田中泰延のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「話し方」でもなくて、「聞き方」でもない、「会話術」
とはいえ、特にテクニック的なものはなかった。
それでも読んでるうちに、人と話すのは楽しいかも、って思ってしまった不思議な本。
一番印象的だったのは以下
『なぜ人は勉強する必要があるのか
それは世の中の「面白い会話」「楽しく盛り上がる話」のほとんどが「知識」をベースにしているから。
だから、知らないと何も面白くないし、楽しそうな会話にはいれない』
調べればなんでも分かる時代だけれど、それでも知識があると会話も楽しめる、のかも。
以下メモ
・会話が弾むように、相手が笑ってくれるように、できるだけ無駄な話やボケ倒しをするよう心がける
・わたしはこれといってためになることは何も言っていない。慎重に自分語りや自慢をせず、知識をひけらかすことを避け、相手のことをしつこく聞きださず、会話の流れの中で相手の行ったことに対して関係ありそうな、なさそうな話をし続けたから、笑いが絶えなかったのだ。
・言葉の重さ
「ドアの向こうに人がいる」という貼り紙にあるように、発言することは勢いよくドアを開ける行為なのだ。あなたは会話するときに想像力を働かせなくてはならない。
・会話の終わらせ方
それはlineのスタンプ。話を終わらせたい人は、会話の最後にlineのスタンプを出すような気持で「じゃあ」とか「また」とかと言えばいい。
・他人と話す前に自分と話せ
まず、自分自身が自分と楽しく会話できなければ、他者と会話することはできない。 -
Posted by ブクログ
数年レビューを書き続けていますが、まぁ、文章力は上がらないし、うまく書けたためしはないし、もうちょっとどうにかならんかね、と思って、タイトルに引かれて購入してみました。
プロのライターが素人に、ライターになるための極意を教えていくよ、という企画のもの。
今回めでたく選ばれた素人さんは、九州大学の大学院に通う学生さんとのこと。そもそもが賢い人やん、と思ってしまいますが、こういった企画に応募しようとする気概が素晴らしいわ、と読み始めました。
本書はフリーのプロのライターになるための文章の書き方にとどまらず、考え方、構成の仕方、クライアントとの関係、取材をさせてもらう際の大切なこと、インタビューの仕方などなど盛りだくさんで、惜しみなく田中さんの経験や知識を、直塚さんに伝えているという点で、素晴らしい本でした。
プロのライターになるわけではなく、ちょっとうまく文章を書けるようになりたいと思って手にとった私からすると、盛りだくさんすぎる贅沢内容だし、ライターって大変と認識を新たにしたのですが、ライターになりたい人以外にとっても、勉強になる内容だったと思います。
「素直に書く」ということがいかに難しいか。
どんなに興味がないテーマでもクライアントから依頼があれば、仕事(作品)として仕上げなければいけない厳しさ。
そして、最後に直塚さんが完成させた仕事で参考にした書籍の多さに、恐れおののきました。もう研究者やん・・・と。
当初直塚さんが田中さんに「とりあえず書いてみて」と言われて提出した文章は、私には全然何が言いたいのかわからなかったのですが、田中さんはそんなとっ散らかった文章(失礼)からも真のテーマをちゃんと見出し、「こう言いたかったんなら、こうしないと」というように教えていて、「これぞ、プロ」と思わされました。
一年にわたる田中さんからの「授業」の末、前述した本書最後の企画の直塚さんの仕事(=文章)が、当初の文章と全く違っていて(私にはずいぶんとスッキリとした文章になったなという印象)、この企画の成果をひしひしと感じました。
いや、本当に、プロのライターにはなりたいとは思わないし、こうやって、書きたいことを書きたいだけ、誰に読まれるとも意識せずに書いていきたいという思いは変わらないのですが、大変に勉強になる本でした。(けれど、読んで満足、あまり意識をしていないので、文章は相変わらずのレビューになりました) -
Posted by ブクログ
まず、「はじめに」が面白すぎて食らってしまった。
この本は、文章を書くことで現実が変わる、と記されているが、その具体的な方法が実のところ微妙な気がする。
大切なのは文字が少ないこと
やれといわれてもしたくないこと、やるなといわれてもしたいことがはっきりした から生き方を変えた
