ決めて、それ以外のルールは、毎年度クラスごとに子どもと一から作っていく感じであり、その理由は、子どもに『なんでやっちゃいけないんだろう』と自分で考える機会を準備してあげたい、柴田さんの思いがあって、それは子どもに、ただ「やりなさい」とか「やっちゃダメ」とか言っても、「はい分かりました」と中々ならないのは、自分の実体験として身を以て理解できないからであり、そこを「ああ、そういうことなら分かるよ」といった、自分の気持ちに置き換えれば納得してくれることには、世の中には色んな考え方や環境で暮らす子どもがいることを、理解することに繋がる素晴らしさもあり、こうした積み重ねは、きっと周りの人を思い遣る心も育んでいくのだと思います。
そうした理由から、クラスの子たちの実体験と共に生まれたルールは、その子たちがいなくなった時、一緒に無くなり、新しい子たちが入ったら、またゼロからのスタートになるそうです。
それから、柴田さんの話でもう一つ印象に残ったのが、『ここ20年くらいで子どもも親も「品行方正であらねば」というムードがいっそう強まっている』ことで、これについては私も心当たりがあって、柴田さんも書かれてますが、『たぶん親の世代も、自分たちが納得していないルールに耐えて従って育ってきた人たちが多い』のではないかに共感し、私の子ども時代は、まさに疑うことすら考えもしなかったような、今となっては、素直すぎて良かったのかななんて思いもしましたが、やはり、あれはちょっとおかしかったのではないかと振り返って感じたこともあります。
例えば、当時の小学校で一人がルールに反することをしたときに、クラス全員がビンタされたことがありましたが、それをする前に、なぜ反することをしたのかという問いは一切無かったことに疑問を感じ、そうしたモヤモヤに対して柴田さんは、『「決まりだから」の一点張りじゃなくて「聞く」姿勢をもって話し合うこと』の大切さを唱えていて、そこには『習慣や常識って、それぞれの家庭によってちょっとずつ違う』ことを知る大切さも含まれていた、集団で生きていくためのルールなんだけれども、その中の一人一人は皆が皆、異なる個を持った存在なのだということも、決して忘れてはいけないのだと感じたとき、本誌の「ひょうひょうかあちゃん」でもお馴染みの齋藤陽道さんのエッセイ、「私と私たちの憲法」の中に書かれていた、『ひとりの存在を大切にする。なんと素朴な思いでしょう』が頭を過り、そんな思いを込めた最高法規のある国で暮らしているんだということを、改めて強く意識させられたことによって、今後の様々なルールの行方を見守っていきたいと思いました。
最後の最後に、これだけは書きたかった連載について、一つだけ。
小幡彩貴さんの「kinderszenen」
盆踊りをする娘さんの可愛い踊り方に、子どもの生まれ持った奔放な魅力を知る。
(しかも川内倫子さんの「八月の光」から見事に繋がっている) -
Posted by ブクログ
まずは、気になったコーナーから。
川内倫子さんの写真「七月の光」
花火といえば、真っ暗な夜にこそ映える印象があるけれども、ここでの夕暮れから夜に変わろうとしている淡い空の花火は、なんだか柔らかくて優しい光の花のようであった。
小幡彩貴さんの「キンダースツェーネン」
今回は、ひっそりとした夜の海岸で、ふと空を見上げての母の一言をきっかけとして、寝る前に思わず巡らせてしまった、娘の想像力旺盛な様が、却って不安を呼び込んでしまう、そのあどけなさが切ない。
「読んであげるお話のページ」は、読んであげなくても、子どもから進んでどんどん絵を追いかけたくなるような仕掛けが楽しくて、斉藤俊行さんのポップな絵や、風船のような台詞の吹き出しといった、お話に於ける、雨の日の続く退屈さを吹き飛ばしてくれる要素も満載。
「絵本作家の元気のもと」
4回目は飯野まきさんの「お気に入りに囲まれて」で、彼女の元気のもとは、蚤の市や古物屋さんで買ってくる、骨董品とはまた違う、『郷土玩具』の愛嬌のある動きや哀愁さを醸し出す雰囲気に癒されるということで、特に家の中にいる時間が長い絵本作家にとって、心穏やかでいられない時もあって、ふと目に入ったそれらをちょっと動かしてみるだけでも良い気分転換になるというのは、写真で見ると、より共感できそうな、とても味のある郷土玩具たちであった。
「やまのこだより」
保育士として喜びを感じる瞬間の一つの、『子どもの世界を壊さないように』という思いに心を打たれ、それはカエルを捕まえたけれど逃がしてしまい泣いていた子どもに、折り紙を使ってカエルを折ってくれたという行為以上に、どのような声かけをしたら、自然と子どもを納得させられるのかを考えながら、日々、子どもたちと寄り添い過ごしている保育士さんの姿勢には、改めて絵本との向き合い方を学ばせていただいた気持ちにもさせられた。
山崎ナオコーラさんの連載小説
「線の上のママとぼく」
そのような場所に行きたい思いはあっても、結局は、それそのものではない妥協点に落ち着こうとしているだけのようにも思われて、子ども自身のことなのに、子ども自身に選択権のないような状況に疑問を感じながらも、一の今後はいったいどうなってしまうのか、次回はちょっと注目かも。
ここからは、特集「私、休めているかな」になります。
「体の声に耳を傾ける 本当の休み方」
心療内科医の鈴木裕介さんによると、自分は疲れていて休みが必要だと自覚すること自体が難しいそうで、それはストレスがかかると、むしろ心身の調子が上がり(抗ストレスホルモン)、元気になる仕組みがあるメカニズムとしての難しさもあり、疲労が真っ先に現れるのは、心ではなく体の症状だということも知っておくべきだと思った、それは基本的に太陽と一緒に目覚めて日が沈んだら寝るという、『動物としての人間』として存在している時間を持つことの大切さであり、体は寝ることを求めているのに、ついついスマホを見てしまうといった、頭が求めていることとの違いは、冷静に考えてみると確かに矛盾しているなと感じ、改めて私も動物なんだということを意識してみると、とても腑に落ちるものがあった。
「休めなかった私が知った“バカンス”の大切さ」
フランス在住のライター高崎順子さんから教えて頂いたことは、私には驚きで、改めてフランスのこと何にも知らないんだなと自覚しつつ、この国では『誰もが2週間以上のまとまった休みを取らなくてはならない』といった長期休暇の制度があり、殆どの人達は、学校の夏休み期間に取るのが定番で、親子揃って日常を離れながら家族の時間も満喫できて羨ましいと感じつつも、それは国の違いもあるんでしょと思ったが、最初は中々上手く機能しなかったらしい。
それは、従業員の方に長く休むことへの抵抗があったという、私と同じ考えだったことに共感し、休みたいけれど復帰した時が辛そうとか、他の人に迷惑をかけてしまうのではないかといった不安が先立つものがあったのだが、そこを「全労働者の権利」として後押ししたのが、長期休暇を導入した政治家たちであり、更にそれを実現するための割引制度や、労働者側も数ヶ月前から綿密に準備を整えて協力し合い、皆が休めるようにするといった歴史の末に日常化されたことにより、『バカンスがあるから、仕事を続けられる』『自分が自分らしくいられる』等、今では無くてはならないものへと確立された、「フランスでできるなら、日本でできないことはない」という高崎さんの言葉も嬉しいけれど、日本は貧富の格差と資本や経済力がもう少し安定できればなあ、ああ、でもバカンス~~~。
「子どもは高度な表現者」
福岡で20年以上にわたり、学習塾と単位制高校とで小中高生を教えながら、たくさんの親子を見つめてきた鳥羽和久さんの言葉で印象的だったのが、『子どもはその曖昧さを通して自身の状況を正確に表現している』ことで、子どもがある日「学校を休みたい」と言ったときの理由が曖昧な態度や言葉を示すときには、それが身体のせいなのか心のせいなのか分からずにいるから上手く話せないのであって、「うまく話せない」状態自体が大切な表現なのだということにハッとさせられて、確かに分かったように説明できる大人よりも高度な表現者なんだなと恥ずかしくなり、また『続けるために休んでいるんだから大丈夫』という言葉には大人にも通じるような、休むこと自体は決して恥ずべきことではないのだということを教えてくれた。
