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Posted by ブクログ
作者の小野さんのことはNHK『新日曜美術館(当時)』を観て知っていたから、いつか読んでみたいと思っていた。地元の書店では、なかなか見つけることができなくて、昨年9月adieuのライブを観に行った翌日、帰途である東京駅の近くの大きな本屋で見つけることができた。半年以上経った、この5月の連休の、この日に読み終えた。
最終盤の、怒涛の内省描写に息を飲んだ。すさまじい熱意を感じた。物語が閉じたあとに掲載された文章に、この物語の全貌が明かされていた。
与えること。与えること。
すべて芸術は、なぜ観客を感動させるのか。
与えられて、こころ動くこと。まさにいま、僕はその真っただ中にいると確信している。あるエッセイに綴られた言葉や、好きなひとが教えてくれた歌集。読書に限らず、ごく身近な存在として“与えられる”音楽も同じ。僕が受け手である限り、それらすべてが“与えて”くれる。こころ動かす何ものかを。
きっと、それらを突き止めるために、僕は言葉を紡いでいる。「言葉を紡ぐ」僕の好きな人の表現を借りた。考えるときは言葉で考える。だから考えたことは、言葉で表すことができる。感動を即座に言葉にはできないかもしれないけれど、考えることで言葉を駆使することができたら。その思いは、きっと自分の言葉で表せる。だから信じてる。僕の思いは、僕の言葉で、かならず伝えることができるのだと。
それは僕にとっての「祈り」にも、なるのかもしれない。
Posted by ブクログ
読書開始日:2021年8月29日
読書終了日:2021年9月1日
所感
内容や構成は、視点が頻繁に変わるためかなり難解ではあったが、
怒哀表現が完璧だと感じた。
自分が感じたことのある心情が、包み隠さず詳細に描かれていた。
本書は題別で話が進行していくと思っていたが、全てがつながっていくという自分好みの構成。
ただやはり純文学ということもあり複雑で、しっかりとした繋がりは見せてくれない。
ただ人間関係なんてそんなもので、実はつながっていても知らない、気づかない、思い出さないなんてざらだ。
リアルに即していると思う。
ここからは個人的な解釈だが、
さなえは、過去のみっちゃん姉に救いを求めた。
さなえの現状を乗り越えた先が、みっちゃん姉だと思いたかった。
さなえはいまにも負けそうだった。
「とにかくそんなものから解放されて自由になりたかったのだ」がかなり痛烈。
本物の希敏を、理解が及ぶ希敏を見たいあまり、無理に引っ張り出す際にできるあざ。
経験したことはないが、共感せずにはいられない。
自分を通して生まれ落ちた天使が、到底理解の及ばないものとしたら、誰でもその心境になるはず。
そして、みっちゃん姉もやはりさなえと似たような時を過ごしたのだろう。
カナダへ訪れた際、教会での「九年前の祈り」はまさしく、伽=タイコーに対しての祈りだった。
人一倍祈っていたのはそのためだ。
その祈りが通じて、伽=タイコーは、立派に成長をした。
「生きていくうちに摩耗し消えていくはずの驚き」に付きまとわれながらも、人に尽くした。
そして千代子を救った。
悪の花の題、千代子の題で、かなり熱中して読み進めた。
真鶴に似た鳥肌が立った。
さなえの祈りも届けばいいと切に願う。
九年前の祈り
あんパンの皮だけ食べるような会話だった
額には玉の汗
苛立ちと怒りがざらつく熱風となってさなえの顔を焼いた
怒りの表現がうまい
発酵、腐敗
みっちゃんねえの顔に明るい色の花が、嬉しそうな笑みがパッと広がった
美しい天使の中に埋もれた本物の息子
無垢の世界をそれとして見つめることのできるさなえだけが、皮肉にも無垢から限りなく遠かった
とにかくそんなものから解放されて自由になりたかったのだ
どこの世界に明るいだけんの人がおるんか
意地の悪い優越感
ウミガメの夜
お見舞い
どうせ無駄なことをするのだから
悪の花
目の端に白く濁った汁が滲んだ
生きていくうちに摩耗し消えていくはずの驚きがいまだにタイコーとともにあった
いや、ちがう。千代子の方が、トミという名の最初の妻と同じ道を辿ったのだ
忙しなさと熱意を失っていくにつれて涸れていったあの水
Posted by ブクログ
小野正嗣さんは、『水に埋もれる墓』『にぎやかな湾に背負われた船』と読んで、興味のある作家となった。どの作品も郷里である大分県のリアス式海岸にある小さな集落に根ざした物語だ。一方で小野さん自身はフランスに長く住んでいてインテリのイメージがある。そのギャップに興味がわく。いまの時代はグローバル化とローカルの再発見が同時進行していると思うのだが、小野さんの小説はローカルに徹底し、血の繋がりならぬ地の繋がりを見据えた先に、人間の悲しさや愛しさが描かれている。特にこの小説は、他界したお兄さんに捧げられている。付録に収録された芥川賞のスピーチが心を打った。
Posted by ブクログ
第152回芥川賞受賞作。
芥川賞というと、合う合わないがスパーンと訣れることが多いのだけど、この作品の重みは好き。
いわゆるムラ社会色の強い熊本の小さな集落に、カナダ人とのハーフである息子、希敏(ケビン)を連れて出戻ってきたさなえ。
彼女は同じ故郷に住む「みっちゃん姉」と呼ぶ、かつて共にカナダを旅した初老の女性に逢いに行こうと思い立つ。
ともすれば、ムラ社会のしがらみを強く意識させる母と、反する生き方を選んでしまうさなえのドロドロになりそうなのに、この「みっちゃん姉」の存在が作品世界の色そのものを変える。
まださなえが若い時分、集落の女性達が、ジャックという先達を伴ってカナダ旅行に行く。
旅の中でさなえは、年の離れたみっちゃん姉の中にある、明るさに潜んだ哀しみを見つける。
その時は声のかけようもない「感じ」を、巡り巡って自分の影の中に見出したとしたら。
一概に共感とは言えない複雑な重なりの中で、だからこそ、さなえは彼女を追い求めているように見えた。
他の話とも繋がりのある短編集。
どの話でも、一番逢いたい人には逢えないままに筋が進んでゆく。
逢おうと思い立ったその感情は、逢えるその瞬間までに、思い出を伴って濃いものに変化してゆく。
そうか。逢うことだけが大切なのではないのか。
そこに至る過程の中で、その人との距離や時間を相対化しながら、改めて自分を見つめる時間が生まれる。
その過程を、とても快く感じた。
Posted by ブクログ
第152回芥川賞受賞作。
著者が生まれ育った大分県の過疎地や周囲の人々を底流に、着想されたものと推察する。
過疎地に生まれた主人公(さなえ)が、東京に出て異性との不幸な付き合いを重ねた先に、カナダ人と巡り合い、特異な感受性をもつ子供(希敏:けびん)を授かるが、突然失踪されて破局、シングルマザーとなり故郷に舞い戻ってくる。
そこで、昔なじみのおばさんの息子の入院を耳にする。9年前にカナダ人の案内で、おばさん達とカナダへ旅行したときの記憶が蘇り、現在の希敏を抱えた状況と、おばさんの不憫な息子に対する想いが交錯しながら進行していくが、互いの終着点がフェードアウトしていく。読者に残る余韻で評価が分かれるだろう。
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