掛川恭子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
青春時代を描く小説のほとんどは、彼らを大人へと成長させる印象的なきっかけとなる事件なり冒険なりを描くものだが、本作はそうではない。
アンが前作より遥かに大人っぽくはなっているように描写されるのは間違いないが、それは彼女が働き手となったことで、主に周囲が「大人とみなす」視点が反映されているのに過ぎない。
この巻のアンは青年期である。彼女を社会的に大人と扱う一種の外圧がたくさん働く。教師になり、まちづくりに参画し、双子の保護者的なポジションを分け合うことでマリラと対等な立場に引き上げられてしまう。一方で彼女の心は、前作の少女アンと断絶せずにほんの少しずつ変わっていくが、本作時点ではまだ、大人の女性としてのそれになりきらず、正しく青少年の少女なのだ。まだ自分自身の幸せや人生の展望も開けていない。
このゆっくりとした変化こそが本作を地味なものにしている反面(ギルバートと恋しそうにもならない笑)、アンのシリーズが読み継がれて然るべきな、他では読めない価値にもなっているように思う。いい本だなぁ。 -
Posted by ブクログ
世界名作劇場のアニメでしか知らなかったので原作を読んだ。アニメを先に見ると、もうあの顔と声と喋り方のアンしか浮かばない。
子どもの頃に読んでいたら自分も違った性格、人生になったかもしれない。可能性に満ちて物怖じせず、志も高く希望に燃えて、心を預けられる友人に恵まれたアンのようだったらと対照的な大人になった我が身を嘆かないではいられなかった。モンゴメリも(自殺してしまったそう)アンのようにはなれなかったのだろう。
それでも、アンが心に架空の友人を作ったように、人生でわずかに巡り合うかけがえのない大切な人物の1人としてアンを心にとめて生きていこうと思う。
この訳には訳注はない。移民文化の背景やカナダの歴史などは分からないので、アンの生きる世界をどの程度理解できたかは分からない。当時の孤児の生活などを調べてみようと思った。 -
Posted by ブクログ
この年になるまで、食わず嫌いで読まなかった『赤毛のアン』。
アニメや絵本のようなものは知っている。
アンがジュースとお酒を間違えたり、緑の髪染めをしてしまったりという、向こう見ずな女の子の失敗のお話なのかと思っていた。
だから、それが何なの?と思っていたのだ。
高校の同級生が、「私、将来絶対プリンス・エドワード島に行く!」とか言っていたのを冷笑的にあしらってしまった。
悪いことをしたなあ。
一応、小学校の時、小説の方も手にはした。
ちらりと見て、アンの「あたし、~しちまったわ」みたいな言い回しに違和感を覚え、それっきりだった。
今となっては、アボンリーという田舎町の人の話し方として設定されていたのかなあ、と想像もするけれど、子どものころの私にはそんなことに気も回るはずもなく。
そう、今となっては、その時手にしたのが村岡花子訳だったのかどうかが気になる。
で、本書は新訳。
言葉の違和感はまったく感じない。
というより、この本の魅力は、語りによるところが大きいのだなあ、と初めて分かった。
アボンリーの季節の美しさ、着ているもの、生活の様子、アンの心の絶え間ない動き、人々の関わり、これらのものの描写が生き生きとしているのだ。
だから、出来事だけを抽出したアニメや絵本が面白くないんだな、と理解した。
あとはこちらがアンのような子を面白がれる程度には成熟したということか。
(同年代だったら、やっぱりこういう、情熱的というか、落ち着きがないタイプというか、その手の子にイラっとしたかもしれない。) -
Posted by ブクログ
以前から何度も読もうと思いながらも、なかなか読むきっかけがなかった。まだ途中だが、確かに面白い。アンは確かに饒舌すぎて、そばにいたら煩くなるのかもしれないけれど、一旦慣れてしまうと、次にどの様な表現をしてくれるだろうか?とどんどん引き込まれてゆく。
今まで何で読まなかったんだろう⁈
何て残念な事をしてしまっていたのだろうか?このプレビューを読んでる方がもしいるのなら、今すぐ赤毛のアンを読み始めてほしい。
後半部分は、電車の中では涙が出てしょうがなくて途中で止めざるをえなかった。
英語でも読んでみたくなるなあ〜。
追記: 仕事関係先と一緒に原文(英語)で読書会を開く事にした。 -
Posted by ブクログ
オルコット著、掛川恭子訳の文庫本を読みました。赤毛のアンと並んで少女時代に読む外国の文学作品の代表的なものだと思います。アニメなどでも取り上げられているので、大方の人は何らかの形で触れている作品でしょう。私も少女時代に児童文学の本で読んだ記憶があります。今回は嫁に行った長女の置いていった荷物の中にあったので懐かしくなり読んでみました。
南北戦争時代のことですから19世紀、戦争に行って父親が留守の家庭を必死に守る家族のお話です。古き良き時代の平凡なアメリカの人々が登場するのですが、今の時代に読むと何か一昔前の清廉な日本人をも思い浮かべてしまうのは、何故なんだろうと思います。
お馴染みの4姉妹、メグ、ジョー、べス、エイミ―そして、一家の要のお母さん、マーチ夫人、ばあやのハンナ、隣の家の少年、ローリー・・と登場人物が繰り広げる日常のひとこまは国や時代に関係なく普遍的な出来事で、つい引き込まれてしまいます。彼らがその中で発する言葉に人生の真実が滲み出てくるところにこの小説の醍醐味があります。特にこの時代に生きたお母さんの言葉は、素晴らしいと思いました。
娘たちに愛のある幸せな結婚をして欲しいと願っているのは誰でも同じだが、マーチ夫人の言葉は一味違うものなのです。すなわち、お金だけ求めて、自尊心も心の平和もない女王の位についたり、夫を求めて奔走するような娘らしくない娘になるなら、幸せな老嬢のほうがはるかにましです!ときっぱり言っているのです。これは婚活とかで奔走するような現代の世相への警鐘ではないでしょうか・・
若草物語は続編も出ているので読んでみようと思っています。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ孤児のアンが、マシューとマリラとともに成長するどたばた喜劇。
カナダの自然の風景、個性ある登場人物、心温まる物語。
少女が、自立心を持って、生きていこうという積極的な姿勢が心強い。
あしながおじさん、少女バレアナ(ポリアンナ)、小公女などとともに、
少女文学の最高傑作だと思われます。
ps.
英語の原文はWEBにテキストファイルであがっているのでダウンロードして読むことが出来ます。 英語の音声の朗読ファイルも無償版があります。
赤毛のアンは、この翻訳で読んだ人も多いかもしれません。
翻訳の善し悪しは、読み比べたことがないのでわかりません。
この翻訳を読んだ後、英語で読んだ人で、違和感がない人もいるようです。
文化の変換は、時代によって違う可能性があるので、ある期間が過ぎたら翻訳し直すことも意味があると思われます。
過去の日本の文化も併せて知るには、翻訳も貴重なものだと思います。