実は今回のこのテーマ、私には興味深く、まさに知りたかったことで、私の場合、知らず知らずの内に、休みの日の過ごし方がマンネリ化してしまう傾向が強く、気が付いたらもう終わってしまうと感じてしまい、疲れは取れたのかなといった不安感を抱いてしまうことが多いので、疲労を回復し、体を本来あるべき正体に戻すための行為、「absent」ではない「rest」の『休む』ということの大切さを、改めて意識してみようと思います。 -
Posted by ブクログ
まずは気になった連載をいくつか。
「読んであげるお話のページ」は、みやこしあきこさんとの対談も記憶に新しい、阿部結さんの「おかあさんのうみ」で、阿部さんの絵本読むのは初めてでしたが、対談でも仰っていた、子どもに迎合しない雰囲気を彼女の絵に感じられて、その飾らないありのままの佇まいが、却って、子どもの活き活きとした姿をリアルに映し出しているようでありながら、お話がまた、不思議な感覚の中に少し切なさが漂うといった、現実ではまず体験できないような夢のあることを、絵本で体験できた素晴らしさを改めて教えてくれて、これを読み聞かせされた子どもは、はたしてどう感じるのか、とても気になる。
「えほんのきほん」は、特集でも登場する、科学絵本について取り上げており、私も勘違いしていたけれど、勉強するための絵本というよりは、身近にある知らなかったことや不思議さを見せてくれることによって、驚きや新しい視点で世界を改めて見るきっかけとなり、子どもたちの様々な好奇心を満たしてくれる、そんな親しみやすさがあることを教えてくれて、私も何冊か読みたいものがありました。
「わたしのストーリー」は、今号から井戸川射子さんになり、第一回目のエッセイは、かつて幼い二人のお子さんを、二人乗りのベビーカーに乗せて連れて行った公園についての回想録で、その時は子どもたちに何かあってはいけないと、常に気を張っていられた井戸川さんが、改めて淡々とその時を振り返ったときに、初めて自分自身の姿を垣間見ることができた、その姿には感情的でないからこそ、より刺さるものがあった。
もりやままなみさん、齋藤陽道さんの
「ひょうひょうかあちゃん」
何度見ても、心が洗われる瞬間。
『ただ、ひたすら今を生きている子』に、かつての自分を重ね合わせてみたくなる。
連載小説
「線の上のママとぼく」 第二回
山崎ナオコーラ
『ノンバイナリー』という言葉が登場することには、前回同様、世の中にはいろんな人達がいることをそっと伝えながら、それとは対照的に、本編は少し重い展開になっていきそうで、努めて冷静に構えていた「一(はじめ)」も、やがては・・・こうした矛盾と、今後どのように向き合っていくのか、これは注目してしまう。
そして特集は、絵本が好きな私にとって、前々から楽しみだった、『絵本と出あう』。
まずは保育士として長い間、子どもと絵本に携わってきた、中村柾子さんの「絵本と出あうということ」で、楽しむと共に、是非勉強にさせてもらおうと興味深かった内容として、赤ちゃん時の絵本は、ストーリー性のあるものは分からないので、まずは「もの」と出あうことから始めるけれど、そこには、『~のような』といった不確定なものではなくて、『はっきりとわかる』感覚を持てる絵本が大事だそうで、そこでまずは事実を見る目が養われると、多方面から見ることや不思議なことを受け止める感覚も次第と身についていき、それがストーリー性のある絵本を感受性豊かに捉えられるきっかけになるのだそう。
ただ、小さい子は抽象的な絵本も大好きということも書かれており、そこは読み聞かせする順番であったり、大人が読んで何も感じないからといって、子どももそうかというと、決してそうではない、あくまでも子どもがどう感じ取るのかが大切だということなのだと思い、こうした絵本の見え方がそれぞれで違うように感じられる点に、私はとても惹かれるものがあって、だから絵本は止められない。
その他に印象的だったのが、「えほんのきほん」でも書いた、科学絵本についてであり、可能なものはなるべく実際のものと突き合わせてあげることで、『外の世界と絵本の往復が豊かに』なり、それが『本で知ったことと実体験がかみ合っていく』素晴らしさに変わってゆく、そんな素敵な体験には、改めて人生に於ける本の存在価値のあり方を実感させてくれたようで、どれだけ便利な世の中になろうとも、絵本にしかできないこともきっとある、そんなことを教えてくれたような気がする。
それから、もう一つ心に残ったのが、五味太郎さんの「俺が出あった絵本の話」であり、ディック・ブルーナの「うさこちゃんとうみ」に感じられた、『子どもの意志にゆだねる姿勢がある』ことには私も共感しながら、貝のページだけ上からの視点で描かれていることにはハッとさせられて、そういえばそうだと、ちゃんとうさこちゃん目線で描いてあることに初めて気付いたときには、思わず家にあるそれを見直してしまうくらい嬉しくて、その他にも、『「わかる」必要よりも「これはなんだろう?」って考えている時間が一番楽しい』ことには、絵本の持つ奥の深さと、その解釈やどう感じ取るのかは、子どもそれぞれで異なることも改めて教えてくれた、正解のない面白さだと感じられました。 -
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犬山紙子のエッセイが一番印象に残った。
大好きな友人を脳内に召喚し、1人で戦わない。
会ったことのない作家でも、心が軽くなるような言葉を紡ぐ人はどんどん召喚して、自分の心をガードする手法。「その手があったか!」と妙に納得した。
たとえ自分にとって都合よく解釈していただけで、ホントはその作家はどんな人かわかんないとしても、自分の心を守るのが一番大事。
柴田愛子の答える「きょうだいに関する育児の悩みQ&A」が文字量多くてもすーっと入ってきた。
長田杏奈のエッセイも納得感あり。
美容系の広告が、頼んでもないのにどんどん視界に入ってくる世の中。自分の変化や不調につけこんでくる商売に冷静に対応しないと、あっという間にいいカモになってしまう…。
毎号思うことだけど、通勤に持ち歩けるコンパクトさ、雑誌そのものの軽さに反比例して、中身が濃い。みなさん文章うますぎ!物書きを仕事にしてる方々だから当たり前だけど、編集チームも相当凄腕なんだろうな、と毎回思う。
文字量が多めなわりに、すーっと入ってくる。この感じはおいしい水を飲んだときの感覚に似ているなぁ、と毎回思う。目に見えないけど、なんとなくからだにしみこんでくるような養分を感じる。
巻末のおたよりコーナーに、母ではないけど読んでいる、という読者のお手紙があった。私は母になってから知った雑誌だけど、母になる前から読んでいてもよかったと思う。 -
Posted by ブクログ
「母の友」は、この号から新年度となったことで、新しい連載もいくつか始まり、まずはそれらを紹介していきます。
サントーシマ香さんの
「ヨガでみつめる私の時間」
こころや体に溜まった緊張を解きほぐし、気分をリフレッシュさせてくれる、やさしいヨガの紹介、初回は「ガス抜きのポーズ」で、やり方はとてもシンプルながら、消化器官を刺激し、抱っこやおんぶで重くなった腰を楽にするとともに、腹式呼吸を使って自己調整力を育む練習にもなるそうです。
絵本作家の元気のもと
「下を向いて歩こう」
絵本作家の方に『元気のもと』を伺う初回は、まるやまあやこさんで、タイトルからも感じられた視点を変えることによる逆転の発想は、創作にあたって、何も考えない時間の大切さと、長野県安曇野市のアトリエ周辺の自然の恵みの素晴らしさを教えてくれて、特に、オランダフウロの種の創作物が印象的でした。
まめこさんの「トビラをひらく小さな鍵」
