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Posted by ブクログ
武田百合子が、夫・泰淳らと中央アジア→ソ連→北欧を旅した1969年の記録。
いや、日記形式で書かせたら右に出る者がいないのは当然だが、淡々と、だが生き生きと紡がれる毎日に引き込まれた。
当時のこととて、前半はガイドのついた団体旅行なのだが、身勝手だけど憎めない関西の富豪・銭高老人を楽しく愛しく見てる視点など、百合子さんの人格の大きさよ。
また、泰淳の妻への見下した物言い、そのくせ交渉・買い物・記録までなんでも頼る不甲斐なさなど、現代の女はイラッとするが、それもまた大きな愛で包んでらして…昭和の女は深い。
ただメニューだけを羅列した食事と、やったら出てくるゲロとトイレの話題。入ってから出るまでが人の営みよのう…。
描写と形容はうなるばかりなので、心に残ったものを抜いておく。
「何も見えない。ただ広い草原だ。はるばるとやって来た私たちを迎えながら、アルマ・アタの町は青い山々をひきつれて遥かにあとずさり、そのまま深く眠りこんでしまっている」
「石鹸で作ったような美青年である」
「大きな忘れものーー東京に置いてきた「時間」。旅をしている間は死んでいるみたいだ。死んだふりをしているみたいだ」
「いい天気。泣きたいばかりのいい天気。
存分に泣け、と天の方から声がすれば、私は目の下に唾をつけ、ひッと嘘泣きするだろう」
ひッと…出ないわー、すごい。
「天の巨きな手で掴まれ、夜の間に空を飛んで、この広場に西洋将棋の駒のように無造作に置かれた。朝目が覚めたら、昨日までなかった奇妙な家がひょっこりとあるのてわ何度も眼をこすっえみているーーそんな感じなのだ」赤の広場の感想w
「重たそうな水をめくって船が走る。雨は降ったり止んだりしている。薄陽が水面をひとわたり真鍮色に舐めてゆき、またすぐ暗い鋼色の水に戻り、雨が落ちてくる」
Posted by ブクログ
終始淡々としていて、特に盛り上がりも盛り下がりもせず、少し冗長な部分もあるものの、なんだか不思議な味わいがある。
ただ、時代なのだろうけど、「映せ」「買ってこい」「書け」とか、武田泰淳が武田百合子に終始命令口調なのがとてもとても気になってしまった。
泰淳は百合子のこととても愛しているんだろうし、ふたりの実際の関係性はフラットなものなのだろうし、百合子も命令されても無視されたりしているから、単に口調だけの問題なのだろうとは思う。
ただそれでも今の時代に読んだら少々ギョッとしてしまう部分も散見された。
(『犬が星見た』の題名の由来となった「ポチ」呼びも、私だったら、どんなに可愛がってても犬扱いすんなよ?!?!って思っちゃうなあ…)
最後の色川氏の解説は最悪で、終始百合子を泰淳の妻としてしか捉えていなかった。
でもまあとにかく、武田百合子の文章自体はびっくりするくらい飄々としていて、そこはかとないおかしみがあって、気取ってなくて、とてもいい。
Posted by ブクログ
海外旅行エッセイが好きで、読んでみた。
このエッセイ…というか日記を読んでいて、なぜ自分が他人の旅行記を読むことが好きなのか、考えさせられることになる。
通常、旅行エッセイでは、筆者が旅先で眺めた風景や交流した人々、口にした食べ物から考えを巡らせ、反省したり、新たな知見を得たりとか、そういったことが盛りだくさんなケースが多い。そしてそれか旅行エッセイというもののフォーマル、典型的な形だと思っていた。
後書きにもあるが、これは完全なる日記である。目にしたこと、耳にした知人や夫の会話、食べた料理、他の旅行エッセイには類を見ないほど、淡々と記してある。
正直、最初はそのあまりの単調具合に読むのに飽き飽きしてしまった…のだけど、いつのまにかそのリズミカルな叙述、周りの自然や空気を捉える暖かな感性、そしてクスりとしてしまう、ちょっとした笑い。(狙ったフレーズじゃない所がさらに良い)僕はいつのまにか、引き込まれていた。
旅行記、旅行エッセイというものに対する考え方が変わる一冊だった。
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