武田百合子のレビュー一覧
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何回読んでも、最後まで読みきれない本ってやつが、たまにある。この本が読みきれなかったのは三度目。ああ、まさに3度目の正直だったのに。また今回も読みきれなかった。これはもう買おう。うん。それで読むか、きっぱり諦めよう。
それはともかくとして。本書は田村俊子賞を取った名随筆である。人が、ご飯を食べたり買い物したり、そういう細々した事って、なんてまあ読んでいて楽しいのだろうか。富士山麓の麓の避暑地での、本当になんでもない日常。だけれど文章にすると、本当にささやかで愛おしい。大したことが書いてないと、退屈なさる方もいるだろう。でも、好きな方は本当に、武田百合子の文章にハマってしまうはずだ。
私は、 -
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小説家、武田泰淳の妻、武田百合子氏の日記です。
私は再再読くらいで、小説家、泰淳の著作は読んだことがなく、百合子氏の方が知っていますね。
日記の中では夫、泰淳があり、妻の百合子があるって感じですけど、私の中では百合子氏が「主」というか。
こちら上巻は、昭和39年7月から昭和41年9月までの記録です。
主に富士山の麓での生活記録で、自然の美しさ、厳しさも「当事者」として瑞々しく描かれていますが、時折見せる鼻っ柱の強さが私は好きで。
この時代のことなので、小説家たる夫に甲斐甲斐しく尽くして、夫も「主然」としていて……というのもあるにはあるのですが、概ね鼻っ柱の強い女性です。
百合子が泰淳 -
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富士日記もこれで最後。泰淳さんの病気や死も書かれているのだろうと手にするのに躊躇していた。いい加減、カタを付けようと読む。
忘備録的な日記は変わらない。朝、昼、晩の献立や管理所で買った食材や酒、煙草の金額などが上編、中編と変わらず書かれている。不思議と馴染んで、ゆっくり読み進める。
大岡昇平夫妻や大工や植木屋、隣の家守の老夫婦に人々との交流の合間に、ふっと息を飲む一文が挟まれる。
(引用)
九時、山に戻る。灯りという灯りを全部つけた。谷底に浮かんだ盆灯籠のような家に向って、わたしは庭を駆け下る。むろあじを焼いて冷たい御飯を食べた。主人は生干しのいかを焼いて、それだけ食べた。食べながら、今日見 -
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武田百合子が、夫・泰淳らと中央アジア→ソ連→北欧を旅した1969年の記録。
いや、日記形式で書かせたら右に出る者がいないのは当然だが、淡々と、だが生き生きと紡がれる毎日に引き込まれた。
当時のこととて、前半はガイドのついた団体旅行なのだが、身勝手だけど憎めない関西の富豪・銭高老人を楽しく愛しく見てる視点など、百合子さんの人格の大きさよ。
また、泰淳の妻への見下した物言い、そのくせ交渉・買い物・記録までなんでも頼る不甲斐なさなど、現代の女はイラッとするが、それもまた大きな愛で包んでらして…昭和の女は深い。
ただメニューだけを羅列した食事と、やったら出てくるゲロとトイレの話題。入ってから出るまでが -
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相変わらず、頻繁に富士通いが続く。厳冬と云っていい年末年始に何で「山」で過ごすんだろうと思わないでなかったけど、やっぱり「山」が良いんだなと段々納得してくる。
愛犬の死、富士の姿、夕焼け、星空の短い記述を淡々と読み進む。文章のリズムが急いで読むことを拒んでくる。
基本はホントに日誌だから、食材の買い物や三度のご飯がいつも書かれてるし、事件や謎や問題が起こるわけでないので、ゆっくりゆっくり読み進む。
旦那の泰淳さんについての失礼な電話に対し、怒鳴り返す。お嬢さんとそのお友達の為に伝言せず出かけて心配した泰淳さんに怒られる。百合子さんんも人柄が段々立ち上がってくる。小川洋子さんのようなファンが多 -