新しいことを始める楽しさを紹介してくれるこのコーナー、初回は「切手のトビラ①」と題して、自分好みの切手を探し出したり、切手貼り絵体験の魅力が紹介されていて、私はう~んって感じでしたが、国別とかジャンル別とかでテーマをまとめたり、素敵なデザインのものがあることや、その手書きが親しみやすいコーナーのデザインの温かさも含め、単純に読み物として楽しめました。
酒寄希望さんの「みたらしの味わい方」
ぼる塾の酒寄さんの連載、初回は、タイトルの由来についてでしたが、他のメンバーの言葉の引用も含めて、上手いことまとめられる方だなといった印象を抱きました。
園の暮らし
「やまのこだより」
大阪の河内長野市の端っこ、金剛山の麓にある「観心寺保育園」に通う、子どもたちの愛称『やまのこ』たちの園でのエピソードを紹介するコーナー、初回は塗り絵をやってみたいけど・・・と躊躇いを見せる男の子に対して、大人ではなく、子どもたちのひと言が、彼の背中を押してくれたエピソードには、仲間たちで支え合い、共に生きていく姿を見た思いがして、その様子を雄大な日本画で描いた、きくちちきさんの絵も印象的でした。
連載小説
「線の上のママとぼく」 山崎ナオコーラ
待望のナオコーラさんの小説、どんな内容かなと思ったら、彼女らしい様々な価値観のあり方を問い掛けるもので、ママの呼び名は「あるがまま」の「まま」って意味のママであることや、漢字で書くと「中田一」と左右対称で美しい、「ぼく」の名前の「一」は、一番じゃなくて、ひとつだけっていう意味があること等、固定観念にとらわれない見方をしてくれるのかと思いきや、それと矛盾することもあったりと、複雑なものもありそうだと思った矢先の意外な終わり方に、連載小説ならではの、どういった場面で続くにするのかといった、そんな次号への期待感をもたらしてくれる構成もいいと感じました。
ここからは、特集「子育てを“たのしむ”」になります。
まずは、保育の現場に40年以上関わっている、子育て・保育カウンセラーの井桁容子さんの「子どもを知る楽しみ」より。
ここで知った主な内容は、これまでの母の友とも重複するものでありながら、それだけ大切なことだということも認識し、そもそも楽しむ気持ちになれない心境として、『子どもを立派な大人に育てようとしなければならない』という、子育てに関する偏った見方による不安やストレスが大きいことが挙げられており、それに対して『元からある大事な特性を尊重する姿勢』を持ち、『機嫌のいい状態でただ一緒にいる、それだけで十分』とのことで、その理由は、『子どもが自分の力を存分に発揮できるのは「安心」しているときだから』であることに、いつも機嫌のいい状態でいるのって、中々、難しいこと言うなと思いつつも、自分が子どもの頃の気持ちに立ち帰ると、何だか分かるような気がする。
また、私にとって知らなかった知識で目から鱗だったのが、幼い子の方が「味蕾(みらい)」という味を感じるセンサーを多く持っていて、味覚が鋭敏だからこそ、食べものに好き嫌いも出やすい一方、二十歳を過ぎると、それは徐々に減少していくことから、大人になって色々なものを食べられるようになるのは鈍感になっていくからだそうで、子どもの好き嫌いに関しては、あまり気にしない方がいいそうです。
それから、もう一つ印象的だったのが、『自分だけで何もかもやろうとしない』ことで、世の中には様々な家庭事情があると思われる中で、どうしても頑張らないといけない時もあるとは思う。しかし、それでもといった気持ちで胸を打たれたエピソードが、産後ドゥーラとして活動されている、ひらつかけいこさんの「一緒にやりましょう」の中にあった、『日本には料理の手作り信仰みたいなのがある』意識が強すぎて、夕方、園に迎えに行き、子どもを連れてスーパーへ向かい、重たい荷物を持って帰宅するが、そこで身体も心も動かなくなってしまい、食事を作ることができずに出前を頼み、食材も使いきれず、悔しさで涙することであり、これに対して、やり方は他にいくらでもあるとか言う前に、まずは身も心も安心出来るようなサポートが必要だと感じました。
そして、それは、初めての育児に於いて、ひらつかさんのサポートを受けた、西加奈子さんの『そんな気持ちを分かってくれる人が近くにいることは、私の心を本当に、本当に軽くしてくれました』という、その人の気持ちを分かってあげられる人の存在であり、ちなみに、西さんのそんな気持ちとは、『果物を剝いてタッパーに入れておいてくれた』ことで、これについて「?」と思った方は、是非本書を読んでみて下さい。
また、子育てに楽しみを見出すのが難しいと感じている方には、村井理子さんの「たのしい日々は、きっと来る」が、優しく寄り添ってくれると思い、読めば実感されると思いますが、双子という事情もあり、凄絶な内容で、子育てはこんなにも精神的、肉体的に疲弊するものなのかということを感じさせながらの、彼女の言葉『子育てを楽しむタイミングは子どもが幼いときだけではないと思う』に、大きな勇気をいただけると思いました。 -
Posted by ブクログ
特集のタイトル、「なんで忘れちゃうんだろう?」を見ると、年齢的に不安に感じられる点もあったものの、内容は忘れることだけではなく、記憶や記録についても様々な角度から取り上げており、『記憶は人間の財産』や『日記はやさしい』、『子どもとの日々の存在』など、各コーナーのタイトルだけで興味を惹かれるような多彩さが、この雑誌の良いところだと、改めて実感させてくれます。
その中でも私が気になったのは、著書に『脳科学者の母が認知症になる』がある脳科学者、恩蔵絢子さんの「忘れる、忘れない、脳の話」であり、単純に脳そのものの仕組みが興味深い。
例えば、脳はお豆腐みたいにぶよぶよしていて、頭蓋骨の中にあるのは一リットルたらず。子どもの頃は成長するけれど、大人になってからはあまり新しい細胞が作られないので、限られた量の中身をうまく使い回していく運命にあるとか、「怖かった」「うれしかった」というような忘れられない記憶が脳の中に残るのは、また次に起こったらもっとうまく行動できるようにしようと脳は考えるからだとか、知っても不安は残るかもしれないけれど、知らないでいるよりは安心感を得られたような心持ちがあったことと、知的好奇心が満たされる満足感を得られたことが嬉しかった。
また、もう一つ印象的だったのが、本書の連載、「心のセルフケア」でもお馴染みの、高井祐子さんの「忘れられない心の傷をいたわる」であり、その中の『過去に起きた出来事は消えることはありませんが過去に起きた出来事をどうとらえるかは変えることができます』は、決して軽く扱えるものではない、繊細な内容ではあるし、私も過去に心当たりはいくらでもあるが、こうして言葉にしてくれたことには感謝の気持ちが芽生え、これは決して忘れないだろうと思うし、上記したような脳に残る記憶だからこそ、時間をかけてじっくりと取り組みたい。
ここからは、特集以外の気になったコーナーです。
「読んであげるお話のページ」の、垂石眞子さんの「さくらと海とさくら貝」は、これ単品だけでも欲しいと思ったほどの素晴らしい内容で、その優しさと儚さが共存した淡い水彩の絵からも感じられた、ほのかな切なさは、「桜の花びら」と「みいちゃん」の、時間限定のささやかな海への旅から始まり、そこで出会った海の願いをさくら貝に託すことによって、それぞれに叶うことが出来た奇跡的な自然の喜びに、女の子のみいちゃんが関わっていた、そんな二度と無いような素敵な想い出は決して忘れないだろうと思われた物語は、別れの季節である今の時期にもぴったりで、桜の花びらとさくら貝の夢のコラボレーションも楽しかった。
「絵本作家対談 阿部結×みやこしあきこ(後編)」
それぞれに、絵本は子どものものとは思っていない理由が独特で印象に残り、阿部さんの『子どもに向けて描いています、というのは、なんだかおこがましいなと思ってしまうというか』、みやこしさんの、『子どもが理解できる設定ということは意識するけれど、でも世の子どもたちが何を喜ぶかなんてわからない』、それぞれの言葉に、子どもの持つ無限の可能性や奥の深さを感じられながらも、それを理解できたのは、自身の子ども時代のことを、はっきりと客観視出来ているからであったことには、子どもの気持ちに寄り添うためのヒントを得たようでもあったのが、また印象的だった。
