石飛幸三のレビュー一覧

  • 「平穏死」を受け入れるレッスン:自分はしてほしくないのに、なぜ親に延命治療をするのですか?

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    とてもいい書籍でした。
    終末期医療の実態を知りたい中で出会ったのですが、医師の立場から現在の問題定義までされていて、読み応えがありました。

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    2022年08月18日
  • 人は死ぬとき何を思うのか

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    【気づき】
    ・渡辺和子
    死と言う制限があるからこそ、限られた人生で自分は何をすべきか、何を大切にして生きるかを考えられるのです。p.21

    ・キリストも良い事しかしていないのに、弟子に裏切られ、群衆の罵詈雑言を浴びながら、十字架に磔になって無残な死を遂げている。p.25

    良いことをすれば良い報いが起こるとも限らない。
    どのような生き方をしようが、死に方をするか分からないから、こそ丁寧に生きる。

    ・石飛幸三
    誤嚥性肺炎による飲み込む機能の低下自体が治らないため、病院としては胃ろうや経鼻胃管を勧めることになる。
    しかしこれは別の問題を誘発することになる。
    高齢者にとって、食道と胃の接合部分

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    2020年12月16日
  • 「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか

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    石飛氏は老人ホームの看取りに関して随分有名に。寿命による死が老人ホームで迎えられないとしたらそれはおかしいと。ほんとに正しいと思う。いわゆる老衰死を平穏死と名付け、尊厳死の範疇には入るが、安楽死とは違った意味での死の選択の1つとして提示した功績が大きいと思う。NHKでも紹介されたが、人は死ぬ、という現実をどのように家族は受け入れるのか、また死ぬ自分自身がどのような選択があるのかを考える良い本だと思う。同時に、現在の保険医療制度の中で、死ぬままに任せる思考が養われない医療関係者への再考を促す本ですよね。

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    2019年09月14日
  • 「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか

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    この本が単行本として発行されたのは2010年今から9年前である。この9年の間で医療を取り巻く環境は大分変わってきている。何でもかんでも胃瘻を作って施設に返すというようなことは行われていない。ただし地域によって、病院によって、医師によって異なる部分はあることだろう。
    「老衰の終末期」にもかかわらず医療により延命医療が行われると筆者は書く。2019年であれば、胃瘻はもちろん点滴もしないで自然の形で眠るように最後を迎えることに異を唱える医者はそれほどいないのではないだろうか。問題はただ一点、本当に「老衰の終末期」なのかどうか、神ならぬ医者のみでは判断できないところにある。本書197頁の報道の言葉を借

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    2019年08月18日
  • 「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか

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    命を少しでも生き永らえさせることが正しいことだと思い込んで、胃ろうを増設する。
    その判断をするのは、本人ではなく家族である場合がほとんどだろう。
    高齢者の場合、そのことが死を平穏なものから遠ざけてしまうなんて。何が正しいか、なんていう答えがないのだとしたら、何がその人にとって大切か、その人を大切にするということか、ということを、今一度考えないといけない。

    「枯れるように死ぬ」ために、過剰な栄養や水分の投与をやめることは、とても勇気の要る決断だけれど、そういう取り組みが特養から広がってゆくことは素敵だと思った。

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    2018年07月27日
  • 「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか

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    死んでゆくときは「自然」がいい。物が食べられなくなったらそのままでいい。・・・と切に思わせる1冊。本人の意志を問われることなく延命治療を続けることが果たして良い選択かどうか・・・。考えさせられる。

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    2016年06月19日
  • 「平穏死」という選択

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    医療の要否を判断出来るのは、医師。
    しかし、日本では為さない事が悪という風土がまだまだ強く、その判断を口に出してくれる医師は少ない。そういう医師が増えることを願う。
    人としての尊厳を大切にする平穏死という選択があり、平穏死へ向かう為の医療がある事をもっと世の中に広めたら、医療費等の問題を含めて、色々解決するだろう。

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    2016年06月14日
  • 人は死ぬとき何を思うのか

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    ネタバレ

    2016年、21冊目です。

    このタイトルと同じ書籍を読んだことがあります。
    4人の著者の一人である大津秀一さんの終末期医療の現場経験に基づいて書かれた本だったと思います。確かテレビでも取り上げられていました。この本は大津さんに加えて、3人の著者が「死」に向き合うことについて書かれています。
    渡辺和子さんは、「置かれたところで咲きなさい」の書籍が有名なノートルダム清心女学院の理事長です。一期一会を大切に生きることを書かれています。
    著者の一人で「納棺夫日記」で有名な青木新門さんの死をもっと身近なもととして感じ、生活から遠ざけない生き方をしようと書かれています。現代人が死やそれにまつわる出来事か

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    2016年05月04日
  • 「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか

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    テレビの番組で著者の芦花ホームでの看取りの取り組みを見て興味を持ったので読んでみようと思いました。
    たまたま認知症の父が急病のため入院したこともあり、いろんな面で参考にもなりました。
    望まない人が多数なのに現実には行われてる延命措置は一体誰のためのものなのか。
    経鼻胃管や胃瘻についても、いろいろと考えるきっかけになりました。
    私も食べられなくなったら水だけでいいと思いました。ただ、穏やかな看取りを行っている施設はまだ少ないのが現状だそうです。
    芦花ホームのような取り組みが早く広まってほしいと願っています。

