【感想・ネタバレ】「平穏死」という選択のレビュー

あらすじ

■内容紹介
「寿命を受け入れるという考え方に大賛成! この本を読むと、「死」が怖くなくなります」
――『大往生したけりゃ医療とかかわるな』中村仁一氏推薦!

安らかな死に、医療はいらない――。8割の人が、自宅で死にたいと願いながら病院で死んでいる。安らかな最期を実現するために、患者や家族はどのような知識をもって終末期の医療とかかわるべきか、医師はどのような思想を持つべきなのか。胃ろうを付けられ、寝返りも打てずじっとベッドに横たわったままの高齢者は30万人とも40万人ともいわれている。本当にこのままでいいのだろうか? 人間には本来、自然に、苦痛なく死を迎える機能が備わっている。無理な延命治療をしなければ、苦しまずに穏やかに最期を迎えることができるのだ。延命医療の最前線で活躍する外科医から特別養護老人ホームの常勤医師へと転身した著者の「往生の哲学」が、いずれ死を迎える私たちすべてに、生き方への深遠な問いを投げかける。

■著者紹介
石飛 幸三(いしとび こうぞう)
特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医。1935年広島県生まれ。1961年慶應義塾大学医学部卒業。外科学教室に入局後、1970年ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院で血管外科医として勤務。1972年東京都済生会中央病院勤務。30年にわたって頸動脈内膜剥離術など血管外科の発展に寄与する一方、慶應義塾大学医学部兼任講師として血管外傷を講義。1993年東京都済生会中央病院副院長。2005年12月より現職。診療の傍ら、講演や執筆、メディアを通して、老衰末期の看取りのあり方についての啓発に尽力している。著書に『「平穏死」のすすめ 口から食べられなくなったらどうしますか』(講談社)がある。

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感情タグBEST3

Posted by ブクログ

特養の常勤医であり元血管外科医である筆者が、今まさに国家的レベルで取り組むべき喫緊の課題を語る。医療者あるいは患者の家族の誰もが感じているが直視することを避け、思考停止に陥っている問題にメスを入れており、医療のあり方を根本から見直し新たな視点を提起する一冊。

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2014年02月04日

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終末期の医療•介護の現実に鋭く切り込んだ本。時々感じる違和感の正体が少しわかった気がする。介護には、自立支援だけではなく看取りへの対応が求められている。今、自分に足りないものは何かを見極め、学んでいきたい。

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2013年05月03日

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自然に任せるという三宅島の知恵
「食べられなくなればあとは水だけをあげます。そうすると二週間から三週間で最期を迎えます。」栄養を絞ることで、枯れるように亡くなられそうです。
今の日本は多くのしがらみ(法的な事を含め)で、平穏死や自然死が困難になっている。

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2013年02月24日

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死ぬ時は生かされるんじゃなく穏やかに人生の最期の時を迎えたい。自分の死生感を考えるきっかけになった。

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2013年02月18日

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「平穏死」というのは著者と弁護士の黒田和夫さんの造語である。
「平穏死」というのは「老境」の最期、もはや、「無理に生かす」医療措置など必要としていない方に、苦しまず、自然に、穏やかに最後の時を過ごしてほしいということを表した言葉。

生まれて、成長して、子孫を残して、老いて最後を迎える、一人の人間の誇り高い命を守ることが必要であるとの記述。

「口から食べる」ことの重要性、終末期医療で「胃ろうを増設する」ことが必要であるか否か、「平穏死」は殺人か、「看取り」と向き合うことについてなど、超高齢化社会が進む中、考えるべき問題についての見解が、実例に基づいてわかりやすく書いてある。

特別養護老人ホームの常勤医である著者だからこを書けた一冊ではないかと思う。

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2012年11月06日

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老衰に医療がどこまで介入するのか。著者は延命至上主義に一石を投じ、平穏死を提唱する。口からものを食べられなくなった人間に胃ろうなどの処置をし、延命をすることは自然に反すること。「食べないから死ぬのではない、死ぬから食べないのだ」という言葉は非常に腹おちした。これから治る見込みのある人間と明らかに老衰の人間の命の取り扱いが同じで良いのか、考えさせられた。自然にゆだねることの大切さを今一度見直してみたいと思った。