また、みやこしさんの絵本が出来上がる過程は興味深く、『まず、一場面が最初にあるんです。お話は後から考えていく』や『ひとつの絵に他の場面がどんどん広がっていってアイデアが育っていくものが絵本になる』は、まさにイメージ通りで、特に最近の作品を見ていると、ひとつひとつの絵が、それ単体でも充分に成り立つような、ただじっと見ているだけで想像力が無限に刺激されるんですよね。
「わたしのストーリー」
小山田浩子さん第2回は、前回とは対照的に読んでいて辛くやるせないものがあり、しかもご自身がそんな体験をした分、余計に痛感させられたのは、『もし自分の子供がそんな風に信じていたものが崩れ去ったような気持ちになっているとしたら気づいて寄り添いたいが多分無理かもしれない』であり、それは故意ではなくとも、結果地雷を踏ませてしまったような、何がきっかけでそうなるのか分からない、人が完璧な存在ではないからこそ起こり得ると共に、それは人がとても繊細で思い遣る一面も持った存在なんだということも痛感させられた、幼い頃の体験というのは、時に一生忘れられないような、心の傷を残してしまうこともあるのですよ。
小川たまかさんの「自由のほうへ行くために」
『日本にも優しいひとはたくさんいるはずだけれど、残念ながらその声は、誰か一人でも「ずる」をする可能性がある制度は絶対にあってはならないという圧にかき消される』に共感し、これは日本人ならではの真面目さや治安の良さの反映なのかもしれないけれど、もう少し幅を広げた判断でもいけるんじゃないですかね、とも思わせる歯痒さも感じ、時には、何でもかんでも100%駄目とするより、多少の裁量の余地を残しておいた方が、結果良くなる場合もあると思うのに、まあ、これは必ずこうだと決まってた方が安心するのでしょうね。その方が楽ですし。でも、ここで小川さんが取り上げていることは、まさに緊急性の高い、その人の一生がかかった問題ですよと、声を大にして言いたくなり、最後の『「おもてなし」の国の裏』のおもてなしが、私には思わず『表無し』に見えてしまう悲しさであった。
来月号から母の友も新年度となり、新コーナーの予告がありましたが、私としては、山崎ナオコーラさんの小説が今から楽しみです! -
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特集 「きょうだいとか、ひとりっことか」
子育てに関する悩み相談や、お金にまつわる不安に、きょうだいを描いた本の紹介と、色んなコーナーがある中で、私が印象的だったのが、Q&Aの一つ、『ついつい「大きいんだから」と上の子に我慢させてしまいます』で、『「あなたは大きいんだから」と言われても、子どもにしてみたら、「同じ子どもなのに、なんで自分ばかり? 差別だ!」って思うはず』に、「へえ、そうなんだ」と思ってしまった。
しかし、この後の文章を見たとき、なるほどと思えた点として、『子どもに「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」という役割期待を押し付けるのではなく、親がその子自身を見て比較評価をしないことが大事』、『家の手伝いも、年齢に関係なく、みんなで分担すると、小さい子もプライドがあるから家族の一員として頑張るんですよね』があり、役割分担ではなくて役割期待は重くのしかかるものがあるし、比較評価、これは敏感になるよねと感じたとき、子どもたちそれぞれが異なるのは、年齢だけでは無いということ、どんなに若くてもちゃんとした『個』の存在があるということを、改めて認識いたしました。
そして、もう一つ印象に残ったのが、『ひとりっこをマイナスとして捉える必要はない』ことで、そう思ってしまう悩みとして、『ひとりっこはわがままになるとよく言われます』があったが、そもそもわがままになる時があるのは、子どもも大人も皆一緒で、大人はその発散方法をたくさん知っているが、子どもはそれらを知らないから、家で物や親に当たるという直線的なことに、特にひとりっこの場合はなりやすい。でも、そうした本音を見せても大丈夫だと安心できる場所が家族だというのも、よく分かる気がして、その過程を繰り返していくことで、少しずつ良い方向へ向かっていけるのならば、きょうだいもひとりっこも関係ないのではと思えた点に、この特集の意義があったのではないかと感じました。
ここからは、気になったコーナーを書いていきます。
「絵本作家対談 阿部唯×みやこしあきこ(前編)」
私の好きな絵本作家、みやこしさんの登場に喜びながら、阿部さんの絵本も面白そうだなと興味を抱く中、みやこしさんの『動物の方が普遍性があるというか、性別や年齢もあいまいで、今いる世界とまた全然別のオリジナルの世界がつくりやすい』に、なるほどと思い、確かに、『ぼくのたび』も『よるのかえりみち』も『ちいさなトガリネズミ』も、広い範囲で共感出来る普遍性があるなと。
「わたしのストーリー」
今号から著者が、小山田浩子さんになり、彼女の作品は未読なのだが、ちょっと読みたくなったと思わせる個性的なエピソードが面白くて、この小学校低学年の頃の、何とかなると思って突拍子も無いことを、ついやってしまった。でも、共感出来るだろうか? という感じに、「うん、分かる、分かる」ということに加えて、何故、糊全般が苦手になったのかをクイズにしても、おそらく誰も当てられないだろうなと思わせた、奇妙な独自性が凄い。
「園の子どもたち」
今回は、獅子舞のごっこ遊びに微笑ましさを感じたが、なんと、この連載は今回で終了とのことで、毎号毎号、岡田千晶さんの絵を楽しみにしていたのもあって、残念ですが、日本各地の主に保育園での様々な子どもたちの素敵な一面を知ることが出来ました。ありがとうございます。
もりやままなみさん、齋藤陽道さんの
「ひょうひょう かあちゃん」
お二人のお子さん、いつきさん、ほとりさんに、どれだけの思いや考えを積み重ねて名前を付けられたのかを実感し、ご夫婦含め、家族みんなが、『i』の音で言い終わる凄い偶然にも驚く中(ニッと笑い顔で言い終わる)、いよいよあと二か月でやってくる、君の名前をどうしようかと思いを巡らせる、そんな幸せなひとときを、お裾分けしてもらったような心境にさせていただき、改めて、個を持った存在の誕生する素晴らしさ、尊さを実感いたしました。こんなにも考えてくれてるのですね。 -
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川内倫子さんの写真「一月の光」
私が読み始めて初めて見た人の存在する写真は、雪景色の中、ソリを引き上げているその後ろ姿の横に映る影によって、光の存在を認識出来て、その僅かながらも確かに存在する様には、まるで、その人の気持ちを鼓舞しているようにも思われた心強さであった。
特集「笑っていきましょう」
見返しに書かれた、哲学者アルフォンス・デーケンの『にもかかわらず笑うこと』の大切さを、改めて実感いたしました。
大平哲也さん「笑いと体の不思議」
笑いの効能として、運動、リラックス(笑った後は自然と心身ともにゆるむ)、ストレス解消など、こんなにたくさんあるんだなと驚き、中でもリラックス効果については、痛みの軽減とも関係性がある事を、子どもに注射を打つ前には笑いを促したりするといった、分かりやすい例を交えて教えてくれたり、脳は『本当の笑い』と『嘘の笑い』の区別を、あまりつけていないらしい事から、たとえ嘘であっても、『笑う』という、その行為自体が自分自身を救う鍵にもなる事は忘れないでおこうと思った。
春風亭一之輔さん「笑いってなんですか?」
『ウソはクリエイティブの源ながら、全部が全部ウソだとあまりおもしろくない』に共感。分かるような気がする。
古賀及子さん「おもしろい嫉妬」
想定外の中に、庶民性の宿るおもしろさ。
くどうれいんさん「へとへとしゃぼん玉」
思わぬ意外性と心からの切なさのギャップに笑ってしまった。
