【感想・ネタバレ】富士日記(下) 新版のレビュー

あらすじ

季節のうつろい、そして夫の病。「忙しくくたびれて」日記を付けられなかった二年間をはさんで、ふたたび丹念に綴られた最後の一年間。昭和四十四年七月から五十一年九月までの日記を収録。田村俊子賞受賞作。【全三巻】

〈巻末エッセイ〉武田 花

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Posted by ブクログ

とうとう読み終わってしまった。
最初は刊行するつもりでなかった日記は、むき出しでありのままが綴ってある。
百合子さんは、目にしたものを切り取るのがうまくて、感性の人だなと思う。
夫の泰淳さんが体を悪くされてからの後半は、胸をつかれるような場面もある。
一つひとつの布をパッチワークしたみたいに、日々連なっている。
遠くからみたら、一枚の絵のように、グラデーションが際立っている。
読んでると元気がもらえて、ずっと楽しかった。

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2025年07月17日

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上中下巻、ゆっくりゆっくり読んだ。
読んでいるあいだ心が穏やかで贅沢な時間だった。
好きな箇所→
「はんぺんなど無意味」
「この景色、あすこからここまで全部あたしのものだぞ」
「台所の椅子に腰かけて、ドアを開けておいて、夕焼や花の様子を眺めたりしながら煮物をする、この、ゴッドファーザーのような気分。

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2025年04月24日

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『富士日記』三巻を再読して思ったこと。
百合子さんがお世話になった人に必ずといっていいほどお礼を渡している、その姿勢がさすが大正生まれだな、と。
奔放な人と思われがちだけど、実は律儀。
あと、聡明だから色々なことが見えてしまって、辛いだろうけど、書くことで発散していたんだろうな。
飾らない、ありのままの自分をさらけ出している所が本当に魅力的。
辛い時にも百合子さんがいるからと思い、この三巻を蔵書としている。

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2024年02月20日

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途中で主人(武田泰淳)の病気及び死後の話が出てきたり、日記の中断が出てきたりしていた。
 ネコの話が出てきてさらに主人の病気の悪化で山荘の日記ではなく、東京でのことが書かれるようになってきた。主人の死の記載で終わるかと思っていたら、入院前の記載で終わってしまった。しかし、あくまで陽気な話として持っていきたかったのであろう。

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2023年11月24日

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読み終わっちゃった
山荘の日々が優しくて温かくて寂しかった
毎日の食事が美味しそうで読んでて幸せだった

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2023年06月04日

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私は泰淳没後の百合子さんの随筆も何冊か読んでみたけど、彼女の良さが一番「生きて」いるのはやっぱりこの『富士日記』と『犬が星見た』の日記においてだと思う。

この2冊においては、文章のキレ・表現の新鮮さ・着眼点の独特さにおいて、他の一切の追随を許さない。こんな文を書く人がいたのかと、読んでいて何度も信じられない気持ちになった。

今まで本を読んでいて、自分が好きな本ですら、その著書を生まれつきの天才だと感じたことは一度もなかったけど、武田百合子さんはその例外でした。彼女はマジモンです。

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2022年11月06日

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小川洋子さんが「死の床に着いた時、枕元には富士日記を置きたい」と紹介されていたので読んだ。私にとっても宝物になった。上中下巻をエンドレスループで読み返しています。今は3周目。

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2021年09月11日

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武田泰淳が亡くなる前の記録。下巻は病と死の予感が孕む。糖尿病からの脳血栓、胃癌転移の肝臓癌。医療者からみるとハラハラしてしまう食事や生活。業務で生活指導をするが、暮らしの中の家族の愛や魂の孤高さを痛いほどに教えられた。視点によって愚かかもしれない。でも、その人物史は誰が何と言おうとも、その人の全てでできあがっていて、正しいも過ちもない、かけがえのないものだ。死後、世に出る予定ではない日記を清書し出版された経緯は、奇跡的でありがたい。おいしいものは、ぜんぶ、毒なのかなあ。でも、おいしいってしあわせだよな。

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2023年08月20日

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富士日記もこれで最後。泰淳さんの病気や死も書かれているのだろうと手にするのに躊躇していた。いい加減、カタを付けようと読む。

忘備録的な日記は変わらない。朝、昼、晩の献立や管理所で買った食材や酒、煙草の金額などが上編、中編と変わらず書かれている。不思議と馴染んで、ゆっくり読み進める。
大岡昇平夫妻や大工や植木屋、隣の家守の老夫婦に人々との交流の合間に、ふっと息を飲む一文が挟まれる。
(引用)
九時、山に戻る。灯りという灯りを全部つけた。谷底に浮かんだ盆灯籠のような家に向って、わたしは庭を駆け下る。むろあじを焼いて冷たい御飯を食べた。主人は生干しのいかを焼いて、それだけ食べた。食べながら、今日見てきたことや、あったことをしゃべった。帰ってくる家があって嬉しい。その家に中に、話を聞いてくれる男がいて嬉しい。

