若島正のレビュー一覧
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この悪夢感のある装丁、アングラ的でいいですねえ。トマス・リゴッティはブラムストーカー賞を4度も受賞している作家で、期待して私も初めて読みました。
9つの短編からなる短編集です。最初の短編「戯れ」。刑務所の精神科医になったドクターが連続殺人鬼の囚人と面会する。彼は殺人だけでなく脱獄の前科もあり、おかしなことを言う。ドクターは囚人の精神科治療の改善を訴えて赴任してきたが、この囚人と話すうちに途轍もない不安に取り憑かれ、帰宅して幼い娘を寝かしつけたあと妻に仕事を辞めることついて話すが…。気が狂いそうになる結末。読んでいて小さな不安が頭の中に生まれ、杞憂だったかとほっと胸を撫で下ろしたところで急に床が抜ける。あの感じです。アンドレ・ド・ロルドの「ロルドの恐怖劇場」の悪夢を思い出します。
「道化師の最後の祭り」など多くはラヴクラフト的コズミックホラーです。明らかにその影響で書かれています。街の雰囲気、様子のおかしい人々、グロテスクなクリーチャー、終わらない悪夢、いいですねえ。
この作家、不安障害やパニック障害で苦しんでるそうで、病気が良い意味でも悪い意味でも小説世界に影響を与えているようです。ホラーというよりも文学的な匂いも感じさせ、広いジャンルで評価されています。ただ翻訳が少し読みづらい。白石朗や宮脇孝雄の訳した話は頭の中に入りやすいですが、若島正の訳はイメージが湧きにくい。また別の本も読んでみたい作家です。
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Posted by ブクログ
悪夢の中を彷徨っているのか…? 物の怪に襲われるような感覚に浸れる幻想&ホラー作品集 #悪夢工場
■きっと読みたくなるレビュー
タイトル通り、悪夢の中を彷徨っているような体験をさせてくれる幻想&ホラー作品集。
数行読み進めるたびに理解が追い付かなくなるという魔の小説。たぶん読書力がどれだけあっても全部を解釈できる人はいないんじゃなの? というほど難解。ただ決してつまらない訳ではなく、むしろ物語に吸い込まれてしまうように、むさぼって読んじゃうんすよねー
誰しも一度は存在意義ってのを考えてしまうけど、こういった虚無感と超現実に満ちた物語に浸っていると、モノノケに襲われるような気分になるんすよ。何が書いてあるのか、さっぱりわからんってのを如何に楽しむかがポイントですね。たぶん何度も何度も読んで、写経くらいしてみると理解できるかもしれないと思いました。
■お気に入り作品の簡単レビュー
●戯れ
刑務所のある街にきた精神科医の物語、妻との仕事の愚痴をこぼすが…
比較的分かりやすい作品で導入には良いですね。終始ずっと不愉快な気分にさせてくれる、そして終盤は命を奪われていくような恐怖が味わえます。
●道化師の最後の祭り
人類学の教師がミロコーという街の奇妙な祭りを体験する物語。その奇祭の道化師とは何なのか?
この街や祭りが不気味なんすよ、暑苦しいというか、むさくるしいというか、いやーな臭いが漂ってくる。道化師をどう解釈するのかなんだけど、人間の不愉快さしか伝わってこない。
●ツァラル
骸骨町と呼ばれる廃墟に人が集まってくるところから始まる…
何が起きているのかよくわかんないんだけど、やたら陰鬱な群像劇、なのか?途中時系列が変わったり、生きる意味なんてねーよと否定されているような気がしながらも、結局は判然としない。ラストはひたすら後味が悪い。
●赤塔
廃墟と化した赤色の工場、操業停止になった理由は…
相変わらず、ずっとネガティブが文字で埋め尽くされる。結局、何を作っている工場やねんっという疑問はあたりまえのように理解はできない。ただ他の作品よりは生命力、前向きさを感じる作品ではありました。
■ぜっさん推しポイント
この本の装丁ですよ。カバー、見返し、天、血、小口など、すべてが「真っ赤」。赤って恐怖や不穏な興奮を感じさせる色ですよねー、本作の性癖が伝わってきました。悪夢を見ているような不条理さと狂気性を楽しみましょう~ -
Posted by ブクログ
ネタバレ文章力のあるオタクっぽさがあって面白かった。
始まりこそ、幼少期に特別な女の子がいて、その子と別れねばならなくなり、拗らせた結果の逃避行劇なのかしらと予想していたが…、
急にp30にて、オリジナル理論の紹介が始まってまた話の流れが変わってきた笑
さて今から、次のような理論を紹介したい。九歳から十四歳までの範囲で、その二倍も何倍も年上の魅せられた旅人に対してのみ、人間ではなくニンフの(すなわち悪魔の)本性を現すような乙女が発生する。そしてこの選ばれた生物を、「ニンフェット」と呼ぶことを私は提案したいのである。p30