「読んであげるお話のページ」は、東直子さんの、「みどりさんのてがみ、しらゆきさんへ」で、その絵も描かれた東さんの、ほのぼのとした雰囲気は、みどりさんの書いた手紙が、いろんなものの偶然によって届けられようとしている、リレー形式の展開の面白さと、オノマトペを交えた文章の響きも心地好い作品。
「絵本作家対談 多田多恵子×堀川理万子(後編)」
植物学者である多田さんの好きな植物、『レンゲショウマ』に興味を持ち、堀川さんの絵本創作前に作品に纏わる話を聞くことに対して、『どんな話を聞いても、どういう自分でいたらいいんだろうって思っていた』に、そうした葛藤も絵本には含まれているのだろうと感じさせられた事が、絵本を読む上での、また違った視点を与えてくれたようで、印象深かった。
松田青子さんの「わたしのストーリー」
子どもも大人も、お互いに『乗せ』合って元気になる、温かいエピソードに励まされた。
「園の子どもたち」
岡山県倉敷市、勇崎幼稚園の子どもたちが、かぶの種を植えて、やがてはそれが実り、収穫し、それを使って子どもたちが作った、かぶ入りの豚汁の、なんとも美味しかったことから、『育てるのは心だね』の言葉にも納得。しかも、そこには絵本『おおきなかぶ』の繰り返す言葉の面白さも関わっていたことが、また嬉しくて、まさに笑いのもたらす力。
もりやままなみさん、齋藤陽道さんの
「ひょうひょうかあちゃん」
「今日の『気分』を体で教えて」。ただこれだけで、こんなにも楽しくて感情豊かな毎日を送れるなんて、言葉以外の表現方法って、偉大だね。 -
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まずは、気になったコーナーから。
川内倫子さんの写真、「十二月の光」
その冬枯れの木々を、どこか朝靄がかかったように取り巻く光には、まるで優しさを見出せる温かさがあって、月毎に異なる光って、あるんだなあと、改めて実感させられた。
「絵本作家対談 多田多恵子×堀川理万子(前編)
まつぼっくりがつないだ二人」
「海のアトリエ」の堀川さんの登場に嬉しい私は、その絵の描き方、『子どもたちにも伝わるようにデフォルメして描いているんだけれども、植物学的に矛盾がでない程度に要所をちゃんと押さえている』や、『あえて絵をちょっと非対称に描くことで、生きている感じが出せる気がする』に、感銘を受け、その常に試行錯誤している様子には、絵本作家ならではの拘りを感じられて、私が絵本を読む際にも、とても勉強になった。
「読んであげるお話のページ」は、母の友でもお馴染みの、ガンバートル、ボロルマー、津田紀子さんによる、モンゴルのお話「カッコウのナムジル」で、読んでいて、『スーホの白い馬』に似ていると思ったが、終わり方にちょっとした違いがあって、なんでも、その馬頭琴誕生を巡る物語は複数あり、彼らによれば、モンゴルでは「ナムジル」のお話がポピュラーだとのこと。
「特集 “声”が聞きたい」
様々な状況に於いて、声というものが与えてくれるもの、そして、もしかしたら私も、私の声で誰かに何かを与えられるのかもしれないということ。
鶴谷香央理さんの「チキンソテーと豆腐飯」
鶴谷さんが、漫画家仲間のオカヤさんと通話しながら料理をする、ただそれだけなんだけど、お互いに話しながらその音が聞こえてきたり、相手の料理に羨ましがったりと、この状況が何だか温かいなと感じられて、その後も、一緒に食べながら話したりするのも含めて、ビデオ通話にしないで声だけというのが、また、お互いの料理を想像する楽しみがあって、更に食欲がそそられるのも素晴らしく、これはご飯美味しく感じるよね。
山﨑広子さんの「声の力」
最も印象的だったのが、『自分で録音した声と、喋りながら聞いている自分の声は、伝わり方も異なる別の音』ということを、初めて理論的に教えてくれて、これ、学生の頃、私やったんですよ。カセットデッキで録音しながら、「あー」とか声出して。そして聞いてみたら、「何、この声!」って感じたのが、とてもショックで・・・でも、別の音なら違って当たり前だったんだと、出来れば、あの頃に知りたかったけど、まあ良かったです(笑) あ、それから読み聞かせには、少し低めの楽に出せる柔らかい声が、子どもにとって心地好くて良いそうです。
山口雅子さんの「声で、わかった」
絵本の読み聞かせについて、報われたと言うと、おかしいのかもしれないが、子どものため、一所懸命にやっている人にとっては、とても心に響くことを仰ってくれているように思われたのが感動的で、『読み聞かせって、特に子どもにとっては、生身の人がここにいて体温もあって、その状況全部ひっくるめての特別な体験』であり、『ただ読んでもらうとか、知らない本を知るとかっていうのではなくて、その人が自分のためにそこにいてくれるっていう安心感』もあり、『いつも読んでくれる人の声は、子どもが本を開けば聞こえてくるもので、だからこそおとなになっても、ちょっとしたきっかけで蘇ってきた』には、その実体験も知ることにより、とても説得力を増して胸に迫るものがあり、絵本に声が加わることで、子どもにとっては何物にも代え難い特別な思い出となることに、これまで以上に、絵本の読み聞かせの素晴らしさを感じさせられて、改めて、読んで良かったと思う。
最後に、今年一年を振り返るような、高井祐子さんの「心のセルフケア」より、『悲しみにも傷つきにも息つぎが必要』には、『色んなことがあったけど、今、自分は生きている。よくやってこられたよね、と、自分自身へのねぎらい』をかけることが、その現状の捉え方を変える意味合いもあって、大切なのだと私は思い、それが現在進行形であることに不安もあるが、見方を変えることと考えてみることというのは、自分自身のためにもなるのだろうなといった客観性は、これからも持ち続けていきたい。 -
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まずは、気になったコーナーから。
小幡彩貴さんの「kinderszene(キンダースツェーネン)」
秋の切ない雰囲気は、感受性豊かな子どもには、また違った感覚なのかもと思わせる、おじいちゃんの寄り添い方も素敵な一場面。
長田杏奈さんの「私のきれいは私が決める」
「今日も暑いですね」ぐらいの感覚で、「おいくつですか?」と尋ねられる長田さんって、凄い世界にいるんだなと思いながらも、『エイジズム(年齢差別)』についてのお話は印象に残り、その『若く見える』ことが共通の褒め言葉とされるのは、『若さの美徳を信じて疑わず、加齢に対して否定的な価値観が根強いから』に、なるほどと思い、しかも、他の差別と違うところは、誰もが未来の当事者となる点に、過去に何気に言った心無いひと言が、未来の自分に返ってくるといった、まさに因果応報を実感させられるわけです。
「読んであげるお話のページ」
今月は、竹田嘉文さんの「まよいみち」ならぬ、『まよいまち』で、この限られた色とデザイン性が面白い、迷路つき絵本は、ゲーム感覚で町歩きを疑似体験できそうで、将来、子どもがひとりでお使いに行く予行練習としてもいいかも。
「絵本作家鼎談
ガンバートル×ボロルマー×津田紀子(前編)」
イチンノロブ・ガンバートルさんと、バーサンスレン・ボロルマーさんは、モンゴルの昔話や文化を伝える絵本作家の夫婦で、それを翻訳している、津田紀子さんとは、三人でひとつのチームと言わしめる親しい間柄であり、特に、口承文芸の世界である遊牧民の生活について、紙に残しておきたい一心で、日本やモンゴルの子どもたちに伝えたい気持ちに心を打たれ、私も読みたくなりました。
もりやままなみさん、齋藤陽道さんの
「ひょうひょう かあちゃん」
ここでの『スマホけいさつ』は、親子間で対等に行っているからこそ、成立する事に、何事も為せば成るを実感させてくれたが、これは他人事ではいられずに、私ももう少し使用を控えるか・・・。
そして特集は、「炭水化物、気になりません?」
まずは、管理栄養士の太田百合子さんのお話で、基本を確認。
炭水化物は、五つある「栄養素」のうちの一つで、「たんぱく質」、「脂質」と共に、『エネルギー産生栄養素』とも言われ、生きる上で極めて重要なものである。