終盤で泰淳さんの病気が顕かになってくる。大岡昇平との病人談義が変に可笑しい。くどくどしくなく、最低限のことしか書いてないが、胸に刺さっってくる。

巻末は泰淳さんの短かな文章。そして、娘の花さんの山荘の顛末と両親の位牌に触れた一文で終わる。

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2022年06月03日

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読み終わった、上・中・下の3巻
僕の経験としては、「魔の山」以来だろうか
富士日記を読もうと思ったきっかけは「読書の日記」である。
日記っていいな。
武田さんと百合子さんのやり取りの中で、同じ話を何度されようとも何度でも聞いてやると言ったようなものがある。
それだけで、素晴らしい関係だなと思う。
々クスッと笑えるような描写、ほっこりするところもあって、楽しく読めました。
長い旅路だったな。

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2022年05月29日

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ネタバレ

下巻は夫泰淳の体調がどんどん悪くなり、最後はほぼ看取りのような状態で過ごしているのがわかる。お祭りに行くこともなくなり、冬の山行きを取りやめ、日記も飛び飛びになっていくのが切ない。それなのに、夫が過ごす最期の夏は虫の知らせがあったかのように日記がつけてある…。長く連れ添った夫婦の呼吸のようなものが文章から感じられる。

「生きているということが体には毒なんだからなあ」
とこぼす夫の言葉がなんだか沁みた。老いや病を経て否応なく死へ向かっていく人間の体はどうしようもないのだ。美味しいご飯やお酒も、みんな毒になっていく。
後半は私の夫とカフェに行って読んでいたのだが、これからは一緒に過ごす時間をもっと大切にしていこうという気持ちが自然とわき上がってくる本だった。人間と人間が出会って寄り添って一緒に暮らしていくことは、尊い。

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2025年10月27日

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ネタバレ

夫武田泰淳と過ごした富士山麓での十三年間の一瞬一瞬の生を、澄明な眼と無垢の心で克明にとらえ天衣無縫の文体でうつし出す、思索的文学者と天性の芸術社とのめずらしい組み合わせのユニークな日記。昭和52年度田村俊子賞受賞作(第1巻紹介文)

昭和39年7月から始まり、昭和51年9月までの日記が上中下3巻に収められている。作家武田泰淳氏の妻百合子氏の日記だが、時々泰淳氏の文章や、娘花さんの文章も挟み込まれている。

百合子氏の文章は、その生き方そのものと同じように天衣無縫。泰淳氏の文章は、さすが小説家という表現があったりするが日記の中で読むには違和感を感じる。娘の花さんは当時13歳ころと思われるが、両親のセンスを共に受け継ぎながらも自分としての表現をされていてすごいなと感じた(カメラマンになられたらしい)。

他人の「日記」というものに関心がわき、読みだした。富士山麓での生活とはどういうものか。
作家の生活とはどういうものか。
作家夫人というのはどういうものか。
そんな興味で読み始めたが、それらのことを、普段の生活日記の中から肌で感じ取ることができる。

作家夫人の日記といえど、今日あったこと、ご近所さんとのコミュニケーション、買い出しの様子、富士五湖で水泳を楽しむ様子、ペットを含めた家族団らんの様子、朝昼夕のメニュー紹介、時々時事という普通の日記の感じ。であるけれども、やぱり百合子氏独特の個性が表現されている。意外とうんこ話がお好き。

毎日欠かすことなく、朝昼夕の食事の内容が紹介されているが、お金持ちのご様子でたぶん「節約」という感覚は不要で、感性のままに買い出しをされて、感性でその日のメニュー考えて作られているように思う。

しかしこれが、意外と時代を経てもセンスが感じられ、たぶん当時としてはハイカラな食事だったんではないかと思われる。出版当時はレシピ参考本としても読まれたのではないか。

文庫本(古本)で読んだが、各巻400ページ超の量で、上巻だけでだいたいの興味に応えてくれる内容が出てきて、中巻も下巻もその書きくちは変わらない(日記なので)ので、上巻読んでほぼお腹いっぱいになってくる。従って、中巻、下巻はキーワードを見つけてからその周辺を読むという走り読みに変更。

やはり時代が感じられる。中巻では1968年(昭和43年)の日記で「チェコ事件(ソ連がチェコに突入)」の報道について書かれていたり、「メキシコオリンピック」の開幕式のことが書かれていたり。

下巻にはいって、昭和44年のアポロ11号月面着陸や、昭和45年大阪万博(アポロ11号が持ち帰った月の石が展示されてた~)のこと、雫石での自衛隊機と全日空の衝突事件、三島由紀夫の割腹自殺のことなど、登場する。

なんかこの頃の出来事はすさまじいなと感じながら、自分はその頃何歳だったのかとかを照合しながら読む自分がいる。

ともかく日記の中にも交通事故の話がたくさん出てくる。交通事故で亡くなる人も多い。一人の日記にこれだけの事故の記述があるということは、全国でものすごい数であったことが想像される。光化学スモッグや公害という言葉、エコノミックアニマルという言葉も登場する。「私の城下町」や「フォーリーブス」も登場する。読みながら一昔前へのタイムスリップができる。

下巻最後、夫泰淳氏が病気と闘いながら生を全うするまで、妻としてつきそう日々の様子が描かれて、日記は終わっている。

「日記」文学の面白さ、もう少し広げていってみてもいいかなと思う。

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2023年06月16日

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