若島正のレビュー一覧

  • ロリータ(新潮文庫)

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    ネタバレ

     友人Tからのプレゼント。読みにくいしなぜロリータをそんなに魅力的に感じるのか良く分からなかった。読みにくさは、表現が分かりにくいのと、よく海外文学の文章を引用して使うがそれらに馴染みがないから真意が伝わりにくいからだと思った。そして最後の方は誰が誰だか分かりづらく、なぜクィルティを殺したのかあまりよくわからなかった。最後の方は、ロリータの姿かたちも変わり望んだ再開ではないところに、少しハンバートの哀愁を感じる一方で、それでも全て通して結局一貫して一人の人をこれだけ愛せるのはすごいことだと思った。ここまで書いた後にチャットに色々自分の理解の確認や意見を求め、クィルティの部分を聞き、「ハンバートにとって彼は『自分の歪んだ欲望の完成形』なのです。そのため、クィルティを殺すことは、自分自身の欲望を殺す行為でもありました。」と書かれたのを見たときに、『火の鳥』のクローン人間の話が彷彿とさせられ、チャットに聞いてみると関連性があると言われた。ただ読んでいる時は良く分からないが、チャットと意見交換したり、理解を進めることで面白いものが見えてきたように思う。

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    2026年02月26日
  • ロリータ(新潮文庫)

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    性倒錯者の話かと思ったらさにあらず。古典的名作と言われているようだ。文学的言及(他の小説や詩の引用)はついていけない豊富さとひねりがあり、注釈がないと、ほぼ読み飛ばしてしまう。再読したら理解が深まるやも知れぬ。最後の殺人シーンの描写は圧巻。2026.2.10

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    2026年02月10日
  • ロリータ(新潮文庫)

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    読む前と読んだ後では全く違った印象を受ける作品だと思った。
    最初はハンバートのことを心から軽蔑していたし、気持ち悪いとしか思えなかったけど物語が進んでいくに連れて悪い意味で感情移入してしまってラストは少し応援する気持ちがあったように思う。

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    2025年12月24日
  • ディフェンス

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    ネタバレ

    チェスに取り憑かれたルージンの物語。ルージンの妻となる女性に一貫して名前がないこと、彼女も夫をルージンと呼び、作中で登場人物がルージンに名と父称を尋ねてもルージンが答えないこと、最後にルージンが窓から飛び降りた後に、彼がアレクサンドル・イヴァノヴィチと呼ばれることに何か意味があるんだろうか。前書きに、ルージンはイリュージョンと韻を踏む、とあったから、チェスに魅せられた彼の人生は全てチェス盤上の幻で、彼が死んだ瞬間に幻から人間性を取り戻したんだろうか。僕はゲームから降りる、と言って飛び降りたルージンの人生はチェスのゲームであったとは言えそうだけど、そこまでが難しくて頭に入ってきづらい文章だった。

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    2023年12月29日
  • ディフェンス

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    ネタバレ

    3年ほど前に『ロリータ』を40ページほど読んで挫折したのを除けば、人生初・ナボコフ。
    ずっと前からナボコフの著作のなかで特に読みたいと思っていた本作がこのたび文庫化されたので即購入し、奈倉有里『夕暮れに夜明けの歌を』でロシア文学の機運が高まっているのもあり、読み始めた。

    〜2ヶ月後〜

    ようやく読み終わった!!! 初めてナボコフの小説を読み切った感慨よりも、もうこの話に付き合わなくていいという開放感のほうがおおきい。

    文章がうまいのは否定しようがない。単に修辞的で技巧的なだけでなく、「流麗」とでも言おうか、ページの端から端まで一息で読ませる力がある。

    特に好きだったのは(幼少期を扱った序盤と)第9章と第12章。
    9章では、酔った男ふたりが道端で気絶しているルージンを拾ってタクシーで家まで送り届けたあと、ルージン宅から出られなくなってさまよう描写が特に面白い。
    12章では、妻の父親の職場から譲ってもらったタイプライターで「とっと」と打つのにハマるくだりが諏訪哲史『アサッテの人』みたいで好き。

    しかし、作品全体としては全然好みじゃなかった。かなりキツかった。
    トーマス・マン『トニオ・クレエゲル』のような、抽象的で崇高な芸術vs現実的で凡庸な人生、という対比を主題とした芸術家小説。
    天才チェス・プレイヤーの男(ルージン)に対して、「世俗」の象徴として女性(妻)を配置する時点でうんざりする。もうそういうのやめませんか……(100年近く前の小説にたいして何いってんだこの人!?)
    妻に限らず、文章のすべてに強いミソジニーが浸透していて(序盤、幼少期のフランス人家庭教師の描写とか一周回って感動しちゃうくらい!)、それがいちばんのキツさの正体だと思う。
    特権階級(芸術家)の中年男性の自己陶酔に満ちた「孤独」と「狂気」の話なんてもうウンザリだ! こういうのが「文学」として持て囃されてきた歴史の最後尾にいま自分が立っているという事実にちゃんと向き合わなければならない(とかいうけど、具体的には、どうやって?)

    ※しかし、この名前さえ与えられなかった「ルージン夫人」をたんに世俗の象徴と読むのも貧しい気はしている。彼女はなぜルージンと一生を遂げようと思ったのか。ルージンよりもむしろ彼女のほうが「特別」で「狂っている」のでは、ともすこし思う。(とはいえ「狂った妖しい女」というのもまた別の形骸的な象徴ではある……)

    散りばめられたチェスの暗喩としての小説描写も基本的にはしょうもないと思った。床に映った窓枠の影が格子状で……とか、そういうのいいっす。モチーフ/記号の反復が作中人物によって「自覚」されるほどに強調されるのも好みではない。
    深遠な意味をもって迫ってくる記号に主人公が囲まれて発狂する話──といえば『競売ナンバー49の叫び』も思い出す。

    訳者解説で、ラストシーンは自殺ではなく、ルージンがこの小説からナボコフのいる現実世界へと「脱出」を果たしたのだという読みが語られていて、ちょっと面白いな、と思ったが、しかしどうだろう。仮にそう読むとして、それはルージンにとっての救いどころか、単純な作中世界での自殺よりももっと遥かに残酷な結末ではないだろうか。なにせ、本小説の作者ナボコフは(こんな長編を書いてしまうほどに)チェスが大好きで、この現実世界でも「ルージン」はチェスの天才として設定されていて、なにより、「作者=運命にあらがって主人公が小説から脱出する」という結末さえも作者によって緻密に構成された「一手」に過ぎないのだから。まさに神の手のひらの上。あの世界で以上に、ルージンはこの現実世界では生きていけないだろう。いずれにせよ彼は破滅するしかない。

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    2022年09月28日
  • 乱視読者の英米短篇講義

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    学会の特別講演に来られたので。

    とりあげられている作品を見事なまでに一つも読んでいませんでした。そりゃあ、そうだろう。予測はしていた。でも、語り口も柔らかく、読みやすかったです。文学系の方々は普段こういうことを考えておられるのかしら。

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    2011年10月31日