炭水化物は、「糖質」と「食物繊維」の二つに分けられ、前者は、腸から吸収され、脳や筋肉などを動かすエネルギー源となり、後者は、エネルギーにはならないが、血糖値の上昇を穏やかにしたり、腸を整える働きがある。
一日に必要なエネルギーは、年齢、性別、運動量によって異なり、二十代女性(運動量普通)の場合、約2000kcalで、全体のエネルギー量の50~65%(1000~1300kcal)を炭水化物から摂ることが、生活習慣病を予防するバランスの目安となり、お弁当箱だと約半分くらいがご飯のイメージで、お茶碗一杯(約150g)のご飯で約252kcalなので、一日にご飯、約3~4杯分ということになる、とのこと。
また、炭水化物を控えて、肉や魚を毎日たくさん摂って、たんぱく質で補う場合、噛む力も必要となるので、子どもや年配の方には現実的で無い点と、炭水化物は、たんぱく質を体に吸収するときや脂肪を代謝させるときにも必要なので、必要以上に抜くと、せっかくのトレーニングの効果が出ないことも。
そして、エネルギーが不足すると、脳にエネルギーがいかなくなってしまうので、疲れやすくなったり、集中力を欠いてしまったりと、デメリットが多く、また、糖質制限によるエネルギー不足状態からの、急な甘いものの摂取は、血糖値の急上昇を招き、生活習慣病の原因に繋がりやすい。
最も興味深かったのは(知識不足なだけかもしれないが)、一日分の『食事バランスガイド』であり、それは、逆三角形のコマの形をしており、上から順番に、「主食(ご飯、パン、麺):ご飯なら4杯程度」、「副菜(野菜、きのこ、いも、海藻料理):野菜料理5皿程度」、「主菜(肉、魚、卵、大豆料理):肉・魚・大豆料理から3皿程度」、「牛乳・乳製品:牛乳だったら1本程度」、「果物:みかんだったら2個程度」となっており、その中心には重要な水分補給として、「水・お茶(ジュースなどの嗜好飲料は入らない)」が入っていて、コマの上を人が走る(運動)ことでコマが回り、食事バランスが安定するとのことだが・・・うっ、耳の痛い話だこと。全然、駄目だね、私の場合は。毎日、疲れが取れていない気がするのも、おそらく主食も副菜も主菜も、少なすぎるからだと思うし。
また、意外だったのは、果物はいっぱい摂らなきゃって思ってたけど、全体的に見ると、そうでもないことと、えっ、チーズも多いと駄目なのか等、色々と参考になりました。明日から、少しずつ変えていこう(ただし、とても緩やかに)。
ちなみに、ジュースやお菓子などの間食にあたるものは、食事のバランスそのものには含まれないけれど、楽しく食事をするために、少量なら効果的だそうです(これが、コマの紐になっている)。
その他にも、子どもの食事についてのアドバイスや、痩せすぎや肥満は、大人の場合はBMI、子どもの場合は成長曲線を元に判断することが出来ることから、誤った認識で判断することの危険性を教えてくれて、上記の食事バランスが想像しづらい方は、その後のコーナー「あなたの三食教えて」に於いて、子育て世代の方々が、三日間の三食を写真で掲載してくれており、それに太田百合子さんのコメントが付いているので、参考になると思います。
夏井景子さんの「炭水化物をおいしく食べる一品料理」
手軽に作れるものから、ボリューム感たっぷりなものまで、美味しく炭水化物を摂れるレシピには、「クミンとごまのおにぎり」、「ピーマンと椎茸の佃煮のせごはん」、「鮭とクリームチーズのサンドイッチ」、「かぼちゃのカレークリームうどん」等、どれも食べたくなる。
岡本真帆さんの「短歌とエッセイ」
匂いまで立ちこめそうな
カステラの光る景色は絵本の向こう
ぐりとぐらみたいだねって
指さした先にかがやくおつきさまだよ
歌人の岡本さんが、幼い頃、「わたしも食べてみたい!」と、初めて憧れた物語の世界の食べ物は、「ぐりとぐら」のカステラだそうで、彼女の言葉、『どんな味がするんだろうと想像するとき、物語の世界はぐっと身近になる』に、とても共感し、絵本って味覚も刺激して、まさに五感で体感出来るものなんだなと、その素晴らしさを再実感させてくれました。
それから、特集には、「炭水化物が出てくる絵本」も紹介されており、表紙を見るだけで、子どもが、思わず手を伸ばして食べたくなるようなものがいっぱいで、そこから、絵本にも食事にも興味を持ってもらえそうなのが、また印象的でした。
そして、いよいよ次号は、年に一度のお楽しみ、特別企画「こどもに聞かせる一日一話」で、初体験の私にとって、「絵本を30冊読めるようなものなのかな?」と、今からワクワクものです。 -
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まずは、気になったコーナーを。
川内倫子さんの写真、「八月の光」
最初、どこに光がと思ったのだが、たまたま本書の森田真生さんのコーナー、「かずをはぐくむ」の中に、『昼間の晴れた空が青いのは、太陽の光が大気の分子にあたって散乱しているから』とあり、光の存在というのは、太陽から直接放たれるだけではなく、違った姿で見せてくれることを今更ながら知ることが出来たのが、私には新鮮だった。
小幡彩貴さんの「Kinderszenen(キンダースツェーネン)」
電車の窓から時折見える、保育園の子どもたちが手を振る光景に何かを感じるのは、分かるような気がして、清々しいはずなのに何故か胸を熱くさせるのは、あの無心に手を振っている姿が、遠い日に、どこかに置いてきた私の一部だと感じるからかもしれない。
長田杏奈さんの「私のきれいは私が決める」
体型や見た目をからかわれたとき、悪いのはいつもからかった側ということに共感したが、それ以上に、『「見た目の否定」と「存在の否定」は想像以上に近い場所にあるようだから』という言葉に、今の多様性の世の中とは全く異なるベクトルを痛感しながらも、「この世の中で女の子を育てるのが怖い」と仰る、長田さんの友人の話に、それでも様々な立場で物事を考えなければいけないことを思い知る。
特集は、「いま、読みたい本」ということで、小説家、俳優、イラストレーター、絵本作家、書店員の方々と、様々な人がお勧めの本を紹介しており、翻訳家の村井理子さんの『「読む」という行為は、一人になるっていう時間』に共感する中、もしかしたら私だけかと誰にも言えず、密かに悩んでいた私と同じような思いを抱いていた方が、台湾生まれの小説家「温又柔」さんでした。
その中でも、『私はこれでいいんだろうかとか、自分が世界にしっくりと馴染んでないような、疎外感を覚えるときって、私の場合は呼吸が浅くなる』に同感の思いで、私の場合、今でこそ平気になりましたが、数年前は特に電車やバスといった閉鎖的空間で、よくそうした息苦しさというか、呼吸が上手く出来なくなるような感覚に陥ることが多くて、それは、おそらく自分に自信が無いからだと思うのですが、これまで、そうした苦しみを他人に理解されないまま生きてきた私にとって、上記の温さんの言葉は、「ああ、私だけではなかったんだ」ということを、やっと実感出来た喜びに加え、そんな温さんのおっとりとした愛らしい素敵な表情からは、決してそのような苦しみを感じさせない、そんな姿にとても感銘を受けまして、彼女が勧めた本は勿論のこと、彼女の作品にも興味を持ち、是非読んでみたくなりました。
それから、読みたい本とは少し離れるのですが、私にとって興味深かったのが、「母の友」連載著者の本棚拝見で、それぞれの本棚にある本やその置き方に個性があるのも面白いのですが、何より、皆さんのお顔を写真で初めて知ることが出来たのが、とても嬉しくて、小幡彩貴さんの、絵の印象そのままの素朴な可愛いらしさ、小川たまかさんの、スマートで落ち着いた佇まいの中にも、『本はそれなりに時間をかけて書かれたものなので、丁寧な深い思考をするためにも、本を読む時間を意識的に作るようにしています』には、仕事に於ける直向きで生真面目な印象とも一致し、鈴木純さんはこんなに若い方とは思わず・・・てっきり銀髪の似合う渋い方かと思っておりました。ごめんなさい。そして、長田杏奈さんはとてもお綺麗で笑顔がよく似合う方で、以前のコーナーでは、母として酷使してきた、この方の指のことを、よくもあんな風に言えたなと、改めて怒りが再燃しそうですが、最後は、何だか「母の友」のファンみたいな感想になってしまいましたね。 -
