石飛幸三のレビュー一覧
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【気づき】
・渡辺和子
死と言う制限があるからこそ、限られた人生で自分は何をすべきか、何を大切にして生きるかを考えられるのです。p.21
・キリストも良い事しかしていないのに、弟子に裏切られ、群衆の罵詈雑言を浴びながら、十字架に磔になって無残な死を遂げている。p.25
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良いことをすれば良い報いが起こるとも限らない。
どのような生き方をしようが、死に方をするか分からないから、こそ丁寧に生きる。
・石飛幸三
誤嚥性肺炎による飲み込む機能の低下自体が治らないため、病院としては胃ろうや経鼻胃管を勧めることになる。
しかしこれは別の問題を誘発することになる。
高齢者にとって、食道と胃の接合部分 -
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この本が単行本として発行されたのは2010年今から9年前である。この9年の間で医療を取り巻く環境は大分変わってきている。何でもかんでも胃瘻を作って施設に返すというようなことは行われていない。ただし地域によって、病院によって、医師によって異なる部分はあることだろう。
「老衰の終末期」にもかかわらず医療により延命医療が行われると筆者は書く。2019年であれば、胃瘻はもちろん点滴もしないで自然の形で眠るように最後を迎えることに異を唱える医者はそれほどいないのではないだろうか。問題はただ一点、本当に「老衰の終末期」なのかどうか、神ならぬ医者のみでは判断できないところにある。本書197頁の報道の言葉を借 -
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ネタバレ2016年、21冊目です。
このタイトルと同じ書籍を読んだことがあります。
4人の著者の一人である大津秀一さんの終末期医療の現場経験に基づいて書かれた本だったと思います。確かテレビでも取り上げられていました。この本は大津さんに加えて、3人の著者が「死」に向き合うことについて書かれています。
渡辺和子さんは、「置かれたところで咲きなさい」の書籍が有名なノートルダム清心女学院の理事長です。一期一会を大切に生きることを書かれています。
著者の一人で「納棺夫日記」で有名な青木新門さんの死をもっと身近なもととして感じ、生活から遠ざけない生き方をしようと書かれています。現代人が死やそれにまつわる出来事か -
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医療保険の半分は、人生の最期の二ヶ月に使われる、といいます。胃ろうはベルトコンベアーのように処置して送り出され、処置した医師も、それが患者のためになるのか、ということを考えないようにしているという世界。食べなくていいから食べないのに、無理に食べさせれば誤嚥性肺炎を起こし、胃ろうコースへ。
生命を永らえさせる、という目的と、誇りを持って寿命を迎える、ということの、どちらが正しいのかは他人が口を出しにくいことです。この本は、そろそろお迎えが来るよ、食べられなくなったら寿命だよ、というスタンスと、それに立ちふさがる「責任」という言葉による逃避との戦い。
僕は回復の見込みのない胃ろうはやりたくないと思 -
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今は口から食べなくても生きていく方法があるからです。
不自然なことをしてまで生きていたくない、自分には寿命が来たのだからもう結構ですと、意識がちゃんとしている人なら言えるでしょう。しかし現在日本では、高齢化に伴い認知症が増えています。八十五歳以上の人では、四人に一人がそうです。
九十歳前後の超高齢の方の基礎代謝は正確には判っていません。必要なカロリーはいくらかも判っていません。老衰した体にとっては、必要なカロリーという考え方自体が適切でないのかもしれません。体はもう生存することをやめようとしているのです。
我々にとって、家族にとって、何もしないことは心理的負担を伴います。口から食べられなくなっ