山口祐加のレビュー一覧
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本書から、自炊料理という日常的で、個人的で、ともすれば誰からも褒められることもないかもしれないささやかな行為に悩む人達が、実はその背景に自尊感情に悩んでいたり、傷ついていたりするということが分かってきます。そして、料理が個人的な行為だからこそ、もっと自分の五感や気分に素直になって、自分自身を労ってあげても良いと料理家の著者と精神科医の星野氏は優しく説いているように感じました。
比べるのは他人とではなく、料理を楽しめなかった以前の私であり、自分が食べたい物を食べたい味で食べられるのは、健康的な人生において大切なことと思いました。明日からの料理のハードルが少し低くなった気がします。 -
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タイトルから気になって探して読んだ一冊です
よかったです!!よかったです。見た瞬間「うわっ、分厚い!!」でした。世界の自炊レシピ本かな?なんて思っていたので想像を超える分厚さに驚きと同時に嬉しくなってしまいました。12か国、各2世帯の自炊について書かれているのですが、どんな料理を作っているかはもちろん、その方の料理についての考え方や自炊をする理由とかが書かれてあって本当に素敵な本でした。
各家庭の名もなき料理を作っている現場を読ませていただくと自分もその台所にいる気持ちになれました。あぁ、この料理、絶対に美味しいに決まってる!と何度思ったことか。
お国柄がとっても出ているのが良くて、それがきれいごとだけではないお国柄なんです。日本ではまずありえない販売の仕方とか、調理の仕方とか。レストランじゃ絶対味わえない空気が漂っていて、これはまさしく家庭の味だなぁと。
国によっては外食や出前が発達している国もあるのですが、そこらへんのバランスをどう考えているのかなども知れてよかったです。
私が日本人なので、どうしてもお米に関する料理に注目してしまったのですが、一汁三菜じゃなくたっていいじゃん!と改めて思いました。ご飯に色々かけたり、乗っけたりそれでもいいよね。そう思いました。
この本を読んだ翌日、私はきのこと鶏肉の汁物(本来は鍋料理)を作ったのですが味見をしたら「これ、絶対ご飯にかけたら美味しい…。別に盛らなくてもいいよね。かけちゃっていいよね」とこの本に出てくる人たちを思って、決心ると軽く水溶き片栗粉でとじてご飯にかけてたべました。もんのすごく美味しかったです!!
あと、放っておけるオーブンに憧れました。前菜食べている間にメインをオーブンで焼いているのとか。
がつがつ読み進めると言うより、静かな川が流れるように読んでいたら気が付いたら終わっていた。そんな読後感のある一冊でした。 -
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自炊……苦にならない。毎日コンビニご飯の方が辛い…。という派なので、どこらへんが壁になるのか、その壁をどう乗り越えていくのかが知りたくて読んだ一冊です。
そうなんですよね。料理食べるのももちろんですが、作るプロセスも楽しいんですよね。ふふふ。お醤油が里芋に染み込んだ色をしてきたぞい。とか、あー、野菜炒めの油が野菜にまわっててりっとしてきた!!というのも楽しくてやめられません。
自分のご飯はホームという感覚もよく分かって、そう!自分の作ったみそ汁が飲みたいんだよ!これこそ私のホーム!とよく思うなぁとも実感しました。あと私にとっては山形県の芋煮がホームでもあります。
あと、一番しっくり来たのが「名もなき料理を作ろう」という点です。私、ハンバーグ作れません。ミートソーススパゲッティ作れません。肉じゃが作れません。料理は比較的する方ですが、名のある料理は数えるほどしか作れないのです。ですので、日々のご飯は名もなき料理ばかり。この食材(この味)が食べたいからどうしようか…。からスーパーに行くことも。あと、「エスケーププラン」これも大いに頷きました。私のエスケーププランな日はたまごかけご飯か納豆かけご飯です。もう、これさえ食べておけば大丈夫!と。
