あらすじ
特集は「私、休めているかな」です。毎日、忙しいです。「休み」を目標にがんばるけれど、せっかくの「休み」もあれこれしてしまい、逆に疲れをためてしまうことも。心も体も回復できる休み方はあるの? 童話欄は斉藤俊行さん作「雨の日のぼうけん」。「絵本作家の元気のもと」欄には飯野まきさんが登場です。
*電子版には巻末付録のカレンダーはつきません。
*電子版では、掲載されないページ、マスキングされた画像が含まれる場合がございます。
*この作品はカラー版です。お使いの端末によっては、一部読みづらい場合がございます。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
まずは、気になったコーナーから。
川内倫子さんの写真「七月の光」
花火といえば、真っ暗な夜にこそ映える印象があるけれども、ここでの夕暮れから夜に変わろうとしている淡い空の花火は、なんだか柔らかくて優しい光の花のようであった。
小幡彩貴さんの「キンダースツェーネン」
今回は、ひっそりとした夜の海岸で、ふと空を見上げての母の一言をきっかけとして、寝る前に思わず巡らせてしまった、娘の想像力旺盛な様が、却って不安を呼び込んでしまう、そのあどけなさが切ない。
「読んであげるお話のページ」は、読んであげなくても、子どもから進んでどんどん絵を追いかけたくなるような仕掛けが楽しくて、斉藤俊行さんのポップな絵や、風船のような台詞の吹き出しといった、お話に於ける、雨の日の続く退屈さを吹き飛ばしてくれる要素も満載。
「絵本作家の元気のもと」
4回目は飯野まきさんの「お気に入りに囲まれて」で、彼女の元気のもとは、蚤の市や古物屋さんで買ってくる、骨董品とはまた違う、『郷土玩具』の愛嬌のある動きや哀愁さを醸し出す雰囲気に癒されるということで、特に家の中にいる時間が長い絵本作家にとって、心穏やかでいられない時もあって、ふと目に入ったそれらをちょっと動かしてみるだけでも良い気分転換になるというのは、写真で見ると、より共感できそうな、とても味のある郷土玩具たちであった。
「やまのこだより」
保育士として喜びを感じる瞬間の一つの、『子どもの世界を壊さないように』という思いに心を打たれ、それはカエルを捕まえたけれど逃がしてしまい泣いていた子どもに、折り紙を使ってカエルを折ってくれたという行為以上に、どのような声かけをしたら、自然と子どもを納得させられるのかを考えながら、日々、子どもたちと寄り添い過ごしている保育士さんの姿勢には、改めて絵本との向き合い方を学ばせていただいた気持ちにもさせられた。
山崎ナオコーラさんの連載小説
「線の上のママとぼく」
そのような場所に行きたい思いはあっても、結局は、それそのものではない妥協点に落ち着こうとしているだけのようにも思われて、子ども自身のことなのに、子ども自身に選択権のないような状況に疑問を感じながらも、一の今後はいったいどうなってしまうのか、次回はちょっと注目かも。
ここからは、特集「私、休めているかな」になります。
「体の声に耳を傾ける 本当の休み方」
心療内科医の鈴木裕介さんによると、自分は疲れていて休みが必要だと自覚すること自体が難しいそうで、それはストレスがかかると、むしろ心身の調子が上がり(抗ストレスホルモン)、元気になる仕組みがあるメカニズムとしての難しさもあり、疲労が真っ先に現れるのは、心ではなく体の症状だということも知っておくべきだと思った、それは基本的に太陽と一緒に目覚めて日が沈んだら寝るという、『動物としての人間』として存在している時間を持つことの大切さであり、体は寝ることを求めているのに、ついついスマホを見てしまうといった、頭が求めていることとの違いは、冷静に考えてみると確かに矛盾しているなと感じ、改めて私も動物なんだということを意識してみると、とても腑に落ちるものがあった。
「休めなかった私が知った“バカンス”の大切さ」
フランス在住のライター高崎順子さんから教えて頂いたことは、私には驚きで、改めてフランスのこと何にも知らないんだなと自覚しつつ、この国では『誰もが2週間以上のまとまった休みを取らなくてはならない』といった長期休暇の制度があり、殆どの人達は、学校の夏休み期間に取るのが定番で、親子揃って日常を離れながら家族の時間も満喫できて羨ましいと感じつつも、それは国の違いもあるんでしょと思ったが、最初は中々上手く機能しなかったらしい。
それは、従業員の方に長く休むことへの抵抗があったという、私と同じ考えだったことに共感し、休みたいけれど復帰した時が辛そうとか、他の人に迷惑をかけてしまうのではないかといった不安が先立つものがあったのだが、そこを「全労働者の権利」として後押ししたのが、長期休暇を導入した政治家たちであり、更にそれを実現するための割引制度や、労働者側も数ヶ月前から綿密に準備を整えて協力し合い、皆が休めるようにするといった歴史の末に日常化されたことにより、『バカンスがあるから、仕事を続けられる』『自分が自分らしくいられる』等、今では無くてはならないものへと確立された、「フランスでできるなら、日本でできないことはない」という高崎さんの言葉も嬉しいけれど、日本は貧富の格差と資本や経済力がもう少し安定できればなあ、ああ、でもバカンス~~~。
「子どもは高度な表現者」
福岡で20年以上にわたり、学習塾と単位制高校とで小中高生を教えながら、たくさんの親子を見つめてきた鳥羽和久さんの言葉で印象的だったのが、『子どもはその曖昧さを通して自身の状況を正確に表現している』ことで、子どもがある日「学校を休みたい」と言ったときの理由が曖昧な態度や言葉を示すときには、それが身体のせいなのか心のせいなのか分からずにいるから上手く話せないのであって、「うまく話せない」状態自体が大切な表現なのだということにハッとさせられて、確かに分かったように説明できる大人よりも高度な表現者なんだなと恥ずかしくなり、また『続けるために休んでいるんだから大丈夫』という言葉には大人にも通じるような、休むこと自体は決して恥ずべきことではないのだということを教えてくれた。
実は今回のこのテーマ、私には興味深く、まさに知りたかったことで、私の場合、知らず知らずの内に、休みの日の過ごし方がマンネリ化してしまう傾向が強く、気が付いたらもう終わってしまうと感じてしまい、疲れは取れたのかなといった不安感を抱いてしまうことが多いので、疲労を回復し、体を本来あるべき正体に戻すための行為、「absent」ではない「rest」の『休む』ということの大切さを、改めて意識してみようと思います。