小野正嗣のレビュー一覧
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小野正嗣さんは、『水に埋もれる墓』『にぎやかな湾に背負われた船』と読んで、興味のある作家となった。どの作品も郷里である大分県のリアス式海岸にある小さな集落に根ざした物語だ。一方で小野さん自身はフランスに長く住んでいてインテリのイメージがある。そのギャップに興味がわく。いまの時代はグローバル化とローカルの再発見が同時進行していると思うのだが、小野さんの小説はローカルに徹底し、血の繋がりならぬ地の繋がりを見据えた先に、人間の悲しさや愛しさが描かれている。特にこの小説は、他界したお兄さんに捧げられている。付録に収録された芥川賞のスピーチが心を打った。
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同じようなありふれた不幸を経験したものとしては、心から共感できるものだった。
子どもに突然訪れた不幸は、もちろん人生を変えるが、その変わり方は親ときょうだいでは違う。親はとことん悲しみ、必死に状況を良くしようと努力する。生きることの中心が不幸な子どものことになる。が、きょうだいはどこか客観的に見てしまう。学校に行ってその不幸を一瞬忘れ、楽しく感じたりもする。親がすがるまじない師を滑稽だと思ってしまう。しかし、いつも100%楽しめるということはないし、自分が普通に生きることについての違和感を抱えながら生きることになる。
そのあたりが、本当にリアルに描かれている。
物語にカタルシスを求める人に -
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胸が苦しくなった。著者の実体験に基くとわかっているからなおさら。後書きを読んで、著者も翻訳者も私と同い年であることを知り、さらに苦しくなった。ここに描かれていることが、私が生きてきたのと同じ時に起こった真実の出来事であるということ。何の前触れもなく、その日、その時が来てしまい、そこから一家の人生が暗転してしまったこと。毎朝、新たな一日を迎えても、絶望的な状況が変わらないこと。それを負っているのは、特別ではない一家だということ。この作品を書き起こすこと自体にも、どれほどの心の痛みが伴ったのだろうと思う。今年一番心に響く本に出会ってしまったかもしれない。
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映画「誰も知らない」を彷彿とさせる都会の子捨ての話を背景に、だが作家は人と社会の温かさを信じている人だ。
何があったか、詳細はわからぬまま、厳しい経験を経た10歳の尊はいま、消息の知れない母の故郷、南の小さな漁村にいる。
いつまでも続くかのような夏休み、掃き清められてしんと静かな神社、老人が毎日参る墓、縁側で食べるスイカ、遠慮なく出入りする近所の人たち。
都会に暮らし外国でも暮らした作者が故郷を思う時の風景はこういうものなのだろうか。
そして、母がつぶやいていた「こんなところ、早く出て行きたかった」という言葉もまた作者の言葉か。
幻を見る尊の目から彼らが消える日はくるのか。
なまなましい暗さを -
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人間のアイデンティティとは、自分の奥底に眠るたった一つの本質的な帰属などではなく、生まれ育った環境から後天的に得られる要素も含めた、複合的な帰属から成る。しかし人は数多くの帰属の内どれか一つが脅威にさらされるだけで自分のアイデンティティが侵されたと感じ、その帰属を共有する者たちでコミュニティを作り、攻撃者に対する反撃を開始する。
グローバル化、すなわち西洋化は、非西洋の国々にとっては独自の文化が西洋文化に置き換わる運動であった。自らの文化という帰属を侵された者達の拒絶反応が、近年のナショナリズムや人種差別に繋がっているのかもしれない。
多様性を認めようという本書の主張は、近年ではダイバーシティ -
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このグローバル社会を考えると、人を一つの帰属、一つの象徴とする言葉でアイデンティティを考えることはもうできなくなってきていると思う。日本に住んでいると、様々な異なるバックグラウンドや、混ざり合ったバックグラウンドを持っている人に出くわすことは少ないが、やはり海外に行ってみると、国の中に様々な、いくつかのアイデンティティを持つ人がたくさんいる。異文化を勉強していく中で、日本人としているために、いわゆる日本らしい、日本的考え方、性格やキャラクターの中でおさまろうとしている自分もいた。しかし、世界の人々を見渡してみると、混在するアイデンティティを持つ人がたくさんいて、日本人という単一のアイデンティテ
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第152回芥川賞受賞作。
著者が生まれ育った大分県の過疎地や周囲の人々を底流に、着想されたものと推察する。
過疎地に生まれた主人公(さなえ)が、東京に出て異性との不幸な付き合いを重ねた先に、カナダ人と巡り合い、特異な感受性をもつ子供(希敏:けびん)を授かるが、突然失踪されて破局、シングルマザーとなり故郷に舞い戻ってくる。
そこで、昔なじみのおばさんの息子の入院を耳にする。9年前にカナダ人の案内で、おばさん達とカナダへ旅行したときの記憶が蘇り、現在の希敏を抱えた状況と、おばさんの不憫な息子に対する想いが交錯しながら進行していくが、互いの終着点がフェードアウトしていく。読者に残る余韻で評価が分かれ -
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じいじい、ばあばあばかりが残った、浦を抱く小さな漁村。いたずらものの猿たちや、えびすさんまで登場し、まるで日本昔話の世界。なのにそこは、むせかえるほどに濃厚な血とセックスと汚物の匂いに包まれていて読む者をたじろがせる。
しかし考えてみれば、かちかち山にせよ猿蟹合戦にせよ、おとぎ話というものは最初から生臭いものであった。それを、せっせと消毒液を吹きかけて無味無臭のものにしてきたのは近代社会の方であったのだ。
無害な年寄り、のどかな田舎町の表皮の下で、暗く淀んだ隠微な衝動は消えずうごめいているのだが、村の伝説に伝わる娘殺しと、出征したオジイが戦地で犯したレイプと殺害が絡み合い混じり合うように、この