中村哲のレビュー一覧
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戦争と旱魃で住む場所を追われた人々が故郷に戻り生活できるよう、井戸・用水路を掘り続けた医師・中村哲先生。別の著書でハンセン病患者の支援をされていた時の話も読んだが、中村先生は一貫して「現場主義」。見返りを求めず、本当に人々のために活動されていたことがわかる。だからこそ現地の人々も自然と参加するようになったのだと思う。
用水路の設計などについてはかなり技術的な記述が多く難解であったが、用水路ができ、灌漑農業ができるようになったことで、荒れ果てた砂漠の大地が緑地に変わっていく様子には感動を覚えた。
中村先生に起きたことは本当に残念で悲しいが、先生が残したものや意思は、これからもきっと残るはず。 -
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かれこれ30年前に福岡に赴任していた頃、ペシャワール会によく足を運んでいた知人が、中村哲さんのことを話してくれたことがあった。私自身は何の関りも持てなかったが、彼の名前を聞く度に一方的な親近感と畏敬の念を抱いていた。
彼の幼い頃の思い出は、当然だが火野葦平が書いた玉井組の世界と重なる。「花と龍」の、懐かしい読後の空気が戻ってきた。ペシャワールで医療に、アフガニスタンではさらに「水」という生きるための最低限ともいえるインフラを整えるべく灌漑工事に奔走するその一途な姿は、やはり玉井組の、金五郎の血筋だと思わせる気迫がある。
911後、テロ特措法ができ、難民キャンプで救援活動するNGOなどを守る -
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アフガニスタンで亡くなった中村哲さんが、ラジオ番組に6回出演し、語った内容をまとめた本。 サブタイトルに「本当に伝えたかったこと」とあるが、この本を読むとよくわかる。 数年ごとに、アフガンの状況と活動の状況、自分が考えていることを語っているが、全ては人として困っている人を助けたいという信念に貫かれている感じがした。 医療から生活の改善へと活動を変えていった理由や思いがよく伝わる。普通の支援だったら、井戸を掘って用水路を作ってハイ終わり、となるところだろうが、彼はその先の将来まで気にしている。 だからアフガンから戻れなかったのだろう。 逆にそのことが支援のあり方を示す手本になっている。 現地をよ
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中村先生はどうしてアフガニスタンの農村回復に心血を注げたのだろう。冒頭で医者になろうとしたのは決して高尚な理由だけではないと述べられているので、中村先生が生来公益のために身を捧げられる性質があった訳では無いと思う。どこからこの偉業を成し遂げようとする意志が来るのか。
この本を手にしたのはきっかけも覚えていないくらい偶然である。中村先生の名前すら知らなかった。しかし、本を読み進めるうちにこんな名もなき偉人がいるのかと心から驚いた。偶々本を読まない限り全く知らなかったであろう人なのだ。恐らく自分の友達10人に聞いても知ってる人は1人くらいだろう。世の中は中村先生のような影の立役者によって支えられ -
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荒野に希望の灯をともす を観てこちらも。
今は、人間が生きて死ぬ、ということが直に見えない世界ということ
鷲田清一さんもそんなようなことを仰ってた。
生きてる人が死ぬ、という当たり前の行程が忌み嫌われて隠される。でもそうすることで、私たち自身も生に対する向き合い方が怠惰になるのかもしれない。
去年亡くなった祖父は、最晩年はホスピスで、最期の最期も心電図はなく、私たち家族だけで息をしなくなった様を見届けたけど、ああいう経験は実はとてもとても貴重だったのかもしれないな、と。
「苦労のしがいがある」
こう言い切れる仕事を、私はしていない
仕事は楽しいけど、そもそも私の仕事自体、この世に無くて -
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まさに、魂の本。
①たとえば、地雷でよく足を負傷しておいでになる方があります。山の中では。片足ですと、杖をつきながらでも人に迷惑をかけずに生活ができる。。ところが、両足をなくしますと、たとえ命が助かっても、これは車椅子など使える生活ではありませんので、かえって、この人が生きておるために、一家全体が破滅するということもあり得る。その場合は、私たちとしても始めから助けない。(p40)
☆日本はさ、どんな方法を使っても生かすのが当たり前なんだけれども、ここでは違うんだね。よかれと思ってやることが、かえって迷惑になるというか、あだになることはよくよく考えておかなければならない。ようするに、親切にすれ -
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新聞で時々、アフガニスタンのことを書いた記事があっても難しかったこと。なにが
起こっているのか、この本を読んで、少しみえた。医師中村哲さんの活動をつづった本。アフガニスタンでハンセン病と厳しい干ばつ。内戦での空爆。
その環境で医療活動と、現地の人々と力を合わせた水源確保や用水路をつくること。
食糧配給。文章のなかから伝わってくる中村哲さんの思いや信念に心がゆさぶられた。すべてはみんなが安心して作物を「食べれる」社会。
戦争や地球温暖化、疫病で荒れた土地の緑を復活させて、人々が自分たちで暮らせる世界。今の日本で危惧されてることがもう他の国で起こっている。
一人でも多く、中村哲さんのことばをこの本 -
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もう 20年も前に なるでしょうか
ケニアのストリート・チルドレンへの支援活動を
長年しておられる方に誘われて
ナイロビ近くの 孤児院に行ったことがある
その時に 日本人のスタッフの方もおられて
その方とお話をしていて
ー本当は 私たちのような
(ケニア人ではない)外国人が この現場に
必要とされなくなるのが
私たちの 一番の希望なのです
と おっしゃっておられたことが
強く印象に残っています
それから しばらくして
中村哲さんへの賛同をしておられる
日本人の方と出会った時に
その方も また
(中村哲さんが)同じようなことを
おっしゃっておられた
と お聞きしました
中村 -
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中村哲(1946~2019年)氏は、九州大医学部を卒業後、1984年にパキスタンのペシャワールに赴任し、ハンセン病の治療やアフガニスタン難民の診療に従事、その後、長年、戦乱と旱魃に苦しむアフガニスタンで、井戸・水路建設などの復興事業を行ってきた医師。NGO「ペシャワール会」現地代表。2003年にマグサイサイ賞、2018年にアフガニスタンの国家勲章を受章。2019年10月7日には、アフガニスタンでの長年の活動が認められ、同国の名誉市民権を授与された。2019年12月4日、アフガニスタン東部のジャララバードにおいて、車で移動中に何者かに銃撃され、亡くなった。享年73歳。
本書は、戦争や国家を問う作 -