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2012年10月31日

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「命を延ばす」だけが正しいことではない。

ハリソン内科学(第17版)のPart I「Introduction to Clinical Medicine」より

『Understanding that patients stop eating because they are dying, not dying because they have stopped eating, can reduce family and caregiver anxiety.』
(死を迎える人は、命を終えようとしているのだから食べないのだ。食べないから死ぬのではない。このことを理解することで、家族や介護する人は悩みを和らげられる)

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2012年10月21日

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ネタバレ

「平穏死」という選択

「平穏死」のすすめの内容を再度整理して新書にしたものです。主な違いは、弁護士の方と勉強会を通して作成した平穏死の刑法上の考察が掲載されていることです。
前著から石飛先生は一貫して胃瘻を付けず食べられなくなったら平穏に死に至る平穏死を推奨されています。今の終末医療は、現代日本の病根とも言える責任回避によって捻じ曲げられ、死にゆく人を苦しめているのではないかというご意見に竹蔵は賛同します。
せめて自分、家族は状況を考えて最善の選択をするようにしたいと改めて思いました。
元気な方も今のうちに是非一度ご一読頂いて考えて見ることをお勧めします。

竹蔵

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2025年08月04日

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医療の要否を判断出来るのは、医師。
しかし、日本では為さない事が悪という風土がまだまだ強く、その判断を口に出してくれる医師は少ない。そういう医師が増えることを願う。
人としての尊厳を大切にする平穏死という選択があり、平穏死へ向かう為の医療がある事をもっと世の中に広めたら、医療費等の問題を含めて、色々解決するだろう。

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2016年06月14日

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医療保険の半分は、人生の最期の二ヶ月に使われる、といいます。胃ろうはベルトコンベアーのように処置して送り出され、処置した医師も、それが患者のためになるのか、ということを考えないようにしているという世界。食べなくていいから食べないのに、無理に食べさせれば誤嚥性肺炎を起こし、胃ろうコースへ。
生命を永らえさせる、という目的と、誇りを持って寿命を迎える、ということの、どちらが正しいのかは他人が口を出しにくいことです。この本は、そろそろお迎えが来るよ、食べられなくなったら寿命だよ、というスタンスと、それに立ちふさがる「責任」という言葉による逃避との戦い。
僕は回復の見込みのない胃ろうはやりたくないと思うけれど、たとえば自分の親や子は、必ずしもそう思っていないかもしれません。元気なうちに、身内に読んでおいてほしい本です。

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2013年01月27日

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書店にて目に留まり購入

勤務先にて胃ろうの方がおり、口から食べられなくなること、死の迎え方について疑問を抱いていた

本書を拝見し、「平穏死」という言葉を受け入れることができたのは、わたしの問いが解決されたということなのだろうか

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2012年12月19日

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「食べさせないから死ぬのではない、死ぬのだから食べないのだ」を理解することで、家族や介護する人は悩みを和らげる。本人がこの世にまだいたいと思っているかどうか?である。
とにかく、「平穏死」の扉を開いていくのは我々一人一人ではないか!

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2012年10月19日

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老衰(care)と病気(cure)は別物だ。
患者のことをいちばんに考える医療というのは、それを理解することであって、必ずしも命を長引かせるものではない。
看護の主な二つの役割、診療の補助と療養の世話のうち、看取りを行う施設では、後者の役割が大きい。これは病棟看護とは反対のもの。

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2013年06月15日

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前著「平穏死」のすすめを書いてから2年。この間石飛先生はNHKをはじめマスコミにとりあげられ一躍時の人となった。各地に講演会へいきお忙しかったようだ。そしてこの本を上梓。さらに老衰時に無駄な延命治療をしない平穏死を勧める本となっている。すでに胃ロウ問題など、高齢者にしないほうがよいという石飛氏の意見は世間の意見にまでなっている。

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2012年12月01日

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