芝田文乃のレビュー一覧
-
-
-
Posted by ブクログ
レム・コレクション第2期も順調に出版されて喜ばしい限りです。
今回はレムの作品の中でも最も謎めいたものが2篇。レムの作品は危険だ。捜査はタイトル通りミステリーを感じさせるし実際ロンドン警察庁の刑事が主人公で動く死体という不可解な謎に挑むというものです。しかしなんのヒントも得られないうえに解決不可能性がほのめかされるしSF的な方向に向かうかと思えば不気味な描写もあってホラーの雰囲気。読者が思い込んでしまうカテゴリーをことごとく外していってあれ?あれ?あれ?これはどういうこと?と頭がぐるぐると回っていきます。浴槽で発見された手記にしても同様に前書きと称する部分だけガチガチのSFで架空の手記自体は全 -
-
-
Posted by ブクログ
楽しみにしているレム・コレクション。第二期は順調に出版されていて誠に喜ばしいです。
実質のデビュー作である表題作含め非SF短編も含む初期作品集。書かれたタイミングは戦時中でありしかも場所は現在も禍中にあるリヴィウ。ドイツに占領されていたりポーランド領だったりソ連だったりと過酷な経緯を辿る街で、また今も翻弄されています。ホロ・コーストのストレートな場面を描かれた短編も含まれており、ユダヤ人でもあったレムはこんな環境のなかでも作品を書き続けていたのがよくわかります。「ヒロシマの男」も印象的です。発表されたのは原爆投下後の二年後と早く、いかにレムも衝撃を受けていたことがわかります。感情的なじとじとし -
Posted by ブクログ
今年一番、すすめたい本。
前半はブルガリア・ロマの熊使いの伝統の終焉の、人と熊と。自由は社会の設定ではないのだと感じる。しかし社会の設定は自由な社会を設定しようとする。これは社会の過渡期なのだろうか?そう考えるよりも、自由は能力のように上達させるものなのだろう。
日本に限らないと思うが、自由は置かれているのに閉塞感が強い。いや、足枷はないがルールがある。社会なら仕方がない質のものはあるだろうけど、問題なものもあるだろう。ただ、案外に好きにすればと放任されている。こういった暮らしを知ると。例外は一旦置いといて。
便利なのだ。道具だけでなく仕組みも。広い意味での道具が便利で、扱いに注意しなく -
Posted by ブクログ
特に印象に残った二作の感想。
『火星からの来訪者』
粗削りながらも、すでに後の『ソラリス』に通じるテーマ──人間にとって“他者”とは何か──が浮かび上がっていたのが印象的だった。作中、謎めいた異星生命体と人類の科学者たちが接触を試みるが、そこに成立したのは「対話」ではなく、どこまでも一方的な「観測」だったように思う。特に、教授が体験する“火星のヴィジョン”の場面は、人間側の希望的観測の象徴に感じられた。リオンが何かを伝えようとしたのではなく、教授自身が「意味を見出したい」という欲望から幻を見たのではないか。この作品を通じて、レムは早くも「知性とは、他者と本当に理解し合えるのか?」という問いを -
Posted by ブクログ
順調に刊行が続くレム・コレクション。誠に喜ばしい限りです。人間よりも人間らしいロボット二人の寓意に満ちた珍道中。とは言ってもそこはレム。歯応えありすぎるほどあるよ〜。簡単には噛み砕けないよ〜。言葉遊び部分も多く、原文が読めたらもっと楽しめるんだろうなぁと思うと同時に、日本語への落とし込みに翻訳者は悶絶ものだろうなと思いました。この文化間ギャップが興味深くもあります。
1965年の作品ですが現在の生成AIを先取りする記述があまりに現代的で驚愕する。主人公のロボットたちが建造師と言われているのもシビれます。英語ではなんて訳されているのだろう。builder?クリエイターも今やソフトよりの印象とな -
Posted by ブクログ
ファーストインパクトは著者のポートレート写真だった。
「一度料理人になりかけた」というジャーナリストの佇まいは、満面の笑みでもカバーしきれていないほどの強面。こんな人物に訪ねて来られたら、嫌でも口を割らねばなるまい…。
だが本書でインタビューを受けるのは「独裁者」に仕えていた元料理人たち。強面の来訪とは比べものにならないほど、恐ろしい瞬間に立ち会ってきたはずだ。(何より貴重な生き証人である)
「世界の運命が動いたとき、鍋の中では何が煮立っていたのか?[中略](料理を)見張っていた料理人たちは横目で何に気付いただろう?」
ポートレートを皮切りに、そこからは本の構成に魅せられていった。
