松村圭一郎のレビュー一覧
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本書を通じて一貫して示されたのは、我々が「当たり前」だと思い込んでいることの多くが、実は確固たるものではないということである。自然と文化、科学と呪術、商品と贈り物、国家と社会——これらは相互に対立するものとして捉えられてきたが、実際には境界があいまいで、つながり合い、相互に影響を与え合っている。
著者たちが示すのは、世界が単純な二項対立で成り立っているのではなく、複数の「わからなさ」や「揺らぎ」を抱えながら構築されているということだ。しかも、その揺らぎの中にこそ、人と人、人と物、人と自然との関係の豊かさが存在している。
特に興味深いのは、この思考法が単なる学問的議論に留まらず、現代社会の課題——グローバリゼーション、少数民族問題、市民参加、暴力と平和——へのアプローチを提供している点である。我々が対立していると信じている事象も、フィールドワークという民族誌的な営みの中から見直すことで、新たな関連付けや理解が生まれてくる。
また、本書で繰り返し強調される「比較」という思考方法も有益だ。「芸術のようなモノ」という中間領域において、一見無関係に見えるものを繋ぎながら考えることで、固定的な概念による支配から自由になれる。この柔軟性こそが、混沌とした現代を生きるための知恵となるのではないだろうか。
本書は「文化人類学の思考法」というタイトルだが、実は現代を生きるすべての人にとって必要な思考法の教科書である。自分たちの社会も、相手の文化も、あるいは自分自身さえも、複雑で揺らぎに満ちたものとして捉え直すことで、より柔軟で創造的な関わり方が可能になるだろう。 -
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・27頁 多国間の条約や国内の法律に基づき、出入国の審査が行われる。だが、その国家の判断は、ケースごと(どんな人が審査するか)に幅があり、時期によって変化するものである。この恣意的な意思決定の中で、人が合法とされたり不法とされたりしている。
・90頁 移動と非移動(居住)の関係 自分が帰属すべき故郷やコミュニティといったホームを守るべき という価値観から生まれている(では、その故郷やコミュニティが誰にとっても安心して住める場所と言えるか。例えば本書で出てくるエチオピア女性たちは、自国では重労働である家事労働がシャドウワークとして評価されない現状にある、だからこそ遠い国へ出稼ぎに行き労働に見合った対価を得ることに憧れを持っている。)
・92頁 国境を超えて移動する人びとは、常に国家の視線に晒され、国民の不安を煽る「外国人」として他者化されてきた。
・101頁 人間が生きる条件をメリット・デメリットの観点から「客観的」に判定する。人間を有益性・有害性に基づいて分類する。この「国家の視点」をとることで、覆い隠されてしまうことがあるのではないか。
・124頁 移動する人を管理の「対象」つまり「客体」としてではなく「主体」としてとらえる。/アイデンティティなるものが、いかに社会的・政治的に構築されているか
・127頁 商品や資本の自由な移動 労働の不自由な移動の矛盾 つまり 市場を促す社会的諸関係の流動性へのネオリベ的称賛が、「祖国」のレトリックや文化の純粋性を守ろうとするゼノフォビアでレイシズム的な姿勢と問題なく共存している
214頁 わたしは何者なのか?現在、それを証明する権限は国家にある。国境を越えれば、その人が合法かどうか、移動先の国が判断する。その恣意的な判断ひとつで、何も罪を犯さなくても、人間が不法な存在になる。(中略)その人が有用な労働力なのか難民なのか、十分な資産があるのか。富裕層であれば自由に移住する国を選べるのに、命をかけて海を越えた人びとは不法移民とされ、収容されたり本国に送り返されたりする。人間がそこにいて良い存在なのか、許されない存在なのか、恣意的な基準で判断される。それを可能にするシステムこそが再検討されるべき問題なのではないか。(中略)人の移動を必要としつつ、排除する。その矛盾が露呈する国境という存在