本当に料理をする上で、頷かされることが多く、また逆にそこが壁だったんだ!と新たな発見のある一刷でした。 -
Posted by ブクログ
みんなが悩む「自炊」について、
料理研究家の方がパッションではなく
かなりロジカルに解説された本書。
山口さんと星野さんの柔らかさ、
会話形式という方式により
非常に読みやすくなっているが
あまりに美しい因数分解に舌を巻いた。
そして驚くほど腹落ちし、とても許された気分に。
(なぜ料理が億劫なのか、料理とは、など)
きっとどの料理家さんも思っていることだとは思うんだけど、他の本だとあまりにパッションだけが全面に出過ぎているイメージがあり、
「だからそこにいくまでに至ってないんだって、、泣」とずーっと胸焼けしていたので。
対談内のお二人の寄り添い方、距離の取り方が
とても心地よく、なんとなく自分を大事にできてないな〜と頭の端で感じている方にはかなりおすすめ。
はっとする金言も多数。
いやーよかったなーいい本読んだ。 -
Posted by ブクログ
料理をするのが苦手、好きになれず、かと言って、「上手くなりたい」という気持ちの矛盾の中で、いわゆる「料理本」ではないものを探してました。
たまたま、「料理コーナー」で見かけたのが、本書。
心理学者の方が共著されていますが、そんなに堅苦しくありません。そして、期待通り、料理に対する「責任感」という呪縛から、「うーん、結局は楽しんで、自分の好きな味で、好きなものを食べる事が、本来の「摂取」本能であり、料理をする事の本当の価値なんじゃないか」と思えるようになりました。当たり前のことかもしれませんがー。
自分なりに、何かその時その時の「愉しさ」みたいなものを見出していけば良いんだなぁと思いました。大きくいうなら、人生論にも似ているような気がします。本当に、料理に対して気持ちが楽になりました。
良書です。また読み返したいと思います。 -
Posted by ブクログ
ひさしぶりに心に響く本に出会えた。鬱で家事をする元気がなくなり、特に料理は一切手につかなくなって、なぜ料理だけこんなにもしんどいのだろう?と考えていた。全てここに答えが載っていた。自分のために料理をするのが勿体無い、考えることや済ます工程が多過ぎて複雑、自分のための料理に価値を感じない、なんなら自分に価値を感じない(ゆるりとしたセルフネグレクト)、料理をしても特に対価がない、食に興味がないなど。自炊というものに関して、根底から覆す本だと思った。途中でやめても良い、一汁一菜で十分、なんなら味噌汁を作るだけでも上出来、少し用意して食べて元気が出てきたら続きを作るなど…山口さんありがとう…とても元気が出ました。
p.59 自分のためだけに料理をするのがもったいなく感じる。料理をしたことがある人なら、誰しも1度は感じたことがある感情ではないでしょうか。料理が大好きな私でさえ、忙しかったり、他に気になることがあったりすると私一人のためだけに作るのが面倒になります。そういうときは外に食べに行くことが多いです。食事は毎日のことなので、毎度自分が満足できる完壁な食事をするのはかなり無理がありますよね。ただ、食事が後回しになってしまうことが長く続くと「そろそろいったん止まって、休んだほうがいい合図」だと考えるようにしています。
というのも、子どもの頃は親が食事を用意してくれたり、元気がなさそうにしていたら話を聞いてくれたりなど、ケアされる立場にいることが多いですよね。学校や塾でエネルギーを使ったぶん、家で食事をとり、誰かに話を聞いてもらうことでまたエネルギーが回復していく。けれど大人になると親元を離れ、自分で生計を立てていくことになります。それは、今まで親が担っていた子どもの世話係が、子ども自身に引き継がれる。大人になることは、自分が自分の世話係になることなのではないかな、と私は思っています。
お腹が空いたら何か栄養のあるものを食べさせて、夜になったらお風呂に入れてすっきりさせて気持ちよく寝かせる。おいしいご飯を食べに行くことも、花を飾ることも、自分の世話の一つです。大人になってしまうと日常的にケアしてくれる世話係はいなくなってしまうので、自分の世話をサボると心の調子が崩れやすくなるのではないでしょうか。