ライターになりたい
自分の想いを届けたい
上手な文章の作法を身に付けたい
書くことで生計を立てたい
という考えが間違っている。
人に読まれない文章になる
随筆は
「事象と心象が交わるところに生まれる文章」
趣味は
「手段が目的にすり替わったもの」
言葉を疑う、定義を考える
誰かが既に書いているなら、書かなくて良い
物書きは「調べる」が九分九厘
巨人の肩に乗る
感動を中心にする、
愛があるものについて書く、あるいは愛せる箇所を探す
思考の過程を披露する、
結論までが重くとも、家庭があれば耐えれる
わからなくとも調べて、
どこか愛せるようになったこと、
その過程を書く。
「思考の過程に相手が共感してくれるか」が、長い文章を書く意味である。
ダラダラ過程を書かず、自分が最も心を動かされた部分だけを書く、編集も必要。
伝える部分をピックアップする、「過不足がない」と自分で思えた時に、他者が理解できるものになる
事象に出会ったとき、
しっかり調べて、
愛と敬意の心象を抱けたなら、
過程も含めて、自分に書けばいい
起承転結、
起、実際の経験という前置き
承、具体的に何があったか
転、その意味は何か。テーゼ化
結、感想と提言。ちょっとだけ
書くことは自分の正しさを証明したいから。
結果として、社会の役に立つか、今までになかったものかがジャッジされる
価値のある意見には必ず、値段がつく
書くことはたった一人のベンチャー企業
-
Posted by ブクログ
文章の書き方を教えてくれる本だと思い読み始めましたが ────
あれ!? この本、なんだかず〜っとふざけてない!? なんか面白いんだけど。
電車で読みながら、思わず本で顔を隠してニヤけてしまった。
特にコラムの「履歴書の書き方」は、笑えて目からウロコが落ちる。特に好きなのは「プノンペンのジョー理論」笑
文章がメキメキ上手くなる気はしない。でも、読み進めるとむくむくと書きたいという欲が湧いてくる。誰かにささるためのものではなく、自分が読みたいものを。自分が面白いと思うものを。
● ネットで読まれている文章の9割は「随筆」
随筆 : 事象と心象が交わるところに生まれる
文章 → ライター
事象中心 : 報道 ルポタージュ
→ ジャーナリスト 研究者
心象中心 : 創作 フィクション
→小説家 詩人
● 調べたことを並べれば、読む人が主役になれる
● 私が愛した部分を、全力で伝える
→ 自分の感動を探り、根拠を明らかに
し、感動に根を張り、枝を生やすため
に、調べる
→ 敬意を忘れない
→ 思考の過程を披露する 結論の重さは
過程に支えられる -
Posted by ブクログ
本書はいわゆる会話術のような"具体的な"話はほとんど出てこない。もう少し抽象度の高いお話だ。それゆえ、即効性を求める方にとってはいささか物足りないかもしれない。しかし、具体的なものというのは応用がききづらいものだ。抽象的なものの方が"使える"場面は多いものだ。
この本は、会話をするうえで必要や二つのスタンスの話から始まる。それは
他人は自分の話に興味がない。
自分も他人の話に興味がない。
というあまりに悲しい事実である。だが、この2つのスタンスから発した会話をするうえでの心得は、理想的な会話の本質を実によく捉えていると思う。
少し紹介しよう。
外にあるものを話せ。そのために知識は重要だ。
ひたすらボケろ。つっこんだり審査員になったりしてはだめだ。スローインして、あとはパスを回せ。
会話にはロゴスやパトスだけではなく、エトスも必要だ。
客観的な第三の視点を持て。
他人と話す前に自分と話せ。
誰かと同じ風景を眺める。そして、言葉を交わす。そんな意味のない会話にこそ、人生を豊かにする成分が入っているのかもしれない。
日常的な会話というものの本質に触れてみたい方は、ぜひ本書をどうぞ。 -
Posted by ブクログ
「自分が読みたいものを書けばいい」——この一文に尽きる。
自分が読みたくないものは、他人も読みたくない。
だからこそ、“自分が本当に読みたいもの”を素直に書けばいいのだと教えてくれる本だった。
一見、軽やかでユーモアのある文体だが、要所要所で芯を食っている。
言葉ひとつとっても、辞書の定義だけでなくその“本質”を理解することで、見えてくる景色がある。
また、徹底的に調べ抜き、一次資料にたどり着くことの大切さにも触れられていた。