255頁 彼女たちが「夢」から覚め、この搾取の構造に気付いたとしたら、救われるのだろうか。このシステムの外側に、より現実的で希望にあふれた別の生き方があるのか。村に戻れば、抑圧的な構造から逃れて自由になれるわけでもない。(中略)この強固に見えるシステムの中に生に揺さぶりをかけているのが「移動」の経験なのではないか。
266頁 家父長制的なケア的な支配関係が支配と従属の関係へとすり替わり、移動を妨げる一つの力として固定化した
271頁 国家の目線と同一化して「移動する人びと」について語るだけでは、とらえきれない現実がある。(中略)性急な答えに飛びつく前に、「問題」とされる現象を違う角度から眺めてみる。(中略)国家と違う視点をとるのは、国家を否定するためではない。誰もが同じ視座に立ってしまえば、問題の理解も議論も深まらない。 -
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人新世の「資本論」の斎藤幸平、「永続敗戦論」の白井聡、岸本聡子杉並区長ら
そうそうたるメンバーが自治を語る、コモンを語る、自律を語る。
正直難易度が高く、頭に入らないものもあった。
一番理解しやすかったのは藤原辰史さんの農業の自治。
古来人間は集って狩猟、農業を営んでいた。そこに自治があった。
種の保管、水の確保、料理。
最小単位の集団で、自分たちで取り決めをし、少しでも全体の収穫を大きくしようとした。
ここに国が絡むと、年貢を納めることになるが、これを金銭で納めるようにすれば
商売の考えが生まれ、余剰金で新しいものが買える。そこにも自治ができる。
などなど、人類の歴史に根付いた自治の話は分かりやすかった。
岸本杉並区長も、区長が一人で考えるのでなく、区民の声が区政を動かす、
その流れをどう作るか。実験を進めてほしい。
・・と考えていくと、今の国政が自治とは程遠いことがよくわかる。
国民の声を聴かず、省庁、大企業の思惑だけで多額の税金が動き、
ものの見事にムダ金になる。
前明石市長泉氏の成功の真逆をしている国。
日本に相対的貧困者が15%もいる、というのは明らかにおかしい。
やれ五輪だ外苑再開発だ大阪万博だと無意味な金、一部に利権が流れる金の使い方
をする前に、能登半島支援もあれば、貧困層への対応があるだろう。
少子化を問題視しながら、若者や子を持つ家庭に手を差し伸べない。
大学に稼げと言い、奨学金という名の借金を学生に負わせる。
あ、自治と話がずれてきた。
いいたいのは、世襲議員と偏差値エリート官僚には、市民の声を聴く気がない、
ということ。
そんな奴らに国を任せてはいけない。
というか、国の単位がでかすぎるのだ。
今こそ道州制だ。
まさに地方自治体だ。
・・・自治体もろくな職員がいない、という説もあるが、市民が見ている。
距離が近い。空気が伝わる。
国には外交と防衛だけやってもらって、それ以外の金の使い方は各道州に任せれば
よい。
逆にそうしないと東京一極集中がますます進み、地方が死ぬ。
地方が死ぬ、ということは文化が死ぬ、ということだ。
美味しいものも食べられなくなる。それでいいのか。
・・・この本の趣旨、斎藤氏の趣旨から反れたかもしれないが、
私の問題意識だ。
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文化人類学がどういう学問かについて、扱う範囲を横断的に取り上げた入門書。学生向けのようですが、一般の読者にも大いに参考になると思います。
30年近く前、大学生の頃に少し文化人類学を学んだのですが、当時とは比べものにならないほど文化人類学側の意識が変わっていて、決して解釈を押し付けない、人々にどこまでも寄り添おうとする態度が印象的でした。
たとえば、呪術の章でシャーマニズムが取り上げられていましたが、大学時代にはこれが社会の安全弁として機能する側面もあると学びました。シャーマンとして託宣をする者が貧困層の出身で、託宣を聴きに来る者が富裕層である場合などは特に。
しかしこの本では、そうした解釈を価値観の押し付けだと切り捨てていて、30年近くも知識をアップデートしないままだった自分を恥じると同時に、文化人類学は約30年間、批判的に顧みてアップデートすることを続けてきたんだなと思いました。