何をサボると心の調子に影響するかは人によって違いますが、私の場合は適当な食事を続けているとだんだんふてくされてくる感じがします。身近な人につんけんした態度をとってしまったり、家事も雑になったりと、ふてくされている自分に気づくと余計適当な自分が嫌になって負のスパイラルに突入しそうになるのです。こうなったら一度立ち止まって、自分の心に食べたいものを聞いて、作ってあげることにしています。この時返ってくるのは、「おむすびと豚汁」など素朴な料理が多いです。自分が心から食べたいものを食べさせてあげると、内側からみるみると元気が湧いて、心が整っていくような感覚になります。
「まえがき」でも書きましたが、自分の人生の主役は自分です。何かを考えるにもどこか行きたいところへ出かけるにも、身体が健康でなければままなりません。身体にスペアは用意されていませんから、身体は何よりも大事にしたほうがいいのです。そしてその身体を作るのが日々の食事です。外食や好物を楽しみつつも、ほどほどに健康的な食生活を営んでいくことは、人生の中でかなり大事なことだと思います。健康的な身体づくりは「絶対に損しない投資」のようなもので、こんなに還元率のいい投資はなかなかないでしょう。
p.65 徐々に自分好みにチューニングしていけばいいのです。
どうやってチューニングするかというと、たとえば黒胡椒は挽いてあるものではなくペッパーミルに入ったホールのものを直前に挽いたほうが香りが立って自分好みかもしれせん。肉じゃがはレシピ通りの時間だと少し硬いことがわかれば、もう五分煮て柔らかくすることができます。あるいは前日に作っておいて、翌日に食べると味が染み込んでほろほろになります。
自分による自分のための料理は、誰かに遠慮する必要がありません。好きなだけ胡椒を入れていいですし、肉二倍の肉じゃがだって作れます。唐揚げにレモンをかけるかどうか問題も遠慮せずに決められます。誰に何の文句も言われず、好きに飲み食いできるのは本当に愉快で、料理できてよかったなと感じる瞬間です。
さらに、一人料理は食べ方も自由です。たとえばお腹が空きすぎた時、私は回転寿司で寿司三皿と汁物を頼んで軽くお腹を満たしてから、家に帰ってサラダを作って食べるのをよくやります。そうすると、切羽詰まって料理しなくていいですし、寿司だけで済ませるより栄養バランスも整います。
あるいは、お腹がぺこぺこで帰宅した時、まずは前菜のような感じですぐに食べられる冷奴やサラダを作って食べます。お腹が少し落ち着いた状態でメインの料理を作ります。メインの料理にご飯が合えば一緒に食べますし、ご飯が合いそうになければ、メインを食べ終わった後にお腹と相談しながらとを何にするか考えて作ります。空腹状態で一気に作って食べようとすると途中でエンストしてしまうため、「作って食べる」を何セットかに分けてみるのです。こうすることで、レストランのコースのように仕立てられてゆったりと食事をすることができます。都度お腹の様子と相談しながら適量を作ることで、食べ過ぎ防止にもつながりますし良いこと尽くしです。
「正しい食事とはこうあるべき」という固定観念からいったん離れてみて、自由に食べられるとしたらどんな食事が理想的だろう?と妄想してみてください。食事は毎日のことなので、毎回の食事の満足度がほんのちょっとでも高くなると結果的に大きな満足感につながっていきます。
p.107 お腹がすいた時、何でもいいので栄養補給しなきゃってなるのってポジティブでは無いじゃないですか。冷蔵庫にあの食材が残っているから使い切らなきゃっていうのも事実としてはあるんですけど、最悪さよならするって言う選択肢が取れるわけですし、自分がその時食べたいものを優先したほうがメンタルには良いと思うんですよね。フードロスとかの観点で言うと良くないですけど。今1番食べたいものを食べられたら、その後やっつけなきゃいけないものにも立ち向かえると思いませんか?自分自身の中に作りたいかもって思う気持ちが湧いた時に、その気持ちを掴むみたいな感じが大事だと思います。自分の頭の中っていろいろなことが巡ってるじゃないですか。お腹が空いてきたよとか、お昼ご飯どうしようとか。何も食べないのはやばいなぁみたいな。なので、自分の中の声をもっとちゃんと聞いてあげるのは大事かなって思います。