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あの号の話にて、
園に通う意義を「失った友達をとりかえす」ためと書きます。かつて子どもは道ばたなどで勝手に遊び、遊びながら友だち同士で無意識に「教え」合っていた。それが子どもの育ちにつながっていた。しかしもう町には遊ぶ場所がなく、子どもが子どもに教えるような「教育」はおとなには出来ない。だから園という子どもが集まり自由に遊べる場を設けるのだ。1969年のこの言葉現代を生きる私たちにも響くなあと、感じました。
子どもならではの学びって大きいですよね。
大人になってからでは経験できないことたくさん園で学んで感じてほしいなあと改めて思いました。 -
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「放っておかないで、自分の心身」
東洋医学の話、生理の話、サントーシマ香のヨガ
自分いたわるって、大事…。
食事は忙しいと手を抜きがちだけど、それじゃダメなんだよな〜というのを最近の健康診断結果で痛感している…。
サントーシマ香のヨガは、ちょっとしたスキマ時間や、子どもを寝かしつけているときにもできそう。
小林エリカ、森田真生、小川たまかのエッセイは考えていきたい内容。
本の紹介にでていた「ちょっと踊ったりすぐにかけだす」は読んでみたい。ちょうど仕事で顧客満足度のことを考えていて、「自分がこの家に生まれたいか?」という顧客満足度のくだりに目が止まった。
自分の子どもたちにとって「この親で満足しているか」…
恐ろしい…。
よく、結婚式のときに親への手紙で「育ててくれてありがとう」的なことをやったりするけど、途中途中で子どもの満足度を振り返るのは大事なのかも…。
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7月号の特集は『自然にふれる喜び』。
まずは若菜晃子さんの、「ときには ひとりで公園へ」で、ここでの公園に於ける自然から得られる喜びは知っていたが、それをすることの意味合いとして、『同じ場所で同じことばかりしていると、どうしても煮詰まってきてしまう』や、『まったく違う世界にふれることで、本来の自分を取り戻して、また元の生活に戻れる』に肯けるものがあり、具体的に何をしようとか決めなくても、ちょっとした気分転換として行くだけでも、結構違うと思います。
また、若菜さんと似通った考え方だと思われたものに、星野道夫+星野直子「もうひとつの時間」があり、それは、当時星野さんの住むアラスカにやって来た友人の編集者の言葉、『自分が日本で忙しい時間を過ごしているそのときに、アラスカの海ではクジラが飛び上がっているかもしれない、そのことを知れただけでも来てよかった』から、日々追われている日常の時間とは、また違ったところで流れている、時間の存在を知ることの大切さを教えてくれたような気がします。
最後に、勅使河原香苗さんの「子どもと一緒に! 夏の自然を楽しむワークショップ」で印象的だった言葉、『子どもたちが植物や生き物にふれると、一気に五感を開放して、好奇心の種をどんどん育んでいくのがわかる』には、子どもだけが持つ未知なる可能性を見た思いがし、ちょうど夏休みということもあり、このような企画に親子揃って参加するのもいいのではと思いました。
ここからは、気になったコーナーを。
「読んであげるお話のページ」
今月号の「うみのかんづめ」は、なんと鬼頭祈さんが絵を書かれていて、清涼感ありながらも、どこか可笑しみのある日本画と、割と波瀾万丈な物語が上手いこと噛み合っていて面白い。
「絵本作家対談 あべ弘士×竹上妙(後編)」
あべさんの、動物園で働くようになってから動物に夢中になることで、動物の身体の構造や描き方もそこで学び、仕事を辞めてからは、アフリカに行き動物をたくさん見て、たくさんの絵を描いてといった、好きなものを仕事にするために、その躊躇なく前へと突き進んでいく姿勢、憧れます。
小林エリカさんの「母の冒険」
作家として、自分のことよりも、彼女が出会った誰かの生の痕跡を書き記したいと考えるようになられた、小林さんのその後の言葉、『日記を残さなくとも、子どもを残さなくとも、何も残さなくとも、ひとりが生きた痕跡はあちこちに残されてあるから』に大きな勇気をいただいた。こんなこと言ってくれる人いるんだね。
森田真生さんの「かずをはぐくむ」
『真に豊かな時間は、自分の外を流れるものではない。時間は(時計ではなく)生命が刻むもの』に、ハッとさせられ、ときに時間は自らで生み出してもいいことを思い知る。
小川たまかさんの「自由のほうへ行くために」
住民投票で意思を表明することすらさせてもらえない島にミサイルを置いて、一体どんな平和を守るというのか。
なんの話かというと、沖縄県の石垣島であり、遡ること2018年頃、島の若者が代表となって、自衛隊駐屯地建設についての住民投票を求める「石垣市住民投票を求める会」を作り、署名を募り、その請求に必要な署名数「有権者の50分の1」を大幅に上回る4割近く、14263人の署名が集まったのに、石垣市長は住民投票に反対し、市議会も否決。更に2021年、市長派が自治体基本条例から住民投票に関する条項を削除することを提案し、これが可決され、「求める会」は住民投票を行う権利を確認するために、今も裁判をしているそうです(2023年5月23日、那覇地裁で判決があり、訴えを不適法として請求を却下)。
また、2022年の市長選では、住民投票に反対する現職と理解を示す新人の争いで現職が勝ち、それについてネットで色々見てみたが、どうもしっくりこないものがあって、一体誰のために政治をやっているのだろうかと疑問に感じたり、「そもそもこの国って民主主義じゃなかったの?」と思う中での、国防論の主張もどうなんでしょう。国を護るということは、そこに住んでいる人達の生活を護るということでもあるような気がしますが。
そして、2023年3月18日早朝、もはやそれを止められないことを分かっていても、ミサイル搬入に対する抗議の声を上げる人達を見ているのがつらいと言った小川さんに、ジャーナリストの友人は、『それでも抗議することに意味があるでしょ』と言ったそうですが、それ以上に、小川さんの中では「本土」の人間が安易に何も言えないのだという言い訳を、大人になってからもずっと心の中でし続けたことから、あの島の港で自分の狡さを突きつけられたそうですが、小川さんだけじゃありませんよ、狡いのは。たぶん私もそうです。こうやって知ったところで何か行動に移すのかといえば、そうするわけでもないし。最低だね。
ですから、せめてここで書くことによって、少しでも多くの人が、この事を知って下さればと思い、長くなりましたが書かせていただきましたし、こうした内容を、なぜ『母の友』に掲載しているのかを考えると、石垣島にも当然、母はいますよね。しかも子どもがいらっしゃれば、ミサイル搬入についてどう感じるのか。そういうことだと思いました。 -
Posted by ブクログ
見返しに書かれている、「母の友」の読者アンケートの九割の方は女性であり、今号の特集の「自分の心身(からだ)」の「自分の」は、「女性の」という意味を強めにこめて使っているが、ぜひ、「母」の「友」であってほしい存在、男性にも読んでいただけたらと思っている、この姿勢を私はとても嬉しく思う。
川内倫子さんの写真、「六月の光」
今回は、蜘蛛の巣に張り付いた、まるで規則性があるような芸術的な丸い水滴の向こうに、ほのかに浮かび上がる光たちに、撮り方次第で、こんなに光の見え方や表情が変化することに驚き。
小幡彩貴さんの「Kinderszenen」
その止むことのない雨音だけが聞こえる静謐さに於いて、言葉こそ無いけれども、そこには確かに親と子の通わせる温かさが、ポッと宿っていた。
長田杏奈さんの「私のきれいは私が決める」