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日曜の朝10時、FMで小川洋子さんの「メロディアスライブラリー」を聴いている。それで知った本。小川洋子さんは随分気に入っているらしく、他の本を紹介する回でも「富士日記」に言及することがあり。
興味は持ったんだけど、でも、作家の奥さんとは言え、素人の日記だよなと、手を出さずにいたのだが。先日、新版が本屋に平積みされたので、購入。
読み始めて、う~ん、やっぱり只の日記かな、と思ったけど、ジワジワ百合子さんという人が見えてくる。
赤い実を口に入れようとして、泰淳さんに怒られる。
「ふらふら散歩に出かけて、やたら道ばたものを口に入れるんじゃないぞ。前に死にそうになったのに懲りないのか。」(前にあ -
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終始淡々としていて、特に盛り上がりも盛り下がりもせず、少し冗長な部分もあるものの、なんだか不思議な味わいがある。
ただ、時代なのだろうけど、「映せ」「買ってこい」「書け」とか、武田泰淳が武田百合子に終始命令口調なのがとてもとても気になってしまった。
泰淳は百合子のこととても愛しているんだろうし、ふたりの実際の関係性はフラットなものなのだろうし、百合子も命令されても無視されたりしているから、単に口調だけの問題なのだろうとは思う。
ただそれでも今の時代に読んだら少々ギョッとしてしまう部分も散見された。
(『犬が星見た』の題名の由来となった「ポチ」呼びも、私だったら、どんなに可愛がってても犬扱いすん -
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ネタバレ武田百合子最後のエッセイ集。
相変わらずたんたんと日常を書いているのだが、富士日記なんかと違って公開前提の文章だからか、書くことに慣れてきているのか、わかりやすくユーモアがある感じ。
1日六回温泉に入って湯治をして若々しくしている人に、内心(年中温泉入っているだけなら若くなったってどうだというのか)と突っ込んでいたり、温泉のアヒルが食べられちゃう運命なのをさらっと書いていたり、愛猫の葬式をやるくだりで「飼い主のこういうときの気持ちを納得させ」る金額は五万円前後と得心しているところとか、面白くてくすりとしてしまった。
しかし、夫を早くに亡くして出戻りの娘と2人暮らし、友人も次々亡くなっているよ -
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ネタバレ下巻は夫泰淳の体調がどんどん悪くなり、最後はほぼ看取りのような状態で過ごしているのがわかる。お祭りに行くこともなくなり、冬の山行きを取りやめ、日記も飛び飛びになっていくのが切ない。それなのに、夫が過ごす最期の夏は虫の知らせがあったかのように日記がつけてある…。長く連れ添った夫婦の呼吸のようなものが文章から感じられる。
「生きているということが体には毒なんだからなあ」
とこぼす夫の言葉がなんだか沁みた。老いや病を経て否応なく死へ向かっていく人間の体はどうしようもないのだ。美味しいご飯やお酒も、みんな毒になっていく。
後半は私の夫とカフェに行って読んでいたのだが、これからは一緒に過ごす時間をもっ -
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ネタバレ富士日記中巻。たんたんとした記述、献立と買い物リストの並ぶ様子は上巻とそんなに変わらないが、愛犬ポコが事故で死んでしまうのが大きな出来事か。
ポコが死ぬのも富士への道中車のトランク(!)に入れていたからだし、犬への食事もすべて人間の余り物だし、よその犬に平気でチョコをあげていたりと時代の隔たりをやはり大きく感じる。でも私が子供の頃(平成前半)でも犬には猫まんまとかあげていた覚えがあるし、ペットの扱いってどんどん変わっているのだろうな。
けっこう献立も家族バラバラで、うどんにご飯、パンにスープに佃煮みたいに自由な感じなのでたまにびっくりする。朝からうな丼とか食べてたりするのだ。
下巻は夫の病があ