根拠をもって書けば、どんなに自分らしい表現でも、そこに信頼感が生まれる。
「他人と同じ感想なら書かなくていい」という言葉も印象的だった。
独自性とは、奇抜なことを言うことではなく、自分の目で見て、自分の言葉で書くことなのだと思う。
そして「巨人の肩に乗る」ことも忘れずに。
ゼロから始めても、先人の積み重ねには敵わない。
そのうえで、自分の視点をどう重ねていくかが大切だと感じた。
文章における「起承転結」をおろそかにしない姿勢にも共感した。
⸻
これまで感想文のようなものに苦手意識があったのは、
“正解がある”と思い込んでいたからだと思う。
子どもの頃の読書感想文では、あらすじを書くことから始め、それを先生に添削される。
自分の感想なのに、どこかで「正しい書き方」を探していた。
そして書いていて「これは違う」と感じるのは、いつも“正論すぎる”とき。
自分の考えがつまらなく、型にハマったものに見える瞬間だった。
でも、本当に“自然に書けた”と感じたのは、自分の気持ちを整理したいときや、
誰か特定の人に言葉を届けようとしていたときだった。
評価や正解を意識せず、本音で語りかけているとき——そこにこそ、
「自分の言葉で書く」という感覚があった。
⸻
今後は、他人の感想を見る前に、自分の中で最初の声をつかまえることを意識したい。
本や映画、芸術作品に触れたとき、まずはその瞬間に感じた素直な気持ちをメモする。
それを定期的に振り返ることで、自分の感受性の変化や価値観の軸が少しずつ見えてくる気がする。
「自分のために書く」ことを積み重ねていくうちに、
それが自然と「他人にも伝わる言葉」になっていくのかもしれない。
書くことは、自分の価値観の軸を見直す行為。
言葉を通して、自分の中にもう一度“何を大切にしたいのか”を確かめる時間なのだと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ★感想
悩まない、
会って話す。
大切な人とは。
小学校勤務時、相手の目を見る、頷くなど子どもたちに伝えていたが
そんな、テクニックはあまりいらないんだと思う。
私(大人)が、子どもたち一人ひとりを目をあたたかく見る。
安心する環境(人、物、事)を調整、支援、受容、応援する。
ピンチや残念と感じることあったからこそ、~的思考、行動を私から。
必然と「あぁ、一緒にいるっていいなぁ」
「○○さんとは合うなぁ」「○○さんはそうなんだ」
の気持ちの共有、解釈になってく気がする。
★再読 響いた言葉memo、引用追記 20251019
対話は技術じゃない、また読む。
序章
・興味もないのに相手の話を聞くふり、相槌?
→そんな会話が人間同士が正直に向かい合う態度といえるだろうか。
心の内面を相手にぶちまける、そんな姿勢が向かい合う二人を幸せにするだろうか。
そんなテクニックが誠実と言えるだろうか?
・対話では、話し手のどちらも、自分がすでに知っているアイデアや情報を共有しようとはしない。むしろ、二人の人間が何かを協力して作ると言ったほうがいいだろう。つまり、新たなものを一緒に創造するということだ」ダイアローグ 対立から共生へ、議論から対話へ(デヴィット・ボーム 金井真弓 訳)
・なにを話すか
田中s 傾聴すれば信頼関係を築ける」とか、まず自分から労力を払えば相手も同じだけ自分に興味を持ってくれるという前提が、間違っていると思うんです。
今野s ギブ&テイクの考え方を否定するんですか。
田中s 会話はギブ&テイクでもwinwinでもゼロサムゲームでも勝ち負けなどでは絶対ない。まずそれを認めることから会話が始まる。
「対話の目的は、物事の分析でなはく、議論に勝つことでも意見を交換することでもない。いわば、あなたの意見を目の前に揚げて、それを見ることなのである」デヴィットの言葉
言葉つながりのダジャレでもいい、窓の外の雲の話でもいい。脈絡がないわけでないが、さりとて議論するでもない。話はちょっとズレますが、で話をあさってに持って行く、話を逸らす力が会話の力。=あさって話法!前ではない、上を向いて話す。そうすることで、対人関係の息苦しさや、話の続かない気まずさから少し楽になれるはず。
・「知らんけど」の万能な言葉
生半可な知識を振り回さず、あまり知らない自分を、正直に相手に差し出す
・ドアの向こうに人がいる。という張り紙を見たことがある?