聞き方も大事だなって思ってて。何が食べたいのって言う質問にする答えが返ってくるとは、精神的にも肉体的にも調子が良い時だと思うんですよ。ちょっと疲れてるとか、モヤモヤするとか、すっとしないみたいな時に、そういう質問をしても多分答えられないですよね。そういう時は何食べたくない?って聞いてあげるといいと思うんです。そうするとこってりは嫌とか、さっぱりは今じゃないとか出てくると思うので、そこから消去法で選択肢を絞っていくっていうのもありだと思います。後私の場合、料理してて、これじゃないなと思ったら、途中でやめるっていうのをよくやりますね。
p.134 たとえば、毎朝五時に起きていたのに、今日は身体が重くて起きたら八時だった、というようなことがあると、また自分を責めてしまうのではないか。それが続くと、自分は意け者だと落ち込んでしまったり。目標を定めることで苦しくなっていく可能性がある。
でもそれって癖のようなものだと思うんです。ラジオ・パーソナリティのジェーン・スーさんがこう言っていました。「ダラダラするIl自然体でいると呼ぼうよ」と。人間ってもともとそんなにキチッとした生き物ではないはずだ、というんです。
お休みの日に家でダラダラしてしまい、気づいたら四時間昼寝していた、みたいなとき、「一日無駄にしちゃった」と思う人が多いけれど、それは自然体なんだと。自堕落じゃなくて、自然体と呼んで、と。だから横山さんが理想を掲げることはすごいことだし、そこに近づけるのなら素晴らしいけれど、できなかったとしてもそれはそれとして追求しないという姿勢も大事だと思います。
横山最近では、私もできない自分をちゃんと認めようと思い始めています。私の生まれた一九八〇年代半ばは、「数字がすべてだ、結果を出せ」という風潮がかなり強く残っていた時代で。勝ち組・負け組の価値観が強く、大企業に就職した人が勝ちだし、入ってからも結果を出せるようどんどん動かなくちゃいけないと思い込んでいる。結果が出ないのは、自分の努力が足りないからだ、と。
三〇歳を過きてようやく、努力だけじゃなく、向き不向きもきっとあるはずだと思えるようになりました。今やっている広報の仕事には同世代の女性もたくさんいるのですが、彼女たちの話を聞くと、若い頃から呼吸をするように当たり前に仕事がバリバリできていて、結果も出している。聞けば聞くほど私には無理だ、とてもできないと感じて、そういうのを追求しないようにしようと思うようになりました。
すごくいいと思います。私が尊敬する仕事仲間が「世の中は壮大な役割分担」と言っていました。横山さんにも私にも、それぞれ得意なこと、不得意なことがある。それらがパズルのピースのようにぴったりハマれば、世の中はすごくうまく回るはずだ、ということです。その仕事仲間は返層も遅いし、できないことも多い人なのですが、圧倒的な人間的魅力があって愛されている。できないけど、自分の強みをちゃんとわかっていて、それを実行できる。そういうタイプの人もいれば、もっと地味で縁の下の力持ちとして重要な人もいる。
みんなそれぞれに良さがあるのであって、全員が平均点の金太郎飴みたいな社会はつまらないですよね。
横山さんが自分をいじめてしまうのは、「私は平均点にも届いていない」という気持ちになったときなのではないでしょうか。できないことについては「これは私の苦手分野だ」と諦めていいんですよ。同僚にも「これ、私苦手だから手伝ってほしい」と助けを求めるとか。
すべてができる人なんてめったにいない。できないことがあってもそれでいいという感じで生きていけると、もう少し楽なんじゃないかな。
p.192 ソースコードが辞めるってかっこいいなと思っていたんですが、多分、レシピもそうなんだと思います。外側に出ているものの裏側に、そのレシピを作った人が体感してきたロジックが並んでいるんだろうな。レシピを見ないで作る人の料理の裏側にはそういうロジックが流れている。私はそこに今憧れているんだろうなと思います。今はまだよくわからないことも多いので、とにかく切って、貼って、ウェブサイトを作っている状態に近い感じだと思うんですけど、少しずつ自分で作り上げてやっていくことができるんじゃないかと言うことが、料理だけではなくて、仕事や人生にも活かしていけるんだろうなって感じています。