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    2015年10月15日
  • 「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか

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    特養で配置医をしている筆者による看取りの状況の紹介。
    肺炎は嚥下機能の低下により食べることから起きるのと、胃瘻から生じる。
    終末を迎える人にとってカロリーを十分にとる必要はないのではないか。

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    2014年04月02日
  • 「平穏死」という選択

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    医療保険の半分は、人生の最期の二ヶ月に使われる、といいます。胃ろうはベルトコンベアーのように処置して送り出され、処置した医師も、それが患者のためになるのか、ということを考えないようにしているという世界。食べなくていいから食べないのに、無理に食べさせれば誤嚥性肺炎を起こし、胃ろうコースへ。
    生命を永らえさせる、という目的と、誇りを持って寿命を迎える、ということの、どちらが正しいのかは他人が口を出しにくいことです。この本は、そろそろお迎えが来るよ、食べられなくなったら寿命だよ、というスタンスと、それに立ちふさがる「責任」という言葉による逃避との戦い。
    僕は回復の見込みのない胃ろうはやりたくないと思

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    2013年01月27日
  • 「平穏死」という選択

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    書店にて目に留まり購入

    勤務先にて胃ろうの方がおり、口から食べられなくなること、死の迎え方について疑問を抱いていた

    本書を拝見し、「平穏死」という言葉を受け入れることができたのは、わたしの問いが解決されたということなのだろうか

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    2012年12月19日
  • 「平穏死」という選択

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    「食べさせないから死ぬのではない、死ぬのだから食べないのだ」を理解することで、家族や介護する人は悩みを和らげる。本人がこの世にまだいたいと思っているかどうか?である。
    とにかく、「平穏死」の扉を開いていくのは我々一人一人ではないか!

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    2012年10月19日
  • 「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか

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    すごく良い内容だったのですが、もう少し読みやすく構成してほしかった。同じテーマがあちこちに現れるし、もっとすっきり出来たのでは…と思いました。

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    2024年07月27日
  • 人は死ぬとき何を思うのか

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    渡辺和子、大津秀一、石飛幸三、青木新門、山折哲雄諸氏の死生観でしょうか「人は死ぬとき何を思うのか」、2014.7発行です。一期一会の精神で人とつきあう(渡辺和子)行きたいところに行き、食べたいものを食べる(大津秀一)自然にまかせれば眠るように旅立つ(石飛幸三)現代の日本人には死生観が欠落している(山折哲雄)。69歳で病死した父は死ぬ少し前「母を頼む」と。99歳で死んだ母は眠るように旅立ったと聞きました。

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    2019年05月17日
  • 穏やかな死のために

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    胃ろうは食堂狭窄のために始まった。
    諸外国で認知症の人に胃ろうするケースはない。
    下顎呼吸は苦しくない。

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    2019年02月05日
  • 「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか

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    今は口から食べなくても生きていく方法があるからです。
    不自然なことをしてまで生きていたくない、自分には寿命が来たのだからもう結構ですと、意識がちゃんとしている人なら言えるでしょう。しかし現在日本では、高齢化に伴い認知症が増えています。八十五歳以上の人では、四人に一人がそうです。
    九十歳前後の超高齢の方の基礎代謝は正確には判っていません。必要なカロリーはいくらかも判っていません。老衰した体にとっては、必要なカロリーという考え方自体が適切でないのかもしれません。体はもう生存することをやめようとしているのです。
    我々にとって、家族にとって、何もしないことは心理的負担を伴います。口から食べられなくなっ

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    2016年11月21日
  • 人は死ぬとき何を思うのか

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    5人の方が死について書かれている。
    石飛さん以外の方の書籍は読んだ事があったので
    イメージ通りでした。
    「平穏死」というもの。多分昔は当たり前だった事
    それを、受け入れて見守る大切さを考えさせられました
    でも、日本の今のシステムでは難しく
    本人や家族の思う通りにはいけないのかもしれない。

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    2014年12月03日
  • 「平穏死」という選択

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    老衰(care)と病気(cure)は別物だ。
    患者のことをいちばんに考える医療というのは、それを理解することであって、必ずしも命を長引かせるものではない。
    看護の主な二つの役割、診療の補助と療養の世話のうち、看取りを行う施設では、後者の役割が大きい。これは病棟看護とは反対のもの。

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    2013年06月15日
  • 「平穏死」という選択

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    前著「平穏死」のすすめを書いてから2年。この間石飛先生はNHKをはじめマスコミにとりあげられ一躍時の人となった。各地に講演会へいきお忙しかったようだ。そしてこの本を上梓。さらに老衰時に無駄な延命治療をしない平穏死を勧める本となっている。すでに胃ロウ問題など、高齢者にしないほうがよいという石飛氏の意見は世間の意見にまでなっている。

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    2012年12月01日