発言することは、勢いよくドアを開ける行為なのだ。会話するとき、想像力を働かせる。
・会話はテクニックではない。
あなたのそばにもいるだろう。話し下手だけど信頼できる人、ぶっきらぼうだけど愛せる人、なにを言ってもすべるけど可愛く思える人。
本書にもテクニック論は何も載っていない。しかし信頼され愛され可愛がれる本でありたいと願う。
人間は毎日、だれかと話を生活している。会話を成立させるためには、適切な距離が必要。
また、わざわざコミュニケーションを取るのだから、会話を交わしたあとは、会話する前より幸せになっていないと意味がない。それは損得や利益の問題ではない。
★人間の存在そのものが否定されるかどうかが問われているのだ。
★皆が不機嫌な状況に陥ったら、せめて自分一人でもさっと立ち去る。
(理不尽な命令、不本意な仕事、間委員電車など不機嫌の会話、伝染からさっさと隔離する、笑い話にしてしまう、話題を変える、物理的にその場を立ち去る、手段はいくつかある)
不機嫌で人を動かすのは、赤ん坊。ご機嫌で人を動かすのが、おとなである。
★おとなが口を開くのは、
自分の機嫌をよくするためで、それは他人の機嫌もよくする。それこそが社会貢献なのだ。
・永六輔氏の言葉あなたが好きです、というのは最悪な言葉。
おなべをいっしょに食べて同じものをおいしいと思う、夕やけを見て、両方が美しいなと思う、というような同じ感動を〃時点で受け止める、いっしょの環境にいる時に〃感動をする場面にできるだけいっしょにいる。スポーツの応援でもいい。そうすると、使いあっている同じことばにドキンとすることがあって、それが愛なんです。
・リアルで向かい合う(オンラインでなく身体がある)人間が
時間と空間を共有し、目線、表情、反応、間合い、タイミング、チャチャ入れ、ヤジ、無駄話、そういうものがタイムラグなしの常用として存在し、わたしたちはリアルタイムでそれに反応する。
電子書籍と手触りを感じながら自分でめくる神の本の違いと似ているかもしれない。
人は、人と会いたい。人間は、対面したときに生じる「自分と相手の間に生まれる何か」を感じたいのである。
・「書く」より先に「話す」があった
口は開く以上は、何を言うか、どう返すかで人生は決まるとも述べた。だが、もっと重要なこと、
それは「なにを言わないか」である。
考えるは脳の仕事(計算したり悩んだり)だ。
対して「想う」は心の仕事(胸に描いたり、願いを込める)予算を想うとは言わない。
好きな人のことは、考えずに、想うものだ。
★書くより先に、話すがある。話すより先に、考えるがある。考えるより先に、想うがある。
言葉の前に、身体がある。
黙って想い、考えたすえ、どうしてもこぼれ落ち、相手に伝わることばが「話す」である。
そのことばがあなたの人間性であり、そのもっと後には「書く」がある。
☆☆わたしたちはわかりあうことはできない。
だが、感じ合うことはできる。
安っぽい共感ではない、憐憫(れんびん→可哀そうに憐れむこと)でもない、説教でもない、突き詰めたら、わからない。他人のことはわからない。だが、しかし、そこにいっしょにいるということ、
時間と空間を共有することには意味がある。
あなたの目の前の人には、その人だけの思い出がある、
そしてなによりその人がこの世界の中で経た「時間」がある。
「わたしたちが別々に生まれてきた」ということの意味を知る週間ではないだろうか。
別々に生まれたという冷徹で険しい真実を確認し合うからこそ、
人間は初めて「他者」と出会い、共感し、連帯できる可能性を見出すのではないか。
その時はじめて、向かい合っていた視線は同じ彼方を見ることができる。
人間は会話によって風景を発見するのだ。
これこそが会話がたどりつく約束の地なのではないか。
その瞬間、人間は人間に本当の敬意を抱くことができる、わたしはそう思う。
★他人と話す前に、「自分と話せ」
自分自身が自分と楽しく会話できなければ、他者と会話することはできない。
人間は悩んでいる自己、鬱陶しい自我、自分自身が嫌いな自分が消える瞬間(美しい景色を見る、旅等)が
幸せなのだ。そのとき見ているものが風景なのだ。
人は、自分と会話する。過去と会話する、死者と会話する、書物と会話する。
人と人が、会って話すことの究極は、一緒に旅をすること。二人は常に新しいものを見る。
身の上話や悩み相談などをしている暇はない。そこには「外部」しかない。他者と会って会話する時間は、じつに「人生を共に旅する」ことではないか。
★いまいちど、自分がどのように
人と向かい合っているのか?
そして向かい合わないのかを検証して書いてみよう。
話すことは相手を問い詰めることでも、自分を押し付けることでもない。
それは「わたし」と「あなた」が別々に生まれてきて、別の個体として、
なぜかいま、同じ時間と空間にいる意味を問い直す行為ではないだろうか。
会話とは、会って話すことだ。漢字でそう書いてある。~省略~話す「わたし」と「あなた」の間に、意味がないことでもいい、意味があることでもいい、「なにか」が「発見」され、「なにか」が「発生」する。その「なにか」こそ、人間の向こうにある「風景」であり、それを共に見たことが人生の記憶になる。だから人は会って話すのではないだろうか。
あなたはきっと、だれかと「会って、話す」とこで幸せになれる。
知らんけど。