などと言い出し、どこかのオタクみたいなことを言い出す奴だなと笑った。
健全に楽しむだって?冗談じゃない!p328
などと、時折興奮して”!”をつけて心の中で叫んでいる。ロリコンゆえの表現の気持ち悪さもありながら、いつの間にか主人公を応援したくなっている。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ大久保康雄訳で読んだ。
もちろんロリコンの語源になった作品だが、ロリコン男がうひひひひと思いながら読むような本ではまったくない。
周りくどく分量が多い文章のために読むのにとても苦労した。これは翻訳のせいではなく、作中作である犯人の獄中記が晦渋なため。
犯人ハンバートが逮捕された理由は性的虐待容疑ではなく、道路交通法違反および殺人容疑だと思われる。ロリコン部分についてはたぶん病気として扱われている。
うっかりすると読み飛ばしてしまいそうだが、
「私のなかに棲む原始の野獣は、殺人がすんで、もはや何も気にすることがなくなり、何をしてもかまわなくなったとき、しばらくのあいだ抱いていられるような薄着の少女をさがしもとめていたのだ(P.404)」
と書かれている部分に一番どきっとした。あ、これは救いようがないのかな、と。
ロリータは無垢でもなんでもなく、ハンバートが考えるようなニンフェットとは異なるので、ハンバートが気の毒と思う部分もある。
冒頭の方はすっかり忘れているし、読み落としている部分もたくさんありそうなので、再読したい気持ちはある。しかしこの労力を思うと気が重い。 -
Posted by ブクログ
著者があの『ロリータ』の訳者若島氏であることからも想像できるように、多分にナボコフの『ヨーロッパ文学講義』や『ロシア文学講義』を意識したものである。そのことは、あとがきでも「身のほど知らずにも」と、謙遜まじりに触れられているが、ナボコフの『ヨーロッパ文学講義』は、素晴らしいもので、若島氏でなくても、小説について書いてみようかと思う人なら、一度はその真似をしたくなるものである。若島氏は、ほかにエーコやカルヴィーノの文学講義を挙げ、「彼らの文学講義がすばらしいのはなによりもまず、文学の大切な部分に触れているというその実感というか手ざわりが生々しいからだ」と、書いている。
エーコとカルヴィーノについてはひとまず置くとして、ナボコフの文学講義については、文学の大切な部分に触れている実感はもちろんのことだが、その大切な部分をたしかな構造の中に位置づけ、あざやかに整理して見せるその手際にこそ、新種の蝶を発見採集する昆虫学者であり、多言語に通暁する言語学者でもあるナボコフの真骨頂があるように思う。
そういう意味では、「ただの小説読み」を自称する若島氏の文学講義にナボコフのそれに共通するものを求めるのは酷である。著者自身も書いているが、「この短篇小説講義では、扱う短篇をこまかく精読し分析するという方針をあまり取らない。むしろ、個人的な印象やわずかばかりの記憶から出発して、その印象や記憶がまわりに呼び寄せてくるものを配置するという趣向になる」ということになる。どうしてそうなるのか。ひとつには、ナボコフの採り上げているのが、名だたる超大作であるのに比べ、著者が扱っているのは主に現代短篇小説であるからだ。
著者は丸谷才一の書評を引用しつつ、短編小説というのは「街角ですれ違った」人間のようなものだという。なにしろ接触時間が短いうえに多くの顔の中の一つに過ぎない。そのうちに読んだことすら忘れてしまう。「短編を読むという経験の根本にあるのはこの忘却ではないか」とまで言い切る。そんな中で、記憶に残る短篇には何かきっと訳があるにちがいない。名うての小説読みである著者の記憶に引っかかる何かをもった作品が、別の作品を呼び寄せ、さらにそこからというように連鎖反応的に引き出される作者や作品の数々を読者は楽しめばよい。
さて、その中で採り上げられている作品だが、英米小説を読み込んでいる読者ならともかく、一般の読者にどこまで知られているだろう、という疑問のわく人選と品揃えである。著者の個人的な印象に残った作品というのが規準であるから、およそ一般向きとは言えない。であるのに、読み出すとなかなか本を置くことができない。プロットの類似した作品を並べて、その似ている点と異なる点を論じて見せたり、作品が影響を受けたであろうと思われる箇所を抜き出して見せたりと、なかなか芸が細かい。