p.209 袋麺を食べるときは必ず野菜を乗せなきゃいけない、と無意識のうちにルール化されていたようです。その無意識のルールを客
観的に眺める作業をしたことで、野菜がなくても食べられるようになった。藤井さんの場合は、普段の生活でしっかり野菜はとれているのだから、たまには炭水化物だけの食事があっても、健康貯金が若干目減りするだけのことです。全然いいんじゃないですか、とお伝えしたんですよね。
このレッスンを始めて感じたのは、そもそも「自分のために料理ができない」と悩む人は、実はすこく「考えている人」なんだな、ということです。コンビニ飯や冷凍食品ばかり食べていて心も身体も平気な人、それが普通で特に問題ない人は、たくさんいる。その一方で、パートナーに作るのは苦にならないのに、自分だけだと作るのが億劫になることに悩む藤井さんのような方もいる。
星野僕も自分のために何かを作ることに対して腰が重いのですが、それはちゃんとしたものを作るべきだと思っているからかもしれません。実際には適当でもいいはずなのに。
山口パンを焼くとか、アルミの皿に入って売っている鍋焼きうどんをコンロにかけて卵を落とすのだって、自炊ですよ。
人間は日々、食べていかなきゃいけません。食事作りは、非常に外部化しやすい家事です。
外食もあれば惣菜を買ってくることもできるという選択肢の広さや頼りやすさがある。だからこそ人それぞれに「これ以上は外に頼りすぎだ」というラインがあって、その線を超えると自分が嫌になってしまうのだと思います。
p.210 自分はそんなにご飯が好きじゃないのかもとおっしゃっていました。食べることへの情熱が強くないせいもあるのかもしれません。必要性があればしっかりやるけど、と。でも、自炊の事はずっと課題として考えてきたともおっしゃっていた…。
お二人の話を聞きながら思い出したのが、仕事だとできるということです。私は普段片付けや整理整頓が好きでは無いのですが、会社の総務部に勤務していた時は、社内の片付けをきちんとしていたし、経理の仕事もできていた。人のために料理を作るのは、自分にとっては仕事なんだろうと感じています。
会社での労働には賃金、家族のための家事には感謝や愛情と言う対価があるけれど、自分のためとなると対価がないと感じてしまうのかな。
対価がないのに加えて、責任がないということですね。私が食事の支度をしなければ妻が困ると言う状況に対して、1人の時は困るのは自分だけですから。あまり自分を大切にできないということなのかもしれませんね。質のために作るのは好きなのだと思います。以前は自宅でホームパーティーを開いて、それこそこれよりや形式で作ったりもしていました。
藤井さん、ご自身は、何かしらの対価を設定して、自分でも作れるようになりたいと思いますか?
困らなくなりたいと言うのはありますね。今日も午前中の仕事がなかなか終わらず、お昼12時ごろからお菓子を食べ始めてしまって。これはまずいと切り上げて、ラーメンを作ったんですが、それでちょっと落ち込みました。忙しくない日でも昼食が2時3時になってしまうことがあって。そうならない方が、自分の幸福度が高い事はわかっているので。
『週3レシピ 家ごはんはこれくらいがちょうどいい。』 -
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昨年の大阪万博で各国の料理を食べ歩き、そのバラエティーに魅了され、なら現地各家庭ではどうなのだ?と思っていたところにこの本ですから、面白くないはずありません。
旅行で訪れるだけでは覗けない12ヶ国の一般家庭の台所。誰がどのように買い物して、献立を立て、料理しているのかだけでなく、それぞれの人が生い立ちや料理に対する一種哲学とも想いを述べているところが興味深いです。
なかでも台湾の項の「地球のためのベジタリアン」や、アニマルウェルフェアで肉を食べる回数を減らすという韓国やフランス家庭は私にはアイオープニングでした。
私自分の料理に対するスタンスが変わり始めています。
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ネタバレなぜ人は料理をするのか?
