【感想・ネタバレ】踊る熊たち:冷戦後の体制転換にもがく人々のレビュー

あらすじ

自由とは新たな挑戦だ

第一部では、2007年にブルガリア最後の「踊る熊」たちがいかにして動物保護団体に引き取られたか、そして生業を奪われた飼い主のロマたちが陥った困難な状況について、さまざまな立場の関係者を取材する。第二部ではソ連崩壊以降のおもに旧共産主義諸国(キューバ、ポーランド、ウクライナ、アルバニア、エストニア、セルビア、コソボ、グルジア、ギリシャ)を訪ね、現地の人々のさまざまな声に耳を傾ける。そこに共通するのは、社会の変化に取り残されたり翻弄されたりしながらも、したたかに生き抜こうとするたくましさである。
第一部と第二部はそれぞれ同じ章立て。共産主義の終焉から資本主義に移行しきれない国、またはEUに組み込まれたことで経済危機に陥った国の人々の混乱と困惑を、隷属状態から逃れても「自由」を享受しきれない「踊る熊」たちの悲哀に見事になぞらえ、重ね合わせている。

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Posted by ブクログ

この本は旧共産圏のブルガリアに伝わる「踊る熊」をテーマに、旧共産圏に生きる人々の生活に迫る作品です。

この本もすごいです・・・!

ロシアに関する本は山ほどあれど、旧共産圏のその後に関する本というのはそもそもかなり貴重です。

しかも、その地に伝わってきた「熊の踊り」というのがまさに旧共産圏から「自由」への移行劇を絶妙に象徴しています。

「踊る熊」を通して私たち自身のあり方も問われる衝撃の作品です。これは名著です。ぜひぜひおすすめしたい作品です。

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2024年08月19日

Posted by ブクログ

今年一番、すすめたい本。

前半はブルガリア・ロマの熊使いの伝統の終焉の、人と熊と。自由は社会の設定ではないのだと感じる。しかし社会の設定は自由な社会を設定しようとする。これは社会の過渡期なのだろうか?そう考えるよりも、自由は能力のように上達させるものなのだろう。

日本に限らないと思うが、自由は置かれているのに閉塞感が強い。いや、足枷はないがルールがある。社会なら仕方がない質のものはあるだろうけど、問題なものもあるだろう。ただ、案外に好きにすればと放任されている。こういった暮らしを知ると。例外は一旦置いといて。

便利なのだ。道具だけでなく仕組みも。広い意味での道具が便利で、扱いに注意しなくてもセーフティなものに多く囲まれるようになった。街道一の建具や職人のひ孫の僕は、以前の「道具」を知っているし、その感覚はどことなく身につけた。以前の道具は、付き合い方がうまくならないといけなかった。

道具で仕事をするのではなく、道具と仕事をしていた。人間が道具の能力に合わせる面があり、素材の都合に合わせる面があった。そしてその結果が匠だった。それを考えると今は、素人向けの道具に囲まれ、多くの人が同じようにそうやれる。そして扱いが悪くても道具を壊してしまったり、大怪我をしてしまうこともだいぶ減った。

自由を手にするとは、自由さんという道具のようなものとお互いに擦り合わせて、能力が上達することで手にするものなのだろう。便利な道具だらけではその能力のなさに気づきにくく、謙虚な心がなくても、道具はいうことを聞いてくれる。自由力とは慎みや片付けなどの基本動作の筋力アップで付くものだった。今はそれをしにくい。自由という吊るしの完成品、むしろ初心者ほど、効き目が高いものを求める。自分の頭をすてて自由が手に入るものだったが、それこそできない。自我。わがまま。やさしさ社会。

「自由なのに自由にできないものたち」

後半は、長くなったので省略する。哲学思想のように難しい文はないので読みやすい本ではある。「読書は好きになる必要がある」。映像画像音声などは便利な道具だ。便利で知を得ることができるが、自由からは遠ざかる。

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2022年06月19日

Posted by ブクログ

前半が熊使いにまつわる話、後半は共産主義から資本主義に移行して戸惑う人々の話。後半の章ごとに冒頭に差し込まれる前半の言葉が心模様を端的に表している。100%の社会など存在しない。ソ連解体に伴う意識の変化を通じ、社会の成り立ちの基本を見直せる良書。

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2022年02月14日

Posted by ブクログ

鎖の付いた鼻輪を付けられて、男の指示に従って二足で立ち上がり、見せ物として”踊る熊”。動物虐待に他ならないこの伝統は、ブルガリアにおいてかつて脈々と受け継がれていたー過去形を使ったのは、ブルガリアが共産主義から資本主義社会へ展開した後、動物愛護団体によって全ての熊が庇護され、この伝統は消滅したからである。

では、この熊たちは庇護され、幸福な生活を送っているのかと言えばそうではない。生まれてから長きに渡って鼻輪で拘束された熊たちが自由を味わったとき、自由の重さに耐えきれなくなる。そして熊たちはすっくと立ち上がり、鼻輪で拘束されていたときと同様に、踊ってしまうのだ。

本書は、ブルガリアのような、かつての共産主義国家が資本主義に転換したことによって、”自由の重さ”に社会が耐えきれなくなっているということを描いたノンフィクション作品である。

冒頭のブルガリアにはじまり、ウクライナ、ポーランドなど、様々な国を巡りながら、”自由の重さ”、そして”自由の痛さ”がどれだけ人々を痛めつけているかを、知ることになる。

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2021年06月06日

Posted by ブクログ

一部の二部にわかれている。おおまかにいえば、一部では本題にある「踊る熊たち」について、二部では「冷戦後の体制転換にもがく人々」について書かれている。
この題における熊と人々はアナロジーとしてある。踊る熊たちについては比喩でもなんでもなく、ブルガリアにて熊使いという仕事があり、熊たちに芸をさせていたそうだ。芸を仕込むということは、熊たちからすれば餌をもらえるため生きるには困らないが、時には暴力も振るわれる。しかし、西欧のリベラルな愛護精神が侵入してくればそうはいかない。熊たちは保護された。
さて、熊たちは自由を手に入れて幸福になったのだろうか。そして人々は?要は旧ソ連崩壊前と後の、旧共産圏の国々における変化についてのルポだ。


本書の終盤、コソボのドライバーが安全な運転を心がけながら語る。

「警察が道路交通法に違反した者を公開鞭打ち刑に処したんだ。危険な運転をしていた数人の違反者は銃殺刑になった…。」

コソボは恐ろしいところだ、と思っただろうか。実は、この話は嘘である。
ドライバーによる冗談で、この話のあと「あんたたち(西欧人)はなんでも信じる」と続く。このドライバーが言いたいのは、世界はコソボについてなにも知らない、知ってるのはどこにあって何年に戦争があったかどうかくらいだ…というわけである。

実際、日本人らがどれほどコソボについて、または旧共産圏の国々についてどれほど知っているか、かなり怪しいと思う。西欧人どころではないだろう。上のドライバーは「知ってるのはどこにあって何年に戦争があって…」と言うが、多くの日本人はそれさえ知らないのではないか。このような本を手に取る自分でさえ、場所も年数もはっきり答えられる自信があまりない。

よって、新鮮な内容ではある。それぞれの国で暮らす人々にとっては凡庸な日々の生活なのかもしれないが。

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2025年09月24日

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