ウスビ・サコのレビュー一覧
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先日読んだ『アフリカ出身サコ学長、日本を語る』と比べると、こちらの方が読みやすい。けれど硬い。よって個人的には『サコ学長、日本を語る』の方がおもしろかった。
こちらが硬くて読みやすいのはまず著者の執筆態度の違いによるものだろう。
『日本を語る』の方はタイトル通り、サコさんが感じていることを奔放に書いている。だからエキサイティングで、疾走感がある。
対してこちらは『「これからの世界」を生きる君に伝えたいこと』である。だからテーマを細かく分けて、テーマごとにきちんと若い人たちと向き合い、語りかけている。要するに真面目である。だから読みやすいし、分かりやすいけれど、ワクワク感は『日本を語る』には劣る -
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めっちゃおもしろいやん。
一気読みしてもうたわ。
日本国籍を持ち、日本の大学の学長として日本の教育を愁い、一方で大きな希望を持って子どもと向き合うことを続けてきたマリ人のサコさん。
あくまで「異文化」の立場から日本文化を見つめるその視線は、あとがきで内田樹さんが指摘されている通り、日本人として感じてきたモヤモヤがスーッと晴れていくような気持にさせられる。
今回、特に膝を打ちたくなったのは次の箇所。少し長いが引用する。
「私から見た日本の教育はいわば、『今の社会システムや社会構造を維持したい』という中高年の思いに、子どもや学生、若者が巻き込まれている状態、である。日本の教育は大人目線なのだ。 -
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P171自分の居場所の見つけ方という部分が非常に良かった。内田老師のよく言っていることではあるが、ポワンカレを引いて「知性の働きは違うところにあるものを同じものだと気づくことにある」というメッセージは自分自身の好みにも合致する。「これってあれだよね?」という直感はなんとも表現しがたい恍惚感と快感がある。常に抽象と具体を高速で行き来し、一見全く別のものに見える概念の共通点やフラクタル性に気づくことは何にも代えがたい感覚だ。さらに、内田老師のようにレヴィナスと合気道という一見全く異なる分野になんらかの共通点を直感し、その両者を極めることで、唯一無二の存在になることができるという点も含蓄がある。1つ
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ーー「誰か私を自由にして」って、何でやねん!
「自由」をラディカルに考え、身体を動かし、人を動かし、社会を変えようとしているサコ学長と学生たち。なんて風通しがよくて、人間味のある大学なんだろう。本当の「リベラル(=自由で寛大で風通しがよく分け隔てのない)アーツ」をサコ学長と学生たちは一緒につくろうとしているようだ。
専門の建築学を学ぶにしても、インドのスラム街から学んで「スラム型集合住宅」を町屋再生計画で提案するなんて、楽しそうすぎる。そんな話をしながらも、「スラム=かわいそう」というテンプレートに嵌まり込んで思考停止する姿勢にはピシッと鞭を入れてくれる、あたたかくも厳しいサコ学長。外国人留 -
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ネタバレ大学長になるまでの前半パートは、かつてWebで見た内容が詳細化されていた(あらすじを知っていても面白い)が、後半の日本の学びへの提言パートがグサグサ刺さる内容だった。
自分の大学生時代の考え方なら、著者に乗っかろうと安直に考えてゼミ志望しそうだが、その姿勢では物足りないと叱責されるだろう。
印象に残った言葉
・グローバル化とは、自分の価値観を持ったまま、お互いに強調していけること
→同化するのではない
→マックス・フリッシュ「我々は労働力を呼んだが、やってきたのは人間だった」
・政治に関心がないのに政府に依存する
フレーム化された集団教育に疑問を感じているのに、学校に求めすぎる
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マリ出身で、学問に目覚め、紆余曲折あって日本で建築(だったっけ?)を学び、日本人の女性と結婚して日本国籍も取得した著者が、マリの価値観をもちながら、フランスの価値観、日本の価値観も理解したうえで、日本の社会や教育に物申す。物申すというより、ここが変だよね、ほんと、理解できない!とストレートに述べている。
私も、まったくその通りだよ!と思うことが多かった。一番その通りだよ!!!!と共感したのが、とにかく学校でなんでも引き受けすぎ、ということ。学校は学問をするところでしょう?それが、日本人の子どもは学校が生活のすべてになっているから、そこでいじめにでも遭おうものならもう死にたくなるし、学校に適応で -
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アフリカ出身のサコ学長が、日本を日本の大学をそして日本の文化を語る。おそらく、このタイトル自体が日本的で、アフリカの人が日本で学長をやっているのが極めて珍しいから、だからその人が日本をどうみているのか気になっているということが根底にある。アフリカの人が学長なんてできるのか?という疑問を日本人なら持つだろうということもこの本を出版する人が考えたポイントだろう。
日本の言わなくてもわかる、なるべく近寄りすぎないでいる距離感、空気を読むということは、実は真の友達、分かり合える関係なのか?という問いは非常に的を得ている。確かに、多民族国家であったり、移民を受け入れたりしている各国では、言わなくてもわか -
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日本人は外国の方から批判されたり、持ち上げられたりすることを有難がる傾向があるように思える。この本もそこを狙っている本かと思っていたが、いい意味で裏切られた。
著者はマンガ家の竹宮惠子氏の後任として、京都精華大学学長を務めており、本物の「教育者」だと感じた。サコ氏はアフリカのマリ共和国の出身で、中国に留学したが留学生と中国人学生との衝突を経験。その後、日本に留学する。日本に来た理由は、「面白さ」を感じたからだという。それは「だらしなさ」や「わけのわからなさ」だという。こんなこという人初めてでしょう。
本書の中盤以降、真摯でユニーク(日本人にとって)な教育論が展開されている。教育とか大学に興 -
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私が暮らす町の
近所に「小京都」と呼ばれる
昔ながらの町並みと路地を遺している
小さな町がある
その町の中に以前はメインストリートであった
細長い商店街がある
麹屋さん、和菓子屋さん、荒物屋さん
魚屋さん、履き物やさんね散髪屋さん
つい近くまで鍛冶屋さんもあった
ここ30年ほど前から、その昔ながらの
店はほぼ閉めてしまい
閑散としたとおりになりつつあった
ところが10年ほど前から
その町に その町出身ではない
(少し年かさの)若者たちが
やってきて
自分たちができる「商いの店」
が少しずつできだした
当初は二、三軒だったけれども
すこしづつ増えて
数十軒を超えるほどになり
今では 秋に一度