自炊を広める料理研究家が世界を旅してさまざまな自炊を取材してきた本。ついついコンビニに頼りがちな自分にとって、世界の自炊状況は大変興味深いものだった。品数、誰が作るのか、バリエーション、味付けなど。
ドイツでは夕食がハムとチーズとパンなど調理しなくてよいものという風習があるらしいし、イギリスに行ったときは休日はサンデーローストなどするが平日はお皿に移すこともないかもしれないレンチンの夕食が多いという話を聞いた。日本は料理を頑張りすぎでは疑惑は感覚として以前からあった。この本を読んで、自炊する人は食べたいものを食べるとか節約とか理由がある。でも自炊に対する意識は緩やかだった。「ねばならない」ものではないのだ。
野菜と肉もしくは魚を入れた一人鍋を延々と繰り返す自炊を卑下することもあったが、全然いいじゃんと思った。食べたいものを食べられること。自分が良いと思ったことをできること。正解などないのだから、これからも自炊していける気持ちが産まれた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ自炊料理家である著者が、世界十二ヶ国の自炊事情を取材して綴った紀行文。その国の食文化というよりも取材を受けた個人個人の自炊への取り組みや考え方に焦点を当てた内容で、N=1であることを踏まえて読んだ方がいいかも。しかし学びが多くて大変面白かったし、自分の自炊観を見つめ直すきっかけになった。
特に印象的だったのは
・日本は「毎日異なる献立にして、毎食栄養バランスの取れた食事を作らなくては」と考えがちだが、これは世界から見れば珍しい考え方であること。私自身、料理は好きだけれどこの考え方に囚われている面があり、またそれを重荷に感じることもある。著者が取材を行うきっかけとなった「世界には今晩の献立を考えない人たちがいる(=ざっくり分けると二種類の献立しかなく、それを交互に作るため何を作ろうか考える必要がない)」という事例は衝撃的だったし、それほど極端でなくとも多くの国の人々が日本の人々ほどには献立のレパートリーや一食ごとの栄養バランスを意識しすぎてはいないようだった。
・「環境のために肉を食べる機会を減らそう」と考える人々が世界には予想以上に多かったこと。私は肉が大好きなので菜食を選ぼうとは思わないけれど、別の食材でたんぱく質を摂りながら肉を食べる回数を少し減らすくらいなら取り組めそうだと思った。環境のため無理のない範囲でできることをするという考え方は見習った方がいいのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
まず、著者が他の文化圏に行って感じた感想が、驚きながらも悪く書くことが絶対にないのが良い。
食事だけでなく衛生面にも言及してるが、日本の衛生面と比較しつつも、やはり他国の文化だと受け入れており、なんだったら合理的という言葉で迎えているあたり、取材させてくれた人たちへの敬意を感じた。
個人的な目から鱗ポイントは、ベトナムやメキシコの味付けを最後まで仕上げずに提供する料理に、自分で味をつける感覚が養われると書いていたことだ。なんとなく日本だと出された料理に対して調味料を加えることは、失礼にあたるような物言いをする人もおり、私自身も出された料理は完成しきった味だと信じているから、調味料を加えることは基本的に避けているのだが、これを味をつける感覚が自然と育つと書いてくれていた。この考え方が浸透すれば、作る人も食べる人も食事に対して気が楽になると思う。 -
Posted by ブクログ
夫と2人暮らしで自分のためだけに料理を作る機会は少ないので、「自炊をしながら健やかに暮らしたい人を応援する」本書は今の自分にピッタリというわけではなかったけれど、学びもあった。
料理本というよりは、料理を通して自分の心や生き方に向き合い、ケアするという本。
まず「どの食材が何の役割なのか」を理解して作るということ。例えば料理酒は肉を柔らかくしたり、肉の臭みを飛ばしたりする役割とか、生姜は皮の近くに最も香りや辛味があるからむかなくていいとか。
これは有元葉子さんの本で昔より理解できているところはあるけど完全に染みついているわけではなく、だからたいていレシピにかじりつきで料理してしまう。今何のためにこの工程をしているのかがわかった方が、絶対美味しい方へ向かえるよな。
有元さんの『レシピを見ないで〜』シリーズも読み返したくなった。山口さんも、料理のロジックを教えてくれる本も書いてくれたらいいな。
そして料理の「プロセスに集中する」こと。
料理中、基本はラジオを聞いてしまって、「五感からの刺激や、変化していく鍋の様子」に面白さを見出せていないかも、とハッとした。
これって町を歩く時なんかも同様だよな。常にイヤホンを突っ込んでしまっていて、季節の移ろいを見逃したり聞き逃したりするのはもったいないかもと思った。あと情報をインプットするばかりで、ものを考える隙が失われてしまっているかも。
目の前の現実を味わう時間を、もっと意識的に作っていきたいと思った。