煮詰まったとき、余裕がなくなったとき、選択肢は他にもあると思い起こすために、この本をずっとそばに置いておきたいです。 -
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文化人類学というものに初めて触れました。エンジニアという職種で仕事していることもあって、普段から構造化やパターン化をして物事を単純にする思考が習慣になっています。そのような生活をしていると、ある種の人間社会にもその構造化やパターン化がうまく当てはまるような錯覚をしてしまっていると自覚しています。その人間社会に引いた、もしくはすでに引かれた境界線の脆さに対しての向き合い方や考え方に色々なきっかけをもらえた内容でした。
また、多くの論文を引用する文章構成は普段そのような文章に多く触れる身としてはすごく読みやすかったです。
文化人類学を学ぶことで、チームビルディングや会社の文化形成にも応用できると感じたので他の書籍も当たってみようと思います。 -
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とても素敵な本。「自治」の実際が語られていて,なんか,やる気が出るような来ます。著者によっては,少し難解な部分もあるのですが…。
最後の斎藤幸平さんの「「自治」の力を耕す〈コモン〉の現場」より,今の教育現場にも通じる話を引用します。
…労働問題に取り組むNPO法人POSSEの代表である今野晴貴さんは,次のように指摘します。
ブラック企業問題が解決しない原因は,労働法が存在しないからではない。むちゃくちゃな働かせ方を取りしまう法律自体は日本にもある。あるけれども,労働組合が弱体化した日本では,企業のほうが圧倒的に強く,労働者には力がない。そのせいで,法律の運用が形骸化し,「違法労働」がまかり通ってしまうのだ,と。(本書245ぺ)
斎藤氏は,このように引用した上で,マルクスの主張を取り上げて次のように述べています。
…私が専門としているカール・マルクスは,トップダウン型の法制度改革を「法学的幻想」だと批判し,「下から」の変革を重視しました。具体的には,マルクスは,「自治」を育むボトムアップ型の組織を「アソシエーション」と呼び,このアソシエーションを広げていくことが,社会を変えていくための基礎だと考えたのです。(本書246ペ)
今ある労働組合をどうするのかも大切なことですが,今一度,現場の教員にとって大切にしたいものはなんなのかを話し合い,それを実現するために,どんな風にボトムアップしていくのか,どのように仕掛けていくのか,下からのしたたかな自治を作り出していくことが必要ですね。
言うは易く行うは難し…ですが,諦めないで,ときには,子どもの人権に関わることが明らかならば,現場で闘うしかないでしょう。
その積み重ねが,職場の過ごしやすさにつながると思います。
既存の労働組合の「とにかく数だけを守る闘い」からの脱却が必要なのでは。 -
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「当事者意識を持つこと」の重要性を実感しました。
「自治」というテーマのもと、様々な分野における「自治」のあり方について論じられていました。
特に、現代社会における「上から」の改革の限界を指摘し、真の社会変革は、一人ひとりが「当事者」となることから始まることを強調していました。
この著書における「市民科学」の例は、この「当事者意識」の重要性を感じられます。専門家だけに任せるのではなく、市民自身が社会問題の解決に向けて積極的に行動を起こす「市民科学」の動きは、従来の「上からの」改革ではカバーしきれない問題に取り組む、新しい可能性を感じられました。
p125~武器としての市民科学を (木村あや)
このような当事者意識を持つことの重要性を、様々な角度から浮き彫りにしています。 「上から」の改革に依存するのではなく、一人ひとりが「当事者」として社会に関わっていくことの重要性を、再認識することができると思います。