マスク着用を「個人の判断」に委ねる政治方針の適用から、「美しさ」や「化粧」にまつわる社会の圧がなくなって、初めて真の意味での「自分のための美容」が叶うのだと思うと書かれた、長田さんのやり切れなさは、女性が困窮しやすい社会構造に責任がある、政治家から、「マスクを外して美しい顔を出して、忘れていた化粧をする」なんて言われたくないといった、率直な気持ちによく表れていると思う。
そして、特集は
「放っておかないで、自分の心身」
しりあがり寿さんの扉絵の、無分別にハッピーになれそうな開放的なイラストに後押しされるように、紹介される、数々のコーナーの多彩さには、母の友編集者の、その子育てや仕事や家事に忙しくて、つい自分のことは後回しになっている、そんなあなたへ向けた優しさが、私にはとても心に残り、どこまで紹介していいのかと迷ったり、恥ずかしさも伴ったのですが、もしこれを読んで、参考になるような事があればいいかなと思い、書いていきたいと思います。
最初は、関東中央病院産婦人科医長、稲葉可奈子さんのお話から、生理について、不快に思う基準は誰かに決められることではなく、“自分にとって”でいいそうで、自分自身が困っているのならば、医療の力を借りるべきであり、その辛さは、生活習慣など、自分の頑張りでコントロールできることではないそうです。
次に、ヨガ講師のサントーシマ香さんの、初めてでもチャレンジしやすく、短い時間で出来るヨガの紹介では、まず呼吸で心身を落ち着かせるところから始まって、朝の気持ちを前向きにするヨガ、椅子があるだけで出来る、肩や腰の疲れを楽にするヨガ、一日の終わりに、その日の疲れをリセットし、気持ちよく眠りにつけるヨガと、見ていて簡単そうで、これは必見だと思います。
続いて、薬膳アテンダントの池田陽子さんの、「始めてみませんか、ゆる薬膳」で、薬膳と聞くと、自分で作れるわけがないと思われそうですが、考え方はシンプル、しかも使うのはスーパーの食材でOKとのことで、大切なのは、自分にとって必要な食材をコンスタントに『体内に投入』することだそうで、疲労回復やエイジングケア、ストレス解消に不眠解消、婦人科系トラブルと、それぞれの悩みに適したレシピも紹介されております。
その後の、関根美有さんのコミックエッセイでは、四十代になって、体調の変化を感じ始めて、あまりの腹痛に病院に行ったら、いわゆる生理痛だった事を知ったときに実感されたのが、いままでの自分の偏見と無理解の恥ずかしさだったそうです。
最後は、「性教育YouTuber」で助産師のシオリーヌさんと、そのパートナーの元看護師、つくしさんのインタビューで、私が印象的だったのは、その活動のきっかけが、多くの方が妊娠や出産が起きて初めて自分のからだのことを何も知らないことに気がつかれていることを知ったことであることと、性の話というと、極端に神聖化されたり、アダルト向けのコンテンツのように捉えられてしまうことが多いが、自分が健康に安全に社会の中で生きていく上で、普通に大事な話をしているだけと話された、そこには、健康や尊厳が軽んじられている現状を見過ごしてはいけないといった思いがあることに、そうだよなと、はっとさせられるものがありました。
「読んであげるお話のページ」は、野田映美さんの「のりもの のって レッツゴー!」。
乗り物大好きな、みちくんが、次々と入れ替わり立ち替わり乗っていく、それらに、子どもたちも食いつくこと間違い無しな中での、開放的な展開は、夏休みを控えた今の季節にこそ、ぴったりな内容で、私的には、80年代風のシティ感溢れるポップな色合いが印象的だった。
「えほんのきほん」
絵本を読んでも見たり聞いてくれないという質問に対して、まずはパラパラと好きに開いて絵を楽しむことから始めてみるといいそうで(「この猫かわいいね」とか、「赤い車が走っているね」とか)、そこには、子どもがまだ絵本に慣れていないということもあるかもしれないので、気長に構えて、大人も子どもも無理がないように楽しみましょうとのこと。兄弟姉妹がいる場合は、一方に読み聞かせしていると、そっと聞いているかもしれませんよ。
絵本作家対談「あべ弘士×竹上妙」(前編)
版画にしか自信がなかった竹上さんに対して、あべさんの、「絵本をやっていくなら版画にこだわらないで、絵とかいろんなものに気楽に挑戦した方がいい」の言葉に、自分の世界が広がった竹上さんを知ることで、自分だけの視点からでは決して分からない、人と人との交流の素晴らしさを実感させられ、そんな自由な発想を持つ、コピー機などを駆使して作られた、あべさんの「アリューシャン・マジック」は、是非読んでみたくなりました。
「あの号の話」
母の友1960年5月号の、「しかること」と「怒ること」の違いや(子どもに説明することと、感情をぶつけること)、すべての子にあてはまるしかり方は存在しないことが記載されていることに、その時代は、もっと大らかなイメージを勝手に抱いていたが、今も昔も変わらないんだなといった、母の友のその姿勢が何より凄いと思った。
安田菜津紀さんの「わたしのストーリー」最終回。
中学生の頃、亡くなったときに初めて、父が在日コリアン二世だったことを知ったことから始まった、安田さんのルーツをたどる旅に於いて、何度となく通った、神奈川県川崎市桜本にある、多文化共生施設「ふれあい館」には、安田さんの祖母と同年代のハルモニ(おばあさん)たちも集い、時に差別に見舞われながら、働き詰めだった彼女たちの言葉に触れたとき、祖母が生きてきた時代も少しずつ「見えてくる」気がしたそうで(32歳で亡くなったそうです)、そんな中でも起こった、2015~16年のヘイトデモの行進に、川崎市議会は全国に先駆けて、ヘイトスピーチを刑事罰の対象とする条例を成立させたが、その後も、在日コリアンへの危害を予告する脅迫年賀状がふれあい館に届いた、この執念深さはいったい何なのだろう。そんな状況もあるから、自身のルーツを一生明らかにしない人もいるのだろうと思った時、もし自分がそのような立場になったら、どう感じるのか、まして、かけがえのない家族たちにも言えないって、それがどれだけ辛いことなのか、少しは本気で考えてみろよと言いたくなるくらい、悲しさでやり切れないものがあったが、安田さんの『共に生きる』を、ただのスローガンで終わらせないために、これからも旅とその発信は続くという、その思いは、ずっと注目していきたい。
小林エリカさんの「母の冒険」
仕事に家事にと、いつだって余裕がない中、ついに必要な会話だけしかしなくなっていた、その状況に孤独感を感じていたのではと思われた、小林さん。そこから、なんでもないお喋りや、なんの意味も目的もなく、ただ誰かと一緒に時間を過ごすことの大切さを痛感していくことには、今の時代性もあるとは思うが、それこそ、人間が人間たるバランスの保ち方なのかもしれないと、改めて痛感させられた。
小川たまかさんの「自由のほうへ行くために」
企業の不祥事があった場合、経営者は株主からとことん説明を求められるのに、何故政治家は、有権者の求める説明責任から、ああも逃れ続けているのか、確かに疑問に思い、彼らが口にする言葉の影響力はとても大きいのに、ひたすら同じ文言を繰り返す中身の伴わない謝罪で済まそうとしている、その姿に、敢えて馬鹿な振りをしているのか、もはや分からないが、「丁寧に説明していく」と繰り返せば、丁寧に説明したことになるのだろうかと嘆かれる、小川さんのお言葉、本当に、なんなんでしょうね。
「BOOKS」で紹介されていた、「古賀及子」さんの
「ちょっと踊ったりすぐにかけだす」は、岸本佐知子さんの推薦文の(このコーナー、よく岸本さん出てくるけど、推しなの?)、「あー、今からでも古賀さん家の子に生まれたい!」という一文が印象的な、こんなに楽しそうな人たちを今まで見たことがない、そんな内容に惹かれつつ、そこに紹介されていた、『日記は1日のことをまるまる書こうとせずに5秒のことを200字かけて書くといい』には、目を覚まさせる程の説得力を感じ、それに対して、子どもたちは『玄関でサンダルと靴のどちらを履こうか悩んだこと』を書いたとか。なんて素敵な家族だ。