短編小説は不得手と自らいうG・グリーンの「無垢」、「ブルー・フィルム」という二作品と、レイ・ブラッドベリの最高傑作であろう短編集『十月はたそがれの国』中の掌編「湖」を比べて見せ、「少年期の純真さから照り返されて光を失う現在」というテーマにおいて、グリーンの作品が如何にすぐれているかを論じたのが「見知らぬ女性」である。
SFはアルファベット順(Aはアシモフ、Bは、ベクスターとブラッドベリ、Cならクラーク)に読め、という先輩のアドバイスから始まって、急性のブラッドベリ熱に取り憑かれた思い出を語るあたりは、評者自身の経験とも重なって肯きながら読んでいたのだが、「人間はだれしも一度はブラッドベリ熱に感染するものであり、それはふつう高校生までと決まっている)というところで、本を取り落とすところだった。
「生きられている人生の感覚」を短編小説に残せるグリーンと比べ、ブラッドベリをみずみずしいレトリックだけが頼りのファンタジー作家と決めつけられるに至って、最近『たんぽぽのお酒』の続編を読んで、いっこうに感心しなかったのを思い出した。あれは、そういうことだったのか。
ナボコフの作品は「翻訳生活者の手記」一篇が採り上げられているだけだが、全編にわたってナボコフについて触れた部分が多い。その次にはジョイス関連のくだりが目を引く。若島氏、卒論はジョイスだったらしい。ナボコフファンはもちろん、英米短篇に興味のある人なら文句なし。単なる小説好きにも楽しめる講義集である。 -
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ネタバレ最近流行っている「はちみつ肌」
ウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』で、ハンバートが母親の肌を絹、ロリータの肌を蜂蜜に例えたシーンから来ていたらとっても素敵だと思いませんか。
↑そのシーンがあったことは確かなのですが、何ページに載っていたのかを忘れてしまいました。もし覚えている方いらっしゃったら教えていただけませんか。
量が多く、その大半はニンフェットやロリータに対する欲情なので、胃もたれしました。
細い体から浮き出た骨盤のシルエットがどうだの、汗と子供特有の酸っぱい匂いが混ざってどうだの、
彼のフェティシズムだけは嫌と言うほど伝わってきました。
捕まった後も、最後の最後までロリータと夢の中だったのは、気に入りました。 -
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ネタバレ『ロリータ』は評価が非常に難しい作品だった。
初読では、まずハンバートのロリータへの異常な執着や、生々しい性的描写の印象が強く残った。美しい文章で語られる一方で、その内容には強い嫌悪感も覚え、読んでいて複雑な気持ちになった。
しかし、読み進めるうちに興味を引かれたのは、物語そのものよりも「語り」の構造だった。本作はハンバートの回想という形で書かれているため、読者が知る出来事はすべて彼の視点を通して語られる。そのため、「どこまでが事実で、どこからが彼の自己正当化や脚色なのか」を常に考えさせられる。
特にクイルティという存在は初読では掴みどころがなく、「結局何者だったのか」と読み終えてから改めて考え込んでしまった。後から振り返ると、初読では見逃していた伏線や、ハンバートの語りの信頼性そのものが作品の大きなテーマだったのだと感じる。
読後は「面白かった」と単純には言えない一方で、「これが文学なのか」と考えさせられる作品だった。ストーリーを楽しむというより、一人の語り手に翻弄され、その語りを疑いながら読む体験そのものが、この作品の魅力なのだと思う。
だからこそ、この作品は一度読んで終わりではなく、再読することでまったく違う景色が見えてきそうだ。次に読むときは、クイルティの存在やロリータ自身の言動にも注目しながら読み返してみたい。 -
Posted by ブクログ
わかりやすい物語に毒されてしまっている脳みそには難しかった。いや、自分の中の小説国の法律とあわなかった?適切な期待と投下できる時間の設定があわなかったか。
1個前に読んだ本のお陰で、小説に対する物差しみたいのが充実した気がしたので、今なら読める!と思ったけど見通しが甘かったみたい。この小説は何を明らかにしようとしてるんだろう、なんて考えながら読めるようになったのは前進なんだが、期待する内容と時間が今のスケールにあわなかった、ということか。イキって海外小説に手を出すときは、もう少し余裕と忍耐があるときにしよう。
前半はサスペンスっぽく読めたんだけど、後半は流し読みになってしまった。著者あとがきで痛烈に批判されている出版社の人間と同じようや読み方になってたみたいで笑った。