著者は -
Posted by ブクログ
ネタバレサダム・フセイン、イディ・アミン、エンヴェル・ホッジャ、フィデル・カストロ、ポル・ポト。
独裁者たちが何を食べてどんな顔を見せていたかを、彼らの専属の元料理人たちが語っている。
彼らは今もあまり過去を喋りたがらない。食事で何か問題が起きれば自分の命が危ないというギリギリの現場だったようだ。当時一般の人々よりは良い暮らしをしていても、独裁者の身近に仕えていただけに色々と危険も多く、周囲の人に過去を知られることも避けたいと考える人がいてもおかしくない。
印象的だったのはイディ・アミンの料理人。料理人というより職人のような雰囲気だった。料理の腕と安全性と信頼がすべてであり、失敗は許されない。読む限り -
Posted by ブクログ
ネタバレかつて独裁者だった人物、イラク共和国のサダム・フセイン、ウガンダのイディ・アミン、アルバニアのエンヴェル・ホッジャ、キューバのフィデル・カストロ、カンボジアのポル・ポトの料理人のインタビュー集。
料理人になった経緯と仕事をしていたときの心理と主人の失脚後の人生は様々。大体は「いつ捨てられるのか、いつ殺されるのか」と怯えながら仕事をしていた。
その中で一人だけ異彩を放っていたのはポル・ポトの料理人のヨン・ムーン。インタビューされた人間では唯一の女性。彼女はポル・ポトに心酔しきっていた。
料理人以外の現地の人間にもインタビューを行い、独裁者が当時現地でどう思われていたのか詳しく描かれている。 -
Posted by ブクログ
鎖の付いた鼻輪を付けられて、男の指示に従って二足で立ち上がり、見せ物として”踊る熊”。動物虐待に他ならないこの伝統は、ブルガリアにおいてかつて脈々と受け継がれていたー過去形を使ったのは、ブルガリアが共産主義から資本主義社会へ展開した後、動物愛護団体によって全ての熊が庇護され、この伝統は消滅したからである。
では、この熊たちは庇護され、幸福な生活を送っているのかと言えばそうではない。生まれてから長きに渡って鼻輪で拘束された熊たちが自由を味わったとき、自由の重さに耐えきれなくなる。そして熊たちはすっくと立ち上がり、鼻輪で拘束されていたときと同様に、踊ってしまうのだ。
本書は、ブルガリアのような -
Posted by ブクログ
一部の二部にわかれている。おおまかにいえば、一部では本題にある「踊る熊たち」について、二部では「冷戦後の体制転換にもがく人々」について書かれている。
この題における熊と人々はアナロジーとしてある。踊る熊たちについては比喩でもなんでもなく、ブルガリアにて熊使いという仕事があり、熊たちに芸をさせていたそうだ。芸を仕込むということは、熊たちからすれば餌をもらえるため生きるには困らないが、時には暴力も振るわれる。しかし、西欧のリベラルな愛護精神が侵入してくればそうはいかない。熊たちは保護された。
さて、熊たちは自由を手に入れて幸福になったのだろうか。そして人々は?要は旧ソ連崩壊前と後の、旧共産圏の国々 -
Posted by ブクログ
遠い昔なのか遠い未来なのかわからないが、宇宙のどこかで、どんな要求をも満たす全能でサイバーな曲者マシーンを生み出す宇宙有数の“建造師”トルルルとクラパウツィウスの壮大な叙事詩というか冒険譚というか寓話というか法螺話というか。とになく意味がないけど意味ありげなお伽話でびっしりと埋められていて、正直読んでも読まなくても、飛ばしてどこから逆から読んでもかまわない。とにかくまじめに読む必要はないが、そこには量子力学だったり作者の豊富な科学的知識が詰め込まれていて、クスリ、ニヤリとさせられることも多く、作者スタニスワフ・レムが1921年生まれと考えると、何やらとても示唆的でもある。手元に置いて気が向いた
-
Posted by ブクログ
独裁者と呼ばれた人々の料理人から見た世界を覗く、これまで読んだことの無い本だった。
海外モノは登場人物の名前が覚えられず苦戦することが多いがこの本でも相変わらず苦戦。
なんども前のページに戻っては「この人誰?」を繰り返した。
聞いたことのある、程度だった人物の様子がありありと描かれていて、残虐であったところだけでなく人間らしさを知ることが出来たのは発見だった。独裁者も信頼できる人が欲しかったのだなということを知れた。
これらの話はたかだか60年近く前の話だと思うと心が痛む。日本では高度成長期だった中、食べるものにも困る人がこんなにもいて、こんな食生活だったのかと。
視野を広げる良い機会と